硝子の電マー:出題編

「大変ですだ! 大変ですだよ、ブラウンせんせ!」


 探偵のブラウンがいびきをかきながらマーメイドと温泉で抱き合っている夢を見ていると、助手でオークのサンチョが10割ニンニクで構成された吐息とともに大声で騒ぎ立てた。


「いい加減にしてくれ。俺はな、そろそろお前をクビにすることを真剣に考えているんだぞ」


 堪忍袋の緒が切れたブラウンは、人差し指を立てながらサンチョに詰め寄る。


「せんせ、今は冗談を言ってる場合じゃないだよ。とにかく早く来てほしいだ」


 最後通牒すら冗談と捉えられ、急き立てられるままに事務所を出るブラウン。すると、事務所が入っているアパートの前にはパトカーが停まっていた。


「遅いぞ。今度はすごい大物が殺されたんだが、どうしても犯人が見つからなくてな。ちょうどアンタの知恵を借りたかったんだ」


 パトカーから身を乗り出したのは、もはや2人にとってはお馴染みのドワーフ、ドルガタ警部である。


 ブラウンは何も分からないまま後部座席に乗らされると、続いてサンチョがその巨体を滑り込ませて来たため、ドアとオークの豊満な肉体に挟まれて圧死する寸前になった。


 パトカーはそのまま猛スピードで走り出すと、事務所から数十メートル先の大豪邸で停まる。


「おい、本当に車に乗る必要ってあったのか? ……というか、ここってどっかの会社の社長が住んでる家だよな。まさか――」


「ああ、そのまさかだ。今回殺されたのはドン・ハンイエ社長。キョンシー派遣会社『オリエント興業』の代表取締役社長を務めていたらしいな。政府と強いコネクションも持つ、財界を裏から牛耳るフィクサーだ」


 ブラウンは息も絶え絶えといった様子で車を降りる。それを見ながらニヤニヤと笑うドルガタ。彼は他人が苦しんでいる姿を見ながら白飯を3杯食えるのだ。


「キョンシー派遣といっても、やるのは夜の奉仕がほとんどだったようだ。汚い商売で金を稼いでいたし、恨む相手も多かったみたいだな」


「ええー! つまり、キョンシーとセックスしてたやつがたくさんいたってことだか? 世の中には屍姦が趣味の異常性癖者がたくさんいるんだぁね」


 キョンシーとは、死んだ人間の体に屍術を施して術者の意のままに操れるようにした個体のことである。基本的に自由意志はなく、額に貼られたお札に書かれているプログラム通りに動き、剥がすとただの死体に戻る。


「フン、オークでも異常性癖と普通の性癖が理解できるか。まあ、とにかくその社長が頭を床に叩きつけられて殺害されてた。庭中に仕掛けられていた監視カメラから、犯行当日に家に侵入した賊がいないのは確認済みだ」


 ドルガタは門を開けながら庭の方を指さした。大量の監視カメラが仕掛けてある。家主はかなり神経質か、後ろ暗いことのある人物だったに違いない。


「じゃあ、犯人は前から家の中に潜んでいたか、元々家に住んでいた家人だったかじゃないのか?」


「まあ、そうだろうな。ちなみに犯行後も家から出ていった人物はいない。ずっと家にいたのはメイド用に雇われたキョンシーだけだった」


「決まりじゃないか。犯人はそのキョンシーだろ。何を悩んでるんだよ」


 苦々しげに吐き捨てるドルガタに、ブラウンは当然の疑問を挟む。そのキョンシーを捕まえて取り調べてしまえばいい。


「それがだな。実はそのドン社長、キョンシーを6000体も家に置いていやがったんだ」


「ろ、6000体!?」


 あまりの規模に事態を飲み込めないブラウン。


「ああ。この家、外から見ると大豪邸だが、実は地下にも空間が広がっててな。ちょっとしたドームだよ。コンサートでも開催できそうだ」


 噂の大豪邸の中に入る一行。すると、ごそごそと動く人影を認めた。これが例のキョンシーだろうか。


「いらしゃいませ。あなた、どこの誰か?」


 ぎこちない動きで現れたのは、もじゃもじゃの短髪パーマに飛び出た目玉とたらこ唇、ドラム缶のような体型に三角コーンのように飛び出た乳房が付いている、どこからどう見ても安物のダッチワイフと言っても過言ではないキョンシーだった。


「ああ、言いたいことはわかる。ドン社長、経営の才能はあったんだがキョンシーを作る才能は全くなかったみたいでな。しかも、全員がこんなナリだから殺人犯を特定するのに難航してる」


「血痕で特定できないのか? 後は……指紋とか」


 ブラウンは雑な手つきでキョンシーを脇にどかしながらドルガタに問いかけた。


「おいおい、6000体だぞ。兵馬俑並みの数だ。いくら捜査員を呼んでも一人ひとり調べてたらまるで片付かん」


「なるほど、それでせんせにお呼びがかかっただか。さすがはせんせ、とはこのことだよ」


 逆の意味のことわざを得意げに使うサンチョに豚はお前だろと怒りを滲ませながら、ブラウンはとりあえず現場を見ておくことにした。


 現場は成金趣味丸出しの悪趣味な寝室だった。


 金箔の散りばめられたベッドはやたらと広く――キングサイズらしい――大人の男が5人は楽に寝れそうだ。大理石のシミ一つない床を鑑識が熱心に調べている。どうやらここに頭を叩きつけられたようだ。


「おおー、大きなベッドだ。オラ、昔からこういうところで寝てみたかっただよ」


 サンチョはそう言うが早いか、ブラウンの静止も聞かずにキングベッドに飛び乗った。巨体が跳ね、ベッドのバネが軋む音がする。


「俺はもうツッコまんぞ。あ、ちなみにだがここのキョンシーは全員、ようにプログラミングされているみたいだ。だからまあ、6000体全員に一人ひとり尋ねていけばそのうちアタリを引けるかもしれんが……」


 ドルガタは呻きながらこめかみを押さえる。今回の事件が頭痛の種になっているのだ。


「しかし、ここの社長も相当な変態だぁね。あのダッチワイフみたいな6000体のキョンシーと毎晩毎晩日替わりでセックスしてたに違いないだよ」


 鑑識に機材で殴打されても平気のへいざなサンチョが、頭を掻きながらいつの間にか会話に加わってきていた。


「オークの癖に鋭いな、その通りだ。ドン社長は派遣前のキョンシーを必ずと称して寝室に呼んでいたらしい。俺は羨ましいとは思わんけどな」


 ブラウンもドルガタに完全同意だった。あんなダッチワイフみたいな、全員同じ顔をしたキョンシーとセックスできるとしても全く羨ましくない。


「後は何か変わったことあったかな……。ああ、そうだ。この寝室だが、殺害後に掃除された痕跡があったんだ。なぜか死体は放置して、床を拭いたりベッドのシワを整えてたみたいだ。何から何まで異常だらけな事件だぜ」


 ドルガタは鼻を鳴らす。早く仕事を終わらせて前回の銭湯殺人事件で消化できなかった分の有給休暇を取りたいのだ。


「ブラウンせんせ、ウチの事務所も6000人くらい助手がいたらきっとカッコいいだね。そしたらオラはブラウン探偵事務所で6000人のうち、上から2番目に偉い探偵助手だよ」


「たとえ偉いのは2番目でも、知能レベルは下から1番目だろ」


 しかし、ブラウンの皮肉がサンチョに通じるわけもなく、サンチョはいつまでも豚の鳴き声のような下劣な笑い声を上げ続けるのだった。

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