第2話

 俺は黒川様に連れられて、大桑村にやってきた。

「ここの定勝寺の境内に御当主様がおられる。ご挨拶に参ろうぞ。」

「は!」

 緊張してきた………




「弾正小弼様ー!弾正小弼様ー!」

「そんなに叫ばなくても、聞こえていますよ。」

 優しく心地好い声が聞こえたと思ったら、近くの障子がスッと開いた。

「おぉ!弾正小弼様、ここにおられましたか!」

「ええ、父の弔いは谷中の諸士に任せました。」

 ドライ、って感じじゃないな。あまり実感が沸いてないって感じかな?

「そうでしたか………それで弾正小弼様。本日はこの者を紹介しようと思いまして。」

「そうでしたか。拙者は木曽弾正小弼義在と申す。」

「こ、これは失礼を!弾正小弼様にはお初に……」

「そんなに堅苦しくしなくて構いませんよ。私は今やなんの力も持たぬ子どもにござりまする。」

「な……!」

 俺は驚いて黒川様の方を見るも、黒川様は俯いてるだけだった。

「そんなことはありますまい!弾正小弼様は木曽家の御嫡男であらせられます!」

「えぇ、たったそれだけです。それに父が亡くなった今や木曽谷に主君はいません。木曽に住む武士達には好きに動くよう伝えてあります。」

 ?それはつまり、どういうことだ?

「幸吉、質問の前に言うべきことがあるだろう。」

「え?それは一体………」

「幸吉殿と言うのですか?」

「………ああぁああぁ!申し訳ありません!

 えぇ、風波幸吉勝康と申しまする!」

「そう…ですか、あなたが。

 これからよろしく頼みます。」

「え?よろしいので?」

「叔父上が連れてきたのであれば問題は無いでしょう。それに、あなたのことは父から聞いておりましたから。」

「な、伊予守様からですか!?一体なんと!?」

「ふふ、名すらなかった餓鬼を拾ったと。拾った時、王滝城から見える御岳湖が風で揺れていたから風波という名字を与え、これからが幸せになるようにと幸吉と、縁起の良い文字を使ったと。

 酒の席では嬉しそうに話していましたよ。いつか私の与力になれるまで育てて見せるとも。」

「なんと…………」

 五年前のあの時を覚えてくださっていたなんて……当時は気付いたら山にいた。飢えをしのぐために雑草も樹木も土も食べた。あの時は正直、前世の記憶が邪魔でしょうがなかった。便利な生活に慣れていたせいで、嫌悪感が死因になるところだった。

 だが、前世の記憶があったからこそ、義元様に出会えた。今まで生きてきて、前世の記憶があって唯一感謝した点だ。

 こんな汚い野人のことを覚えていたばかりか、御嫡男の傍に置こうとしてくださっていたとは………!

 

 俺は義元様の最期も死顔も見れていない。だが、それを思うと涙が溢れてきた。

「う、……すみませ……」


「……叔父上。」

「は。」

「少し……人払いを。」

「かしこまりました。」


「幸吉。」

「は………」

 涙が止まらない。拭っても拭ってもとめどなく溢れてくる。

「そなたにとって、木曽伊予守義元はどんな存在でしたか?」

「……は!拙者にとって、義元様は我が父同然でございまする!」

 名と居場所をくれた方だ。これはハッキリと言える。

「そうか……」

 弾正小弼様はそう呟くと畳にポツリポツリと染みが出来た。

「っ!弾正小弼様………」

「父を失うというのは辛いな………」

「………ですな、なればこそ、力をつけて木曽家を盛り返しましょうぞ!」

 肉体的にも精神的にもこの方は年下だ。年上の俺が勇気づけなければ!

「……そうですね。私が知略、幸吉が武勇でしょうか。」

「ですな!勉学などしたくありませんから!」

「……ふふ、そうですか。

 そろそろ叔父上を呼びましょう。仲間外れは可哀想ですからね。」






「お話はもうよらしいので?」

「えぇ、叔父上。今年の冬には私を黒川で養育してくださる手筈でしたが、そこに幸吉を連れていっても構いませんか?」

「もちろん!

 折角ですし、ワシ自ら手解きしてやろう。」

 黒川様はにこやかに俺を見る。

「真ですか!?」

「ハッハッハ!厳しく行くぞ?」

「承知の上!」

 拾われたこの命。義元様のためには使えなかったが、弾正小弼様のため死力を尽くそう。


「あ、そういえば、一つよろしいでしょうか?」

「なんだい?幸吉。」

「先の話に上がった、好きに動いて良いと伝えた、とはどういうことでしょうか?」

「あぁ、その件ですか。私は所詮元服したばかりの若造。主君と仰ぐ方が無理だと思います。」

「そんなことは………!」

「いいえ、私を主君と仰ぎ、こうやって傍にいるのは叔父上のみ。だからこそ、他の領地に仕官しても良いことにしたのだ。」

 ほ~ん?

「安心せい。木曽家の勢力は変わらん。弾正小弼様が我が黒川におる時は、弾正小弼様の大叔父である八三郎殿がこの定勝寺を守ってくれる。

 妻籠城には野路里家がいる。家益殿が討死したが、御嫡男は健在だ。三留野愛宕山城にも弾正小弼様の大叔父三留野殿がおる。それに、義元様は慕われておりましたから、弾正小弼様が立派になられれば、皆戻ってくることでしょう。」

 良いのか?俺には分からんや。

「なる…ほど?」

「ぴんと来ておらんな。

 まぁ良い。あと三ヶ月程、ゆっくりしておれ。ワシはもう少し使えそうな人材を探してくるゆえ。」

「は!黒川様に手解きしていただくその日まで、出来うる限り精進します!」

「私も転居の準備と父が残した資料を父の右筆と共に整理したいと思います。木曽の現状を学び、よき統治者になれるよう努力致します。」

「良い心掛けです。」

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