第3話 湧水の水宝玉 後編



 誰かの指示が聞こえたと同時に部屋は水色の輝きをたたえた澄んだ水でいっぱいになる。水中でもがくシキの姿がカガリの瞳にうつった。


 ——このぉ!


 カガリの怒りに、彼女の中の何かが反応する。黄金色の光が胸の中心からほとばしり、扉へと伝わる。


 すると扉は素直に開いた。溜まっていた水がいっぺんに流れ出る。


 ついでに四人も流れ出た。


 カガリ以外の三人が咳き込んで、息を整えている。


「シキ!」


 まだ流れ出る水を蹴りながら、カガリがシキに駆け寄ると、シキは弱々しく頷いた。


「大丈夫……生きてるよ」


「皆、無事か!?」


 カミタカとユーリも起き上がって手を上げる。


「びっくりした……」


「すまぬ。わたしのせいじゃ。水の神力しんりきが妾を拒んだのだ」


「でも助かって良かったよ。カガリのおかげだろ?」


 カミタカの言葉にカガリは首を傾げた。


「いや……知り合いのおかげじゃな。妾の身体に、何か仕込んでいたと見える」


 黄金色の光はカガリの身体に施された別の神力だった。カガリの危機に応じて開かれる力らしい。


「ヤツに感謝しておこう」


「ヤツって誰?」


「……妾が天に暮らしていた頃の天帝だ」


「てっ、天帝!?」


 ユーリが裏返った声を上げた。





「ユーリ、落とし物だぜ」


 カミタカがびしょ濡れの手帳を見つけてユーリに渡す。


「うわ、大丈夫かな」


 幸いインクではなく鉛筆で描いていたためかスケッチやメモはだいぶ残っていた。


「早く出ようぜ」


 カミタカの言葉に皆同意して足早に青銅の扉の前から離れた。


「カガリさん、あとでもっと詳しく教えてください。天帝のこととか……」


「気が向いたらな」


「そんなぁ」


 帰り道は簡単である。適当に道を間違えばすぐに出口に戻れた。


 まだ残る陽の光を浴びて皆ほっとする。


「お主らは歩いて帰って来い」


 脱いだ服を絞るカミタカとユーリに、カガリはそう言った。背中には少し青ざめたシキを背負っている。


「ああ、早く帰って休ませてやれ」


 カミタカが促すと、カガリはシキを背負ったまま宙に浮いた。ひと足先に家に帰るのだ。


「少し寒いと思うが……辛かったら言うのだぞ」


「わかった。ごめんねカガリ」


「何を言う」


 飛び去った二人を見送って、少年二人は歩き始める。


「遺跡の研究が進んだな」


「……でもシキさんが……巻き込んでしまった」


「心配すんな。そんなこと気にするヤツじゃねえよ」


 それに誰にも予想できない事だったろ、とユーリを慰める。


 濡れた服を乾かしながら、二人は山を降りて行った。




 帰り道に水筒を返すために『風の白馬亭』へ寄る。すでにだいぶ陽が傾いていた。


 店主マスターは二人の散々な様子を見て驚いたようであった。二人が水宝玉アクアマリンの巨石を見に行ったと教えると、更に驚いて見せた。


「実は私の父が巨石を見に行った事があるんです」


「ええっ?」


 驚くのも無理はない。近年では訪れた者が居ないといわれていたのだ。


「ちょっとお待ちください」


 そう言うと店主マスターはカウンターの中へ戻り、ハッカ水のタンクのそばで何やら取り外すと、二人の前にそれを出した。


 それは紅茶などを淹れる時のシルバーの丸い茶漉しであった。金属製のボールを開けると、様々なハーブと共に薄青く発光する小指の先ほどの宝石が入っていた。


「ハッカ水はミント、グローブ、カルダモン……その他のハーブと一緒に水宝玉アクアマリンの原石を入れてます。この原石は他でもない……」


「もしかして、あの巨大な結晶の欠片かけら!?」


 店主マスターは唇に人差し指を当てると、「内緒ですよ」と言った。





「驚いたね、こんな身近にあの結晶の欠片があったなんて」


「あの石の欠片なら、美味い水が作れるのも納得だな」


「普通の人には真似できないでしょうね」


 店主マスターの父親はその頃、神社シュライン氏子頭うじこがしらであり、かしらが身に付ける護符をいつも首からかけていたのだそうだ。その護符が迷路を進ませたのだとか。


「それだけでは無いと思います。そうでなければ毎年、氏子頭になったかたが原石を削って来てしまう」


「だよなぁ。俺たちだってカガリがいなきゃ、扉が開かなかったしな」


店主かれはまだ何か内緒にしてますね」


「いいじゃねえか。俺だって内緒のことはあるさ」


「なんですか?」


「それを聞くのか?」


 そう言いながらカミタカはズボンのポケットから何かを取り出した。


 黄昏時の小径こみちで、彼の手のひらの上のそれは淡く輝いた。それは薄青く発光する水の結晶のような水宝玉アクアマリンの欠片であった。


「あっ、これは……!」


「お前の手帳を拾った時に見つけたんだ。黙ってろよ?」


「か、神様の石ですよ……?」


店主マスターも持ってただろ?」


「どうするんですか、それ?」


「あー、そうだな……」


 カミタカは小豆粒ほどの欠片を指先でつまんでしばし考え込んだ。家路を急ぎながら宵闇の迫るなか、不思議なことに水宝玉アクアマリンの欠片は澄んだ輝きを増す。


「決めた!」


 その輝きに背を押されたのか、カミタカは勢いよく走り出す。慌ててユーリが後を追う。


 カミタカは一気に皆で住むシキの家まで駆けてくると、後から息を切らせてやって来るユーリを待った。


「……カミタカ、君……?」


「水の石は水の中に返そう」


「え……?」


 カミタカは庭の端にある汲み上げポンプに近づいた。井戸から水を汲み上げる金属製のポンプの蓋を開けると、そこに薄青く輝く欠片を放り込んだ。


「ああっ!」


「これでウチでも美味い水が飲めるってわけだ」


 にやにやと笑うカミタカの顔を呆れたように眺めるユーリであったが、次第につられて笑ってしまう。


 二人の笑い声を耳にしたのか、家のドアが開かれて暖かな光が辺りを照らす。髪の長い少女の影が四角く切り取られた中に浮かび上がる。


「おかえりなさい」


「おう」


「ただいま帰りました」


 夏の夕暮れに、一筋の涼風が吹き抜けていった。





『湧水の水宝玉』 完

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銀の時代シリーズ『湧水の水宝玉(アクアマリン)』 青樹春夜(あおきはるや:旧halhal- @halhal-02

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