第3話 時

 音が消えたーーーーー

 

 空では鳥が、地上では人々が停止していた。

「まただ・・・」

 

 小野田哲春、十七歳ーーーー

 

 夏の近づく季節、そろそろ大学受験に意識を向けていく時期でもある。そんな中で彼はひとり超人的感覚に陥っていた。

 

 一ヶ月前のこと、哲春は付き合っていた彼女から別れを告げられ一人歩いていた。

 冷たい雨がいっそう心を枯れさせていく。雨の音だけが心の穴に溜まっていく。

 

  突如、静寂ーーーーーー

 

 辺りを見回すと降っていた雨が空中で停止し、全ての音が消えていた。

 思えば今までにも似たような感覚になった事はあった。

 試合中に相手の動きが遅く見える現象、いわゆるゾーンである。

 しかしここまで止まって見えたのは初めてだ。動きがスローに見えるとかではない、全てが完全に停止している。

 固定された雨の中を移動して大丈夫だろうか?世界が停止した中で動いていいのだろうか?動いた瞬間に絶命するのではないか?

 そう考える程には混乱していた。冷静になろうとするあまりの思考のバグである。

 しばらく息も殺して時が過ぎるのを待った。

 過ぎるのではなく動き出すのだが。

 やがて時が動き出し、停止していた雨が降り注いだ。やはり気のせいではなかった。

 

 それからも時は止まった。繰り返し体感する度に慣れてきたのか哲春は止まった時の中を動けるようになっていた。そのうちに自分の力で時を止めているのではないかと思い始めた。

 

 教室

 

「あそこの洋館さぁ、誰住んでんのかな」

 クラスの坂本が急にそんなことを言い出した。

「洋館?」

「小野田知らない?なんかさ、カタカナでなんとかシンリョウジョって書いてあんだよ」

「へぇ」

「シンリョウジョっつーんなら病院かなんかじゃねーの?」堀内が言った。

 

 病院かなんかだとしたら自分のこの能力の正体がわかるかもしれない。確証はないがそんな勘があった。

 放課後、哲春は怪しげな館へと向かった。洋館の門に貼られた小さな看板には確かに

 

『斑鳩シンリョウジョ』

 

 と書かれていた。

 

 

「オレ、時を止められるみたいなんです」

 

 最近ここを相談所のようなものだと思っている客が増えた。この間のバンドマンが言いふらして巷で噂にでもなっているのだろうか。

 やはり特例なんぞやるべきではないと改めて感じるいかるである。大体そのために紹介制にしたのだ。もちろん正式に認可される事が一番の目的だったが。

 そもそも助手にツケをつけただけなので無料で見たわけでもない。

「キミ紹介状は?」

「えっ?紹介状?」

 またか、という思いがため息となって宙に舞う。

「いいかい?ここは医者からの紹介状がないと受け付けないんだ。いい病院は大体紹介状があった方がいいって覚えておきなさい」

「病院なんですか?ここ」

「・・・・診療所だな。ただ、特殊すぎる症状ということもあって特例でこういった形にしているんだ。規模的にもこうするしかなくてね」

 普段であれば門前払いをするが、時を止められると聞いたのでそうもいかなくなった。

「・・・キミのその症状には疑問がある。続けて」

 目の前の青少年は一ヶ月くらい前から急に時が止まるようになったがいつ止まるのかがわからないこと

 止まっている時の中をだんだん動けるようになってきたこと

 そして能力の正体が知りたいということを話した。

 

「自分の意思では時を止められないのか?」

「はい。いつ止まるかがわからなくて」

「ふーむ・・・」

「特に困ることはないんですけど・・・やっぱなんか慣れなく

 

 目の前にいる彼の姿が消えた。

「えっ」

 

「あのぉ」という申し訳なさそうな声がいかるの背後から聞こえ「ひゃっ」という普段出さないような声が出た。

「ちょうど今時が止まったみたいで」

「・・・なるほど」

 状況証拠を見せられては診察をしないわけにいかない。青少年の頭に指を突き立て脳を探った。

 

「あぁ・・・そういうこと」

 彼の話を聞きながら感じていた違和感を突き止め再び彼の真正面に座ると、考えうる症状の状態を伝え始めた。

 

「哲春くん、まず結論から言うと

 

 キミに時を止める力はない」

 

「・・・・え?」

 言われたことの意味が今ひとつわからないと言った顔だ。

「ゾーンはわかるかな?」

「すごい集中力・・・みたいな・・・」

「まぁそうだね。神経伝達物質の分泌によって脳が最高にリラックスした状態で起こる超集中、これでボールが止まって見えたりするわけです。

 哲春くんの症状はそれが常態化しているかと思われます」

「・・・時が止まったように見えてただけ・・・って事ですか?」

「キミ自身から見たらそういうことになる

 が・・・なんというか説明がややこしいな・・・」

 脳内で一番伝わりやすそうな言葉が決まった。

「キミの脅威的な集中力は止まった時間を感知できる、といえばわかるかな?」

 絡まったヒモが完全にほどききれていないような気持ち悪さが残ったがしょうがない。

「まぁいわゆる思春期にはよくある事だ。フリクトニク・クリップルウェーバー症又はフリマノリカル・クリプトノークとも言われ始めていたりするとかしないとか」

「フリク・・・なんです??」

「あまり重く考えなくてよろしい。

 今日は以上お代も結構一週間後にまた来て下さい」

 これ以上は余計な混乱を招くと思い診察を終了した。

「それとこの一週間、時が止まった時間を記録しておいて下さい」

「日にちもですか?」

「日にちと時間を回数分」

「わ・・・かりました」

「あぁそれと!ここは医師からの紹介状が無いと受け付けないというのを言いふらしておいてくれ、勝手に来られるのは迷惑なんだ。君は特例だ」

 

 上手く言いくるめられたような釈然としない気持ち悪さを抱えて館を後にする哲春を見送ると

「さ、今日はもう終わり終わり。帰りなさい」

 いかるは店じまいを始めた。

 大和は働き始めてから聞けていなかったことを尋ねた。

「あの・・・この“症状”ってなんなんですか?」

 いかるは小野田哲春のデータを入力する手も止めずに淡々と説明を始めた。

「人間が本来持っている性質が強い願望と合わさって過剰になった状態だ。

 私のこの能力だってそう、キミが連れてきたバンドマンもそう」

「強い願望?」

「これまでのケースを見るとどれも過去に心的外傷・強いストレスを受けている、成長期の傷といったところかな。メカニズムはよくわからないけどね

 まぁとにかく人間の持っているマクロな要素が何かの要因で精神と共に暴走状態に入ったみたいな感じ

 私はその暴走状態の原因は脳にあると考えて脳に電気を流しこんで操作して鎮静化をしているだけ。症状が暴走したらどうなるかわからないからね。ただ・・・」

 いかるの作業がピタリと止まった。

「この能力はあくまで人体が干渉できる範囲のはずなんだ」

「はぁ・・・?」 

「確かにさっきの彼は驚異的な集中力で止まった時を感知出来てた。それはあくまでも人体の感覚だから不可能なことじゃない」

 大和が今一つわかっていない表情を浮かべているので核心に入ることにした。

 

 「時を止められるやつが他にいる」

 

 いかるは親指の爪を噛むほどに、悪い癖が出るほどに動揺していた。

「時間そのものを人の力で・・・自然の理に介入するなんて出来るはずないんだ」

 

「で、でもだとしたら・・・さっきの話じゃ説明つかないじゃないですか?」

「そう、もしかしたらこれはまた別の・・・

 “症状”じゃなくて“能力”なのかもしれない」

「・・・こ、これと言った被害もなさそうだし別にいいんじゃないですか?」

 

 「だから気味が悪いんだろ」

 

 顔色の悪くなった彼女を落ち着かせるフォローのつもりが逆効果となった。

「私が出来ることはここで症状の暴走を阻止することだけだ」

 

「・・・あれ?」大和の中である考えが浮かんだ。「だとしたら彼が時を止めててもおかしくないんじゃですか?」

「最初に言ってたでしょ、動けなかったけど慣れてきて動けるようになったって。本人が止めてれば最初から動けるはずだよ」

「そんなもんですかね」

「ま、そこは私の専門外だ。もっと詳しいやつに対処してもらうさ」

 データを入力し終えたいかるは店じまいをはじめていた。

「あの彼は・・・時間を止めたかったんですかね・・・?」 

「人が時間に対して持つもっとも強い願望は止めることじゃなくて戻すことじゃないかな」

「・・・いかるさんも何かあったんですか?」

「生きてれば誰でも何かしらはあるだろ。明日明後日は休暇取るから留守頼む」

「えっ、ちょ、ちょっと待ってください僕がですか?!何も出来ないですよ!?」

「病院から電話があったら適当な時間に予約、変な奴が来たら追い返しといて」

 いかるは大和を館から追い出し、自分の時間に浸る事にした。

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