歴史がズレた日
「貴様!もう一度言ってみよ!」
五十手前の武将、三留野家範は激昂したように唾を飛ばす。
「ですから、弾正小弼様のお考えは分からないと言ったのです。」
対面にいるのは野尻家秀。若武者と呼ばれる時期をとうに過ぎ、冷静な見極めが出来るようになった頃合いだ。
「では何故あの野人を擁護するのか!?」
野人。木曽弾正小弼が最近傍に置いている出生不明の手合いだ。
「擁護などしておりません。私はただ有用な人物だと判断したから、弾正小弼様が重用しているだけだと。黒川三郎様も期待しているようですし、我ら木曽家になくてはならない存在となり得ると言ったまで。あくまで可能性の話です。
三留野殿は頭が硬すぎるのでは?」
家秀は淡々と介護中に老人を諭すような喋り方で言葉を紡ぐ。
「んなぁ!?貴様はワシをバカにしておるのか!?」
「ハァー、だから何故そうなるのですか。私は領主として領民と関わってきましたが、能力のある農民など幾らでもおりまする。ですので、あの野人にも才はあるのでは?と言ったまでです。」
「それこそ!我ら木曽の血を汚す行為だと何故分からない!!!」
「と、言いますと?」
「我ら木曽家はあの旭将軍を祖に持つ誇り高き一族であるぞ!それを我らが代で傷をつけるなどあってはならん!!!」
「ハァー………左京亮殿。あなたは御父君の言葉を鵜呑みにしすぎたのでしょう。我らがあの旭将軍の子孫なぞ、家賢様(義在の曾祖父)が言い始めたものでしょう?家系図の改竄なんぞ、誰でも……」
「キッサマァ!!!我が父を愚弄するか!?例え甥でも許さんぞ!!!!」
家範は横に置いていた刀を構え、今にも抜きそうになっている。
この場には二人のみ。人払いをしていたことが、彼らをヒートアップさせるに至った。
「なればこちらも言わせていただこう!口を開けば義仲義仲!恥ずかしいので辞めていただきたい!後世で我らの家系図なぞどうせバレるのですぞ!?信濃木曽家をそこまで陥れたいか!?」
「ああぁぁぁぁ!?!?我らが木曽家が後世で恥を晒すと言いたいのか!?」
「そうですが!?何か!?」
「たたっ斬る!!!」
「上等!!!」
異変に気づいた小性が兵士を呼んだことで大事には至らなかったが、二人の間には埋められない程の溝が生まれてしまった。
「あのガキ………ワシだけではなく、父や木曽家まで非難するなぞ…………弾正小弼様は何故あやつを許したのだ…………!」
「三留野様、やはり若い者には我らの意図など分かるまい。そこで某に一計が。」
「む?なんじゃ?言うてみよ。」
「は!我らの兵と三留野東山砦の兵士数名を使って野尻と小競り合いをしようと思いまする。」
「……?どういうことだ?」
「そうすることで、野尻の若造をビビらせてやるのです。」
「……灸を据えるにしてはちとやりすぎだと思うが?」
「万事某にお任せいただきたい。」
「……………そうか。任せたぞ、小川殿。」
歴史の、本来あるべき道がズレていく。
とある一人の転生者の存在によって。
「野尻と三留野が小競り合い!?」
部下の報告に目を見開く黒川三郎義勝。
「は!三留野氏の兵士と野尻の兵士が衝突を起こしています!」
「むうぅ…前の喧嘩で様子見は悪手だったか……
至急、祐筆に弾正小弼様の名前で仲裁の書状をしたためよ!
使者は……」
「大変そうですな?そのお役目、是非某に。」
「む?おぉ!小川殿!……しかし、よろしいのか?最悪、左京亮殿に殺されるやも……」
「なぁに、その程度。某が跳ね返してしんぜよう。」
「なんと心強い!是非お頼み申す。」
「は!」
「誰か!弾正小弼様を呼んでくれ!」
「三留野殿、調子は如何ですかな?」
「小川殿………なにやら大事になっているような気がするのだが?」
家範は疑わしそうに小川を一瞥した。
「いえいえ、こんなもの些事でございます。いくらでも片付けることが出来まする。」
小川の目が怪しく光る。
「………貴様、一体何をっ!?」
突然刀を抜く小川。
「チッ、そのまま耄碌していればよいものを………」
「謀ったな!?えぇい、良吉!寿風郎!誰かおらぬか!?」
「ハァーそんなやつら、とうにおらんわ。おい、黙らせろ。」
障子を開けた兵士が家範の口を封じ、身体を縛る。
「んうぅ!!んううぅぅーーーー!!!!」
「この書状をこのジジイの部屋に開封済みで置いておけ。」
「は!」
「さて、戦の行方も見ておこう。」
「………っ!!!!!!伯父上だからと我慢していたが………ここまで屈辱を受けるとは………!!!」
家秀は伯父である三留野家から送られたと思われる書状を怒りでビリビリに破いた。
中身は家益(野路里前当主であり、家秀の父)を散々バカにし、義元様は家益が無駄に深追いをしたせいで亡くなったなど。敬愛する父をバカにされた家秀にとって、到底許せる内容では決して無かった。
「野尻の兵士達よ!出陣じゃあぁ!」
「野尻様!三留野軍の猛攻は想定以上です!士気も低下しており、このままでは……!」
「くぅ………」
本陣で伝令の言葉に顔をしかめる家秀。
「致し方あるまい………私も出る!なんとか持ちこたえるのだ!弾正小弼様が三留野家に使者を出してくださっている!それまで耐えれば我らの正当性は認められるぞ!」
「「「おぉぉ!!」」」
怒りの引き金となったあの書状をビリビリに破いてしまったため、正当性があるかは判別出来ないということは優秀な家秀にとってはすぐに分かる筈だった。怒りで我を忘れていなければ、だが。
まぁもし、書状を破かずに保管していたとしても、証拠として残ることはなかったであろうが。
「小川様、万事抜かりなく。」
三留野家本陣にやって来た小川を、その場の兵士はさも自分の主人かのように扱う。
「根回しは順調のようだの?」
「は!三留野の領地の半分は小川様につくとのことです。」
「くくく、やはり我らは所詮獣なり。」
「伝令!野尻家秀が本陣を出たとのことです!」
「おぉ!真か!………弥三郎左。」
「は!」
「この鎧と兜を着けて家秀を討て。」
それは三留野家範の竹馬の友である猛将倉野良吉のものであった。
「…御意。」
「野尻様!前方から複数の兵士が!」
「何!?誰だ!」
「敵は………っ!!倉野です!倉野良吉です!」
「な!?…………くぅ、屈辱だが、撤退だ!この数であの倉野に勝つことは出来ん!」
野尻の兵士は、家秀の言葉に従い反転する。しかし、気付けば半分以上がその場で倒れ込んでいた。
「っ!?どうした!?」
「……!罠です!獣用の罠に足を取られて!」
「な、なんて卑怯な……!」
「もう追い付かれます!お早く御逃げを!」
「………いや、よい。こうなれば、武士として華々しく散りゆくまで。」
「ですが!」
「なぁに、心配はいらん。息子も家臣達も、優秀な者達ばかりだ。お主らは疾く逃げよ。待つものがおろう。」
「………我々も、お供致します。」
その場の野尻兵に背を向ける者はおらず、全員が一歩前に出た。
「これまでの忠義に、心からの感謝を。」
「勿体無きお言葉。」
「……行くぞぉ!!」
「「「おおぉぉぉ!!!」」」
「くぅーらぁーのぉー!!!貴様はそれでも!武士なのか!猛将の二文字が、泣いて、おるぞォ!!!」
家秀の猛攻を慌てずに捌いていく。
「…………」
「何故喋らぬ!何故弁明をせぬ!舐めているのかぁ!?」
家秀は体力のある限り攻撃を重ねる。
もう既に、自分の回りは敵しかいないと知らずに。
「さらばだ。野尻家当主よ。」
「っ!?貴様は、誰だぁ!……ぁ?……」
四方からの槍の一撃により、野尻家秀はその場で倒れる。
「き…さま……くらの、どのはどこだぁ……ま、さかおじう…えも………」
「さらばだ、憐れな男よ。自分が木曽を混乱に陥れる元凶だと言う事実のみを抱えて死ね。」
野尻家秀は全身に傷を作るも奮戦し、敵兵十四の首を討ち取るも、最後は無惨に切り刻まれ、首も身体もその場に放置されていたそうな。
「真に相すみませぬ。某では三留野様を止めることが出来ず………」
「……野尻殿を失ったのは辛いが、小川殿も必死に動いたのだ。責はない。」
「寛大なお心遣い、真に感謝を。」
「よい。弾正小弼様が決めたことよ。」
「それより、これからどうするので?」
「うむ、まずは野尻氏だが、これは嫡男に継がせればよいだろう。問題は三留野家だ。一先ず、これ以上死者が出ぬよう、池口殿に頼んで牽制はしてもらうつもりだ。」
「なるほど、此度は少々疲れもうした。某はここらで失礼させていただきまする。」
「うむ、ご苦労であった。」
「出せ。」
布団に丸められていた家範を解放する。
「がふっ!貴様……ワシにここまでしてただで済むと思うなよ……!」
「負け犬が吠えたところで恐れるものはなにもないわ。それより、予定が変わった。」
「……………」
「お主ら、こやつを病死させろ。」
「なぁ!?」
「出来るか?」
小川は傍にいた影に問う。
「可能です。」
「なら、そうしてくれ。出来るだけ早く。」
「は。」
「おい。」
「なんですかな?」
「良吉と寿風郎はどこにいる。あの二人は……!」
「あぁ、あなたの友と嫡男ですか。
……極楽にでも行ったのでは?」
「っ!!!!貴様っ!!貴様が!何故…………………
………あぁ……そんな…………」
「ふん、ジジイの涙ほど醜いものはないな。」
小川は吐き捨てるように呟き、部屋を出ていった。
「よく来てくれた。」
「三郎殿。某は何故呼ばれたのですかな?」
「あぁ、不安にさせてすまぬな。此度、家範殿が病気で亡くなられたことで、小競り合いに終止符は打てた。そこで、今回活躍してくれた小川殿に三留野家の領地である与川の地を与えることとなった。」
「ほう!それは、なんと……過分な褒賞でございます。」
「そんなことはないぞ?ワシと弾正小弼様で話し合って決めたことよ。お主は優秀であるしな。」
「感無量でございまする。」
「うむ、これから忙しくなるでの。今日はもう帰ってよい。」
「ご配慮ありがたく。」
「まさか、ここまでうまく行くとは思いませんでしたな。」
「そうだの。」
「それで小川様。これより先、どうされるので?」
「五年だ。」
「と、言いますと?」
「五年もあれば、準備は整う。」
「すみませぬ、某にはてんで分からず。
何のでしょうか?」
「ふ、鈍いやつよの。そんな態度では、木曽をひっくり返すことは出来んぞ?」
「な!?まさか……謀反を!?」
「当たり前だ。なぜなら、我らは皆獣なのだから。
それに、既に貴様も同罪よ。倉野のフリをし、三留野家の根回しをしたのだからな?」
「……まぁ、某はあなた様についていくと決めた身。この命、果てるまで。」
「そうか……なればいい機会じゃ。
お主に姓を与えよう。」
「なんと!有り難きお言葉!」
「……よし、倉川にしよう!そなたはこれから倉川弥次郎左基宗と名乗れ!」
「おお!ありがたく頂戴致します!
……ん?もしかして、それは倉野の倉と与川の川では?」
「うむ、まぁ………この五年間、気を抜いてはいかんぞ?やるべきことは大量にあるのだからな!無駄なことは考えんでよい。」
「………なるほど?ではご指示を!」
「まずは、与川にいるもう一人と仲を深め、こちら側に来てもらおう。一番良いのは信を勝ち取り、領地を譲ってもらうことだが、これはやってみないとなんとも言えん。」
「そんなに簡単に領地を譲るでしょうか?」
「相手は僧侶だぞ?他の武将よりは簡単だろうて。」
「承知。某は、その僧侶に会って参りまする!」
「うむ、頼んだぞ弥三郎左。」
「は!」
木曽を奪い取らんと暗躍する者。
その名を、小川藤左衛門初吉。
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史実では、三留野家と野尻家のいざこざは1509年に起こるものでした。何故諍いを起こしたのかは調べても出てこなかったため、作者の偏見で決めました。
史実では小川が与川を与えられたのは、木曽弾正小弼義在が17歳となり、木曽の当主として認められ始め、上之段城を建設している時でした。
そのため、小川は反乱は厳しいと判断し、家臣として仕えたのだということを前提にしました。しかし、風波幸吉の存在が三留野家と野尻家の諍いを五年早めることになった。それによって小川は木曽弾正小弼義在が当主として認められるまでの五年を自由に使えることになり、自信の心の奥底にある獣を目覚めさせた。………ってのがこの作品のターニングポイントでっせ。
あんまり、作品に作者の言葉は乗せたくないのですが、これくらいは伝えるべきと判断しました。
by作者
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