月と糞袋:出題編
「大変ですだ! 大変ですだよ、ブラウンせんせ!」
ブラウン探偵事務所の扉を助手のサンチョが無遠慮に叩く。ベッドの中で巨乳エルフに囲まれる夢を見ていた探偵のブラウンは、そのなまりのひどいダミ声で一気に現実に引き戻された。
「うるさいぞ、サンチョ。今何時だと思ってるんだ。まだ朝の11時だ。ゆっくり寝させてくれ」
舌打ちをくれながらブラウンはしぶしぶ事務所のドアを開け、サンチョを迎え入れた。間髪入れずサンチョの巨体がぬるりと部屋に滑り込む。
「せんせは遅起きだぁね。早起きは三文の徳というし、もうちょっと早く起きないと健康に悪いと思うだよ」
サンチョがことわざを引用し、ブラウンの体をゆらゆらと揺らす。サンチョはオークである。彼らは猪のような頭とそれに見合った少なめのオツムを持つ種族だが、サンチョはオークにあるまじき知性で立派に探偵助手を勤め上げていた。
「それで、何が大変なんだ。また例の糞ポリ公が事件を持ってきたんじゃないだろうな」
毒づくブラウン。ほんの数週間前、彼は思い出すのも怖気がするほど凄惨な難事件をその明晰な頭脳で解決してみせたのだが、ドルガタという警部のせいで報酬を貰い損ねたのだ。
「せんせはやっぱり天才だよ。オラ、本当に憧れるなあ」
「おい、マジか……」
ブラウンはサンチョの言葉にため息を吐く。もう無償労働はこりごりだ。
「でも、今度はちゃんとした殺人事件だからお金は絶対に払うと言っていただよ」
「マジか」
猿のように素早く起き上がり安物のトレンチコートを羽織ると、ブラウンは颯爽と探偵事務所を後にした。
現場は事務所から地下鉄で一本だった。魔都の中心部に位置するそこそこ大きな総合病院だ。
「おお、待ってたぞ。さっそく事件を解決してくれや」
二人を出迎えたのはドワーフのドルガタ警部であった。以前会った時より数センチ背が高くなっている。恐らくシークレットシューズを新調したようだ。
「無茶を言わんでくれ。俺はまだどんな事件かすら知らないんだぞ」
ブラウンはやたらもったいぶってそう答える。報酬をどこまで釣り上げようか思案しているのだ。
「そうだったな……。今回殺されたのは狼男のエドワード・マグナ、137歳の医者だ」
ドルガタはブラウンとサンチョを現場に案内しながら説明を続ける。狼男の137歳といえば人間に換算して37歳。医者なら働き盛りだ。
しかし、それよりもブラウンが気になったのは――
「狼男? さっき狼男って言ったか? あの狼男が殺されてた?」
「ああ、その狼男で間違いない。教会で浄化を施した純銀の弾丸じゃないと絶対に殺せないはずの狼男だ」
そう、狼男は神父が三日三晩祈りを捧げた純銀製の十字架から作った弾丸でなければ絶対に殺害することはできない。刺殺、絞殺、撲殺、毒殺――そのどれもが彼らを傷つけることすらできず、死に至らしめる要因にはならない。
「せんせ、せんせ。オラ、思うんだども――」
サンチョが口を挟んできた。事件の全貌も聞いていないのに何やら推理を思いついたらしい。こういう時、サンチョの推理は100%外れる。
「――その狼男、餓死したんじゃないだか? ほら、前の事件も餓死だったし」
「残念だったな、オーク。そのコルク並みにすっからかんの脳ミソでよく考えたと褒めてやりたいが、被害者は殺害される数時間前にピンピンしてたんだ」
ドルガタが忌々しそうに吐き捨てる。どうやら餓死などの自然死ではなさそうだ。ちなみに狼男は老衰や餓え、衰弱などでは普通に死ぬ。
「死体は直径十数センチの巨大な銀製の砲弾のようなものを喰らってめちゃくちゃに損壊されていた。俺たちは怨恨の線で追ってる」
「発見現場は? 死亡推定時刻は? 犯人は絞れてるのか? 凶器は何だ?」
へっぽこ探偵ブラウンが矢継ぎ早に質問をぶつけた。気分は完全に名探偵である。
「だから質問を一度に大量にするなって前にも言っただろ。アンタ、著しく理解力に欠けるな」
ドルガタの言葉に肩を落とすブラウン。どうやら彼に名探偵の資格はないようだ。
「発見現場は院内の便所だ。血痕や争った形跡がなかったことから、殺害現場は別のどこかだな。死亡推定時刻は、昨日の11~13時の間だ。これは司法解剖待ちだがまあだいたい合ってるだろう。ええと、次は犯人か? これは目星はついてるんだが……」
威勢の良かったドルガタは急に言葉を濁した。どうやらこのあたりにブラウンが呼ばれた理由があるのだろうか。
「犯人はこの病院内で働いてる誰か、っていうとこまでは分かったんだけどな……。見つからないんだよ、凶器が」
「消えた凶器! これは完全に名探偵の仕事ですだよ!!」
サンチョとブラウンはテンションが急上昇し、院内の廊下で突如踊り始めた。人が殺されたというのに不謹慎な探偵と助手である。
「直径十数センチの砲弾といえば、持ち込むのにも発射する機構を作るのにも、そして隠すのにも相当の手間がかかるはずなんだがな。まるで魔法のように消えちまった。これ以外の傷は一つも付いてなかったし、検死結果からもそれで殺したのは間違いないんだが」
ドルガタはツッコミを放棄し、淡々と説明を続ける。ブラウンはふと小さな銀の弾丸で殺害した後にその痕跡を隠すために死体を損壊したのかと思ったが、そうではなかったようだ。そうこうしている内に、死体発見現場のトイレに到着した。辺りでは鑑識が指紋や肉片を採取していた。
「ちなみに、だ。死体が発見されてからすぐに俺たちは院内を封鎖した。入ってきたのは俺たち警察とアンタらだけ、出たヤツは蟻一匹いないと断言できる。これは監視カメラや受付の看護師の証言とも一致する」
なんということであろう。ドルガタの言葉を信じるならば、まだ犯人はこの病院内に凶器を隠し持ったまま潜んでいるということだ。
「捜査は自由にやってもらって構わん。早急に犯人を探し当ててくれ。期待してるぜ、探偵のブラウン先生」
ドルガタは全く感情のこもらない励ましの声をかけると、好物のアンパンと牛乳を買うために購買に行ってしまった。
「せんせ、こういう時は地道な聞き込みが重要だよ。はやくここにいる全員のアリバイを確かめるだ」
サンチョがはやる気持ちを隠そうともせずブラウンを急き立てた。だが、この病院には100人以上の人(異種族含む)がいる。全員に話を聞くのは得策ではないだろう。
「いや、とりあえずここの医者に話を聞こう。被害者の人となりや評価を聞いておいたほうがいい」
真面目くさった顔でブラウンはサンチョを制する。ちなみにこのセリフは完全に昨日見た火曜サスペンス劇場の受け売りである。
「ああ、エドワードさんね。まあ、いい人だったんじゃないですか~」
そう答えたのは同じ放射線科で働いていたシュドー医師である。あまり覇気のない青年で、丸まった猫背をさらに丸めてヘラヘラしている。
「ちなみに、エドワード・マグナ先生とはどういったご関係で?」
「ただの同僚ですよ~。個人的には全然好きじゃなかったけど」
シュドー医師はズボンから覗いているフサフサの尻尾を弄りながら呟く。二人の関係は良好ではなかったようだ。
「ほら、僕も狼男じゃないですか~。で、エドワードさんも同じ狼男だから……同族嫌悪っていうの? なんかソリが合わなくて」
「なるほど。昨日の11~13時はどこにいましたか?」
「ああ。それ、警察の人にも聞かれました。同じ答えで申し訳ないんですけど、機材の調整をしてました。この前から故障してて、なかなかメーカーさんとも都合がつかなくてね~」
ブラウンの威圧的な質問もどこ吹く風といった様子でシュドーは尻尾を弄り続けている。
「それを証明できる人は?」
「いや、残念ながらいないです。でもアリバイがない人なんてこの病院には腐るほどいると思いますけど~?」
「なるほど」
それは確かに事実である。シュドー以外にも、看護師や技師など、当時アリバイが全くなかった人はごまんといる。
「他に何か質問あります~? なかったらまた機材の調整しないといけないんですけど――」
「アンタが殺しただか?」
ブラウンが話を切り上げようとするといきなりサンチョが割り込んできた。
「アンタが、あの狼男に銀の弾をブチ込んで惨殺しただか? エドワード先生のドタマに砲弾を撃って殺したのはアンタだか? 人を殺した気分は? 気持ちよかっただか? なあ、なんとか言ったらどうだ?」
「おいサンチョ――」
「アンタ、さっきからアリバイって言っただ? オラたちは別にエドワード先生が殺されたとは一言も言ってないだよ?」
「いや、それは昨日警察の人たちに聞いたんで~」
「サンチョッ!」
ブラウンはサンチョを無理やり引き立てると、いそいそと放射線科を後にした。
「サンチョ、頼むから次から聞き込みをする時は部屋の外にいてくれ。な?」
ブラウンはサンチョの頭にゲンコツを喰らわせながら言って聞かせる。
「せんせ、オラひとつ分かったことがあるだども――」
しかし、オークと人間ではあまりにも腕力に差がありすぎるため、全くダメージが通らない。
「――あのシュドーとかいう医者は女の腐ったようなやつだぁね。汚いやり方でオラを罠にかけるとは、本当に性根が腐ってるに違いないだ」
サンチョの口からとんでもないヘイト発言が飛び出したのと、自分から罠(?)にかかりに行ったくせに逆恨みするというあまりにもあまりな思考回路に驚くブラウン。やはりオーク風情には平等と博愛を理解するのは100年早かったか。
「せんせ、とにかく早くあのシュドーを逮捕したほうがいいだ。証拠はでっち上げでもいいからなんとかアイツのせいにできないだかね」
背後でブツブツと恨み節を繰り返すサンチョを放置し、ブラウンも昼食を買いに購買へ下りていった。今は豚肉以外のものが食べたい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます