第十六話

「ロイレンさんが将軍の射程内に入りました。ですが今の狙撃で将軍はさらに周囲に兵を集めましたね。やはり射線は取れていません」


 狙われそうな指揮官クラスの人間とも距離を取ろうとしているようだ。しかしその内の一人がまた銃弾に倒れた。


「あ、将軍が何か指示を出してます……まずい! ロイレンさん、ロイレンさん!」

「どうした、ようへい!?」


「将軍の視界内での狙撃が多過ぎました。ロイレンさんがヒットアンドアウェイせずに一カ所に留まって狙撃してるんです。あれでは位置が掴まれてしまいます。ロイレンさん、応答して下さい! ロイレンさん!」

「はい、なんでしょう?」


「大至急その場から離れて!」

「ですが将軍は目の前です。このまま狙撃を続けます」

「ロイレンさん、ダメです! 逃げて!」


 ドローンはライフルを構えるロイレンと、彼女に近づく一人の帝国兵の姿を映し出していた。ソイツはどう見ても手練の兵士だ。動きが他とは全く違う。


 彼女は将軍を討ち取ればラビレイ王国の勝利でこの戦が決すると考えているに違いない。だが俺たちには、いや、俺にはロイレンが殺されたら勝利などなんの意味もないのである。


「ロイレン俺だ! 今すぐ離脱しろ!」

「旦那様! もう少しなんです。もう少しで将軍の頭が見えそうなんです!」


「ダメだ! 離脱だ!」

「見えましたっ!」


 ターンッ!


 銃声の直後、将軍のこめ髪から血が吹き出した。だが、今の射撃で敵兵も完全にロイレンを捉えていたのである。


 敵兵は無言のままロイレンに斬りかかった。それに気づいた彼女は咄嗟に身をよじってライフルで剣を弾いたが、左肩に裂傷を負わされてしまう。


「くっ……!」

「なんだその黒い剣は!? もしや王国の新たなる弓なのか!?」


「将軍は仕留めました。降伏して下さい」

「戯れ言を! そうか、アドシェッド伯を討ち取ったのも貴様か!!」

「あれは……そうです。私です」


 一瞬の間を置いて、彼女は名乗り口上を上げた伯爵を討ったのは自分だと答えた。おそらくブリアナの存在を漏らさないためだろう。


「洋平! アイツをなんとか出来ないか!?」

「テーザー銃搭載のドローンを向かわせてますが間に合うかどうか分かりません!」


「今映像を送ってきてるドローンでなんとかしろ!」

「無茶言わないで下さい! あれには攻撃能力はありません!」

「くそっ! ロイレン、殺されるなよ!」


 俺の声が届いたのか、彼女の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。


「旦那様、申し訳ありません」

「なぜ謝る!?」


 死を覚悟したというのか、ロイレン。やめてくれ、そんな言葉は聞きたくない。


「おい、なにを独り言を呟いている!」

「ここを覗けば将軍の様子が見えます」

「なんだと!?」


「見れば将軍が亡くなったことが分かるでしょう」

「そんな手に乗ると思うか? 確かに混乱は起きているようだがこんなところから将軍閣下を討ち取ったなどあり得ん!」


「アドシェッドとかいう人は討ち取りましたよ」

「そうか。だがそんなことはもういい。お前を殺してその新たなる弓を持ち帰らせてもらう。死ね!」


 兵士が剣を振りかぶる。瞬間、ロイレンはないを投げつけたが、難なく躱され剣が振り下ろされた。


「洋平! まだか!!」

「ダメです! 間に合いません!」


 ターンッ!


 洋平が叫んで目をそらした直後だった。兵士が振り下ろした切っ先が彼女に届く寸前、銃声とともに砕け散ったのである。


 驚愕に目を見開き、ライフル弾が飛んできた方向に目を向ける帝国兵。そして再びの銃声。彼は眉間を撃ち抜かれ、膝をつき、力なくゆっくりとその場に突っ伏したのだった。


「ブリアナ……か……?」

「ブリアナちゃん!」

「ブリアナさん!」


「間に合ったみたいですね」


「ブリアナよくやった! 至急ロイレンを救助してくれ! どうやら気を失ってしまったらしい。安全な場所まで避難したら薬品を送る」

「分かりました」


 戦争は将軍と多くの指揮官を失い、大半の徴募兵が逃げ出してしまった帝国軍の大敗で決した。ボラント辺境伯は機を見るや間髪を入れずに追撃戦に転じ、帝国の国境領主シハール辺境伯を降伏させてシハール領を占領したのである。



◆◇◆◇



「いったいあれはなんだったのか……」


 私はボラント辺境伯領主、カイル・バーナード・ボラントである。


 あれとは、ヒルス帝国との開戦直後に名乗り口上を上げたミケル・アドシェッドという伯爵が突然討ち死にしたことだ。そしてそれを皮切りに敵将のみが、まるで狙い澄まされたかのように次々と討ち取られていった。


 シミオン・ファーガス・ラビレイ国王陛下は援軍を遣わせて下さったが、その数はおよそ一万。我が辺境伯軍全軍の五千と合わせても敵勢力三万の半分でしかない。加えて東方のデルリオ男爵領の動きもきな臭かった。


 兵を集めているのは分かっていたが、援軍に駆けつけてくる様子が見えなかったのだ。万が一デルリオ男爵が帝国に寝返りでもしたら我々は背後から不意を突かれることとなり、大混乱に陥っていただろう。


 幸い日和っていただけだったようで帝国軍と挟撃されることはなかった。もっとも大勢を決するまでが一瞬だったので、参戦するタイミングを失ってしまっただけなのかも知れない。哀れなことではあるがあそこから参戦されて功を述べられようものなら、私は男爵を無礼討ちにしていたことだろう。


「敵の将軍まで討ち取ったのですからその者には多大な功績があると申しますのに。名乗り出てこないとは不思議で仕方ありません」


 私が産まれる前から我が辺境伯家に仕えている執事、ヘイウッドの言である。齢六十四になったそうだがまだまだ現役でいてくれる頼もしい同志であり戦友だ。紅茶を二人分用意し、ヘイウッドはローテーブルの向こう側のソファに腰掛けた。


 普通の貴族家であれば主人の許しなく腰掛けるなど考えられないだろうが、私と彼の仲は主従というより兄弟のそれに近い。つまりこれが自然体であって、屋敷の者たちが見ても驚かれることもないのである。


 そして彼は私が戦に赴く際には必ず鎧を着て、脇を固めてくれていた。


「全くだ。名乗り出れば叙爵は間違いなく、領地も王都近くに得られるかも知れんというのにな。お陰でシハール領を占領しただけの私が一番の武功者に祭り上げられてしまったではないか」

「よいではありませんか。そのせいでヒルス帝国を侵略すると仰せだった陛下に思い留まって頂くことが出来たのですから」


 一番の功労者と思われたからこそ意見が通ったと思われるが、なんとなくしっくりこない。シハール辺境伯はこの戦でヒルス帝国が負けるとは微塵も考えておらず、ほぼ全軍を指揮して参戦していたのだ。


 ところが蓋を開けてみれば例の不思議な力で本人は戦死。シハール領は無条件に降伏するしかなかったのである。


「今回の戦では人的被害もほとんど出ませんでした。もっとも敵方にもあまり被害はなかったようで残念でしたが」

「徴募兵など殺しても数が減る以外の益はない。多少は国力に影響するだろうが、勝てば敗戦国の民が手に入るのだからな」


「仰せの通りですね。ですが我が国の徴募兵たちは運がよかったと言えましょう」


「だな。我らに従軍した彼らには帝国から支払われる莫大な賠償金から、功績がなくとも戦勝祝い金が支給される。しかもかなりの額だ」

「閣下への褒美はなんと?」


「これは陛下から内々に言われたので他言無用だが、日和ったデルリオ男爵に対する処分で領地を召し上げると仰せになられた」

「ではそれを閣下が?」


「決定したわけではないが隣接しているからおそらくな。かの領民は圧政に苦しんでいるようだし、一助になればとは思っている」

「閣下は領民思いですね」


「辺境伯領などというところは人がいてナンボだ。領民が少なければ国境など護れんさ」


 人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、あだは敵なり、とはかつて神より神託として賜ったと伝わる尊いお言葉だ。私はこの神託を信じ、辺境伯領に城を建てず屋敷で暮らしている。


 この領地が山々に囲まれた天然の要害であることも理由の一つだ。


「それにしても、あの破裂するような音はなんだったのでしょうな」

「分からん。分からんがあの音と敵将の討ち死にには関係があるに違いない」


 開戦後に何度も聞こえた何かが破裂するような音。あれこそがもしかしたら本当に神による天罰だだたのかも知れない。いや、そうでないと説明がつかないのである。


 今回の戦での人死には敵味方合わせても考えられないほど少数だった。そして数日から数週間に及ぶと予想された戦いもわずか一日で終わってしまったのである。


 もしかしたらあちらこちらに軍を進め、他国を隷属させてきた帝国に神の怒りがもたらした奇跡だったのではないだろうか。改めて考えてみると、自分の言葉で陛下が侵攻を思い留まったのも神のご意志が働いたのかも知れない。しっくりこなかったのはそのせいだったか。


「ヘイウッド、教会に行くぞ」

「戦勝への感謝を捧げるのですね。お供致します」


 戦勝への感謝ではない。終戦への感謝だ。しかし私がそれを口にすることはなかった。



◆◇◆◇



 あの戦争から七日後、ロイレンとブリアナが帰ってきた。往時より日数がかかったのはロイレンが負傷していたからだ。彼女もブリアナも特殊訓練のお陰で多少の医療行為が可能だった。斬りつけられたロイレンの左肩を縫ったのはブリアナである。


 とにかく二人とも生きて帰ってきてくれてよかった。


「ヒルス帝国は将軍と多くの将を失ってかなりの痛手を被っただろうな」


せき先輩の言う通りですね。オマケに領地まで取られてしまいましたから」

「帝国から和睦を申し出てきたとか」


「はい。でも最初は受け入れようとはしなかったみたいです」


 侵略戦争を仕掛けておいて、負けたら和睦を受け入れてもらえると思っているのかと、ラビレイ国王はカンカンだった。このまま軍を進めてヒルス帝国を滅ぼすとまで言っていたほどだ。


 しかしそこで飛び出したのが、今回の戦で一番の武功を挙げたとされているボラント辺境伯の言葉だったのである。


此度こたびの戦は我が方に神が味方してくれたから勝てたようなものです。あのような大勝は神のお力添えなしにはなし得なかったでしょう」

「神が味方しただと?」


「狙い澄ましたように敵将が次々と討たれ徴募兵は壊走。残された正規兵も士気を奪われ多くが降伏しました。これが神のお力と言わずなんと言えましょうか。

 陛下、神は侵略を望んではおりません。もし我々が帝国に侵略戦争を仕掛けたなら、次に大敗を喫するのは我が国でしょう。ここは占領したシハールを返還し、和睦の条件として賠償金を支払わせるのが得策かと存じます」


 結果としてボラント辺境伯の言葉通り、ラビレイ王国はヒルス帝国との和睦に応じたのである。


「ところではるとしは?」

おおうち先輩はロイレンさんに付きっきりですよ」

「あー、ま、仕方ないか」


 そして俺は今、ベッドに横たわるロイレンにキャラメルポップコーンをあーんしている最中だ。


「自分で食べられますから。恥ずかしいです」

「ダメ! 離脱しろって命令を聞かなかったバツ!」

「そんなぁ……」


「ブリアナはよくやってくれたね。いい子いい子」

「ふふふ。旦那様……」

「ん!」


 ブリアナとは唇を交わす。


「ブリアナ、ずるいです! 旦那様ぁ、私にもちゅうして下さいぃ!」

「傷が完治したらね」


「も、もう治りました! ほら、ほら……いたた」

「こら! 無理したらダメ!」


「でも、将軍を討ち取ったのは私ですよ」

「確かにそうなんだけど」

「でしたら私にもご褒美のちゅうをして下さい!」

「んー、でも無事だったとは言えないからなあ」


「旦那様のご命令は大業を成し遂げ必ず帰ってこいでした。ちゃんと帰ってきたじゃないですかぁ」


「旦那様、ロイレンにもちゅうしてあげて下さい」

「ブリアナ?」


「ここに帰り着くまでロイレンたら、旦那様に怒られる、旦那様に嫌われると、そればっかり気にして泣いてたんですから」

「そうなのか?」


「ちょ、ちょっとブリアナ!? 言ったらダメだってば!」

「もう言っちゃいました」

「うー、恥ずかしい……」

「そっかそっか」


 俺はベッドに腰かけてロイレンの肩をそっと抱き寄せた。もちろん怪我をしている左肩には負担をかけないようにである。


「旦那様……?」

「ロイレン、目を閉じて」

「へっ!? あ、あの……」


 顔を近づけると真っ赤になりながらもギュッと目を閉じた彼女の柔らかな唇に自分のそれを重ねた。最初の時にブリアナも同じように恥ずかしがっていたので不思議に思ったのだが、特殊な訓練の中に男性を籠絡するようなものは含まれていなかったそうだ。


 つまり二人とも俺とのキスが初めてということである。


「旦那様……」

「ロイレン……」

「もっとぉ……」


 とろんとした表情のロイレンはとても可愛かった。

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