痴態の汁を啜れ:出題編

「大変ですだ! 大変ですだよ、ブラウンせんせ!」


 探偵のブラウンがいびきをかきながらラミアの姉妹に乳首を交互に責められる夢を見ていると、助手でオークのサンチョが突然耳元で馬鹿みたいに大きな声をはりあげた。


「うおっ!」


 驚いて跳ね起きるブラウン。その声量にも面食らったが、何より不快だったのはサンチョのニンニク臭い吐息であった。


「サンチョ、いい加減にしてくれ。というかどうやって事務所に入ってきたんだ? 合鍵は渡してないはずだぞ」


 目を擦りながら辺りを見回す。やたらと高い天井、タイル張りの床。そしてほのかに香る石鹸の匂い。ここは明らかに探偵事務所ではない。


「おう、やっと起きたか。出番だぞ」


 状況が飲み込めないブラウンの耳に、聞き覚えのある声がした。ドワーフ警部のドルガタだ。


「せんせがあまりにも起きないから、ベッドごと事件現場まで運んできただよ」


 野生のライオンですら片手で解体するオークのサンチョが、その有り余る馬鹿力を活かしてついに暴挙に出たらしい。もちろん事務所の鍵は壊されたに違いない。


「と、いうわけだ。さっそく事件について説明させてくれ」


 他人の不幸が三度の飯よりも好物のドルガタが、ニヤつきながら事件のあらましについて語り始めた。


「今回の発見現場は公衆浴場……まあ俗にいうスーパー銭湯ってやつだな。死んでいたのは雪男のニコライと火男のウォッカだ。両方とも浴場の中で見つかった」


「2人も殺されたのか」


 ぼやくブラウン。無理やり叩き起こされたせいでいまいちテンションが上がらない。


「妙だったのは死体の状況だ。まず、火男のウォッカだが、100度に設定されたサウナの中で凍死していた」


 火男というのは、全身が炎に包まれている種族である。その炎は見かけ上のもので実際には物を焼くことはないが、平均体温が200度もあるため近寄るには覚悟が必要な異種族だ。


「サウナに入ろうとした客が偶然にも燃え尽きたままベンチに腰掛けているウォッカの死体を発見してな。慌てて110番したってことらしい」


「サウナで凍死? そいつは妙だな」


 しかも凍え死んでいたのは超高体温の火男だ。これは確かに異常である。


「しかし、その流れだと雪男のニコライっていうのはまさか水風呂で熱死してたわけじゃないよな?」


 ブラウンが軽口を叩く。しかしドルガタは笑わなかった。


「その通りだ。ニコライは水風呂で熱死していた」


 雪男は雪山に群れを作って住んでいる種族で、見かけは毛に覆われたゴリラに似ている。こちらは火男の逆で超低体温であり、その体表はマイナス60度にもなるという。


「俺たちがここに駆けつけた時、ほとんどの客はパトカーの音に驚いて脱衣所まで出て来たんだがな。一人だけ水風呂に浸かったまま動かないやつがいるっていうんで声をかけたら死んでたのさ」


「そ、そうか……」


 不謹慎な方に推理が当たり、微妙に居心地の悪さを感じながらブラウンは再びベッドに潜り込もうとした。起きるなり殺人事件の内容を聞かされるとは、最悪の目覚めだ。


「おおおおっ、その方が例の名探偵ですか!」


 しかし、怪鳥の鳴き声のようなけたたましい叫びでブラウンの眠りは中断された。見ると、そこには枯れ木のようにか細いドルイドの老人が立っていた。


「このジイさんはこのスパ銭の管理人のフェテロだ。どうしてもアンタに言っておきたいことがあるんだと」


 ドルガタが老人を紹介すると、フェテロはプルプルと震える腕でブラウンに縋りついてきた。


「探偵どの! ワシゃあこの銭湯を心から愛しとるんじゃ。5000年続く伝統ある銭湯じゃが、3年前に改装して設備を新しく入れ替えたばっかりなんじゃあ! 『全ての汚れを落とせる銭湯』を目標に掲げ、身も心もきれいになってもらうために必死にやって来たのに既にインターネットでは殺人事件の起きたスパ銭として噂が広まっとるんじゃ……」


 フェテロは悲しげに肩を落とす。その姿からは悲壮感と静かな怒りが感じられた。


「だから絶対に犯人を捕まえてくれっ! この通りっ! 頼む!」


 必死で手を合わせるフェテロを見、ブラウンは頭のモヤが晴れていくのを感じた。


「フェテロさん、任せてくれ。この俺が、探偵の名にかけて絶対に犯人を捕まえて見せる」


 使命感に燃えサムズアップするブラウンを、サンチョは鼻をほじりながら明らかに興味のない様子で見つめていた。


「よし、ドルガタ警部。さっそくだが事件についてもっと詳しく教えてほしい。容疑者候補、殺害手段、被害者の情報……なんでもいい」


「ああ……容疑者候補は0人だ。監視カメラの映像を確認したところ死亡推定時刻前後には怪しげな客の出入りはなかった。殺害手段は全く分からん。なんせ詳しい司法解剖がまだ行われていないからな。あと被害者同士のつながりは今のところ一切見つかっていない。強いて言うなら2人ともこの銭湯の常連だったっていうところか」


 ドルガタが早口で一気にそう告げ、悪趣味な金の腕時計をチラリと確認した。


「ドルガタ警部、さっきからやたらとソワソワしてるけどもウンチでも我慢してるだか?」


 サンチョがデリカシーに欠ける発言をする。だが、ブラウンが起きてから明らかにドルガタは時間を気にしていた。


「いやな、本当なら今日は非番なんだ。なのに殺人事件だから来いって言われて押っ取り刀でここまで来たんだよ」


「はあ。だったらアンタ以外の警察に来てもらえば良かったんじゃないのか?」


「いや、非番っていうのは警察全体が、ってことだ。今日は警察官は全員休みになってんだよ」


 ドルガタが何気なく爆弾発言を放つ。ということは警察機能が完全に麻痺している今日なら、いくら犯罪を犯してもまともに捜査が開始されないということではないか。


「だから監視カメラの確認も聞き込みも、アンタらがここに着く前の1時間でざっくばらんにやっただけだ。特に裏取りもしてないから悪いが肝心なところは自分たちで調べてくれ」


 ドルガタの息が荒くなり、ついに貧乏ゆすりを始める。


「あー、すまんっ! そろそろ帰らんとカミさんに怒られるんだ。犯人を見つけたら適当に牢屋にでもブチ込んでおいてくれや。じゃあな」


 それだけ言うと、ドルガタは荷物をまとめてあっという間に帰ってしまった。公権力の腐敗ここに極まれりである。


「せんせ、オラたちも帰るだか」


 サンチョも既にやる気をなくし、手持ち無沙汰に股間を弄っていた。


「馬鹿野郎。俺たちだけでやるんだよ」


 ブラウンは柄にもなく熱くなり、サンチョにゲンコツをかます。だがオークの分厚い皮膚は予想以上に硬く、拳の皮が剥けて血が滲んだ。


「まずは事情聴取だ。事件前にここに来ていた客に片っ端から聞き込みを行うぞ」


 待合室に待機してもらっていた男湯の客を集め、当時何をしていたか、何か変わったことはなかったかなどを一人ひとり丁寧に聞いて回るブラウン。


 しかし――


「いやあ、特になかったっすね」


「んー、別に」


「それより早く家に帰してくれよ」


 などと、やたらとガタイのいい男性客たちは揃いも揃って気のない返答をよこすばかりである。


「これは臭うな……」


 ブラウンは本能的に、何か怪しい匂いをこの客たちから嗅ぎ取った。


「まあ確かに臭いはするだぁね。この銭湯って中学生とお猿さんがたくさんいるだか?」


 鼻を鳴らして意味不明な発言をするサンチョ。浴場からは石鹸のいい匂いしかしない。


「次は……監視カメラの確認か。サンチョ、フェテロさんに当時の映像データを借りてきてくれ」


「がってんしょうちですだ!」


 巨体を揺らして駆け出すサンチョを見送り、ブラウンは背伸びをした。すると突然、背後からまとわりつくような視線を感じる。


 驚いて振り返ると、先ほどの男性客たちが各々スマホをいじったり談笑したりしていた。やはりこの中に犯人はいるのだろうか。


 これまでに味わったことのないような薄気味悪さを覚え、ブラウンはブルリと震えた。

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