痴態の汁を啜れ:解決編
雪男が水風呂で熱死、火男がサウナで凍死していたという空前絶後の難事件。
へっぽこ探偵のブラウンは銭湯の管理人であるフェテロ氏から借りてきた犯行当日の監視カメラデータをチェックしていた。
さすがにプライバシーの問題からか浴場内の映像はないが、脱衣所までの廊下の映像はハッキリと確認することができる。これで怪しい人がいればすぐに分かるはずだ。
十分後。既にブラウンはあくびを連発し、目をしばたたかせながら映像をぼんやりと眺めていた。
「しっかし暇だなあ。全然動きがないぞ。たまに浴衣姿のねーちゃんが見れるっていってもなあ。――ん?」
すると今日の5時の場面になった途端に映像が乱れ始めた。急にどうしたんだろう。もしや何か事件でもあったのか?
「うっふーん」
映像の乱れが収まり、映し出されたのはブラウン好みのマーメイドの女性が喘いでいる映像であった。これは俗にいうAV――アダルトビデオに違いない。
「おお! これはすごい!」
先ほどの眠気はどこへやら、ブラウンは監視カメラの映像データの中に差し込まれていたAVを食い入るように見つめる。
「ほーら、口に入っちゃうわよ~?」
マーメイドの女優が挑発的に囁き、画面いっぱいにモザイクが映る。どうやら非常に淫靡なことが行われているようである。
「ああーっ、出ちゃうっ! 全部出ちゃうよおっ! 死ぬ! イキすぎて死んじゃうっ!」
ブラウンは心の奥底まで完全にAV男優と自分を重ねていた。
あまりの恍惚に魂が肉体を離脱し、涅槃へと導かれる。――と、その瞬間!
「アッ!!」
ブラウンは事件の真相を導く、たった一つの推理をひらめいていた。
「マーメイドの名も知らぬ女優さん。名前は後からFANZAで調べるとして……俺はこれから、あの忌まわしい殺人事件を解決しなければならないようだ」
リモコンの停止ボタンを押し、真っ暗な画面に向かってそう呟くブラウン。その目は、かの賢者王イッタアート・ダリにも匹敵するほどの物悲しさをたたえていた。
ブラウンは再び銭湯に戻り、ドルガタ警部とサンチョを呼び戻す。管理人のフェテロ氏も杖をつきながらよろよろと出てきた。
「さて、今回の事件だが、事件の構造自体は非常にシンプルだ」
「おいおい、アンタ銭湯の湯気で頭でも沸いちまったんじゃないのか? 2人も殺されてるんだぞ、どこがシンプルなんだよ」
妻とのデート中に無理やり呼び戻されたドルガタが出会い頭に一撃をお見舞いする。だが、ブラウンはたじろがない。
「いや、これは2つの殺人事件なんかじゃない。連続した1つの殺人だ。俺たちが一見して気付けなかったのは犯人の仕掛けたトリックがあまりにも異常すぎたからなんだが――」
ブラウンはサウナと水風呂を交互に指さしながら推理を語り始める。
「結論から言おう。雪男のニコライを殺したのは火男のウォッカで、火男のウォッカを殺したのは雪男のニコライだ」
「は、はあっ!?」
あまりの展開にドルガタは言葉を失った。どういうことだろう。
「いや、ちょっと待てよ。水風呂とサウナだぞ? どっちかがどっちかを殺して、その後に死体が動いてまた殺したっていうのか!?」
ドルガタが一見して聞いただけでは意味不明なことを叫んだ。確かにブラウンの推理を信じるならば、もしニコライがウォッカを殺したのであれば、死んだニコライがサウナまで移動してウォッカを殺害していることになる。
「違う。お互いに同時に殺し合ったのさ」
ブラウンはスマホを操作し、裏サイトの掲示板を見せた。そこにはこの銭湯の名前が書いてあった。
「なんだこれは」
ドルガタが画面を見つめて首をひねる。ずさんな捜査ではあるが、一通りインターネットの書き込みには目を通したつもりだ。だが、こんな掲示板は一度もヒットしなかった。
「知らなくて当然だろう。これは表では絶対にヒットしないように色々検索避けの工作がされているからな」
「なんで普通に検索してもヒットされないような掲示板が、この銭湯にはあるんだよ。……もしかして、ヤバい薬の取引に使われてたのか!?」
「ヤバいという部分のみ正解だ。この掲示板は、ゲイ向けの発展場用掲示板だよ」
「ゲイだか!!」
これまで興味なさげに股間をずっと弄っていたサンチョがやにわに元気になり、唾液を飛ばしながらこの日一番の大声をあげた。
「ああ。そしてこれらの書き込みによると、この銭湯は日常的に発展場として利用されていたようだな」
発展場。いわば同性愛者たちが密会やセックスに使用する場所のことである。当然であるが、施設の管理者には無断で使用されていることが多い。
「この書き込みを見てくれ。犯行の朝に書き込まれたメッセージだ。『ジブン、モロ感の30代雪男ッス! いまサウナにいるんで、オモチャにしてくれるガチムチの火男さん募集してるッス! 何度イっても絶対に動かないので、死ぬ寸前までしゃぶりつくして欲しいッス!』と書いてある」
ブラウンはメッセージを非常に嫌そうに読み上げる。
「これは……殺されたニコライが書き込んだのか? 何のために? っていうか、ニコライはゲイだったのか?」
ドルガタは当然の疑問を示した。次から次へと湧いてくる驚愕の展開にもう頭がついていかない。
「いや、これはニコライが書き込んだものではない。犯人が巧妙にゲイを装って書き込んだんだ。……そして、この書き込みには『火属性のガチムチ兄貴』を名乗るゲイからいいねが付いている。これが火男のウォッカだろう」
「つまり……ニコライとウォッカはゲイで、ゲイセックス目的でこの銭湯を利用していた……?」
「――そう、そしてそれを犯人に利用された。体温の高い火男が、マイナス60度の超低温の口にフェラチオされ続けて無事で済むわけがなかったのさ」
「フン、それは同じことが雪男にもいえたってことか。しかし、またしても異種族のすれ違いってやつかね。しかし、犯人のやったのは掲示板に嘘の書き込みをしただけか。これだと罪を立証するのは難しい気がするが……」
「いいや。犯人はもっと明確に殺人に手を染めている。ひとつ、ニコライがウォッカをしゃぶっている間、誰も立ち入りできないようにサウナの扉に『ボイラー調整中』の立て札をかけていた。これは入場者の他のゲイにも確認している」
「おおっ、ゲイだか!!」
サンチョが騒ぐ。もはやゲイという言葉に機械的に反応しているようだ。
「ふたつ、ニコライの死体を水風呂まで移動させている。これは捜査を撹乱させるためと、口内の精液を洗い流すためだ。普通のお湯だと液のタンパク質が固まって排水口に詰まるからな。この銭湯はただでさえゲイが多いんだ。サンチョの愚鈍な頭に似合わない鋭敏な嗅覚だと精液の匂いがムンムンするようだが」
「ああ、ここは栗の花の香りが濃すぎるだぁね。最初、中学生とお猿さんがたくさんいるのかと思ってだだよ」
皮肉に気づかないサンチョがうんうんと首を振った。
「まあそこまではいいとして、そうすると誰が犯人になるんだ? やっぱり前回みたいにゲイのやつらが痴情のもつれで殺したのか?」
ドルガタが唸った。前回のようにまた犯人がオカマに豹変するのだけは勘弁してほしい。
「違う。この犯行が可能だったのは、サウナの看板を用意でき、監視カメラの映像を消去するなどの隠蔽工作が可能だった人物――フェテロ爺さんだ!」
ブラウンはよろよろしながら話を聞いていたフェテロを指さした。その勢いでフェテロは後ろで吹き飛んだ。
「と、とんでもないですじゃ! ワシはただ……名探偵どのに楽しんでほしくてAVを差し込んだだけですじゃよ! お気に召しませんでしたかな?」
「い、いや……めちゃくちゃ気に入ったけど、それはそれとして……! 犯人はあなただ!」
「しかし、証拠が……明確な証拠がありませんですぞっ!」
フェテロが入れ歯を飛ばさんばかりに抗弁する。なかなか強気である。
「証拠は……あるぞ!」
そう言ったのはドルガタ警部であった。
「このゲイ向け掲示板の書き込みだ! このIPアドレスを辿れば誰が書き込んだか一瞬でわかるわ!」
「あ、IPアドレスぅ……? 何ですじゃ、それは……」
聞き慣れない言葉に首をひねるフェテロ。どうやらそっち方面の知識には疎かったようだ。
「あ、IPアドレスっていうのはだな……! その、とにかく書き込んだ場所がわかるんだ! そういう機能がインターネットにはあるんだ!」
どうやらドルガタも何となくでしか知らなかったようである。
「な、なんと……そんなものが……」
フェテロは観念したのか首をがくんと折った。
「ふん、一件落着か」
ドルガタはフェテロに手錠をかけながらふんぞり返る。
「フェテロさん、最後に一つ聞かせてくれ。あんた、最初に『インターネットで殺人事件の起きたスパ銭として噂が広まってるから解決してほしい』って言ってたが、それなら何で殺人なんか犯したんだ」
「ふぉふぉふぉ、それはのう……嫌じゃったのよ。発展場として使われるワシの銭湯が」
フェテロは動機を語り始める。
「『全ての汚れを落とせる銭湯』を掲げとる銭湯じゃ、殺人の汚名を被っても発展場としての汚れを落とせるなら本望じゃよ。殺人の悪評は100年経てば落ちるが、発展場の評判は1000年経ってもなくならんからな……」
「だが、フェテロさん。殺されたゲイは10000年、いや100000000年経っても生き返らないんだぞ」
ブラウンはフェテロに諭すように思いを伝えた。
「それでもな……嫌いじゃ、ゲイは」
そうぽつりと漏らし、そのままパトカーに連行されて行った。
「ホモフォビアが生んだ事件か。今回もすごかったな」
ブラウンはサンチョとベッドを事務所まで運びながらそう呟く。
「ブラウンせんせ、知らないだか。今はホモじゃなくてゲイって言わないと差別になるだよ」
ニヤつくサンチョの頭にゲンコツをくれながら、重労働のせいで明日はきっと腰痛だろうなと気が滅入るブラウンであった。
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