呪いと連鎖

杏月澪

第1話

 人を呪わば穴二つ。そういう言葉がこの世には存在する。それを知ってか知らずにか、古より願いを成就させてくれるという少女が住む宮に、彼女を求め足を踏み入れる者がいた。

 ある廃れた神社の鳥居をくくり抜け、西へ三十歩、さらにそこから北へ四十二歩進む。その手順通りに進まなければ、あの少女の元へ辿り着くことはできない。

 そうすることで初めて、煙に巻かれた宮の全貌を捉えることができるのだった。宮の中は外界と隔絶されたように静寂で、重厚な空気が漂っていた。


「どうしても殺したい人がいるんです。その人を呪殺してください」


 そう言い、座に腰掛けている少女に頭を垂れる少年は哀れに思うほどみすぼらしかった。泥塗れのシャツに、ところどころ破かれた靴。顔には広範囲に渡り青黒い痣がつくられている。

 しかし、少女はそんなこと気にもとめず、言葉を吐いた。冷たい赤眼が少年を掴んで離すことを許さない。


「汝、対価は払えるのか?」

 

 少女が首を傾げると、闇を宿しているかのような漆黒の髪に刺された簪がシャランと音を立てた。今の時代に似つかわない言動と形貌。それが少年の思考を更に麻痺させる。


「僕の命ひとつであいつを殺せるのなら喜んで差し上げます」


 「だからお願いです」と地にめり込むほど頭を下げ続ける少年を、少女は心底どうでもよさそうに眺める。

 いつの時代も人というのは変わらぬ生き物だな。

 少女が呟いたその言葉は、少年の耳には届かなかったようで、彼が顔を上げる気配はない。少女はそんな少年を吟味するかのようにじっと見つめる。


「そうか……ならば汝の願い、我が叶えよう」


 少女は黒い漢服を揺らしながらゆっくりと立ち上がり、少年の前へと足を進めた。


「手を出せ」


 言われた通り少年が右手を差し出すと、少女はその手を取り、息を吹きかけた。すると淡い焔が彼の手を包み込む。

 燃え盛っているのにも関わらず、その焔から熱は一切感じられない。それどころか水に包まれているかのような冷たさがあった。

 焔が消えてから、少年が手の甲を見ると、そこには見たこともない紋章ができていた。何度擦ってもそれは消えない。


「案ずるな。人体に害はない。ただ契りを交わしただけだ」


 そう言うと、今度は懐から一枚の札を取り出した。それを少女が焔で炙ると、何やら文字が浮かび上がってくる。

 目の前で立て続けに起こる不思議な現象に少年は息を呑んだ。

 

「汝、名はなんという?」

「あ、えっと……篠原和真といいます」


 戸惑いながらも少年が答えると、少女はその名前を札へ書いていき、彼に手渡した。それを受け取った和真は観察するように紙の裏と表を何度も見比べる。

 見た目も質感も市販の紙と何ひとつ変わらない。本当にこんなもので自分の願いは叶うのかと和真が不安になりだしたとき、少女がそれに終止符を打つように口を開いた。

 

「汝の血を代償に、その札を境界として霊獣を一度だけ降ろすことができる。殺したい者の前で使うといい」

「霊獣……ですか?」

「左様。汝らが使う言葉で言うところの、狐狗狸さんというものだ。その霊を具現化させる代物とでも言っておこう。汝がそれを使うことが出来るのは契約の印である紋章が完全に消えるまで。消えたら……わかっておるな?」


 少女の威圧感ある物言いに和真はコクコクと頷き、札を無くさないようポケットにしまった。

 それを見届けた少女は踵を返し、肘をつきながら座に腰掛けた。少女からはもう対話しようとする意は感じられない。ただ虫を振り払うように手をひらつかせるだけだった。


「用が済んだのならさっさと去ね。その鏡が汝の望む場所へ誘ってくれるだろう」


 和真が少女の視線を辿るように振り返ると、そこに全身を映せるほどの大きな古鏡があった。木枠に覆われている鏡面は、まるで水面のように波打っている。

 「僕が望む場所へ……」和真は思わずそう呟き、古鏡の元へと足を進める。恐る恐る指先で鏡面を触ると、そこを起点として体がどんどんと鏡に吸い込まれていった。

 必死な抵抗も強い引力が彼を捉え、意味を成さない。全身があっという間に吸い込まれ、次の瞬間には登下校の際に用いている見慣れた通学路が和真の眼前に広がっていた。

 そこでは和真より二、三回りも大きい金髪メッシュの男がフェンスにもたれかかりながら、誰かを待っている。その男を見るや否や、和真は空が落ちてきたのかと思うほどに、顔を青くした。

 ポケットに手を突っ込み、少女からもらった札を乱雑に掴んだとき、男が和真に気づき歩み寄ってきた。

 

「篠原、偶然だな」


 男はそのまま腕を和真の肩にまわした。まるで大好きな玩具を見つけたときのように、その顔には笑みが浮かべられている。


「ちょうどよかった。実は俺、今機嫌悪くてさ。ちょっとついてこいよ」


 男はそう言うと、返事も聞かず和真を狭い路地へと連れて行ってしまった。その間、和真の体はずっと震えていた。

 今までこの男に脅され、殴られてきた。その全ての出来事が和真の頭の中を鮮明に駆け巡り、顔に作られた醜い痣が危険信号を発する。

 和真は自分を落ち着かすように深く息を吸った。路地裏に足を踏み入れると、男は立ち止まり、固く握り締めた拳を大きく振り上げた。

 その刹那、和真はポケットから札を取り出し、指を思い切り噛んで血をそこに垂らした。腕の紋章はまだ消えていない。


「ついに頭までイカれたか!?」


 男の拳が和真を捉えるその直前、札が熱を帯び、赤い光を放ち始めた。周囲には激しい突風が吹き荒れる。

 和真と男はそれに耐えられず、体が明後日の方向へ飛ばされてしまう。風が吹き止み、和真が目を開く。路地全体が異様な雰囲気に包まれていた。

 男もその変化に気づいたのか、怪訝な顔をして後退る。


「くそっ、何がどうなってんだよ」


 男が立ち上がり、その場から逃げ出そうとしたとき、路地の影から何かが姿を現した。

 それを見て男は青ざめる。淡い光を放つ黄金の毛に、燃え盛るような四つの目。それらをもつ大きな狐のような獣が静かに男を睨みつける。

 

「あれが狐狗狸さん……」


 和真はその綺麗な姿に見とれていた。


「し、篠原!! お前なにをした! た、助けてくれ。友達だろ?」


 狐狗狸は、恐怖のあまり涙を流し腰を抜かして動けない男に一歩一歩ゆっくりと近づいていく。和真は何も言わず、ただその光景を眺めるだけだった。

 

「や、やめろ! 来るな!」


 そんな抵抗の叫び声も虚しく、絵の具のようなパキっとした赤がアスファルト一体に広がった。残ったのは赤とは対象的な青のクロックスだけ。それも半分は赤に染められている。

 狐狗狸は役目を終えると、光の粒子となり風に飛ばされて消えていった。


「全部……終わったんだ」


 和真は目の前で起きた出来事に謎の高揚感を覚えていた。しかし、それと同時に息が荒くなり、目の前がぐらぐらと揺れる。息苦しさのなかで和真は胃の中のものを全て足元に吐き出してしまった。

 ふと手の甲を見ると、紋章は薄れ、消えかかっていた。和真は吐瀉物の中に自分の血が混ざっていることに気づく。

 体は重く、頭は痛み、目に映るもの全てが無秩序にぐにゃりと歪む。足から力が抜けて、ついに和真はその場に横たわった。

 この世に和真を苦しめていたあの男はもういない。それなのに和真の胸には重い鉛のような感覚がずっと残っていた。

 それを慰めるように沈む夕日が和真を照らし始めたとき、耳の奥で少女の声が響いた。


「契約通り対価を貰うぞ」


 和真の全身を寒気が襲う。それは次第に手足の感覚を奪い、意識までも朧気にしていった。視界を闇が覆う。そこで和真の意識は途切れてしまった。

 


――きろ、早く起きないか



 その強気な声と明るい光が和真の耳と瞼を擽る。ゆっくりと目を開けると、見覚えのある顔が和真を見下ろしていた。

 相変わらずの冷たい瞳が彼を射貫く。


「ど、どうして……僕は死んだはずじゃ……」


 和真は飛び起き、落ち着きなく自分の体と少女の顔に、交互に目をやった。


「ああ、汝は一度死んだ」


 そんな和真の行動を少女は冷たい口調で制す。


「じゃあ僕はどうしてここに」


 和真は辺りを見渡し、歯切れの悪い言い方で少女に問う。


「――簡単なことだ。それは我が汝に仮初の命を与えたからに他ならん」


 耳を疑うようなことを平然と口にする少女を前に、和真は言葉を失った。その瞳には困惑と同時に微かな希望が宿っている。

 

「なにを驚くことがある? 汝の命は既に我が手中にある。ならばその命、どう扱おうが我の勝手ではないか」

「それはどういう意味ですか……?」


 意味深な物言いに和真が首を傾けたとき、今まで役目を果たしていなかった少女の表情筋が口角を持ち上げた。その不敵な笑みが背筋を凍らせる。

 

「汝はこの先、一生我に仕えるのだ。それはまるで奴隷のようにな」

「そ、んな……奴隷なんて」


 和真は肩を震わせた。少女はそんな反応を楽しむかのように目を細める。


「拒否権などない。汝は我に願い、我はそれを叶えた。人の道に背く力を与えてな」


 少女が言葉を紡ぐ度、和真の顔からは血色が消えていく。

 少女が指を鳴らした。すると、和真の首に輪がかけられた。それを取ろうと力いっぱい引っ張ってみてもビクともしない。


「服従の輪だ。我に逆らうと……こうなる」


 もう一度、少女が指を鳴らす。その直後、和真の全身を激痛が襲った。数千の針に体を貫かれたような痛みに耐えきれず、地を這いずりまわる。


「な、んで……こんなことを……」


 目に涙を浮かべながら、和真は少女を見上げた。その問いに少女は、目を伏せながら答える。


「人を呪わば穴二つ。人に与えた苦しみは、必ず自分に返ってくる。それがこの世の道理というものだ」

「でも……僕はただ……」


 言い訳を口にしようとしたとき、またもや全身が激痛に包まれた。

 息をするのもままならない状態の和真に、少女は冷たい言葉を投げかける。


「汝はこれから我の命令に従い、永遠にその対価を払い続けるがよい。自ら選んだ道の重みを、この先ずっと味わいながらな」


 少女はそう言い残し、宮の奥へと姿を消した。その背中を和真は憎悪を含んだ目で見送る。

 

「――神様、どうかあの女を殺してください」


 和真は地に伏し、震える声で呪いの言葉を放つ。永遠に終わることない、呪いの連鎖をその身に宿して。

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呪いと連鎖 杏月澪 @aduki_003

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