第18話
「ちょっと……! ダメよ、こんなところで……!」
「大丈夫ですよ、誰も来ません。……それに俺、もう我慢できないかも……」
「あ……! こら、やめなさい……!」
「嫌です。……誰か来たって良いじゃないですか、見せつけてやりましょうよ……」
はい。
今の話を聞いて、どんな絵面を想像しましたか?
気弱だけど強引な後輩とのオフィスラブ? 夏祭りに神社裏で敬語男子とイチャイチャ? 年下男子の意外な積極性?
残念ながら全部ハズレです。正解はこう。
「マリー様……! 俺、もう待ちきれません!! 早くそのリードを引っ張って!!! ゴミを見るような眼で俺をお散歩させてください!!!!」
「殺すわよ……!! じゃなかった、いい加減にしなさい、クライヒハルト……! 商国で公開露出お散歩プレイなんてやったら国際問題よ!」
正解は『俺とマリー様がSMプレイについて言い争っている』でした。ご心配なく、『散歩に行きたい犬と行きたくない飼い主』と解答した人には部分点がありますよ。
どうも。新しい場所でマーキングをしたがる犬、クライヒハルトです。犬って散歩したがったり突然動かなくなったり、自由気ままで可愛いよね。俺も可愛いよな?(威圧)
「良いじゃないですか……! 仕事も無くて暇だし、グリゴール義兄上も『たくさん遊んでいいですよ(意味深)』って言ってましたし!」
「人の兄に妙な注釈をつけるのを止めて! 言ってないわよ! お願いクライヒハルト、王国と違って人払いも揉み消しも出来ないのよ……!」
「グルルルルルル……」
商国へ訪れて数日。俺たちは、用意された部屋内で大いに揉めていた。
グリゴール義兄上の言っていた通り、会議に同席する以外には特に仕事がない。それ自体は素晴らしい事だが、そのせいでクライヒハルト犬は暇を持て余している。
人間を魔物に変える『瘴気』。その断片を掴むため、今も義兄上や商国の研究者は奮闘しているようだが……。正直俺って無敵だし、瘴気にも勝つだろ(慢心)。魔物になっても闇墜ちした英雄的な感じでかっこよくなれる予感。
「くっ……犬の室内飼いには十分な愛情が必要なんですよ……」
「口を縫い付けるわよ」
「キャウン!」
そう言って、ドアからスッと離れて首輪も外す。M奴隷の心得として、ご褒美は強要するものでは無いからな……。あくまで卑しくおねだりし、下賜していただくものである。その割には圧が凄かったかもしれんが、まあそこら辺は人によるから。問題なしヨシ!
「はあ……クライヒハルト、あなた自分が【英雄】だって事を忘れてない? そこに居るだけで威圧感というか、覇気があるのよ、覇気が。貸し切りにしてるこの宿ですらギリギリなのに、外に出たら何事かと思ってみんな集まってくるわよ」
「そんな……王国では時々やって頂けていたのに……」
「あれは私の"劇団"が……何でもないわ。とにかく、何かあっても誤魔化しがきく王国とは違うの。外でのご褒美は当分おあずけよ」
「クゥン……」
雨に濡れた犬のような顔でマリー様を見る。その結果、マリー様は濡れた犬が苦手だという事が分かった。俺のようなマゾ犬が好みなのだろう。
「キュウン」
「はあ……ほら、こっちにおいで。外には出れないけど、商国についてなら教えてあげるから」
外に出たいワンと鳴く俺へ、マリー様がぽんぽんとベッドを叩いて誘う。
「ワフ!!!!!!」
これは……膝枕の流れ! よっしゃあ。海老で鯛を釣る、棚からぼた餅とはまさにこの事だぜ。流石はマリー様、アフターフォローも超一流……。
なんか後ろに控えているイザベラさんが『このマゾ犬は……』と言いたげな顔でこちらを見ている気がするが、蔑まれる分にはご褒美なので気にしないでおこう。甘いな……俺は見下されれば見下されるほど喜ぶ男だぜ……。
「ふぅ……この自然さ、このフィット感……俺、膝枕された状態で産まれてきた気がしてきました……」
「はいはい、気味が悪いこと言わないの」
前に膝枕をしてもらって以来、俺はこれにすっかり味を占めていた。膝枕大正義である。それがマリー様へと伝わったのか、その後もこうやって時々膝枕をして下さる。好みの変化を把握してくださるマリー様はやはり至高。
マリー様の柔らかい膝へと転がり、下から美しいお顔を見つめる。女性は見上げた時こそ一番美しいが信条の俺だが、こういうアングルも良いね……♡
「……で、何の話でしたっけ」
「バカ。貴方が商国に興味があるみたいだから、それについて教えてあげるって話よ。イザベラが頑張ってくれたんだから、ちゃんと聞いておくように」
俺のひたいをペチと叩いて、マリー様がベッド脇のサイドテーブルから文書の束を手に取る。商国への興味……? ああ、銃や自動車に目を奪われていたのをそう解釈されてしまったのか。
「商国……の特色についてはもう兄上が話したわね。人が集まり、技術が発展して、その技術にまた人が集まって出来た集合体。複数の商会が自分の名前を入れたがって好きに呼ぶから、国の正式名称すらあやふやなのよ」
「へえー……そんなんでちゃんと統治出来てるんですか?」
「出来てないわよ。当然。商国には自前の軍隊もないもの。武力としては精々複数の有力商会が雇っている傭兵くらい。政府も有形無実で、商会の長たちが合議制で政策を決定しているらしいわ」
なんか……聞けば聞くほど、どっかで破綻してぶっ壊れてそうな国だな。その割に王国に次いで歴史があるらしいってのが意外だが、それも【英雄】の存在によるものだろうか。
「過度な競争を防止するために、特に有力な商会の長が【大番頭】を務める……そしてそこに代々【英雄】が就くというのが、商国の強さの根源よ。誰かが決めるわけでも、引継ぎがあるわけでも無い。ただ、苛烈な競争と技術開発の果てに、何故か必ず【英雄】が惹きつけられ、大番頭の地位に立っている……」
「はー……なんか、そこまで行くと気持ちの良い話ですねえ」
本当に、マジで、言葉通りの意味で"技術立国"なんだな。何度も言うようだが、基本的に英雄などみんな人格破綻者である。そんな英雄たちを、それでも引き寄せるだけの魅力が商国にはあるのだろう。それも、
「じゃあ、今代の大番頭があの人って事ですか?」
「ええ。大商人にして稀代の浪費家、エリザ・ロン・ノットデッド……」
そこまで言って、マリー様は苦々しく顔をしかめた。
「ん? どうかしました?」
「……いえ……そうね、クライヒハルト。一つクイズを出しましょう。さっきも言った通り、商国の特色は発明と芸術よ。帝国は鉱山と肥沃な土地、聖国は宗教と聖地が強み。他の小国にも、その国独自の長所を持っているわ。……だったら、王国の強みは何だと思う?」
「マリー・アストリア様」
「こら。褒めるのはいいけど、真面目に考えなさい」
即答したら怒られてしまった。でもこの膝枕の体勢だと怒っても迫力が出なくて可愛い。もっと俺の首を撫でたり頬をつまんだりして下さい。あと蔑んでください。優しいマリー様だからこそ、『コイツは本当に見下げ果てたゴミね……』と見下されてみたい欲求が常にある。
しかし、王国の強みか……強み……? 正直、リラトゥにズタボロにされた亡国寸前の王国しか知らないしな……。
「え、えー……何だろう……歴史の長さ、とか……?」
「半分正解」
「え、マジですか」
「王国は周辺諸国の中で、最も歴史が深い国よ。つまりそれだけ、【英雄】をその身に抱え込み、尊い血を取り込んできた……。正確に言うなら、王国の強みは"血統"よ。異能者や準英雄を数多く抱え、【英雄】を輩出しやすい名家たちこそ王国の強さなの」
「へぇ〜……」
「つまり私たち王国は、英雄が生まれやすい環境こそが強みよ。だから、血の流出にはかなり敏感なんだけど……」
「なんだけど……?」
そこまで言うと、マリー様は何故かとても言い辛そうに言葉を切った。
「えっと……だから、彼女はそういう"希少価値"とかを欲しがる人で……あと、何というか……」
「……?」
「その、男も女も両方好きって人なのよ。だから、大金を積まれた貴族たちが何人も引き抜かれて……私も一回連れ出されそうになったから、何となく苦手なのよ」
「殺す!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
お……俺の悪い予感、全部当たってたじゃねーか!!!!!!!!!!!
見るからに性に奔放だったし、マリー様を見て(?)百合に目覚めている!!!!!!! こ……殺す!!! ここは文明人らしく、暴力で決着をつけるしかない!!!!!!
「This is the knife that will kill you (このナイフは貴方の血に飢えています)……」
「な、なんか分かんないけどクライヒハルトがまたおかしくなってる!! 」
怒りによって英語力が爆上がり (当社比)した俺の狂乱は、「国際問題!!」と叫ぶマリー様によって必死に止められ。首輪とリードで大人しくさせられるまで、俺の暴走は続いたのだった。
「いらっしゃっせー。そこに座れよ、いいソファだぜ」
「……どうも。おや、確かに座り心地が良いですね」
控えめな照明の灯りがゆらゆらと揺らめく一室。
さり気ない香木の匂いがたちこめる一室で、商国"大番頭"エリザ・ロン・ノットデッドと、王国第一王子グリゴール・アストリアは向かい合った。
「明後日と、そう言っていた気がしたのですがね」
「あ? あー、予定が変わった。ちゃんとお前には伝えたろ?」
一切悪びれることなく机に脚を乗せるエリザに、グリゴールはポケットから一枚の紙を取り出してヒラヒラと振る。
装飾の施された薄い紙には、黒いインクでグリゴールを呼び出す文言が書かれていた。
「いつの間に入れたんですか、これ? 驚きましたよ。王家の一員として、そう易々と気を抜くような教育は受けてこなかったんですが」
「知らねー。ま、いわゆる一つのデモンストレーションって奴だな。その紙はクライヒハルト卿と対面していた時に入れた。俺にはそういう事が出来るって訳だ」
「……………」
「入れる場所は喉元でも良かったし、物は剃刀でも良かった。
舌を出して小馬鹿にしたような顔で笑った後、エリザは大仰に脚を組み替える。
「じゃ、昨日の話の続きと行くか。
「なるほど。クライヒハルト卿とマリーは?」
「あの中で一番頭が良いのがお前で、一番情報を持ってるのもお前。アワアワ慌ててる雑魚と何がしたいのかも分からん馬鹿が二人。こうすんのが一番合理的だろ」
グリゴールは一瞬、その彼女こそ自分を押しのけて次期女王となる者であることや、クライヒハルト卿へのフォローの言葉を出そうとしたが……。
「……………。まあ、そうですね」
わざわざ情報を漏らす必要もない事、そしてクライヒハルト卿の奇行について何も言い訳が思い浮かばなかった事を理由に口を閉ざした。グリゴール・アストリアの悪癖。それはこのように『後から説明すれば分かってくれるだろう』と勝手に判断し、周囲への配慮が欠ける事である。
数刻後。
「へぇ……『瘴気』ねえ。良い名前だ、ウチも使わせてもらおう。瘴気発生時のレポートは?」
「こちらに。通常の魔物と比較した結果もこちらです。非常に強力な魔物と化していますよ」
「ふうん……良いね。こういうバケモノって感じの外見は好きだぜ。解剖はしていいのか? まさか道徳がどうとか、馬鹿みてぇな事言うなよ?」
「まさか。ただ、どちらにしろ無理ですね。既にこちらで行ってしまいましたから」
「へー、やるじゃん。王国にもまだマトモな研究者が残ってたか。ウチに寄越せよ、そいつ」
「それも無理ですよ。許可を出したのは、魔物と化す直前の彼本人でしたからね」
軽い情報交換を終え、二人の会談は想像以上にスムーズに進んでいた。
「資金」
「半々、経費は俺たちが持つ」
「研究成果は?」
「合同研究中は共有。その後は勝手に」
両者の感性が近いという事が一つ。王国が教えを乞う側であるという認識を二人が共有している事が一つ。そして一番は、二人が以前からの知り合いであったという事が理由として挙げられるだろう。商国の大商人と、王国の第一王子。商国の英雄は代々、人間相手にも気さくに接するという伝統もあり、両者の親交はそれなりに長く続いていた。
「にしてもまあ、お前ら王国がしっかり生き残るとはねえ。帝国が勝つとばかり思ってたから、儲けそびれたぜ。次はお前らの番だって聖国を煽ったりしてたんだがな」
「全くです。私ですら驚きましたよ。てっきり自分は、生贄として皇帝に喰われるものとばかり」
「ケッ。弱り切ってウチに来たら、幽閉してこき使ってやろうと思ってたんだが。土壇場で新たな英雄を見いだしたあたり、王国もまだツキに見放されて無いらしい」
そう言って、エリザはおどけたように両手を広げた。
「【魔人殺し】のクライヒハルト卿。噂にゃ聞いてたが、間近で見るとやはり別格だ」
「ほう。商人である貴方の眼から見てもそうでしたか。それはそれは、私の妹は良い縁に恵まれたようです」
得心したように頷くグリゴールへ、エリザは不思議そうな目線を送る。
「妹?あー……誰だっけ……あの、お前の隣にいた……」
「マリー・アストリアですよ。覚えていないのですか? 貴方が以前口説いた事もあるのですが」
「ああ? 忘れるだろ普通、そんなの……」
エリザにとって、女とは資産価値と数が全てである。青い血だけを求めて口説いた大量の女たちの内、靡かなかった者の事など覚えているはずも無い。
女は消耗品。柔らかな肌でもって己の欲を満たし、満足するためのおやつである。それがエリザの恋愛観念であった。
「そうだ……問題は、クライヒハルト卿だ……」
以前の女遊びが回りまわって一人の英雄に殺意を抱かれている事など思いもよらず、ゆっくりと顎をさする。
「エリザ?」
「もう一度、さっき聞いた事を言え。クライヒハルト卿は、"銃"と"自動車"に興味を抱いたと?」
「……? ええ」
「確かにあれらは画期的な発明だったが、俺たち商国にとって『画期的』など褒め言葉にもならない。無数の、最新の、最高の発明たちがまだまだあったはずだ。例えば"防火魔導陣"や"空飛ぶマント"は? "消えないランプ"は? 変わり種では"魂の存在証明"を試みた論文なんか、俺は粗削りながら面白いと思っている」
「私も読みましたよ。内容はほぼ著者の妄想でしたが、しかし興味深いものでした」
「どうも。しかしお前の話では、クライヒハルト卿はそれらに興味を一切示さなかった……どころか、何が新しいのかも理解できなかったようだな」
「そこまでは言っていません。便利な物だと喜んでいましたよ」
「………………」
沈黙。
良く回る舌と鍛えられた眼を誇りにするエリザが、このように黙り込むことは非常に珍しい。窺うように小首をかしげたグリゴールを手で制し、静かに天井を見上げる。商人としてのポーカーフェイスからは、その中でどのような思考が行われているかをうかがい知ることは出来ない。
豪華な装飾がほどこされた天井をグリゴールがひとしきり堪能した所で、エリザが呟く。
「…………瘴気。そして、クライヒハルト卿……誰かは知らないが、随分と良い運を持ってる奴がいるな……」
何を? とグリゴールが内容を追求しようとしたところで、ガバリと起き上がる。豊満な胸が揺れ、戻って来たその顔はいつも通り、無限の強欲に衝き動かされて爛々と輝いていた。
「取引をしよう」
「おや」
「まどろっこしいのは嫌いだ。お前ら王国は、異能者も準英雄も
「流石、大商人のエリザ・ロン・ノットデッド。その通りです」
「お望み通り援助してやる。俺がお前らから買った、幾つかの異能者の女ども。あれを破格の値段で返してやるよ」
「なるほど。血が絶えかけている幾つかの貴族にとっては、これ以上なく有難い申し出でしょうが……」
そこまで言って、グリゴールが訝しげに眼を細める。
「しかし、値段は?」
「決まってんだろ。勿論、クライヒハルト卿だ」
王国の騎士。世界最強の英雄、クライヒハルト。彼以上の"価値"など、今のお前らは持っていない。そう言いたげに、エリザは肩をすくめる。
「言っていなかったが、俺たちは既に"瘴気"について研究していた。『ガス』とウチでは呼んでいたが……それに関する事で、クライヒハルト卿に依頼がある。それをタダでやってくれりゃあ、女なんぞ何人でも都合してやる」
「……ほう。それで、依頼というのは?」
「商国の地下……その奥深くに、一つの国が丸々入るようなデカい空洞がある」
グリゴールの言葉に、エリザは満面の笑みを持って答えた。不良債権が片付くことは、商人にとって大きな喜びである。
「そこに巣食う、【地下迷宮】の探索。それが、クライヒハルト卿への依頼だ」
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