第19話
「クズどもー。報告の時間だ、全員注目」
商国の英雄、エリザ・ロン・ノットデッドは商人であり研究者である。
豊満な身体を白衣で包んだ彼女が階段の踊り場から声をかけると、眼下の研究者たちは一斉に彼女へ体を向けた。
「よろしい。お前らのようなカスでも、パトロンに敬意を払う程度の知能は残っていたらしいな」
商国の中心、
「良い知らせと悪い知らせが一つずつある」
その地下奥深くに、エリザたちは居た。整然とした白い実験室の中、目だけをギラギラと輝かせた餓鬼のような研究者だけが異彩を放っている。
「まず悪い知らせ。王国が『ガス』の存在に気づいた。我々の独占が崩れた訳だ。これはひとえに貴様らの無能さゆえだが、なにか釈明のある者は?」
「「「ありません、エリザ統括長!」」」
「ふん。理想は我々の国だけで解明する事だったが、王国は王国で貴重な研究材料を持っている。惜しみなく情報を与え、しかしその上で一歩先んじろ。いいな?」
「「「承知しました、エリザ統括長!!」」」
声を張り上げる研究員たちを、エリザは満足そうに見下ろす。
今より新しい価値、今より優れた物を求め続ける彼女にとって、彼ら研究員たちは己の手足同然である。彼らはみな知識欲に取り憑かれて社会性を投げ捨てた猿だが、主人が誰かを良くわきまえている点はなかなか利口だった。
「よし。次に良い知らせだ。お前らのような社会不適合者でも、クライヒハルト卿は知っているだろう? 王国歴代最強と名高い彼が、なんと迷宮探索へ名乗りをあげてくださった」
「おお……!」
「では、ついに……!」
「紹介しよう。王国の英雄、クライヒハルト卿だ。全員傾聴!」
エリザが一歩後ろへ下がり、金髪の青年が前へ進み出る。
整えられた髪に、無数の宝飾で飾られた軍服。『彼が戦場で傷を負うなどあり得ない』という信仰によって造られた、見栄えだけを追い求めた
そして何よりも、その存在感。巨大な山が人の形をして現れたような、『生物として異なる』と自然に思わされる覇気。
英雄であるエリザ・ロン・ノットデッドの威圧で慣れていたはずの研究員たちですら、しばし時が流れるのを忘れた。畏敬と共に訪れた沈黙の中、王国最強が静かに口を開く。
「
英雄に似つかわしくない丁重な挨拶を終え、クライヒハルトが再び一歩後ろに戻る。
短い挨拶だったが、それでも心身を丸ごと揺さぶられるような錯覚を研究員たちは覚えた。英雄の声であった。
「分かったかカス共! クライヒハルト卿、およびこちらのグリゴール殿下は我々に出資下さるお得意様でもある。お前らチンパンジーでも分かるレベルの敬意を払い、丁重に施設をご案内しろ!」
同じく英雄であるエリザの一喝で、我に返った研究員たちが慌ただしく動き始める。
「俺のゴミ共が失礼したな、クライヒハルト卿。お前の覇気ゆえだ、悪く思うな」
「とんでもありません。私の方こそ、無駄に気配ばかり大きくて恥ずかしい限りです」
綺麗な笑顔で謙遜してみせるクライヒハルトを、エリザは怪訝そうな眼で見つめる。
「どうかなさいましたか?」
「……いや。初めて会った時とは随分様変わりしたと思ってな」
「ハハハ……あの時は失礼いたしました。つい緊張してしまい……」
「ふうん? そんな殊勝な人間には見えんがね」
「いえいえ、そのような事は……」
笑顔で首を振り、恥ずかしそうに肩をすくめるクライヒハルト。おそらく誰が彼を見ても、本気で恥じらっているようにしか見えないだろう。類まれな演技の才を持つマリー・アストリアと、諜報員の家系であったイザベラ。二人の激烈指導によって磨かれた彼の演技は、円熟の域に達していた。端的に言うと、彼は面の皮が厚かった。
生まれながらに色欲の罪を強く背負った男、クライヒハルト。
エリザ・ロン・ノットデッドの抹殺を心に誓っていたはずの彼が、何故こんなにもにこやかにエリザへ接しているのか。
話は、クライヒハルトが宿屋の一室で大暴れしていた頃にさかのぼる。
どうも。
多頭飼いを絶対に許さない党、党首のクライヒハルトです。多主人飼いは推奨しているので、君も我が政党に清い一票をよろしくな。
俺がエリザ・ロン・ノットデッド滅殺を公約に掲げて大暴れした、その翌日。
何か知らないけど既に会談が終わった (なんで?) らしいので、俺は相変わらず部屋でダラダラしていた。良く分からないが、義兄上が面倒な仕事を先に終わらせていてくれたらしい。流石です。
「クライヒハルト。貴方に、兄上から仕事の依頼が来てるわ」
「え……嫌ですけど……」
仕事……? 犬にはよく分からないワンねぇ……。
「
ソファに寝転がったままそう返す俺を、マリー様はパシリと叩いて平然と話を続ける。
どんどん俺の扱いが雑になって来て嬉しい……。もっと粗雑に、絶対服従の犬をあしらうように扱ってほしい。でも時々愛情を注いで欲しい。複雑な女心とマゾの空である。
「むう……イザベラさんと一緒に、恋愛小説家たちの居宅に突撃する予定だったんですけど」
「キャンセルしなさい、そんな迷惑な予定。というか貴方、そんなにイザベラと仲良かったかしら」
「そりゃ勿論。何度もお散歩した仲じゃないですか」
「違います。私が個人的に立てていた予定です。断り切れませんでした」
「あなたねえ……」
うるせ~~~~~!! 知らね~~~~~~~~~!!
FINAL FANTASY……
呆れた眼でこちらを見る姫様を、可愛い子犬の顔で誤魔化す。これはイザベラさんと更に仲良くなりたいという、マゾ犬なりの純真な思いである。何かこう……なんとなく怖がられている気がするから、俺が全く怖くないという事を分かって欲しいのだ。クライヒハルト犬は噛みません。人馴れしていて、フリスビーとかもすぐに取って来るタイプです。
「(……正直これ、間接的に姫様が原因な気がします……。姫様がクライヒハルト卿の覇気に慣れてきてしまっているから、近くにいればいつか皆慣れると勘違いしてますよ……)」
「?」
イザベラさんが何か言いたげな顔をして姫様を見ている。何だろうか、今日のクライヒハルト犬の散歩を代わって欲しいのだろうか。
「とにかく、クライヒハルト。私には分かるのよ。貴方、いま暇でしょう?」
「う」
「外に出て身体を動かしたい、思いっきり暴れたいって思ってるでしょう?」
「ううっ」
「貴方が本当の犬なら庭に放してあげる所だけど、無駄に図体はデカいんだから。ご主人様の手を煩わせず、少しくらいは自分で発散して来なさいって事よ」
「くぅ~~~ッ……」
ぐ、ぐうの音も出ねえ……! マリー様の俺に対する理解度の高さに、思わずソファの上で身をよじる。やはり理解あるご主人様に飼われるというのは、マゾ……いや、男にとって最大の喜びである。主語をデカくしていくぞ。
そこに居るだけで周囲を発狂させちゃう、生き辛いワタシ……。でもそんなワタシにも、理解あるご主人様がいます。
「マ、マリー様……!!」
「はいはい。商国に来てから最近外に出れていなかったし、迷宮って聞いて少しワクワクしたでしょう? 別に私だって、貴方が少しでも嫌がってるなら仕事なんて振らないわよ」
甘やかされている……! それもダダ甘に……!
「分かりました……! ありがとうございます、マリー様! 俺、がんばります!」
「……逆に不安ね……」
三食昼寝付き、ご主人様付きで姫様の下に就職しているクライヒハルト。これはもう、迷宮だか何だかでもバッチリ働いて成果を出さねばなるまい。やる気が出て来たぞ。迷宮が何かって正直よく知らないが、取り合えず暴力が効くなら俺のフィールドである。
「シュッ、シュッシュ……!」
虚空に向かって拳を突き出し、シャドーボクシングを行う。少々力を入れ過ぎたせいでヴオンヴオンと風を切る音がうるさいが、ご愛嬌という物だろう。
「……それと、クライヒハルト」
「はい?」
シャドーが過熱して空間を削り取り始めていた俺へ、マリー様が真剣な顔をして話しかける。
「こっちに来なさい。大事なことを言っておくわ」
マリー様はそのまま俺の頬を両手で挟むと、重々しく告げた。
「……迷宮は国家の財産よ。どんな理由があろうと、他国の英雄が一人で立ち入るなんて出来ない。迷宮の難易度は未知数だし、たとえ貴方でも、一人では万が一があり得る……。」
「……? はい、そうなんですね?」
実は迷宮ってよく知らないが、まあマリー様がそう言うならそうなんだろう。マリー様が言うなら鴉だって白い。実際、迷宮がよくある俺のイメージ通りの物だとすれば、魔物や宝箱が湧き出てくる空間など確かに国の規制が入って当然である。
難易度についてもその通りだ。俺に迷宮探索の経験は無い。モンスターに早々負ける事は無いだろうが、罠系には少し弱いかもしれない。
……どうなんだろう。やっぱり、探せばエロトラップダンジョンとかもあるのかな。もしあるならダンジョンシーカーに転職不可避なんだが。
「クライヒハルト。真面目に聞いて」
「ごめんなさい!」
「……だから、これは私にはどうにも断れなかったし、かといって兄上の話も国益に適うから嫌とは言い辛いし、貴方も別に嫌がってなさそうだし……」
「マリー様?」
下を向き始めたマリー様の顔を伺うと、彼女はキッと顔をあげての俺を見据えた。
「……つまり。この度の
「―――――」
…………。
…………?
…………!!
クライヒハルトのIQは200ある。聡明な俺は、即座にマリー様の言いたい事を理解できた。
「本当に本当に、ホントに信じてるからね、クライヒハルト……! 貴方が妙な事をしないって……! あなた、リラトゥの前科がある事をよく胸に刻んでおきなさいよ……!」
俺の肩をガクガクと揺らしながら、そう大声で話すマリー様。
「エリザの異能で、毎日こっちには帰ってこれるらしいから……! 今日何があったか、逐一報告してもらうから……! 貴方のご主人様が誰なのか、絶対に忘れないようにしなさいよね……!」
そう語るマリー様の手を優しく握り、俺は柔らかい微笑みを浮かべた。
大丈夫です、マリー様。貴方の言いたい事、この俺は完全に理解できております。
「心配いりません、マリー様」
「クライヒハルト……」
「
「クライヒハルト?」
俺のIQが際限なく高まっていくのを感じる。マリー様の言いたい事が完全に理解できる。いや、マリー様の言葉だけではない。その裏に秘められた意味、身振り手振り、声のトーンに隠された秘密……。それら全てが手に取るように分かる。
「クライヒハルト? 違うわよ? 私は貴方が『エリザ様もイイね!』とかアホな事を言わないように……」
「大丈夫です。何も言わないでください。恥知らずにもマリー様を口説いたエリザを誅し、真の忠義を示せ……そういう事ですよね?」
「違うわよ?」
「何も仰らないで下さいマリー様。全て承知しております。暗く深い迷宮の中では、全てが事故で片付けられる……そういう事ですね?」
「だから違うわよ!! 勝手な陰謀を膨らませないで!」
そう言って首を振るマリー様。なるほど、そういう事か。
「分かりました。違いますね、マリー様」
「ハァ、ハァ……焦った……。分かってくれたのね、クライヒハルト」
「マリー様はあくまで、“もしも”の話をしただけ。勝手な勘違いをして、先走ったのは俺一人だけ……。俺が一人で独自に計画し、自ら進んで実行した。マリー様はこの事に一切かかわっていない。そういう事ですね? 分かっています」
「何にも分かってない!! あとそれ、貴方が責任を取ったら王国が終わっちゃうから!」
国際問題になるって言ったでしょ! と叫ぶマリー様。
なんだ……? おかしいな。俺のIQが震えている……? 落ち着け、俺のIQ。エサなら後で沢山やるから……。
その後。
あーだこーだと色々言い合い、俺はやっと自らの勘違いに気付いた。
昔の任侠映画くらい『殺しはナシよ』って言われたな……。
「ふぅ、ふぅ……分かった、クライヒハルト? 」
「ええ! 完全に理解しました! 」
「つ、疲れた……狂人に倫理を教えている気分だったわ……」
女性を取り合っているからって命を奪う……? 頭がおかしいんじゃないですか……? 動物たちが住む森や自然を守りたい……。
「エリザには俺の"完璧な英雄"である姿を見せ、マリー様を奪い合おうとする気勢をヘシ折る! 完全に理解しました!」
「……もう良いわよ、それで……」
「マリー様を世界で一番愛しているのは俺ですからね! マリー様を想う気持ちなら、エリザだろうが誰だろうが負けません!」
「……まあ、はい。まあ、そうね。はいはい」
そっぽを向いて手をヒラヒラと振るマリー様。紆余曲折もあったが、これで完璧にマリー様の言いたいことを理解できた。俺のIQも身体をブルブルと震わせて喜んでいる。
待っていろ、エリザ・ロン・ノットデッド……。王国貴族を丸ごと騙し切った、マリー様&イザベラさん謹製の"英雄RP"を見せてやる……!
そう決意し、俺は拳を握ったのだった。
そして。
「以前の醜態は忘れて、一からのつもりで仲良くさせて頂ければと……改めてよろしくお願いします、エリザさん」
「……ふん。まあいいさ。握手と行こうか、英雄どの?」
商国の研究員たちが見守る中で、俺たちは握手をした。
ふん、油断していい気になっているのも今の内だ……! 覚悟しろ……! 俺は英雄として完璧に働いて、お前の望む100%以上の成果を出してやるからな……! その時になって後悔しても遅い、せいぜい吠え面かくなよ……!
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