第7話 心
夜
止まった時の中を歩く
特に目的もなく
行くあてもなく
ただ歩く 歩く 歩く
歩くだけ
歩くだけのために時を止める
万物に干渉しないように
時に置いていかれないように
全てが停止した静寂の中を徘徊する
時は止まっても夜の明かりは消えない
月明かりだけならどんなにいいだろう
月明かりだけならもっと静寂になれるのに
贅沢は言わない
文明のおかげで生きているのだ
文明のおかげで生かされているのだ
雨の日は停止した雨粒が乱反射を起こす
これはこれでいい景色
種を蒔く
特に蒔く必要のない種を蒔いていく
止まった時間の暇つぶし
花が咲くかどうかはその種次第
咲かなかったらそれはそれまで
諦めようとしている者にも種を蒔く
どうするかはその種次第
時間をいくらでも無駄にできる贅沢
意識が保つ限り朝を先延ばしにできる贅沢
時を止めらるようになってよかったこと
孤独でいられる世界
孤独が許される世界
僕はこの世界を謳歌する
壊れてからも動く心臓
家を燃やしたあの日から動く心臓
心が壊れたあの日から動いている心臓
時間と共にこの心臓も止まればいいのに
斑鳩シンリョウジョ
突如現れた細身のスーツ姿にホワイトアッシュの男と身の丈に合わないXLサイズの紫パーカーを着た少女、いかるは2人の来訪者を招き入れ、座席で対峙していた。
「ここの患者さんに止まった時を感知できる方がいるそうですね。」
「なっ・・・!」
反射的に背後の作業机に目を移す。
「すいませぇん、さっき見ちゃったんですよぉカルテ。」
彼らが来訪してから今現在に至るまでの数分を思い返す。
この男が視界から外れた時間といえば席に案内するまでの数秒しかないはず、それ以前に男が作業机に行けば嫌でもわかる。
なぜカルテの場所がわかるのか
何故あの患者の話をしたのか
ここから導き出される解はーーーー
「そうか、時間を止めてたのは」
「はい。」
無表情だった男の顔が微笑に歪んだ。
「いいですよ、止まった時の中を散歩するのは。」
『は?』
「夜歩くと時の流れから外れたとこにいる感じがして」
『こいつなんの話しているんだ?』
男の表情は変わらず歪んだ微笑を浮かべていた。
「止まった時の中で飛び降りようとしてる人とかいるんですよ。そういう人を可能な限り救出して手にこの箱を握らせるんです。こんな風に」
「ひっ」
いかるは気がついたら手に箱を持っており思わず投げ捨てた。
「この箱の中に入っているのは不思議なお薬。これを飲むと身体から火が出たりするんです。例えば彼女のように」
「・・・・・」
男の隣にいる少女にずっと見覚えのある気がしていたが、彼の紹介で確信に至った。
「・・・なるほどそういうことか」
彼女は失踪した燕太の姉ーーーー
「橘結羅さんですね」
「えっ」
驚嘆と困惑が結羅を襲った。
「ご家族の方が、弟さんが来られました」
結羅の中に不安と恐怖が入り混じる。
「あなたの弟さん・・・燕太くんは身体から火が出る症状が出ていました。私の処置で症状は落ち着いたので安心してください」
「そう・・・ですか・・・」
彼女は一安心したようだ、と同時にアズマを睨みつけた。
「ん?どうしたのかな?」
アズマはあの飴のような薬が入った箱をシャカシャカと振っている。
「弟くんはこの子の部屋でコレを見つけて興味本位から口に入れてしまった、そうでしょう先生ぇ?」
「彼女に薬を飲ませたのはお前だな?」
「立里アズマと申します。あぁそうだ先生」
「うるさい、どういうつもりだ貴様」
「彼女の弟さんの症状治せたんですよね?彼女も治せませんか?」
「・・・は?」
狙っていた回答をことごとく外してくる。なんなんだこいつは。
「今の彼女は離れた距離からでも火をつけることができます。流石に危ないなと思いまして・・・」
真偽を確かめたかったが確認するにはリスクがでかすぎる。
「わかった。だがあくまで完治ではなく軽減を目的としている。ただの特殊な症状なら完治はしない」
この男の思考回路が読めない今、従うのが正解だろう。
「そうですか。ではお願いします」
「結羅さん、失礼します」
いかるは結羅の頭に手を当て
ガチャリ
と処置を施した。
「なるほど、こうやって治療しているんですね」
治療方法を見られたからといって困るようなことはなかった。真似をしようとしても出来る事ではない。
「さて、結羅さん。あなたにお聞きしたい事があります」
「なに?」
「最近この街の至る所で不審火が発生している。お前達だな?」
「・・・・・」
結羅は黙ってアズマの方を見た。
「あくまでテストです、この子は僕の指示でやってただけですよ。」
「テスト?どういう事だ?そもそもこの薬はなんだ、答えろ」
「僕も詳しい事はわかりません。最初は精神剤と騙されて貰ったものでしたから。」
「もらった?誰に?」
「さぁ・・・僕も会ったのはそれっきりでしたから。」
「・・・・・ならお前はコレをどこで入手しているんだ?」
「う〜ん、まぁいいです。教えます。電脳街、旧九龍城砦と呼ばれている場所です。」
「電脳街・・・」
いかるにも微かに聞き覚えのある場所だった。九龍城砦と呼ばれていた頃から違法建築が繰り返されている地区であり、今は規模がかつての倍ほどになっている。
「なぜ電脳街だとわかった」
「いえ、電脳街もルートの一つでしかないみたいです。僕が調べて見つけたのがたまたま電脳街だったってだけです。」
「わかった、じゃあ次の質問。この症状はなんだ」
「副作用みたいなものかと思っています。あぁ、一つ面白い事が彼女を観察しててわかりました。この能力は精神状態が不安定なほど強い能力になるようです。」
「・・・お前は彼女を使って何をするつもりだ」
「使う?別に何もしませんよ?僕の役目は力の使い方を覚えさせるだけ。自転車から手を離すだけです。」
『この男に目的はないのか?』
いかるはアズマの狙いが読めないまま黙ったまま睨みつけるしかなかった、と同時に手元の端末から助手にメッセージを送っていた。
「強いて言えばどこまで強い能力が出てくるのかを見たいだけですかね。彼女が家出したのも大した理由じゃあない。もっと拗れている人にこれを投与したらどうなるかを見てみたいかな。」
そう言いながらアズマはいかるの目線と手元を交互に観ていた。
「斑鳩先生、通報しようとしてるでしょ?」
「・・・どうかな」
「僕は時間を止められます。時間稼ぎなんか出来ません。篝大和?」
アズマの手元にいかるの端末が握られていた。
「そこから情報は読み取れるかな?アズマくん」
メッセージはただ一つ、スタンプが送られていただけであり既読の文字がついていた。
「事前に打ち合わせしていたんですね。なるほど。」
「そうやって記者二人のメッセージ送信からここを割り出したんだな」
「えぇ」
「もう少しお話しないか?どうせ結構な時間止められるんだろう?」
停止している時間は以前診察した青年から聞いていた。
「僕が気を失うまでは止めていられますよ。」
「便利なものだな」
「そうでもないですよ。結局時間を止めた後は自分の能力次第ですからね。僕はフィジカルも強くないし。」
「お前は時間を止めて何をしているんだ」
「散歩ですよ。その途中でこの箱をいろんな人の元に置いて行ってますけど」
「・・・このクソ放火魔が」
「放火魔、あぁ」
男は放火魔という言葉で何かを思い出すとさらに続けた。
「昔実家を燃やしました。自分が燃え尽きちゃったついでに。あぁ、親は大丈夫ですよ。僕はずっと独りですから」
「・・・・特例だ、お前も処置してやる」
「・・・・・プッ」
男はなぜか吹き出し、次の瞬間
「ッーハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」
消え入りそうな声からは想像もつかない声で笑った。悲鳴かと思うほどの笑い声だった。そしてまた彼の目は再び死んだ。
「頭より心を見てほしいですね。心療所なんでしょう?」
「心療・・・所・・・?」
シンリョウジョにチャイムの音が鳴り響いた。
「さて、そろそろおいとましますか。」
男のトーンが幾分か優しくなり、鳥肌が立つのを感じた。
「また来ますよ。それじゃ」
二人の姿が消えた。
なぜ男が殆ど永久的に時間を止められているのかわかった気がした。それほどまでに”壊れている人間“だった。
結羅はアズマに連れられてどこかへと向かっていた。
「よかったねぇ弟さん無事で」
「てめぇふざけんなよ!!アタシは家にこんなもん置きっぱにしねぇ!」
結羅がアズマを掴んで火をつけようとするも、彼は瞬間移動していた。
「君が家出して二週間以上帰ってきてない間ご家族はさぞかし不安だったろうねぇ。
君の部屋に手掛かりがないか探したに違いない。そして弟くんがコレを見つけた」
「やっぱり・・・あんたが置いたんだ・・・」
「君のせいで家が丸焼けになるところだったねぇ」
「燃やしてやる」
結羅はアズマに自然発火を試みるも彼は火に包まれることはなかった。
「斑鳩先生は確かな腕を持っているようだね。じゃ、君はもう家に帰りなさい」
「・・・・・は?」
「あぁ・・・はい、百万円」
「・・・なんで?」
「キミ、なんとなくで家出したんだろ?家庭環境が悪いわけでも無さそうだし。じゃ」
結羅の前からアズマが消えた。
「なんだよあいつ・・・死ねよ」
シンリョウジョに来た警察に「蒲田慎司さんに繋いで欲しい」と伝え追い返すといかるはこれからどうすべきかを考えていた。
あの男を野放しにしておくと何をやらかすかわからない。
目的のない人間が一番恐ろしいーーー
とはいえ止まった時を感知できる青年に接触は測るはずだ。そこから先はどうするつもりなのかがわからない。一刻も早く青年に連絡を取るべきだ。
と考えた時、タイミング悪く通知が鳴った。麗麗からだ。
「あ、るーちゃん?今いい?」
「今ちょっと立て込んでいてね、手短にお願い」
「こないだ送ってもらった飴?薬?をツテを使って調べてもらったんだけど興味深い話が出たよ」
「・・・続けて」
「どーいう技術で詰め込まれてるのかわからないけど数種類の神経毒をベースに薬ごとに違ったDNAが組み込まれているみたい」
「神経毒・・・・?」
「たぶん麻酔作用のためじゃないかなぁ・・・ほら、こないだ言ってた火の症状なんかはそのままなら火傷の痛みがあるわけだし」
「随分と無茶なブツだな・・・」
それにしたって時を止める原理はわからないが。
「それと・・・このベースになっている神経毒っていうのが・・・・」
麗麗の言い淀みが長い時間に感じる。
「あまり時間に余裕がないんだ、早くしてくれ」
「いや、なんでもない。
とにかくこの神経毒に私の地元に群生している花の持つ毒と同じ成分が入っているみたいだから少し探ってくるよ。今度里帰りするついでに」
「わかった、お土産よろしく」
「いいのを持ってくるよ」
「うん、じゃあね。あ、そうだ」
「ん?」
いかるは伝えとくべき事を思い出した。
「この薬の入手ルートの一つが電脳街という事がわかったんだけど・・・地元近い?」
「近く・・・はないかなー、パスポートはいらないっぽいけど。てかなんでルートわかったの?」
「まぁ、ちょっとね。今度詳しく話すね」
「楽しみにしてる、じゃねー」
麗麗との通話を切ったいかるは、あの男に言われた事を思い出していた。
「頭より心・・・か・・・」
いかるにとって人の心を見るのは専門外だった。
いかるとの通話を切ったあと、麗麗は手元の資料から目を離せずにいた。
「成分に人由来のタンパク質・・・」
いかるには言っていない情報だった。
「あれ?結羅ちゃん!立里さんはどうしたの?」
「真希奈さん・・・」
尾張真希奈、結羅が新宿で知り合った23歳の女性である。
「アイツは・・・どっか行きました」
「そっかぁ〜可哀想〜」
「別にいいですけど。薬と金貰うだけだったし」
「ほんとにそれだけなの?」
「だけですけど」
「ふーん・・・」
「え、なんですか?」
「んーん!なんでもない!ね、今から遊ぼ!池袋行こ池袋!」
「いいっすよ」
真希奈にアズマからのメッセージが届いていた。
〔新薬、お渡しいたします。〕
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