IFルート イザベラルート



 蝶の羽ばたきが全てを変えた。

 異界の魂は数年ズレて転生し、暗殺者の少女は脱走の機会を失い、鍛錬の末に【準英雄級】へ至った。


 これは、そのような世界の話。





「転生してさあ、やったぜ第二の人生だ! ありがとう神様、私幸せになります! って思ってたんだけど……こういうトラブルがあると、ちょっと正直ビビるよな。暗殺って何? いつの間に俺はメキシカンマフィアの世界観に迷い込んだの?」

「ぐっ、あぁ……っ」

「危なっ! 動くなってマジで。今ほんと、滅茶苦茶慎重に手加減してんだから……素手で豆腐運ぶより丁寧にやってんだぞ、暴れられたら力加減ミスるだろ」

「…………」

「ヨシ! いやヨシじゃないが。でさあ、何なの? 酒場でゆっくり、『美味しくねーなー、品種改良されてないから素材が悪いよ素材が』とか思いながらグルメしてたじゃん。急に酒場の人間全員が武器向けてきてビックリしたよ。俺なんかしたか? 品行方正で通ってんだけどな、クライヒハルト君は」

「……あ、なたが……先に、私たちに敵対したのでしょう……」

「ええ?」

「貴方が道中立ち寄った、冒険者ギルドの支部長……あなたを覚醒間もない【英雄】と見て、愚かにも欲を出したあの男……。あの男の依頼で、貴方は暗殺ギルド(わたしたち)の拠点に攻め込んできた……」

「えー……? 知らん間に権力闘争に使われてた感じ? でも知らんよマジで、俺は盗賊退治の依頼って聞いてたぜ?」

「知ってますよ……あの男を散々に拷問し、裏は取っています……。ですが。だからと言って、暗殺ギルド支部をほぼ壊滅に追い込んだ貴方を放置できるわけも無い……」

「はー……面子の問題的な奴? そりゃまあ、なんというか……ご苦労様です。すんませんした。シャッス」

「ふざけた態度を……」

「だってまあ……別に、一切命の危険とか感じなかったし。話聞いてれば、なんか子供の喧嘩に親が出たみたいな罪悪感がちょっとある。アレなんだよな、あんま【英雄】の立ち振る舞いとか分かって無くってェ……」

「……………」

「まあほら、あの……周りの全員、多分生きてるはずだし。あ、あとこれ、ギルド支部長からの依頼金ね。詫び代って事で置いとくから。ほな、そう言う事で……」



 ◆



「え……?」

「……どうも。お久しぶりです、クライヒハルト卿」

「あ、ああどうも……。え? なんで? 俺は“パーティーメンバーが見つかった”と聞いてギルドに来たはず……」

「はい、その通りです。私が、貴方の新パーティーメンバーですよ」

「え、は? どういうこと? 結構前に一回会ったじゃん。暗殺ギルド所属じゃ無かった……?」

「……貴方が原因ですよ、クライヒハルト卿。貴方が、国家でしか抱えられないはずの【英雄】である貴方が、たかが一ギルドである冒険者ギルドに所属した事で……ギルド間の勢力が、大幅に書き変わったのです」

「は、はあ……」

「その流れを汲み、暗殺ギルドは冒険者ギルドと協調する方向へ舵を切りました。私はその一環、貴方の『サポート役』として暗殺ギルドから冒険者ギルドへ差し出された友好の証(貢ぎ物)です」

「いま何か変なルビ付いてなかった?」

「気のせいです。気のせい。ウチのギルドの老人達が何故か貴方に夢中なのも、そのせいで私の訓練が何倍にも厳しくなったのも全部気のせいです」

「め、滅茶苦茶嫌そうな顔してる……!」

「……あと、一度あなたに相対して殺されなかったという点で私に白羽の矢が立ち、脱走の機会が失われたという個人的な理由が……。いえ、何でもありません」

「はあ……」

「『頭が良くて、斥候系で、あと腕が立つ人!』と言うのが、貴方の条件でしたよね? 私は通り一遍の社交技能は叩き込まれていますし、隠密も上手く、そして"準英雄級"です。いかかでしょうか? 私は貴方のパーティーメンバーとして合格ですか?」

「……なんか、色々権力闘争に巻き込まれてる事に思う所はあるが……なんかサクサク話が進むの面白いから良いか (受け身マゾ)。もちろん合格です! イザベラさん美人だし」

「有難うございます。改めて、暗殺ギルド幹部……"遠い月"のイザベラです。これからお願いしますね、クライヒハルト卿」

「権力闘争っておもしれ~~~~~~」

 


 ◆



「うおおおお! 剣の心得とか無いから思いっきり振ると自分の足斬りそうになってうかつに使えねえぜパンチ!!! 相手は死ぬ!!!!」

「……うわ。何の体術も無いチンピラのようなパンチで、オーガロードの首が吹き飛びましたね……」

「パンチ! キック! あとチョップ! 程よいジャブ、申し訳程度のフック、小さじ一杯分のアッパー!」

「あーあー。何を言っているのかは分かりませんが、凄い暴れようです。周囲の魔物がまるで子供の玩具のように飛んでいきます。……これが【英雄級冒険者】ですか。本当、身震いがしますね」

「ふう……」

「お疲れ様です、クライヒハルト卿」

「あ、イザベラさん! 大丈夫でした? そっちに魔物飛んでいきませんでいたか?」

「ええ。うまく隠れていたので問題ありません」

「それは良かった! ところでどうでした、俺のパンチ! イザベラさんに腰の使い方を教わってから段々上手くなって来てですね……」

「あれで……? コホン。ええ、初心者にしては上出来でしょう。何をもって良しとするかは人それぞれですし」

「褒めてるようで褒めてねえなこれ」

「いえ、実際素質は有ります。どんな鍛錬もまずは基礎体力からですから、馬鹿げた身体能力を持つクライヒハルト卿は上達も早いでしょう」

「ありがとうございます!」

「…………………」

「……? どうしました?」

「……いえ。素直だなと思いまして。嫌ではないのですか、クライヒハルト卿。自分より遥かに弱い女に、あれこれと指図されて。貴方ほどの身体能力に、格闘技術は本来必要ないというのに」

「ええ……? いや、別に……。好きですよ、厳しく指導されるの」

「…………」



 ◆



 〇月△日 日記

 最悪の一日だ。【英雄】に出会った。

 【英雄】に手出しをしても何も良い事は無いと、支部長にはあれだけ言ったというのに。阿呆で脳無しでも上役には従わなければならないのが組織の辛いところだ。

 クライヒハルト、と言うらしい。近づくだけで奈落に落ちていくような、底知れない不気味な男だった。

 私があと100人居ても瞬殺されるだろう。二度と会いたくない。


 

 ◇月●日 日記

 今日も訓練が厳しい。以前のクライヒハルト卿暗殺未遂から余計に厳しくなった。ギルドの老人たちが、私の素質に眼を付けたようだ。余計な事を。

 クライヒハルト卿といえば、冒険者ギルドで随分と名を轟かせているらしい。ギルド所属の【英雄】など前代未聞だ。勢力図は大きく変わるだろう。

 阿呆だった上司は更迭された。ざまあみろ。


 

 □月〇日 日記

 再び最悪の一日だ。ここ最近続いていたギルド間の折衝に、ついに決着の兆しが見えた。

 それ自体は良い。最悪なのは、私が"人材の交流"という名目で冒険者ギルドに出向する羽目になった事だ。

 斥候役だどうだと言っている冒険者ギルドの奴らは何も分かっていない。やろうと思えば、何でも出来るのが【英雄】だ。私たちは弱いから、前衛だ後衛だ斥候だと役割を分担せねばならない。真に強ければ、【英雄】ならば必要無いのだ。

 ……私の役目は、人柱だ。以前の事を彼が怒っている場合、殺されるのが私の役目だ。

 分かっていても辛い。


 追記。

 彼は私の事を覚えていた。私は彼のパーティーメンバーとして御眼鏡に適った。

 顔にだけは何とか出さなかったが、崩れ落ちそうなほどに緊張した。


 

 ▲月▽日 日記

 状況は悪い。

 暗殺ギルドが、私という人柱を差し出してクライヒハルト卿との友好を図ったように、他のギルドも、【英雄】であるクライヒハルト卿に何とか近づこうとしている。クライヒハルト卿は気付いていないようだが、既に彼の周囲は各ギルドの息がかかった者で固められている。人材の見本市のような状況だ。

 私のように、準英雄級の人材を他ギルドが動かさないのが幸いだった。準英雄級はギルドの要、軽々に切れる札ではない。老人どもが異常なのだ。さっさと寿命を迎えて欲しい。

 私は彼のパーティーメンバーとして、様々な冒険に付き合う事となった。

 今まで暗殺ギルドの穴倉に籠っていた分、外に出れることは嬉しい。……彼に近づくたび、直感が命の危機を告げる事さえなければだが。



 ◆



「……(モッチャモッチャ)」

「……クライヒハルト卿、顔……。料理番が責任を感じて、死にそうな顔をしています」

「あ、すみません。おっかしいな……ポテチって薄く切って油で揚げるだけじゃないのか……? なんでこんなブヨブヨでクソ不味い物になってるんだ……?」


 ☆月〇日 日記

 今日はクライヒハルト卿の発案で彼が考えた創作料理を作る事になった。

 全て無惨な失敗に終わり、彼は吐きそうな顔をしながら“俺の造った地獄だ……!”と全部食べていた。



 ◆



「お、おおお……!? 何だこれ、美味い……!」

「暗殺ギルド秘伝のレシピです。我々暗殺者は人事百般、様々な分野に精通していますから」

「ありがてえ、ありがてえ……! あとイザベラさんが手作りしてくれたってので余計美味え……!」

「……貴方が、毎回毎回創作料理を作っては調理担当を希死念慮に追い込んでいるからです。その料理も、本当は毒殺するための物なのですからね」

「ワッハッハ! 大丈夫大丈夫、俺に毒とか効きませんよ!」


 ◎月△日 日記

 まさか私が初めて料理を振舞う男がクライヒハルト卿になるとは。理屈には合わないが、何故か損した気分である。

 暗殺者が作った料理をあまりに無警戒にモリモリ食べるので、つい嫌味を言ってしまった。笑って流されたが。……クライヒハルト卿の性格は概ね把握しているとはいえ、必要のないリスクだった。以後気を引き締めよう。



 ◆



「はい、呼吸はゆっくりと行って……。この素振りは筋力をつけるための物ではありません、正しい動きを身体に染み込ませるように……」

「ふッ……! こんな感じですか、イザベラさん」


 〇月□日 日記

 クライヒハルト卿との訓練は順調だ。周囲の圧に急き立てられた結果の物だが、彼は驚くほど素直で飲み込みも良い。戦闘者としての天稟があるのだろう。

 ただ、隠密の才能は全く無いようだ。彼の異様な覇気を、彼自身も気にしているらしいが……獅子が牙を隠そうとも獅子である様に、こればかりはどうしようも無いだろう。

 肩を落として落ち込む彼に、少しばかりの申し訳なさを覚えた。



 ◆


 

「ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

「―――ッ! クライヒハルト卿、私は!」

「イザベラさんは退避! ドラゴンだ、流石にブレスは余波が防ぎきれない!」

「……ご武運を!」

 

 ◎月□日 日記

 何の気まぐれか、人里に下りてきた龍。ドラゴン、この世界の最強種。

 【英雄】と言えど、死闘になるはずの物だったが……蓋を開けてみれば、一方的な虐殺だった。

 クライヒハルト卿は、やはり天才だ。最初はあれほど不格好だった身のこなしにも、今や合理が身についている。

 ……最近、老人どもが五月蠅い。



 ◆



「野営……正直、結構好きなんですよね。面倒な所は全部人にやってもらってるので、その結果と言われればそれまでですけど」

「そうなのですか? 少し意外ですね」

「ふっふっふ、俺も時々自然派になるって事ですよ。こうやって、焚き火の傍で星を見上げると……昔を思い出して、ちょっと懐かしくなるんですよね」

「昔、ですか……。クライヒハルト卿は、確か孤児の生まれでしたね」

「え? あー……はい。まあ、別に両親に愛された記憶はあるのでどうでも良いですよ」

「……そうですか。では、星座について教えてあげましょう」

「星座?」

「ええ。横に失礼しますね。私の親指と人差し指を結んだ先、ひと際大きく輝くのがモルガナ。左の少し小さい星がポルトヌス。神話に登場する兄妹が星になった物で……」


 △月☆日 日記

 野営中、クライヒハルト卿と話をした。

 ギルドの調査によれば、彼は孤児の生まれだ。生まれながらにして【英雄】であった場合、たとえ産みの親からでさえ愛情を受ける事は難しい。生物としての規格が異なるのだ。

 仕方のない事だ。

 ただ、それをクライヒハルト卿が笑って話すのは、少し……私にも、思う所があった。

 私の拙い説明を、クライヒハルト卿は楽しそうに聞いていた。それを見て、私は何故か少しだけホッとした。



 ◆



「クライヒハルト卿」

「お、イザベラさん! どもども。最近は高難度をやり尽くして依頼が少ないですねえ」


「クライヒハルト卿」

「イザベラさん。迷宮の探索お疲れ様です。どうですか、罠はありませんでしたか?」


「クライヒハルト卿」

「イザベラさん。アレまた作ってくださいよー。今度は肉がたっぷり入った奴が良いです」


「イザベラさん」

「イザベラさん」

「イザベラさん」

「ふ、もう。今度は何ですか、クライヒハルト卿?」


 〇月△日 日記

 こんな事はなるべく認めたくないが。

 彼との旅は最近、僅かに、ほんの少しだけ、楽しい。



 ◆



 ×月□日 日記

 状況が変わった。



 ◆



 (建物の壁に描かれた、暗号化された文字群)

 符丁10564、"遠い月"のイザベラ。

 貴殿が今までに成した暗殺ギルドへの貢献を我々は忘れていない。

 今すぐ、クライヒハルト卿を連れて出頭しろ。寛大な処置を約束する。

 商国による圧力への対抗策として、クライヒハルト卿は必要不可欠である。



 ◆


 

 (酒場の掲示板に貼られた指示書)

 親愛なる各ギルド諸君!!

 冒険者ギルド、ギルドマスターのフォン・ガリオンである。

 偉大かつ聡明な【英雄】であるクライヒハルト卿により施された利益を、私は皆に分け与えてきたつもりだ。これは全て幸運によるものであり、それを己一人の物にするのは恥知らずの行いだからだ。

 だが! 此処に一人、その厚顔無恥の行いに手を染めた者がいる。

 暗殺ギルドだ。

 彼らは私の寛大さに付け込み、クライヒハルト卿を我が物にしようとした。我々の躍進を睨む商国に怯え、短慮に走ったのだ。

 主犯の"陰月"イザベラは逃走中。暗殺ギルドはこれが独断と暴走によるものと主張するが、何処まで本当かは怪しい物だ。

 諸君!! 今すぐイザベラを捕らえ、我が前に引き立てよ。これを成した者は、必ず懇ろに礼をすると約束しよう。



 ◆



 (商国、ある高官のメモ)

 ギルドは、我々が丁寧に首輪をつけて飼っていた物だ。

 はしゃいでおイタをしようが笑って許すが、飼い主の手に噛みつこうとするのは許さない。

 【番頭】殿は烈火のごとくお怒りだ。とも思うが、私個人としては同意できる。

 あのギルドマスターも、内心冷や汗をかいている事だろう。

 【英雄】を失ったギルド群と国家など、戦争にすらなる物か。



 ◆


 

 ◎月□日 日記

 人生最悪の日々だ。

 【英雄】を得たギルドが、大きく勢力を増す。これは良い。

 他ギルドを巻き込み、傘下に加えていく。これも当然の事だ。

 だが。その果て、国家に目を付けられるというのは最悪だ。まして、国家との戦争など。

 あの欲深で、考え無しの、クズで、恩着せがましく、■■で■■■な■■■■■…………!

 フォン・ガリオン。だと思っていたが、【英雄】を手にして完全に狂ったのか?

 クライヒハルト卿は、火種だ。商国に勝とうが負けようが、ギルドは破滅の道を歩むだろう。そう思ったから私は彼を連れ、終わりの見えない逃避行を続けている。

 彼が素直に付き従ってくれることが、唯一の救いだ。



 ◆



 (宿屋の台帳に刻まれた、暗号化された文字群)

 符丁00003、"黄金郷"の老人……いや、暗殺ギルド審議会の者たちへ。

 私は暗殺ギルドを裏切っていない。

 冒険者ギルドの長は、傲慢に振舞いすぎた。国家と戦争など、まともな神経を持つ者がやる事ではない。

 追手を止め、今すぐ深くに潜る事を進言する。こんな物に巻き込まれては怪我じゃ済まない。


 (同じく、その後に書かれたであろう文字群)

 "遠い月"のイザベラへ。

 もう遅い。



 ◆



 ◎月〇日 日記

 魔術師ギルド、錬金ギルド、大小さまざまの組合の"準英雄級"が私たちの敵だ。

 【英雄級冒険者】クライヒハルトを中心とした火種は、今や大きく燃え広がった。暗闘が繰り返され、商国は大規模な傭兵動員を行おうとしている。冒険者ギルドはクライヒハルトの不在を隠そうとしているが、いずれは限界が来る。

 火種に枯れ草を添え、扇ぎ、薪を焚べている誰かがいるのか。それとも、全ては不幸な巡りあわせなのか。それすら分からないまま、彼らは破滅へ突き進もうとしている。

 ギルドへ帰るべきか? いや、ガリオンの頭は徹底抗戦で煮え切っている。これ幸いと全面戦争に踏み切るだろう。

 ……もう少し、この逃避行は続きそうだ。終わりが見えない。



 ◆



 (ギルド中に貼られた似顔絵)

 Wanted!

 "陰月"、または"遠い月"のイザベラ。

 影に潜む【異能】と、準英雄級の短剣術と格闘術、身体能力に注意。

 謝礼は冒険者ギルド、フォン・ガリオンより~~~~~~。



 ◆



 ◎月△日 日記 

 逃走を続ける。



 ◆



 ◇月×日 日記

 逃走を続ける。



 ◆



 〇月☆日 日記

 逃走を続ける。……ギルドが、本気を出し始めた。



 ◆


 

 (潜伏先に差し込まれていた紙)

 "陰月"のイザベラ。お前のギルドに対する思い、潜伏を選んだ理屈は理解しているつもりだ。クライヒハルト卿もそう思ったからこそ、お前に付いて行っているのだろう。

 だが、もはや事態は進退窮まっている。商国はこの際、我々を綺麗さっぱり焼き尽くすつもりのようだ。焼いて、燃え残った物をまた従順に育てるつもりらしい。

 このまま永遠に逃げ続けることがお前の、クライヒハルト卿の望みか? 【英雄】に、そんな生き方が出来るとでも?

 【英雄】は、戦わなくてはならない。それが何時(いつ)かを選ぶだけだ。私たち冒険者ギルドは、クライヒハルト卿を厚遇してきたつもりだ。今は、その"いつか"に入らないのか?



 ◆



「――――――ッ!」


 怒りを込めて、紙をバラバラに引き裂いた。


 いま、自分は何に怒っているのだろう。潜伏先を特定しておきながら、この程度のぬるい警告をするギルドに? それとも僅か数か月で突き止められた自分の無能さに? この怒りは、そのどれでも無いような気がした。


「イザベラさん?」

「……クライヒハルト卿」


 後ろから、英雄の声がする。窮屈な逃走劇にも、文句ひとつ言わず笑顔で付き従ってくれる男の声だ。


「さっきのそれ、ギルドからの手紙ですか?」

「……気にすることはありません。愚かにも勘違いして調子に乗った阿呆が、今更縋りついているだけです」


 即座に表情を元に戻し、何でも無いような声でそう告げる。


 脳内では、これからの逃走ルートが高速で演算されている。各地で少しずつ集めていた情報によれば、開戦までもう少しだ。そこを超えれば、状況も随分とマシになるだろう。


「いやー……もう、やめた方が良いでしょ」

「え」


 だから。


 クライヒハルトが疲れたような声でそう言った時は、一瞬凍り付いてしまった。


「な、にを、クライヒハルト卿」

「うーん……まあ、そろそろ逃げ続けるのも限界かなあと」

「……そんな事はありません。何が不満でしたか、食事ですか? 最近は秘伝のレシピを振るう機会もありませんでしたからね。良いでしょう、では明日の食事は私が担当しましょうか」


 ギルドから隠れる理由は既に説明し理解を得ているが、物資不足により不自由な思いをさせている事は否定できない。それが原因だろうか。 

 そうつらつらと言葉を並べる間も、心臓は早鐘を打っている。


 誰も【英雄】に強制する事など出来ない。この状況は、全てクライヒハルト卿の協力によって成り立っている。逆に言えば、彼が拒めば成立しない。


「別に、食事に不満は無いですよ」

「では、何ですか。性欲ですか? そちらも何とか渡りを付けますから、もう少し……」

「あ、それはマジでお願いしたい……じゃなくて、違いますよ」


 そう言って、クライヒハルト卿は困ったように頭を掻く。その態度に、何故か苛立ってしまう。


「じゃあ、何が―――!」

「だって、俺は【英雄】ですから」

「――――――」


 その、言葉は。今、わたしが最も聞きたくない言葉だった。


「まあ……面白がっていた俺が悪かったんですよ。権力闘争おもしれ~~~なんて、無邪気に言って……それがこんなにも大事になるなんて、想像もしてなかった。【英雄】の振る舞いが、分かってなかった」

「違う」

「ギルドと商国はもう、互いに退けなくなってる。面子の問題だ。これも、俺が分かってなかった事だ」

「違う、違う……」

「ギルドは頭が煮立っている。商国の【英雄】は苛烈で、降伏を認めないらしい。沢山の犠牲が出るでしょう。じゃあやっぱり、【英雄】である俺が行かなきゃダメだ」

「違います!!」


 そう大声を出して、クライヒハルト卿の言葉を遮る。


 自分は今、何に怒っているのだろう。


「……貴方を連れて逃げたのは、合理的な判断によるものです。悪化していくギルドと商国の関係を、沈静化させるための一手。そう説明していたはずです。未だその判断に変更はありません」

「本当に? いまやどう見たって両者の関係は破綻寸前だ。俺がいようがいまいが変わりません。なら、このままならば瞬殺されるギルドに付くべきでしょう」

「違う。商国との戦争など、ほんの序章に過ぎません。今や、大陸全てがどこかキナ臭い。次は帝国と、聖国と、それが終われば魔族と……。火種がある限りこれは続きます」

「別に、それ位。俺は勝ちますよ」

「その戦争に! 貴方が利用されるだけだと言っているのです!」


 自分は、何が気に入らないのだろう。大陸の状況を、ただ冷静に俯瞰しているだけ。それだけだろうか。私情は入っていないと、本当に言い切れるだろうか。


「……あ、なたは」


 千々に乱れた思考のまま、舌が勝手に言葉を紡ぐ。


「貴方は、突拍子も無い事を思いついては周りを困らせて……別に詳しくも無い料理に口を出しては、顔をシワシワにしながら不味そうに食べて……」


 自分は、何を言っているのだろうか。それすら分からないまま、ただまくし立てる。


「周囲のメイドたちがギルドの手の者だと気づかないくらい鈍感で、朝に弱くて、私が依頼を仲介しなきゃずっと寝転がっているズボラで……!」


 クライヒハルト卿との日々は、とにかく世話が焼けた。彼は戦闘力以外を全て投げ捨てており、明らかな生活無能力者だった。周囲の者は互いを牽制し合うか、彼の威圧に負けて近寄れなかった。だから、彼の面倒を見るのは必然的に自分の役目になった。業務外労働だ。


「私の胸と脚をずっと見てる頭性欲野郎で、自分の威圧感を実は気にしてて、だから誰かに話しかけられると少し嬉しそうな顔をして!」


 楽しさよりも面倒が多い、割に合わない日々だった。


……!」


 だけど。

 自分と彼は、一緒に居たのだ。共に時間を過ごしたのだ。

 

 訳も分からないまま、瞳から涙がこぼれた。


「あなたは、クライヒハルトでしょう! 【! 誰かの為に戦うような、理想を押し付けられるような、都合のいい何かじゃない!」


 ああ、クソ。だから私は、暗殺ギルドで"出来損ない"とされていたのだ。


「戦うならば、せめて己の決めた理由で戦いなさい! ただ周囲の都合に合わせて、やりたくも無いのに戦って……! そんな物は、貴方の言う"英雄の振る舞い"でも何でもない!」


 鍛錬を積み、"準英雄級"へ至ってもなお……情を、捨てきれない。


 彼の傍に、誰か理解者がいれば良かった。それは例えば、王国の姫君でも、帝国の皇帝でも、商国の番頭でも、聖国の司教でも良い。誰でもいい。誰か彼を、【英雄】ではない、一人の人間として見てやれる者がいれば良かった。


 しかし、今、彼の傍には誰もいないのだから。

 【英雄】だけを求め、実はアホな彼の人間性を見てやれる人が誰もいないのだから。


 だったら、自分がそうしてやるしかないじゃないか―――。


「だから、だから―――!」


 だから、何だ? ギルドが燃え落ちるのを尻目に、ただ逃げてくれとでも? 『【英雄】は、戦わなくてはならない』。彼が、自分が何をしようが、状況は変わらない。彼が英雄だという、この問題の本質は変わらない。


「――――――」


 クライヒハルト卿は、少しポカンとした顔をした後。


「ハハッ……知らなかったな。イザベラさん、意外と情に厚いタイプだったんですね」

「五月蠅い……調子に、乗らないで下さい」


 死ね。クソ。こんなやつと出会ったせいで、私の人生は滅茶苦茶だ。


 分かっている。英雄は止められない。本気になった彼を、誰も止める事など出来ない。自分のやって来たことは、全くの無意味だった。


「―――【■■】、起動。【■■■■】」


 意識が遠くなる。クライヒハルト卿が何かを呟いているが、上手く聞き取れない。


「大丈夫です。ちゃんと、戦う理由は見つけましたから」


 優しくベッドに横たえられる感触がする。その感触を最後に、私の意識は闇へ溶けた。



 ◆



 (新聞、号外の第一面に書かれた記事より抜粋)

 クライヒハルト卿、姿を現す! 『ギルドと国家の協調を』


 (新聞、号外の第一面に書かれた記事より抜粋)

 フォン・ガリオン、顔面をボコボコにされた姿で退任演説! 『マジですんませんした』


 (新聞、号外の第一面に書かれた記事より抜粋)

 ギルドマスターにして【英雄】誕生! クライヒハルト卿の冒険者ギルドマスター就任に市民歓喜!!



 ◆

 


 (新聞、日報の社誌に書かれたコラム)

 冒険者ギルドの長が変わってから、まだ僅かしか経っていないという事に驚く。

 偉大な【英雄】にして冒険者ギルドマスターであるクライヒハルト卿は、ギルドの形を大きく変えた。

 クエスト制度の整備、冒険者ランクの実装、何よりも“冒険者特権”の導入……。

 何処から着想を得たのかも分からない大胆な発想により、冒険者ギルドは今や国家とも渡り合える大規模な組織となった。

 今回のコラムでは、彼の施策について詳しく解説をしていきたいと…………。



 ◆



「嫌だ……もうあと5分は寝る……」

「駄目です、早く起きてください。ギルドマスターを皆が待っています、仕事してください」

「だるすぎてダルメシアンになったわね……。顔ない、今これ、横転……」

「ひっぱたきますよ? ……いや、ご褒美になるのでしたね、これも」

「へっへっへ……驚きましたか? 俺の秘めていた性癖に……」

「ただただ引きましたよ。鍛錬の度に喜んでいた理由が"キツくしてもらえるから"と知った時には。さ、起きてください」

「ぐえー……嫌だなあ。魔族の活発化についての会議ですっけ? 俺アホだから馬脚を現しそうで怖いんだよなあ……」

「自業自得です。貴方が進んで背負った苦労でしょう、シャキッとしてください」

「ふふふ……」

「……? 何ですか、気色の悪い……」

「いやぁ? 何だかんだ言って世話を焼いてくれるのが優しいなあと、危なっ! 突然手離さないでくださいよ、起き上がろうとしてたのに……」

「知りません。貴方が悪いです。秘書辞めますよ」

「アッ、それだけはご勘弁を……! 書類仕事がパンクしちゃう」

「はあ……さ、早く着替えてください」

「はーい」

「全く……」

「……ねえ、イザベラさん」

「はい?」

「俺はちゃんと、クライヒハルトですよ。毎日ハッピーです、いま」

「……そうですか。まあ、別に。聞いていませんが」

「ええ。俺も、言ってみただけです」

「……ですが。でしたら、私の苦労も甲斐があったという物です」

「あッ! 優しい笑顔! レアなもん見たぜ、今日は幸運だな……」

「……死ね、このバカマゾ」

「わ~~~~~~~~~~~~~い!!」

「無敵……」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る