第21話
商国に来る前、俺が王国で惰眠を貪っていたある日の事である。
「そういえばマリー様、迷宮って一体なんなんですか?」
無知ッ♡ 無知ッ♡ ムワァ……♡ (薫り立つIQ)
無知フェロモン (何?)溢れるポーズをキメながら、俺はマリー様にそう問いかける。
「…………クライヒハルト。何やってるの?」
「無知の知を全身で表現しています。俺、迷宮に関して何にも知らないので」
「そう。教えてあげるから、今すぐそのポーズやめなさい」
クソッ、
その日は突如発生した迷宮を駆除するべく、迷宮の
なので、マリー様直々に教えていただけるとなれば是非もない。俺は湯気が出そうなほどフェロモンを出していた胸元をしまい、マリー様の足元に座りこむ。
「なんで足元……いや、まあ良いわ。迷宮ねぇ。貴方、本当に知らないの? どれだけ田舎の出なのよ」
「すみません、プライベートな質問はちょっと……」
「何言ってるの?」
すみません、一応
まあ、実際は俺がマリー様のガチ恋ファンな訳なんですけどね。厄介ファンなので楽屋にまで押しかけるぞ。
「正直、常識すぎて何から説明すれば良いか迷うわね……。地下を流れる魔力が堆積して、沈殿して出来た結晶が迷宮の核になり、自然と迷宮が成長していくんだけど……」
「?」
「嘘でしょ? 結構噛み砕いて説明したつもりよ、私」
「ご、ごめんなさいッピ……」
「ピ? ええっと、うーん……つまり、水と一緒よ。地下を流れてるし、どこかに流れ込むと湖とか池ができるでしょ? それと同じで、地下を流れる魔力が集まると、自然と迷宮の核が出来るの。核から漏れ出した魔力に魔物が集まって、大規模なものだと空間すら歪み始める。そうやって出来たのが迷宮なの」
へ〜……一応、鍾乳洞とか洞窟のような物と理解しておけば良いだろうか。前世には無かった概念だ。
「魔力が溜まる原因は、立地とか自然災害とか色々あるわ。あと、もう一つ特筆すべきは【迷宮の主】の存在ね」
「ああ、俺が今日ブチ殺してきたやつ」
「……まあ、ホントはそう簡単に倒せる物じゃないんだけどね。【迷宮の主】は、迷宮の核を飲み込んで強化された魔物のことよ。迷宮核に意思があるかどうかはまだ答えが出てないんだけど、植物レベルの知能は確実にあるってのが定説だわ。自分を守護する生物と手を組んで、共生関係を築くの」
「へえー。生命の神秘ですねえ……」
「貴方が倒したんだけどね。ともかく、迷宮核を取り込んだ魔物はすっごく強力なの。迷宮は放っておけば富を吐き出してくれるけど、管理するのにも限度はある。だからこそ、迷宮の主討伐は英雄の仕事なのよ」
そう言うと、マリー様は報告書を何枚かペラペラとめくる。
なるほど……確かに、そう言われれば確かに強かった気がする。見た目はただのミノタウロスだったんだが、少しタフだったような気がしなくもない。というか、マリー様が言うならきっとそうだったんだろう。メチャクチャ強かったわ (記憶捏造)。いやぁ、苦戦したなあ……。
「別に迷宮の主とか倒さなくても、土地ごと掘削したり埋め立てたりするのはダメなんですか?」
「迷宮の壁は魔力で保護されてるわ。そもそも、さっきの例えになぞらえて言うなら巨大な湖を埋め立てるような物よ? 迷宮の主が黙っているわけも無いし、無茶な話よ」
思い付きを口にしてみたが、マリー様に優しく否定される。ボスをダンジョンごと破壊というのはでんぢゃらす〇ーさんの頃からの伝統だが、そこら辺は対策されているらしい。
「だからまあ、今回も良くやってくれたわクライヒハルト。貴方がいなければ、新たな迷宮の対処にまた沢山の被害が出たはずだもの」
「あざす!!!!!!!」
まあいいや、こんなダンジョン。刹那で忘れちゃった。俺にとってマリー様からのご褒美こそ真実である。
なんか知らんけど今回もマリー様が俺を上手く使ってくれたらしいし、ご褒美にも期待が出来ますねえ。ヒッヒッヒ……。ゲースゲスゲス!
そんなこんなで俺は『ドキッ!? 聖職者だらけのギュウギュウ密着懺悔室!! 神をも畏れぬ不敬が見つかればギロチン確実!?』の方に夢中になり、迷宮の事なんか刹那で忘れてしまったのだった。まあいいかあんなダンジョン。
「……死んだ方が良いのでは? 俺……」
「どうした、クライヒハルト卿。不調か?」
「ああいえ、すみません。ご心配なく、私は万全ですよ」
という訳で現在。私とエリザは、迷宮の入り口に立っている。
迷宮の経験は薄く、かなり前に行った迷宮の主討伐の一度のみだが……あまりにも『俺』の性格と性癖が終わっていて、つい口に出してしまった。一国の王女に性欲を満たしてもらうのは気持ちいいか? 恐らく、『最高です!!!!』と普段の俺は笑顔で返すだろうが。面の皮が厚すぎる。
しかし迷宮と一口に言っても、その規模は様々だ。以前の迷宮は本当に洞窟という風情だったが、今回の迷宮は国一つの地下を丸ごとカバーするほどに大きいらしい。地盤沈下が心配になるが、厳密にいえば迷宮は異界に存在している為、その心配は無いそうだ。
「さて。
「早速ですね。構いませんよ」
迷宮の入り口は商国によって整備されているのか、周囲に松明やランタンが置かれて明るく照らされている。中は暗く見通せないが、入り口の前には複雑な紋様の魔法陣が描かれている。この迷宮を封じる結界だ。
「しかし、良いのですか? 確か、この迷宮が封鎖されているのは……」
「そう、入口付近まで瘴気が上がって来たからだ。瘴気で強化された魔物と変異した冒険者たちで、あの時は中々の地獄だったが……何とか封鎖結界を敷き、瘴気を押し留める事に成功した」
そう言いながらエリザが透明な結界へ触れると、さざ波が立ち、人一人通れるほどの穴が空く。
「心配するな、短時間なら俺の【異能】で弾ける……そしてクライヒハルト卿、瘴気へ【完全適合】したお前へはそれすら必要あるまい」
「ありがとうございます。それでは、行きましょうか。エスコートは必要ですか?」
「ハッ、要らねえよ。王国最強の英雄さまも、ジョークセンスは無いらしいな」
結界を通り、迷宮へと下っていく。
実は瘴気に触れるのが初めての私としては、緊張の一瞬である。エリザにはおくびにも出せないが、私に瘴気への耐性があるなど口からでまかせだ。この肉体があれば、そう滅多なことは起きないだろうが……。
階段を降り、指が迷宮に渦巻く黒い瘴気へと触れる。人を魔物に変え、適合した者の望みを叶えるという瘴気は――――。
「……問題ありません。それではエリザさん、貴女もどうぞ」
「おお……実際に目にすると、やはり驚嘆せざるを得ないな。クライヒハルト卿、お前は本物の怪物だよ」
―――私には、何の影響も及ぼさなかった。力が湧く感覚も、細胞が変異する感覚もない。どうやら、心配は杞憂に終わったようである。
地下へと潜りながら、エリザに説明されたことを脳内で反復する。
この大迷宮は、大昔から商国の地下に存在していた。歴代の英雄たちによって管理され、魔物の素材や魔道具を採取できる"安全な迷宮"だったらしい。
しかし、数年前から異変が発生した。
まず、迷宮内の魔物が強くなり始めた。深層から順に、今までの生息分布とは異なる強力な魔物が出現し始めたのだ。今思えば、この時点で迷宮の奥から瘴気が湧きだしていたのだろう。魔物はどんどんと強力になっていき、異変の原因を突き止めるべく送り込んだ冒険者たちも帰ってこなかった。瘴気に呑まれたのだ。
深層から湧き出た瘴気は迷宮内を満たし、ついには迷宮表層へと到達した。強化された魔物と、大量の元冒険者たちを伴って。突如発生したこの
無論、そこから2,3年で瘴気の研究を進めた事と、その様な状況下でも王国から異能者の血族を根こそぎ持って行った交渉手腕は驚嘆すべき物があるが。
「……”【英雄】ならば瘴気の影響を受けないのでは”という発想は、元からあった。瘴気への耐性は肉体強度に比例する。並外れた頑強さを持つ【
細々と松明によって照らされた迷宮を歩きながら、エリザがそう述べる。
「だが今のところ、俺は瘴気への適合を試みた事は無い。【
「慧眼だったでしょう。この国のトップである貴方が軽々に動いては、国が破綻しかねません」
「その通り。今も、俺は【異能】によって瘴気を弾いている」
商国の英雄、エリザ・ロン・ノットデッドの異能。万能性に特化し、使用時には眼に紋様が浮かぶ。それ以外の全ては謎に包まれている異能だ。
「だからこそお前には驚かされたよ、クライヒハルト卿。こんな物に触れようと思った、お前のその豪胆さに」
「……ええ、まあ。そう褒められると気恥ずかしいですね。」
「純朴な奴だな。半分はバカにしているんだぞ。どれ程の厄物か、一目見れば分かるだろうに」
そう言ってエリザは、唇の端を曲げて少し笑った。
一般に、【英雄】は優れた直感を持つ。第六感、霊感と言い換えてもいい。理屈を無視して正解を導き出す直感、危機を感じ取る鋭敏な感覚。英雄は世界に愛されていると言われるのは、その辺りの事情もあっての事だ。
ちなみにこの直感、私は持っているが俺は持っていない。"俺"は、普段から性癖の事しか考えていない。死んだ方が良いんじゃないか? この主人格……。
「だが、お前の神
エリザが片手を横に突き出し、何かを掴むような動作をする。彼女の腕の先、手の中に魔力が渦を巻いて集まる感覚。
「―――【マイスネルの
エリザがそう呟いた次の瞬間、彼女の手の中にはしわがれて歪んだ動物の角らしき物が握られていた。手の中でガタガタと、獲物に飢えたように震えている。魔道具だ。力ある魔物が稀に落とす、【異能】を宿した術具。
「行け」
そう言って、手にした角を迷宮の奥へ軽く投げる。角は投げた速度と見合わない猛スピードで飛んでいき……数瞬後、奥から魔物の悲鳴と断末魔が聞こえてきた。
「おお……」
「そう感心するな。お前ならこの程度、一息の間に片付けられただろう」
戻って来た角を再び虚空へ送還しながら、エリザが手をパンパンと払う。
「これはな、いわば誠意さ。お前のような英雄相手に、一回の取引でハイさよならでは余りにも惜しい……。秘匿し続けた【異能】の一片と戦闘スタイルを開示してでも、俺も迷宮探索へ積極的に参加する。そういう
「なるほど……。心強いですよ、エリザさん」
「エリザでいい。……そういえばクライヒハルト卿、知っているか? 迷宮内では、男女の仲が急速に進むらしい。 共に肩を並べ、命の危機に立ち向かう環境がそうさせるのだとか……。どうだ? お前が
そう言ってエリザは妖しく舌なめずりをし、少し前かがみになって胸の谷間を見せつけてくる。
……………………。
「やめて下さい。どう誘われたとしても、私の心は変わりませんよ」
「ふぅん……前は効いたと思ったんだが、あてが外れたか」
そう言いながら胸元を直すエリザを見て、内心大いにため息を吐く。
自己暗示をキメておいて、本当に良かった……。普段の"俺"なら、確実に目線の一つや二つブレていただろう。というか『前は効いた』って、以前初対面の時に動揺を見られていたのか。つ、つくづく以前の俺がアホすぎる……。
「まあいい、こういうのは繰り返しだからな。気長にやるさ」
「はぁ……」
迷宮探索中、エリザは余人の入り込めない閉鎖環境で、引き抜き交渉を何度でも行える。これも狙いの一つか? 一つの事に複数の意味を持たせるのは、流石商人らしいと言うか何と言うか。
ただ、王国の英雄として舐められたままではいけない。
「―――――ッ!」
私は足元の小石を拾い上げ、通路の奥へ全力で投擲した。摩擦で赤熱した小石が、空気の壁を破る音と共に飛んでいき……奥から、爆発音が聞こえてきた。魔物の肉が爆ぜた音。
「では、私も微力を尽くしましょう。このように力しか取り柄の無い男ですが、どうぞよろしくお願いしますね、エリザ」
「ハッ……どうも、嫌味な男で困るね。よろしく、クライヒハルト卿」
浅層の雑魚はお互い相手にならない。恐らく大規模な迷宮に存在すると言われる【階層主】や、最奥にて座す【迷宮の主】が問題なのだろう。
「ま、行くか。この先、階層主が問題でな。俺一人では倒せん、クライヒハルト卿へ大いに期待しているぞ」
「承知しました。帰還については?」
「俺の【異能】を使えば一瞬で帰れる。少々高くつくが、お前らには請求しないから安心しろ」
未だ、迷宮は浅層に立ち入ったばかり。
瘴気で強化されているであろう階層主や迷宮の主とは未邂逅であり、瘴気発生の原因は一つも判明していない。
だが、問題はない。私は、王国の英雄なのだから。
仄かな松明の灯りに照らされながら、私はそう決意を固めたのだった。
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