閑話2
今回のお話は少し短いです。
王国に着く前、クライヒハルトの冒険者時代のお話です。
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【孤独でグルメなマゾ】
俺は今日、娼館へ行く。
誰も、俺を止める事は出来ない……。俺は孤独な狼、荒野の男さ……。
公国を出奔してからしばらく経ち。俺は、端的に言って性欲を持て余していた。
まさかなー、暗殺されかけるとはなー……。へこむぜ。嘘。あんまり凹んでない。クライヒハルト卿は前向きなのが取り柄。でもやっぱり悲しいぜ。
乱れる心の内を鎮めるには、やはり人肌だろう。イイ感じの女王様に、優しくいやらしく虐めていただきたい。
「うーん……なんだろうな……踊り子……ボンテージ……?」
口元がヴェールで隠れている系のアレ。あれ凄いよな。あんなエッチな物が数百年以上前に既に誕生していたとは、人類の叡智に頭が下がる思いである。
性癖の道は広く果てしない。俺などまだまだヒヨッコ、マゾの入り口に足を踏み入れたニュービーに過ぎないという事だろう。
「……おい、あれ……」
「バカ! 指さすな、死にてえのか……!?」
「あれが、【英雄級冒険者】……ギルドの鬼札、クライヒハルトか……!」
脳内でマゾめいた思索を巡らせていると、周囲から囁き声が聞こえる。
公国を出奔した後、俺は取り合えずの"繋ぎ"として冒険者ギルドに身を寄せていた。【英雄】という物は何処かの紐付きでなければ危険すぎるし、あと受付嬢の娘がたまたまエッチだったからだ。
公国の二の舞を避けるために『対価が無ければ仕事はしない』と伝えてはいるのだが、部外者の彼らにそんな事が伝わるわけも無い。なのでまあ、覇気も相まってああいう風に噂されるのは当然なんだよな……。
さて。
空腹迷子という奴である。
「何だろうな……別に、お店に入りさえすれば諦めもついてそこそこ満足できるんだろうけど……」
意外と優柔不断なマゾ、クライヒハルトくんには時々こういう事が起こる。調教して欲しいのだが、自分がどんな調教を求めているのか分からないのだ。
「鞭……三角木馬……いや、シチュエーションだな……。ギャル、奴隷、エッチコロシアムで敗北、スラム……」
脳内のシナプスが弾けるまま、ブツブツと言葉を口から吐き出す。考えているのではなく、思い付きが口から溢れているといった感じだ。ブレインストーミングって確かこんな感じだったよな。
「……スラム。スラムか……」
ピンと来るものがあった。正解ではない、しかし一筋の光が差し込んだ感覚。
なんだ……スラム在住の薄汚い手癖の悪い少女に、弱みを握られてニヤニヤ搾り取られたいのか……?
「いや、違うな……」
周囲のざわめきを感じながら、深く思索に沈む。
俺は今、何にピンときた……? 答えておくれ、俺のマゾヒズム……。
「スラム……犯罪……悪女……! そうだ、悪女だ!」
逆転の発想! この前暗殺されかけたとは思えない、豪胆な性癖!
こう……白くてフワフワの毛皮着てる悪女に、金も精も搾り取られたい気分だ。なるほど、思いついてみればもうこれしか考えられない。
「行くか……評判の悪い高級娼婦!!」
クライヒハルト君は情報収集を欠かさない男、望みが分かれば行動は早いのだ。え? 覇気のせいでビビられてるのにどうやって情報集めたのかって? バッカお前、俺たちには立派な耳があるだろ、Bro? (盗み聞き)
男という物は愚かだ。
性欲に衝き動かされ、簡単に身を持ち崩す。どんなに偉そうにしている男でも、一皮むけば醜悪な本性を晒す。
ある高級娼婦はそう考えていた。
股間に付いている醜い物体。美しい女性達に弄ばれるためだけについた、操りやすい操縦桿。これに少し触れてやるだけで、どんな男も頭が性欲で一杯になる。しょせん醜い男など、美しい女に跪き、奉仕するためだけに存在しているのだ。
また、彼女の手管はそれだけでは無い。
性欲で一杯になった男に、彼女はクスリを使う。脳を犯し、快楽を何倍にも引き上げる禁制の媚薬を。
美貌、性技、媚薬。この三つが揃って、操れない男などいない。今や強力な冒険者も、商会の番頭も彼女の下僕。彼女の指先が己に一瞬触れる、その一時のために大金を吐き出す貯金箱となった。精液と共に金を吐き出す、チョロい貯金箱。
そして、そんな彼女は今、確信していた。
今日、ここで自分は死ぬ。
「ハーッ……ハッ、ハッ………!」
呼吸が出来ない。心臓が不規則に動き、停まる。ドンドンと胸を叩き、無理矢理に血液を巡らせたい。だが、出来ない。恐怖で指が一本も動かない。
話には聞いていた。ギルドが、大金を払って"英雄"を雇ったと。恐るべき執念の元、己の敵対派閥を全て滅ぼすために、総力を挙げて乾坤一擲の一手を打ったのだと。
ギルドの切り札。決戦兵器。【英雄級冒険者】、クライヒハルト。
人の形をした死の具現が、眼の前に立っていた。
「ハッ、ァア……ッ! ゲホッ、ゲホッ……!」
息を。
息を、しても良いのだろうか。この英雄の気分を害さないだろうか。
「……あー……そう、緊張する事はありませんよ」
豪奢な一室の中、クライヒハルトはそう困ったように微笑んだ。
いつも通りの一日。広い娼館の一室で湯浴みをしていた時に、不意に悪寒が走ったのだ。何か途方もないバケモノがいると、己の本能が警告していた。兎が捕食者の存在に気付くような、眠っていたはずの野生の本能が自分に警鐘を鳴らした。
訳の分からない恐怖に戸惑いながら、それでも本能に従って部屋を出ようとして……震える従者に案内されていた、クライヒハルト卿と鉢合わせたのだ。
怖い。怖い、怖い、怖い……!
英雄という物を、遠くから見た事はある。何処の国の所属かも知らない英雄を、娼館の窓から馬鹿にして眺めた記憶がある。
なんだ、普通の人間とそう変わらないじゃないか。あの時の自分は、そんな事を愚かにも考えていたのだったか。
「……ご、めんなさい……!」
今の自分なら、あの時の自分がどれ程愚かだったか分かる。いや、今までの自分全てが愚かだった。間違っていた。馬鹿だった。自分の"顧客"には、ギルドの冒険者もいる。そのギルドが英雄を雇ったと聞いた時点で、全てを捨てて逃げ出すべきだった。
誰か、教えてくれても良かったじゃない……! この世界に、こんな化け物がいるなんて……!
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」
「困ったな……そんなに怯えないで下さい、本当に。貴女に危害を加えるつもりは無いんです」
にっこりと笑うクライヒハルトに、伏せていた顔を思わず上げる。自分は、助かるのだろうか。
そんな儚い希望を、英雄はたった一言で叩き落とした。
「ただ、貴女がいつもやってる事を私にもして欲しいだけです」
「――――――」
ひゅっ、と喉が鳴った。英雄の笑顔が、ただただ恐ろしい。
「男は性欲の奴隷なのでしょう? 美しい女性に奉仕する事が幸せなのでしょう? 素晴らしい考えです、私も全く同感です。どうぞ、私をそう扱ってください」
ニコニコと笑いながら、英雄が一歩詰め寄る。
恐怖。尻もちをついたまま必死で後ずさりし、壁に背中がつくまで後退する。
「……やっ、いやぁ……!」
「……勘違いされていますか? 本当に、一切他意は無いですよ? 貴女がギルドの有力冒険者を、何人も手駒にしていると聞きました。貴女に貢ぐあまり、破産してしまった者もいるとか。ぜひ、私もその手腕を味わってみたく思いまして……」
クライヒハルトの手から、ジャラジャラと金貨が零れ落ちる。
「ヒッ……!」
やはり。クライヒハルト卿は、ギルドから派遣されたのだ。
冒険者ギルドに仇成す者を、一人残らず抹殺するために。敵対派閥だけではなく、自分の様にギルドの冒険者に危害を加える者まで。一人残らず、徹底的に、ギルドは潰すつもりなのだ。
正気ではない。今までのパワーバランスを覆すようなこんな暴挙、たとえ思いついたとしても絶対に実行に移さない。冒険者ギルドは、いつの間にここまでの狂気を溜め込んでいたのだ。
「ハッ、ハッ……! ごめんなさい、許して下さい……! お金は全部返します、自首もします……! 絶対にもう、冒険者ギルドには逆らいませんから……!」
湯浴み中に逃げ出そうとしたため、今の自分は肌着の一つも身に着けていない。裸のまま土下座をし、クライヒハルト卿に許しを乞う。
「あしっ、足舐めます……っ! 何でもします、何でもしますから……!」
媚びた笑みを浮かべ、自慢だった己の乳房に手を入れて持ち上げる。これに触れるために、数多くの男が大金を払った自慢の乳。それをただの道具として扱い、ひたすら眼の前の英雄に媚びへつらう。
「わ、わたしの身体、好きにして良いですよ……? おっぱい、好きじゃないですか……? えへっ、えへへ……」
精一杯の懇願に対して、クライヒハルト卿は何故か、心底残念そうな顔をした。絶対者の機嫌を損ねてしまった事に、背筋が冷える。笑みが固まり、魂から震えるような恐れが全身を襲う。
「……何か、誤解があるようですが。もう一度言いますね? ただ、貴女がいつもやっている事を、私にもして欲しいだけです。それ以上でも、それ以下でもありません」
そう繰り返す英雄に、遅れてやっとギルドの意図を把握する。
クライヒハルト卿は、審判を下す役目を任されたのだ。
自分が虜にしてきた男たちは、傍から見ればただ娼館にハマって身を持ち崩しただけとも取れる。もしそれだけならば、それはただ単に彼らが愚かだったというだけだ。ギルドが動くべき事態ではない。
彼らは愚かだったのか、それとも悪意ある何かがあったのか。それを審判するのが、クライヒハルト卿なのだ。だからこそ彼は、自分に対し"調査"をしているのだ。
そして。自分は彼らに、違法薬物を使っている―――。
「……う」
「う?」
「うぇええええええええん……うわぁあああああああああ……!」
子供のように、娼婦は泣いた。
己の破滅に。死に。愚かさに。全てに対し、もはや幼子のように泣くしか出来なかった。
視界が暗くなる。限界を迎えた精神が、せめてこれから来る死という最大の恐怖から彼女を逃がそうとしてくれたのだ。
「……????? いや、あの……俺にマゾ調教を……悪女による
暗転する視界の中、ただただ困惑する英雄の幻覚が見えた気がした。
俺は娼館を出禁になった。
というか、娼館自体が潰れた。違法薬物かなんかを使ってたらしい。財産は返還され、働いてた人は全員捕まって、真面目に刑に服しているらしい。
その後、悪女によるエッチな搾取を求めて俺は様々な犯罪組織へ行き、その全てがなんか勝手に潰れた。俺は一から十まで、『貴女方が普段やってる事を俺にもして欲しいだけなんです』と、懇切丁寧に説明していたのに。
俺はギルドから感謝状を貰った。くだらねーよ世の中なんてよ。ペッ。
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