第22話

 王国の英雄クライヒハルトの異能は、身体強化だと言われている。


 単騎最強。周辺国相手に無敗を誇った暴食皇帝リラトゥですら、正面切って戦えば敵わない無双の男。単一宗教を信じるはずの聖国の司祭に、『神懸かり』とまで言わしめた奇跡の肉体。亡国寸前の盤面を一人でひっくり返した、最優の騎士。


 情報収集は怠っていなかった。


 彼の戦いへは全て斥候を向かわせた。彼の軌跡は全て書記官にまとめさせた。噂、うた、その他諸々。全て記録している。彼の能力、限界、それらを調べるすべての努力に、手抜かりはなかったと断言できる。


 だが。


『グォオオオオオオオオオオオオオオ!!』

「階層主……浅層でも巨人が出るとは、油断なりませんね。瘴気の影響でしょうか?」


 クライヒハルト卿は、やはり想像を超えていた。


 黒い肌の巨人と、クライヒハルト卿が相対する。巨人。野蛮で残虐、そしてそれ故に恐ろしく強い上位種族。迷宮に囚われた巨人は知性を失うが、それと引き換えにより強大な力を得る。迷宮第一層の階段前に居座る黒肌の巨人は、知性の代わりにあらゆる武器を弾く鉄の肌を手に入れていた。


 倒せない訳では無い。多くの時、そして費用を費やせば、問題なく勝てる。たかが第一層の、大した報酬も落とさない、迷宮全体で言えば雑魚も良いところの相手に、こちらの労力を費やせば勝利できる。


「(割に合わない。費用対効果に見合わない。そう思って討伐を却下した、鉄肌の巨人)」


 ただでさえ強力な巨人が、迷宮と瘴気によってより大幅に強化された怪物。


「(…………これほどまでに、か?)」


 それが、今やなぜか小さく見える。


 強靭な身体。一挙手一投足は魔術になる、体内に秘められた膨大な魔力。巨大な眼。太い腕。脚。


 それら全てが、クライヒハルト卿と相対するだけでこんなにも儚い。


 まるで、お伽噺の英雄譚のようだ。彼の前に相対した時点で、全てが彼に打ち倒されるべき敵に過ぎなくなる。

 『つよくてわるい巨人が、ある日クライヒハルトの前に現れました。クライヒハルトは頑張って、そいつをやっつけました』。この程度の、陳腐なお伽噺の登場人物へ成り下がる。敵の巨大さ、強さは全て、今やクライヒハルト卿の偉業を彩るスパイスでしかない。そう感じさせるほどの覇気がクライヒハルト卿にはあった。


「ガァアアアアアアアアアアアアアァッ!」

「思えば、貴方も哀れではあります。迷宮に魅せられ、敵を殺し続ける役目を負わされた自我の無い番人……」


 目の前の男が発するただならぬ気配に、果たして巨人は気付けているのか。猛然と距離を詰め、拳を振り上げた巨人がクライヒハルト卿を叩き潰さんと咆哮をあげる。轟音と共に振り下ろされる、ヒト一人を磨り潰して余りある巨大な拳。


「―――せめて、一太刀で終わらせましょう」


 キィン、と澄んだ音が鳴った。クライヒハルト卿の右手が、僅かにブレた。エリザに観測できたのはそれだけだった。


「ガ―――――!」


 ああ、最早語るまでもあるまい。巨人の動きが突如停止した事。訳が分からないと言いたげな顔の下、首筋に赤い線が入り始めた事。既に彼の命脈は絶たれていて、後はいつそれに気付くかだけが問題である事。全て、語るまでもない当たり前の事だった。お伽噺の英雄と敵対した者の、当然の末路だった。


 クライヒハルト卿がきびすを返すのと同時、巨人が首から血を噴き出して崩れ落ちる。巨人から飛び散る血ですら、彼に触れる事は無い。理屈などない。彼が【英雄】だからだ。


「――――ふう。さすがに緊張しましたね」

「ハッ。謙虚さも度が過ぎるとうざったいぜ、クライヒハルト卿」

「いえいえ。これでも今は雇われの身、雇用主に無様な所は見せられませんからね」


 剣を収めてこちらに歩み寄るクライヒハルト卿を見ながら、エリザは脳内で計算を弾く。自分は商人、価値の目利きこそ本領だ。


 クライヒハルト卿の戦力は、やはり想像以上だった。無双の帝国、その進撃を阻んだのも頷ける。むしろ、有利な条件で和平を結ぶことが出来た帝国はまだ幸運だったと言えよう。もしもあと一年……いや、あと半年クライヒハルト卿の出現が早ければ、両国の立場はまるで逆になっていたはずだ。


 異能者の身柄でこの男を動かせたのは、やはり破格の取引だった。この男ならば、必ず迷宮の最奥まで辿り着ける。そうしなければならない。


「王国の連中には嫉妬さえ覚えるね。こっちは条件揃えて対価を積んでようやくなのに、あっちは顎先一つでお前を動かせるんだろ?」

「言い方が良くないですよ、エリザ。王がその様に私を扱った事など一度もありません」

「ああそう、そりゃ悪かった。他意は無い」


 こりゃ、しばらくは王国の時代かもな。エリザはそう内心で考える。


 強大な英雄を抱えた国が、その時代の覇権を握る。人類の歴史はその繰り返しだ。今までは帝国の時代だった。しかし帝国の覇道は止まり、死に体だった王国は回復し始めている。次に訪れるのは王国の時代だろう。


 ならば、その王国は今後どう動くのか。


「(……基本的に、英雄と英雄が直接ぶつかる事は無い。英雄は国防の要だ、万一失えば取り返しがつかない……)」


 凡人ではどうにもならぬ強大な魔物を退治し、国民のとなるのが英雄の仕事である。周囲を魔物や上位種外敵に囲まれた人類にとって、シンプルな『強さ』というのは縋るべきよすがだ。こちらが英雄を出せば、相手も英雄を出してくる。もちろん、勝てば何の問題も無い。だがもし負ければ、あるいは後遺症が残れば、その損失は取り返しがつかない。


 万が一を考えて、英雄は戦争に出さない。それが、長年の歴史で人類が積み重ねた暗黙の了解だった。前戦争でリラトゥとクライヒハルト卿が直接対峙した事など、異例も異例である。


「(だが。このクライヒハルト卿を見て、"他の英雄に負けるかもしれない"なんて王国の奴らが思うか? )」

 

 グラナト王の事は知っている。その周囲の貴族どもと併せて、何の取り柄も無い凡庸な男だ。次代のグリゴールは多少見込みがあるが、むしろこの場合は頭が切れるほど危うい。クライヒハルト卿の力を正確に見積もり、今までの慣習を捨てて周辺国へより積極的な戦争を仕掛けてくるかもしれない。それはある意味、以前の帝国をより強大にした焼き直しとも言えた。


「(リラトゥ相手なら良い。まだ勝ちの目はあった。だが、クライヒハルト卿は……)」


 思案するエリザの指先がふと、チリチリと焼けるような感覚を伝えて来る。【異能】による防護の時間切れが近づいている証だった。


「エリザ? どうされましたか?」

「いや、何でもない。それよりクライヒハルト卿、すまんがそろそろ俺の方が持たない。探索はここらで切り上げさせてくれ」

「おや。構いませんが、まだ一層の階層主を倒したばかりですよ?」

「感覚イカれてんのか? 初回でここまで進めりゃ十分だろ。ま、次回はもう少し厚めに張るさ」


 今回は様子見のつもりで、全てにおいて金をかけなかった。だが、これでクライヒハルト卿の力は理解できた。次回は彼のペースに合わせて、もう少し適切な準備が出来るだろう。


 そう。全ては、『理解』してからだ。彼の性格、戦力、可能ならば弱みすらも。


 研究も商売も、全てはその対象への深い理解から始まる。未知を既知へと変える『理解』こそ、人類が持つ最も強大な力である。欲と金をこよなく愛するエリザは、そう信じている。


「じゃ、転移するぞ。もうちょい近くに寄れ、クライヒハルト卿」


 異能による転移は基本、エリザ本人か"エリザの所有物"にしか働かない。今回はクライヒハルト卿もその範囲に入れているが、それでも彼のような英雄を転移させるのはそこそこ骨が折れた。


「あ、そうだ。おりゃっ」


 ふと何かを思いついたエリザが、クライヒハルト卿の腕を取って胸へ挟み込む。


「こうして密着したほうが安く済むからな。どうだ? クライヒハルト卿。これでも身体のエロさには自信があるんだが」

「……あまりそう、はしたない真似をする物ではありませんよ」

「なんだ、つれねぇなあ。高けぇ金出しても触れさせてやらねえ英雄の胸だぞ? 自信無くすぜマジで……」

 

 瞬間、二人の姿が掻き消える。現実を捻じ曲げる【異能】によって、二人が転移したのだ。



 本日の成果。

 第一層踏破。及び第一層階層主、通称【鉄肌の巨人キュクロープス】撃破。


 前人未踏であった地下大迷宮をいともたやすく攻略する、まさに英雄的な成果であった。


 










「ママ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!」

「うわ」

「死ね……ゴホン。お疲れさまでした、クライヒハルト卿」


 この味が 好きだと俺が 言ったから 七月六日は ママ記念日

 

 め、名句すぎる……。俺が 蔵伊比晴人クライヒハルトの名で現代歌人協会賞を取る日も近いかもしれない。プレバトのお誘い、いつでも歓迎ですよ。


 にしても、今日は本当に疲れた。英雄モードは肩が凝るし疲れるし、なんか終わった後も身体がダルいので基本最悪である。慣れない事をしたせいで蕁麻疹が出る。(自己暗示)キメてるんだろ? くれよ……。

 

 なので、今日のクライヒハルトくんは赤ちゃんモードである。男には、全てを脱ぎ捨てて赤ん坊へ戻りたい時があるのだ。俺は、たまたまその時が今だったというだけである。遅かれ早かれ皆に来る事なのだ。覚悟しておけよ。


 バブ……♡ ママのおててでおなかポンポンしてほしいバブねぇ……♡


「バブ……♡」

「さすがに気持ち悪さが一線ライン超えてない?」

「バブ……?」


 よく分からんバブ。赤ちゃんは欲望に素直なのでこれは致し方ない事バブね。


「オギャ、オギャ……!」

「嘘でしょ……ぐ、ぐずり始めた……!」


 ホエア、ホエア、ホエア……!!!


 ところで、赤ん坊の泣き声は周囲の人にとって本能的に不快な周波数であるって知ってた? 彼らの声に含まれる2000Hz以上の周波数が周囲を不快にさせ、何とか泣き止ませようと駆り立てるのである。サイレンなどもこの周波数を含んでおり、何となく耳障りに感じるのはこれが原因だそうだ。サイレンも泣き声も、とにかく気付いてもらわなければ意味が無いからな。生まれて間もないながらも、生き残るための知恵を持っているには感嘆するばかりである。俺も見習わなくては。


 ……まあ、それと今俺が泣いている事には何の関係もないけど。早くママにお世話して欲しいバブよ。


「どうしよう……ど、どうすればいいの、これ!?」

「マリー様……! ここは、ここは、わ、私が……!!」

「イザベラ……!」


 イザベラさんは一瞬苦虫を千匹嚙みつぶしたような顔で眼をギュッとつぶったかと思うと、次の瞬間には優し気な微笑みを浮かべていた。


 ママ……?


「ほら、こっちにおいでなさい? 私がよしよししてあげますから……」

「ママ……!!」


 なんか……前、『怖がらせてると申し訳なくなっちゃう』とか、『おそるおそるやられても辛い』とか、色々言った気がするけど。

 

 すまん、ありゃ嘘だった。


「バブ、バブバブ……!」

「はい、よしよし……よしよし……偉いですね……よく頑張りましたね……」


 うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!

 実際マジで疲れたから、怖がられてるとかの色々な事が全然気にならなくなってるぜ!!!


 普段はクールな無表情系メイドであるイザベラさんが、今は僅かな微笑みを浮かべて、優しく俺の頭を撫でてくれている。そのギャップも相まって、素直にバブです。


「イ、イザベラ……!」

「良いのです……! 私は、姫様をお支えする事こそが使命……! 今回のクライヒハルト卿は流石にヤバ過ぎです、せめて私が防波堤とならなくては……!」

「イザベラ……!」


 あぁ^~~~~~~~~~~~。

 一瞬耳元が塞がれたので何言ってるか分からなかったけど、そんなのどうでも良いくらいに癒される……!


 小松……!!! 俺のフルコースが今、決まったぜ……!!! この甘さと、フルコースの後の疲れを吹き飛ばす癒し効果! コイツは、ここに決定だ……!


 ヒュウウウウ―――カシィィィィン!

 『デザート』 赤ちゃんプレイ


 ふう……あと3つってとこかな。お前はトリコ?


「……事実、クライヒハルト卿は多大な貢献をしてくれています。本来、いくら王国の異能者が潤おうがクライヒハルト卿には何の恩恵もありません。であれば、私たちがせめて彼に報いなければ……!」

「ありがとう、ありがとうイザベラ……! 弱いあるじでごめんなさい……!」

「よしよし……どうですか、クライヒハルト卿? 癒されてくれていますか……?」

「素直にバブです」

「は?……まあ、癒されているようですね。良かったです。よしよし……」


 服飾にお金をかけているらしいイザベラさんからは、仄かに香水の甘い匂いがする。それが彼女の雰囲気と絶妙にマッチしており、大人の女性に癒されているといった感じで非常に良い。


 耳元で囁かれる優しい声、頭を撫でる白魚のように細い指先。鼻孔をくすぐる甘い香り……。


 えー。

 今回の採点、100点とさせていただきます。




 

「ふう……満足です。ご迷惑おかけしました、イザベラさん」

「死ね……いいえ。クライヒハルト卿の一助となれたのでしたら、幸いでございます」


 ん? 今死ねって言った?


 困るな。罵倒はもっと大声か、耳元でねじこむように言ってもらわないと……。


「……基本的に無敵ですよね、クライヒハルト卿」

「いやいや、美女以外からの罵倒は普通にダメージ食らうので」


 そう言いながら用意されたフカフカの椅子に腰かける。赤ちゃんプレイも終わり、俺はすっかりいつもの落ち着きを取り戻していた。クールガイのクライヒハルトである。


「それで? どうだったの、迷宮は」

「んー……まあ、時間はかかりそうですね。とにかく広いですよ、アレ」


 あのダンジョン、たぶん新宿駅より広い。これはつまり、現代人には踏破不可能という意味だ。


 実際、俺一人だったら虱潰しに探索してもっと時間が掛かっただろう。エリザによる道案内のお陰で迷いこそしなかったが、それでも階層主に辿り着くまでにはそこそこの時間が必要だった。


「でもまあ、エリザの【異能】で行き帰りは一瞬ですし。王国で何かあったらすぐ行けますし、まあ大した事は無いんじゃないかなと」

?」

「え? ああ、はい。たぶん瞬間移動系の異能なんですかね……? 異能には詳しくないので、良く分からないですけど」

「それは今良いわ」


 報告の途中で、マリー様が可愛らしい眉をひそめた。どうしたのだろう。可愛い。


「……随分、商国の英雄と親しくなったようね」

「ええ? いや別に、リラトゥだって呼び捨てにしてたじゃないですか。そんな呼び捨てくらいで……」

「……………」

「マリー様?」

「……ええ、そうね。確かに、私が過敏になり過ぎたわ」


 そう言って、マリー様が頭に指を当てる。まあ、マリー様は頭が良いからな。俺よりよほど考える事が多いのだろう。そんなマリー様の心労を減らしてさし上げるために、俺の出来る事とは何だ……? そう、やはり暴力である。


「マリー様……やはり、半殺りますか……?」

「絶対にらない」

「クゥン……あ、ちなみに。エリザに俺の秘めた巨大なPower……を見せつけるのは滅茶苦茶上手く行ってますよ。何かこう、カッコいい動作で"キィン……"としてですね……」


 巨人と俺が戦ったシーンを身振り手振りで表現する。なんかこう……ワチャワチャってなってる巨人が、俺が手をヒュッってやったら首がスパッして……。こう……すごくて……。


 【悲報】俺、語彙力が無い。


「あの……とにかく、頑張りました」

「途中で説明をあきらめたわね……」


 無理無理。俺にそんな抒情的に語る能力なかったわ。犬としてはご主人様に狩りの成果を自慢したい所だが、ここは一時撤退である。


「もし良かったら今度、巨人の首とか持ってきても……?」

「私が欲しがると思う?」

「い、一応好事家には売れるらしいので……」


 【悲報】俺、プレゼントのセンスも無い。執務室に巨大な生首が転がる光景、確かに蛮族過ぎる。


「とにかく、エリザには超バッチリ牽制しといたので! このまま行けば、エリザもマリー様に手を出そうなんて不敬な考えを抱かなくなると思います!!」

「……たぶんもう、そんな事気にしてるの貴方一人だと思うけど」


 そう言って、マリー様はため息をついた後。


「……まあでも、その気持ちが嬉しいって言っといてあげる」


 少し呆れたように、優しく微笑んでくれたのだった。可愛い!!





 



 

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