うさぎ暮らし

川中島ケイ

うさぎとの暮らしと、永遠の意味を知る。

 うさぎという動物と一緒に暮らし始めて、18年と半年になる。初代をウチに引き取ったのは私が二十歳ハタチをいくつか過ぎたころだからもう、人生の半分近くを「うさぎが居る生活」を送っている計算だ(と書くと歳がバレますねw)


 初めはとても適当な理由からだった。


 父が病気で亡くなって地元に戻った私と母の二人だけの暮らしになった当時、私は飲食店に勤めていた。朝8時から仕込みに入り、ランチタイムが終わると長めの休憩があって、ディナー営業が終わって閉店すると22時。それが土日を含む週6勤務という、一般職に比べると拘束時間が倍以上になる業種だ。


 父が亡くなって葬儀やらあれこれが終わり、何もする気力が湧かない母を一人家に残して勤めるには完全に不向きな仕事であり、家に帰った時に母から「なんかもう、お父さんのに行きたいわ」という言葉を聞く度に不安になっていたのを覚えている。


「うーん。そうだねぇ、犬でも飼ったらどうかなぁ?」


 私は少し思案したのち、解決策になるかと思って提案してみた。我が家には私が子供の頃、雑種の中型犬が居たから犬を飼うことに抵抗は無いはずだ。


 ところが母は


「嫌よ、毎日朝晩散歩に連れて行かないとでしょう? それ?」


 まるで自分には面倒を押し付けるなという口調だ。では今度は猫でも、と提案すると


「嫌よ猫なんて。家じゅう引っ掻き回されるでしょう?」


 今度は『猫』ときたもんだ。いったい誰のために提案してるかわかってるのだろうか、この人は。



 他の選択肢が無いか考えながら足を運んだペットショップで見かけたのが、我が家の初代うさ様との出会いだった。


 これなら朝晩の散歩の心配もいらないし、家を引っ掻き回される心配もない。鳴き声でのご近所トラブルもゼロ。完璧じゃないか。私は飼い方をロクに調べもせずに、衝動買いのようにそのまま彼を家へと勇み足で連れ帰った。



 しかし、飼ってみるとそんな事は全然なかったのだ。



 確かに家の外に散歩に連れていく必要はない分、毎日朝晩、部屋の中を走り回らせるタイムを作ってあげる必要があった。


 それもうさぎは、野生では肉食動物が動き回る日中を避けて明け方に動き回る生き物。当然の権利を主張しているだけという顔をして朝も4時5時からゲージを噛む音で起こされる。


 こちらは眠いもんだから放っといて部屋を走らせておくといつの間にかPCのマウスや携帯の充電コードなんかを嚙みちぎられる。


 人が寝ているベッドの上まで突撃してきて顔を踏まれ生傷を付けられる。


 やっと走り回るのに満足して人の枕元でおとなしく撫でられて休んでいたかと思いきや、おしっこをまき散らして去っていく。


 まさに犬と猫のデメリットを足して全く割らないような、凶悪な存在である。



 しかし何より一番凶悪なのは、そんな行動もすべて許せてしまうその『可愛さ』だ。


 餌の時間になると後ろ足で立ち上がって「ご飯まだー?」とこちらを視線で追いかけてくる姿とか、撫でられて気持ちよさそうに目を細めている姿だとか、そのモフモフの手触りは抗いがたい魅力に満ちていて。


 どれだけ嫌がらせを受けて「もうこんなヤツ知らないっ!」と思っても、ついつい次の瞬間には許せてしまうのだ。まさしく『可愛いは正義』である。


 おかげで朝寝坊はだいぶ減ったし、部屋はちゃんと片づけるようになったし、ベッドのシーツも頻繁に洗うようになった。


 そして私のスマホの画像フォルダは彼の画像で埋め尽くされるようになった。親馬鹿ならぬうさ馬鹿ここに極まれりだ。私は決して飼い主などではなく「うさぎ様に仕えさせて戴いてる身の上」なのだと痛感し、彼のどんな難題にも「しょーがないなぁもう」と言って対応しながら暮らしていた。



 こうして私は初代うさ様と愉快に、それなりに平穏に暮らしていたのだが、そこは人とうさぎ。命の長さが全く違う生き物である以上、どうしても避けられないものがあった。そう、老い寿命とである。


 7歳を迎える頃には平衡感覚の病気でヨタヨタとした足取りでしか動き回れなくなって、9歳の頃には背中に瘤のような癌が出来て寝たきり。1日、1秒でも長く一緒に生きれる時間をと願って止まなくて。


 その度に彼がまだ若くて病気なんて無かった頃、仕事にかまけてケージに閉じ込めっぱなしだったことに対する後悔がこみ上げてきて。


 そんな後悔と切ない気持ちと共に生きれる時間の尊さを私に伝えて彼は、10歳を迎えて1か月後の、春が来る前の寒い日に月へと帰っていった。



 私は自分の半身が既に、この世のどこを探しても無くなってしまったような痛みと後悔を抱えながら、夜になると月を見上げて泣いていた。そこに月が出ていても、出ていなくても。彼はそこに居るはずだったから。



 そんな姿を彼が見かねたのか、それともただの偶然なのか、先代と本当にそっくりな姿をした今の相棒と巡り会えたのは2か月後。予定が潰れてたまたま寄った他の街の、閉店間際のペットショップでだった。


 こちらの気配に気づいて駆け寄ってきたその姿を見た時の衝撃は、今でも覚えている。これこそ運命だ、と思った。


 今度はその衝動に任せてではなく、2週間、ホントに必死で悩んで考え抜いて、覚悟を決めて彼を迎えに行くことにした。


 月へ帰っていった大切な子の事も、新しく迎える子の事も、どちらも同じように好きで居続ける。


 そして先代との日々で残してしまったような後悔は、絶対にしない。一緒に居られる時間を大切に大切に扱いながら日々を過ごす、と。そう決めたのだ。



 そうして色々なトラブルを乗り越えて今、2代目の相棒との日々が8年目になる。今度は仕事以外の時間は何処に居て、何をするも一緒だ。今もキーボードと向き合っている私の後ろで丸まって、こちらに聞き耳を立てている。


 寿命からすると一緒に居られる期間はあと多くて数年だけれど、今度はどんな終わり方を迎えたとしても後悔しないと、はっきりとそう言える。それは。




 私は、物心ついたころからずっと「永遠」というものについて考えてきた。


 私を子供の頃可愛がってくれた祖母が亡くなり、子供時代を一緒に過ごした愛犬が亡くなり、私の夢を応援してくれていた父が亡くなり。そんな中で「どうせ亡くなってしまえば何もかも消えてしまうのに、どうしてそんなものを大事に抱えてしまうのだろう?」と、そんなことをずっと考え続けていた。


 でもそれがこのうさぎ暮らし18年の中で、初代を亡くした喪失と、そこから後悔の無い日々を過ごそうと決めた時間の中で、ようやく掴めつつある気がする。


 例えば数カ月先に今の相棒が老いと衰えで月に帰ってしまったとしても、私が不慮の事故で命を落としたとしても。


 眠る前に彼が私の枕元に来て、顔を近づけて気持ちよさそうに撫でられているのを眺める時の充足感、お互いが幸せだと思っているのを実感できる瞬間は誰に伝わることが無くても、まさしく『永遠』なのだと思っている。


 儚く一瞬の様に過ぎ去る人生の中の、ほんの短い時間だけにしか感じる事のない感情。もしかしたら明日には消え去って二度と手に入ることが無いかもしれない感

情だとしても。


 それは何物にも代えがたくて、何一つ欠けた部分など無くて、心が完璧な平穏に満たされる感じ。上手くは言葉にできないけれど、こんな感情の事を『永遠』というのかもしれないと。少なくとも私にとってはこれこそが『永遠』というものだと、最近になってようやく感じる事が出来ている。


 私の人生にとってのそれを知るきっかけが、恋愛でも結婚でも子供でも無くて『うさぎ』なのが何とも言えないところではあるのだが。



 こうして私は限られた『永遠』を一秒でも長く続けるために、うさぎ飼いという生き方を今日も続けていくのだ。毎日の掃除や後始末に大量に時間を取られながら。


(了)

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