第32話


 馬車の中、二人の女性が睨み合っている。ゴシックな服装に身を包んだ、幼い少女――帝国皇帝、リリカ・リリラト・リラトゥ。軍服とドレスを混ぜ合わせたような豪奢な服を着こなす女性――商国"番頭"、エリザ・ロン・ノットデッド。

 敵意に重さがあるならば、きっとこの馬車は潰れていただろう。そう確信するほどの威圧感が、両者の間には漂っていた。


「……………………」

「……………………」

「……何見てんだよ、おい」

「……は? 見てないけど。あなたの自意識過剰じゃないの?」

「あ゛? テメエ、喧嘩売ってんのか?」

「はあ……場末のチンピラみたいな言動。商国の英雄って酷いね。"私たち"の格まで下がる……」

「チッ……。 あー、確かにそうかもな。"俺たち"といると評判に悪い。自分の格とやらを大事にしてるなら、じゃあほら、皇帝サマは帰っていいぜ? とっとと帰れよ。誰も呼んでねえから」

「は? なにそれ、意味が分からない。聖国との交渉は私がするから、貴女こそ帰っていいよ?」

「へー。あっそう。聖国にも多数の伝手がある俺を、ただの私情で追い返そうとするのか。なあ、マリー。どう思う? アイツ、また魔族に洗脳されてんじゃねえか?」

「……私を、私を巻き込まないで……」

「――貴女こそ、立場をわきまえて? 私と違って、身一つしか無い貴女を気遣ってあげてるの。貴女が居ないとほら、研究所とやらの人たちが寂しがるんじゃない? こっちは"私たち”に任せて、貴女は一人で研究してれば?」

「あの……お願いだから、落ち着いて……」


 どうも。両手に毒花、マリー・アストリアです。どうしてこんな事になった?


 まず。対魔族への話し合いのため、私たちは聖国へ向かうことになったのだった。簡単に移動の準備をして、兄上が用意した使節団と合流して……。

 ……そして使節団の中に、何故か当然のようにリラトゥが居たのだ。どこからどう聞きつけたのか、『家族旅行だね』と得意気な顔をしながら。


 聖国に向かう馬車の中、エリザとリラトゥの間に流れる空気は最悪だった。頼みの綱であるクライヒハルトは横になって寝ている。コイツをぶん殴っても許されると思うんだよな、私。


「ハッ……何も産み出さねえ、喰うだけの皇帝が……」

「ふん……折角の家族を捨てた、恥知らずの商人……」

 

 地獄か? なんなんだこの空気……。リラトゥは指先がゴポゴポと泡立っているし、エリザの背後ではバチバチと火花が散る音がする。一触即発の場で、私はただ身を小さくして和平を呼び掛けていた。平和への祈りとは儚いものである。


 【英雄】は、【英雄】以外とはまともな人間関係を築けない。以前そう言った事があるが、これには続きがある。最悪な事に、その【英雄】同士でも大抵仲が悪いのだ。

 

 争いは同レベルの者でしか発生しない。【英雄】は、彼らにとって争いが発生しうる数少ない相手だ。その潜在的な脅威に加えて、彼らの自我の強さが合わさると……これはまあ、友好的に接せられる方が奇跡だろうという気にもなる。エリザとリラトゥも、その例に漏れなかったようだ。


「俺が呼んだのはマリーとクライヒハルト卿だけで、リラトゥ閣下は全くお呼びじゃなかったんだがなあ? 社交界での評判悪いぜ、皇帝サマ。厄介事になる前にお帰り願えませんか? 」

「……魔族の脅威について話をするんでしょ? なら、帝国である私も同席したほうが話が早い。あなたこそ、私情でわたしを遠ざけようとしている……」

「ほー……流石は皇帝さま。てっきり喰うことしか能がねえのかと誤解してたぜ」

「……うん。クライヒハルトに傷ひとつ付けられなかった貴方よりは、ずっとマシだよ?」

「テメエ……」


 なんかここ空気悪くない? 換気しましょ、換気。


「なあ、マリー。今からでも遅くねえ、聖国には俺たちだけで行こうぜ? マリーからも何か言ってやってくれよ」

「マリー。早くこの女を追い出して、私たちだけで聖国に行こう? せっかくの家族水入らずなのに、邪魔者がいて私は悲しい……」


 あと、このやり取りが何故か私を挟んで行われているのが一番の謎である。右にリラトゥ、左にエリザが私の腕を掴みながら睨み合い、対面ではクライヒハルトが横になって寝ている。コイツがもうちょいちゃんとしてれば私のこの苦労は無かったんと違うか? あ? 恐怖で口調も崩壊するわよこんなの。


「「なあ(ねえ)、マリー」」

「………………(無言でクライヒハルトの足を蹴る)」


 左右から囁かれる声を努めて無視し、私はクライヒハルトの無駄に長い足を蹴った。

 オラッ。起きんかいこのマゾ。起きてこの状況を何とかしてください。お願いします。


「ん……むにゃむにゃ。もう食べられないよ〜」

「張り倒すわよ……? ゴホン。おはよう、クライヒハルト。揺れる馬車で横になってると危ないわよ」


 助けて、クライヒハルト! よっ、強い!かっこいい! 世界一の英雄!


「んー……ああ、ありがとうございます、マリー様。そっちの席狭くないですか?」

「いや? 問題無い。クライヒハルト卿も疲れているだろう、非礼とは思わないさ」

「うん。寝顔もかっこよくて、可愛かったよ」


 よし。二人の興味がお互いからクライヒハルトへ移った。未だ私の手は握られたままだが、先ほどの険悪な雰囲気が無くなっただけでありがたい。


「あー、寝違えて腰いたい……何話してたんですか?」

「…………まあ、大したことじゃないさ。な、リラトゥ」

「うん。私とエリザは、とっても仲良しだって話をしてた」

「おー……ガールズトークってやつですね?」

「そうそう」


 嘘つきどもめ……あわや【異能】発動というところまでバチバチだったくせに……。

 だが、今はクライヒハルトの脳を介さないフニャフニャの放言が何よりもありがたい。エリザとリラトゥの二人は、なんだかんだクライヒハルトの前だとおとなしいからな。単純暴力で圧倒している事と、多大な恩があることが要因だと考えられる。なぜそれが私にも適用されないのか。世界三大不思議の一つである。嘘だけど。


「馬車移動ってまあまあ暇ですよねー……。エリザの【異能】でパッと跳べないんですか?」

「国家間での移動系【異能】の行使には、様々な制約がある。手続きを踏むより、こっちの方が結果的に早えよ」

「へー」

「……それに、聖国は嫌がると思う。大聖祭に他国の【英雄】が訪れるっていうのは、誰の目にも分かりやすい権威付けになるから。だったら民衆にも分かるように、ゆっくり来てもらったほうが嬉しいはず」

「あー! なるほど。エリザがちょっと急いでたのは、ここで聖国の好感度を稼ぐ狙いもあったって事ですか」

「いや。それもあるが、大聖祭で浮かれている隙に色々話を呑ませてやろうって魂胆だ」

「想像以上に悪どいな……」 


 クライヒハルトは、先程まで漂っていた不穏な空気など微塵も感じていないらしい。アホ犬……! 再び横になってニコニコと笑う姿は、そのデカさも相まって大型犬を彷彿とさせた。


「…………………」

 

 【英雄】を纏め、大国を築き上げたという"初代王"……。今この光景だけを見れば、むしろクライヒハルトこそその再来に相応しいように思える。私は英雄という嵐に挟まれて、千切れ飛びそうになっていた。

 それにしてもエリザとリラトゥ、あんなに仲が悪いのか。どこかで一回、仲を取り持つ場を開いた方が良いのだろうか……。いや、でも私が出しゃばってもな……。


 リラトゥは確定として、エリザもよこしまながらクライヒハルトへ好意を寄せている。このクソボケがどこまでそれに気付いているか定かでは無いが、彼を介せば一応二人の間でも会話が成立するらしかった。


 ク、クライヒハルトの重要性がどんどん上がっていく……。あとなんか知らないけどライバル (ライバルと言うのか? これを?)もどんどん増えてる……。


「あ、マリー様! せっかくだから大聖祭について教えてくださいよ。俺も王国のお祭り男として、坂から転がり落ちるチーズを追いかけてですね……」

「何言ってるの?」


 増していくプレッシャーに内心ビビり散らしながら、私はいつも通りにアホを撒き散らかすクライヒハルトへそう返したのだった。












 追放されたチート騎士は気ままなセカンドライフを謳歌する。 ~俺はマリー様だけじゃなく、あらゆるものを『英雄』に出来るし、俺の意思でいつでも効果を解除できるけど、残った人たち大丈夫?~


 どうも。気ままなセカンドライフを送っているチート主人公、クライヒハルトです。看板に偽り無し。


「"大聖祭たいせいさい"って、結局どんなお祭りなんですか?」

「貴方の知識の偏りどうなってるのよ……世界一有名なお祭りよ? 聖教徒なら、一生に一度は大聖祭に行くことを夢見るって言われてるのに」


 馬車の中、マリー様、エリザ、リラトゥの三人と適当に雑談をする。話題はもちろん、例によって無知無知の無知である大聖祭についてだ。


 クライヒハルトくんの知識はレジ袋の中で縦になっちゃったパック寿司なみに偏っているぞい (博識ハカセ)。マゾ方面に特に明るい事で知られているんじゃ。


「へ~~~……聖教って凄いんですね」


 聖教。俺にはニワカ程度の知識しか無いが、この世界で随分ブイブイ言わせている宗教らしい。

 唯一神教だったはずなのだが、最近【英雄】が『私が神ですけど』と言い始めて色々大変だとか。教典も色々改訂されているらしい。やべ~~~。


 マリー様も神って事に出来ないか……? 慈愛と罰をつかさどる、戦女神みたいな感じで……。とか考えていると、エリザがふと話しかけてくる。

 

「……クライヒハルト卿、一応言っておくが……聖国で、神について迂闊に触れないほうが良い。 面倒事を招くし、俺やリラトゥでも庇えない可能性がある」

「え、そんなにですか」

「火種だらけだ、今の聖国は……。【英雄】と狂信者たちが、血で血を洗う暗闘を繰り返している。アホらしい、だから宗教は嫌いなんだ」

「…………………………」


 あっ、両親が教祖であるリラトゥが顔を曇らせている。リラトゥには意外と潜在的な地雷が多いのだ。やめろやめろ、誰かの好きを貶すのは危険なのじゃ。


「……リラトゥ」


 かける言葉を考えている間に、マリー様が軽くリラトゥの手を握りしめる。無言のまま、リラトゥの顔が少し緩んだのが分かった。やはりマリー様こそ最強。覚えておけ……。


「ま、それはそれとして……確か聖国の【英雄】は、自分を神だって主張してるんでしたよね?」

「ああ。聖教本部は否定的だが、地方では【英雄】の方が優勢だと聞く。クライヒハルト卿が王国地方で崇拝されているように、【英雄信仰】というのはこの世界で最も原始的な宗教だからな」

「あー。なんか聞きますねえ、そういうの」

「魔物の被害が多い地方ほど、英雄信仰は根深い……。そして聖教は聖教で、英雄を勝手に“聖人”と認定する事で信仰を取り込み、勢力拡大に利用してきた歴史がある。そのツケとまでは言わないが、聖教内部でもかなりの分裂が起きているらしい」


 へー、なるほど。なんか俺の知ってる宗教でもそんな話あったな。天使信仰とか、マリア信仰とか……。古今東西、主神以外の人気が過熱するってのはよくある話のようだ。サブヒロインの方が人気になるのと同じ理屈だな。


「でも、それで教典まで変えるのはやり過ぎじゃないです?」

「だから揉めてるのよ」


 そう言って、ソファへ深く座り直しながらマリー様はため息をつく。


「聖国の"大司教"、ルキア・イグナティウス……。火種だらけの聖国には正直首を突っ込みたく無いけれど、彼女の【異能】を考えるとエリザが協力を取りつけたくなる理由も分かるのよね……」

「……異能? そんなに強いんですか?」


 正直、【異能】で言えばリラトゥが一番だと思ってるんだよな。英雄としての完成度でも群を抜いている。英雄の基本的弱点である"量"を補える【暴食皇帝モナーク・リラトゥ】以上の異能は中々無いと思うが……。

 

 俺の素朴な疑問に、マリー様はソファにもたれ掛かったままこう答えた。


「異能、【致命聖典ちめいせいてん】……歴史にも稀な、"死者蘇生"の異能よ」


 ヤバ(笑)。


 いや、マジで強すぎないか? なんかこう……能力として最上級の奴じゃない? これ巡って色々争いが起きるレベルのさ……。

 内心ビビり散らかしていると、エリザが面白そうに笑う。


「聖教が手を焼く理由が分かるだろ? 黄泉がえりなんざ、誰の眼から見ても分かりやすい"奇跡"だ。しかも、聖教お得意の暗殺も効かねえ。それにある程度抵抗できてるってんだから、これは聖教の奴らを褒めるべきだろうな」

「めっちゃ褒めるべきでしょうね……」

「ん。だから、彼らにとってもこの"大聖祭"は正念場。他国の【英雄】である私たちは巻き込まれやすいから、最初は大人しくしといた方が良い……」

「そうそう。恩を売るには良い時期だが、どっちに勝ってほしいかをまず見極めねえとな。聖教の深い知識が欲しけりゃ信者に、いざって時の保険になる【異能】が欲しけりゃルキアに勝たせたいって感じだ。ま、クライヒハルト卿なら力尽くで両方手に入れられそうだけどな」


 そう語るリラトゥとエリザ。あー……あれだな、俺のあんまり得意じゃない分野の話だな。俺に暴力以外の難しい話を振るなよ……暴力で返してやるからな……。


「……まあ、とにかく。聖教とルキア・イグナティウスには、あまり近づかないようにって話よ」

「はい、マリー様!!!!!!!!」


 そう釘を刺すマリー様に、俺はそうデカい声で返事したわけだが……。




「せーんぱい!」

「あの……あれ、ちょっと、塾とかあるから……」

「もう! そんな意地悪しないでください! 何の塾ですか! 」

「え……ほら、生け花……華の美しさに昔から興味があってぇ……」

「じゃあ私が教えてあげます! これでも私、芸事には詳しいですから。ね、?」


 む……向こうから来た場合はどうすれば良いですか!!!! マリー様!!!!!

 ゼロは俺に何も言ってはくれない……。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る