第2話

 パンデミックに対する長期にわたる世界規模での巣ごもりでは、新たな需要とそれに応える供給が生まれた。家の中でも楽しく過ごしたい人々が各種情報端末を買い漁ることで起きた半導体不足はその顕著な例だったが、当然それだけではなかった。


 それら情報端末上ではゲームがプレイされた。プレイの様子は動画投稿・配信サイトにて共有され、投稿者や配信者の中には注目を集め人気になる者もいた。人気はさらなる人気を呼び、コンテンツはどんどん拡散されていく。魅力的なコンテンツはしやすいように編集され、投稿されたその切り抜き動画もインターネットを駆け巡った。


 創作は創作を呼び、もはやこれは何次創作なのだろう? 種々様々なコンテンツは複雑に相互作用し、その進化の予測は困難。しかし複雑ながらも、全体としての潮流はたしかに存在した。より楽しく、より面白く。そうして——。


『おはよ……ござます……』

『あらあら、もしかしてまだ寝ていましたか?』

『寝てな——うん、寝てたぁ。通話来てるなぁって思って、でも全然起き上がれなくってぇ……』

『ふふふっ。ドッキリ大成功、ですね? というわけで、おはようございます、ケロちゃん! 寝起き逆凸のお時間ですよ?』


「ぐはぁっ! 寝起きケロちゃんの幼女成分が強すぎる! そしてことねぇのこのあまったるいお声! こんなの死人が出るって……」


 で、VTuberオタクわたしが生まれたってわけ。


 ▷——


 ルイから「VTuberになる!」という宣誓を唐突に受けてから、およそ六時間後。すでに外はカーテン越しにもわかるほどに明るくなり、なんなら少し暑いくらい。夏も盛りを過ぎていたが、まだまだ残暑は続いていた。


 彼女がVTuber事務所に提出するエントリーシートの志望動機は、私の添削と彼女自身の文才により、すんなりと書き終えられていた。


 ルイの話から受ける印象では、その事務所はこれまで堅実に人気を集めてきていたように思えた。


 個人で活動しているVTuber、いわゆる個人勢を受け入れ、「ゼロ期生」という特例的な立ち位置を与えたのは、伸び悩んでいたその人たちに救いの手を差し伸べることだけを目的としたものではないはずだ。事務所自身も、新たな肩書を得たその人たちの活動によって注目され、伸びることになる。


 また、事務所総出でゲームをプレイさせていたのも、聞くところによると、事務所が自ら進んで実行したものだそうだ。ゲームを運営する側からの広告案件を受けたからではなく。外から何かを頼まれたわけでもないのにタレント全員を動かすというのはただごとではない。個人勢の受け入れが成長のための確実な一手だったのに対し、これはだいぶ攻めたもので、強い意欲が感じられた。


 そしてこのタイミングでのオーディションだ。ここで採用した人材でついにとしているように見えてならなかった。これら考察から導かれるのは、安定感のある魅力こそが事務所が欲するものであるということ。ここまできて博打には出られない。きっと事務所は、ハイリターンよりローリスクな人材を求めているはず。よってルイは、自身の魅力が曇りっこないことをアピールすればいい。……そしてそれは簡単だ。ルイはこれまでもずっと純粋に楽しいことが大好きで居続けていた。純粋にそれを書けばいいだけだ。


 時間としては二時間もかからなかった。なんならその二時間の最後の方は、私たちはネタ出しというていで他愛もない雑談をしてばかりいた。


「ごめんね、起こしちゃって。おやすみ。……いい夢見てね?」


 少しの申し訳なさをにじませながらも彼女は優しく通話を切っていた。一人の友達としては慎むべきなのだろうが、こうも優しくされると、「もしかして私って推しにとって特別!?」などという身の程をわきまえない妄想をしてしまいそうになる。推しからの「おやすみ」とはそれだけ重大なものなのだ。


 しかしその「おやすみ」を受け止めるのには、若干のためらいがあった。なぜなら、翌朝にはどうしても外せない予定があり、存分におやすみできるほどには時間がなかったからだ。予定さえなければいくらでも休もうという心持ちだったが、そうはいかず、私は仮眠と呼べるような数時間の睡眠の後にデスクトップパソコンへ向かっていた。そうして、私は推し同士のコラボ配信を見て感極まっているのだった。予定とはほかでもない、この配信を見るというものだった。


 ごちゃごちゃとたくさんのウィンドウが開かれたパソコン画面。あるウィンドウではコメントが滝のように流れる。


:かわいい

:ケロちゃんかわいすぎでしょ。キレそう

:あら〜

:↑キュートアグレッションニキ、わかるぞ

:この二人もう母娘じゃん

:ことねママー!


 別のウィンドウではAIを活用したリアルタイムでの文字起こしが行われ……。


```

Standalone Faster-Wisteria-XXL running on: KUDA

Starting work on: https://metube.internal/watch?v=KEZBxlBlwvox

Detected language 'Japanese' with probability 0.86

[13:49.080 --> 13:55.120] ちなみにいつもは何時に寝て何時に起きているんですか

[13:55.120 --> 14:02.480] 最近はその日のうちには寝るように頑張ってるけど

```


 そしてディスプレイ中央最前面では、今まさに配信されている動画が表示されていた。配信タイトルは「牧場ことねの寝起き逆凸!〜シルバーウィーク特別企画〜」。動画右上にはこの企画のためだけに作られた、カラフルでポップなロゴがあしらわれている。そしてその下、画面右側で微笑みながら揺れるアバターこそ、チャンネル主であり企画者の牧場ことねだった。


 ウェーブのかかった白く長い髪と、その奥から覗くつぶらな黒目。そして何よりつばの広いとんがり帽子が特徴的な彼女。暗い藍色のその帽子は、彼女が現代に生きる魔女であることの証拠だった。優秀な弟子候補を探している彼女は、紆余曲折あり、現在はVTuber事務所「v9」にて一期生タレントとして活動している(という設定だ)。その人柄は、「ことねぇ」という愛称にもあるように、まさにお姉さん。少し低めのゆったりとした声は、聞いているだけで包み込まれていくような錯覚さえしてくるものだ。ぶかぶかのローブと、その上からでもわかる豊満なボディ。コメントでは「ママ」と呼ばれていたが、なるほどわかる。わかるぞぉ……。


 対する画面左側。緑色のパーカーを目深に被った女の子のイラストこそが、寝起き逆凸を受けた側、v9の二期生、井下ケロ。寝起き逆凸ということで、通常のコラボ配信とは違い、その姿は動くアバターではなくイラストだった。しかしそれでも単なる正面立ち姿というわけではなく、目を閉じ、どこか不服そうに眉を寄せたシーンを撮ったものだった。目の下には隈ができているが、これは元々のキャラデザ。普段から気怠げな彼女は、滅多に声を出しては笑わない。にへらと笑うその様子は、私を含む一部のオタクの心を掴んで離さず……だからこそ寝起きで見せた気怠さとも少し違ったゆるさに、私は早々に限界を迎えてしまったのだった。


 彼女らの歓談は続く。


『今どんな格好をしているんですか?』

『パジャマ。なんかこう、裏側がすべすべモコモコなやつ』

『いいですね。しかし暑くはありませんか?』

『ずっと冷房付けてるから、むしろこれでちょうどいい』


 あぁ、尊い。二人はあまりはしゃぐような人ではないから、会話の雰囲気もゆったりまったりとしている。この二人の絡みはしばらく前から見かけるようになったもので、一日のうちの早い時間帯に拝めるのは初めてのことだった。悪くない……むしろよい! 「今日はもうゆっくりしようか」と安らかな気持ちになれるのが普段のコラボ配信だとするなら、今回は「今日も一日頑張ろうか」と静かに決意できるものだ。……うん。だいぶ方向性は決まったかな。


「よし。とりあえずケロちゃんメインで、普段の様子との対比を強調しよう。となるとケロちゃんの立ち絵を複数用意するところからかな。配信画面では動いていない。でも、動かないなら動かせばいい。切り抜き動画ならそれも可能で、私は切り抜くためにいるんだ」


 私はパソコンを操作し、ごちゃごちゃの中からチャットアプリのウィンドウを持ってくる。相手はこの企画を担当することねぇのマネージャーさん。一件だけ未読メッセージがあった。


『今回作っていただく切り抜き動画は、ことねさんのチャンネルではなくケロさんのチャンネルに投稿していただく予定です。それで構いませんか?』


 私の方向性とも合った方針。まさに渡りに舟だ。私は答える。返事はもちろんイェス。


『了解しました。今回も一時間以内の完成を目指します。つきましてはケロさんの表情差分付きの立ち絵素材があると助かるのですが、何かいただけるものはあるでしょうか? ひとまずはこちらで、過去の配信から立ち絵部分を切り抜いておいたものを使って仮組みしておきます』


 ▷——


 長期にわたる巣ごもり生活で、私はネットの良さを知り、どっぷりとハマった。素晴らしきかな、高度情報化社会。外出できないことで制限されるものもあったが、ネットを活用することで可能になることも多くあった。


 ネットの世界に入ったばかりの頃はSNSばかり使っていた。似た境遇に置かれた人たちと関わり合えるのは、憂鬱さに溺れかけていた当時の私にはありがたいものだった。


 次に使い始めたのは漫画アプリ。SNSにも個人や企業によってマンガは投稿されていて、それを読んで楽しんでいた時期もあったが、やはり専用アプリの方が読み心地はいいものだ。


 そして小説投稿サイト。マンガアプリに投稿される作品には原作があることが多く、さらにそれら原作は小説投稿サイトに投稿されたアマチュア作品であることが多かった。それはつまり、WebマンガよりWeb小説の方が流行の最先端を行っているということ。そのようにして、私はどんどん深みへとハマっていったのだ。


 私とVTuberの出会いも、その流れの先にあったものだった。小説投稿サイトのランキングを毎日熱心に巡回していた私は、動画配信を題材とした小説の勢力拡大をいちはやく察知した。Web小説とて発想のきっかけがないわけではなく、言い方を変えると「最先端ではない」。そして、動画配信ものの元ネタこそが、動画投稿・配信サービスMeTubeで活動するVTuberたちだった。


 もちろんハマった。寝る間を惜しんで配信を漁ったし、なんなら寝ている間も聞いていた。バイノーラルマイクを使ったASMR配信は、さながら睡眠導入剤だ。


 また、お気に入りの配信については、アーカイブとして残された動画を自分用に編集することもしていた。しかし当時はまだハイスペックなデスクトップパソコンを持っていなかったから大変だった。編集を終え動画を出力したとして、じゃあそれはどう保存しておく? ストレージ容量はカツカツで、手元に置いておくことはできない。


 そこで白羽の矢が立ったのが動画投稿・配信サイトのMeTube。そこを容量無制限のオンライン動画ストレージとして使ってしまうことにした。そのような特殊な経緯で、私はいわゆる切り抜き師になったのだった。しかしあくまでその切り抜き動画は自分用、だったのだが……。


「それが今やv9お抱えの動画編集者なんだから、世の中何があるかわからないよねぇ……っと。とりあえず完成!」


 考え事をしながらも手は動かし続けていたから、動画はすぐにできあがった。言い方を変えると、「頭を使わなくても手さえ動かしていたら動画ができあがるように準備していた」となる。これが私のやり方で、限られた時間で作り上げる秘訣だった。


 v9のファイルサーバーにログイン。低めの解像度で仮出力した動画ファイルをアップロードする。マネージャーさんのチェックが済んだらフルHD解像度で出力し直して……あぁその前にケロちゃんの立ち絵を差し替えて……。


 充実した生活とはこのことを言うのだろう。好きなことをして生きていたら、それが認められて、雇われて、お小遣いまで手に入るようになった。ネットを知る以前の陰鬱とした生活とは対照的で、夢のよう。これ以上は望まない。輝ききらめく推したちを、認知すらされない裏方としてであっても、引き続きサポートできるのなら、それで構わない。むしろこれ以上の待遇を望むなんておこがましいというものだ。私にできることが多くないことは、私が最もよく理解していた。手の届く範囲でベストを尽くすのだ。


 こうして考えてみると、昨晩打ち明けられたルイの思いは、私の思いとはだいぶ違った物だと言えそうだ。推される側に憧れるなんて、私には想像できない。けれどきっと、彼女のような人こそが「推される側」になるのだろうとは薄々感じていた。誰かの推しになる素質を、一線を画すものを彼女はきっと持っている。……彼女の未来に幸多からんことを。


「……そういえば、ルイが応募した事務所って結局どこなんだろ? 今っていろいろ事務所あるけど、ゼロ期生もいるって話だったことを考えると、どこか別の場所で活動していたVTuberを受け入れられるような有名どころ、ってこと?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2024年10月28日 19:00
2024年10月28日 19:00
2024年10月29日 19:00

ボーダーラインを越えて 柊かすみ @okyrst

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画