第2話 神様とお嬢様

◇ ◇ ◇




 ヴン、と機械的な音声に揉まれながら、ふと気が付けば知らない場所に立っていた。

 天と地の境すら見当たらない、一面真っ白な空間。それでも確かな感触を足裏に感じる。

 

 掌をグーパーグーパー。

 瞼をぱちぱち。

 最後に、頬をぎゅっと抓ってみる。


「これは、すごいわね……」


 素直に驚く。


 変哲のない殺風景な場所だけれど、視ることはできる。

 手を叩けば、ぱん、と破裂したような音がちゃんと聴こえてくるし。

 頭で考えて、体を動かすことだってできる。

 おまけに痛覚まできちんとある。ある程度の制限は施されているみたいだけれど。


 肉体の再現性がとても高いわ。


 まるでゲームとは思えない、そんな代物ね。

 いちゲームとしてのデバイスとして終わらせてしまうには惜しいくらいよ。

 使いようによっては、父様の会社でも運用できそうね……。

 いや、それ以上――


「例えば医療用だったり、学習用としての活用法。犯罪などで悪用されてしまう可能性も――」


 経営者の一人娘としてつい考え込んでしまっていた。

 そんな私の背後から、キンとした少女の声が響いてきた。

 

「こーん、にーち、わあ!」


 硝子のように透き、花のように明るい声だった。

 弾かれるように振り返ると、声の主がそこに居た。

 

「わーい、新しい放浪者さんだあ!」


 幼いその少女は、いかにもそれらしい見た目をしていた。

 白のワンピースで小さな身を包み、首や腕には月や太陽を模したアクセサリーを飾っている。

 落ち着きなくとてとて動くたびに、鮮やかなオレンジ色のボブをふわりと揺らす。

 そして眩しいくらいに無邪気な笑みをその顔に浮かべて、


「メフの名前はメフーリ、メフのことはメフって呼んでね! 【東部国フーリ】の守護神なんだよ!」


 放浪者、東部国フーリ、守護神……? 知らない言葉がたくさん出てきた。


 ひとまず、放浪者とは私のことだろうか。

 そして彼女の名前はメフことメフーリ。

 まあ今はそれさえ分かれば問題あるまい。


 神と言っていたが、さしずめ彼女の役割は私の案内人といったところかしら。

 世このゲームの世界観はなんとなく理解できたわ。


「あなたの名前は?」

「私は――」


 訊かれ、名を口にしようとしたところで、視界に変化が起こった。

 突如、アクリル板のような半透明のウィンドウが出現したのだ。

 タブレットにも似たそれを見てみると、画面上部に「キャラクターメイク」とある。

 その下にいくつも項目があるけれど、項目の一番上には「名前」と表示されている。


 つまり、ここに自分の名前を入力すれば良いらしい。

 

 入力した名前でゲームを遊ぶことになるのだろうから、本名はまずいわよね。

 


「名前……」


 

 そうして私は考えた。良い名前が思い浮かばず、うんうんと唸りながら。


「おそーい! まだー? メフ飽きちゃったよ〜」


 その間、メフはずっと暇そうにしていた。

 透明感のある地面に座って、足をバタバタと遊ばせている。

 その様子はまるで、見た目通りの幼女のようである。

 そんな彼女が一国の神だと言うのだから訳が分からない。

 

「もう少し待ってくれない? あまり良い名が思い付かないのよ」

「えー? 自分の名前を言うだけだよ?」

「プライバシーがあるじゃない」

「ぷら……?」


 なるほど、メタフィクションは通じないらしい。

 

「んー……メフはよく分かんないけど……えっと、名前は教えられないってこと?」

「そういうことになるわね。今考えているのだけれど……どうやら、私にネーミングセンスは無いみたいね」


「だったらだったら!」メフが何かを思いついたらしく、楽しそうに手を上げる。


「メフが名前をあげる!」

「え? ……あなたが私の名前を考えてくれるって言うの?」


 聞き返すと、メフは「うん!」と答える。

 元気で良い。


 とはいえ、命名を他人に任せてしまうというのはいささか気が引けてしまう。

 私は考え込む。そしてまたうんうん唸りだす。

 

 またしばらくそうしていた。

 そんな私の考えをどう汲み取ってしまったのかは知れないが、メフがその丸くて小さな手で私の足にしがみついてきた。

 驚いて見下ろす。

 すると。


 そこには、瞳を潤ませて、声を震わせて、私を見つめるメフの姿があった。


「メフが付ける名前……いや?」


 傲慢、そして不遜。

 そんな私だけれど、流石に幼子のお願いとあっては断れない。


「仕方がないから名付けさせてあげるわ。名誉に思いなさい」

「ホント!? やったあ!」


 子供らしくはしゃぐメフ。

 その光景は、捻くれたこの私ですら愛らしく感じてしまう。

 不思議なものね。


 いとこの面倒を見ているような、そんな気分に浸っていた頃。

 メフがぱんっと手を叩く。それと同時に、空白だったウィンドウ上の入力欄に、文字が自動入力されていく。


「決まったよ! あなたの名前はねぇ……」


 一文字、また一文字。

 そして四文字の入力後に決定ボタンが押される。

 画面に表示された「決定しますか」の表示に続いて「はい」「いいえ」の選択肢。


 ここに来て迷いはしない。

 もちろん、「はい」だ。



「マフーリよ!」



 この世界での私の名前を、名付け親たるメフが呼んでくれた。

 自分の名前から取ったのね。

 というか、一文字変えただけじゃない。そんな野暮は腹にしまっておく。


 どうせゲーム。

 名前の一つくらい、重要じゃないかしら。

 


「よろしくね、マフ!」

「ええ、よろしく。メフ」




〈称号【神様からの贈り物】を獲得しました〉




◇ ◇ ◇




 キャラクターメイクの次の工程は、容姿の作成ね。


 私にそっくり、というかまんま私の顔をしたキャラクターが、薄着姿で、透明なウィンドウの中央をくるくると回転している。

 なにも変更しなければ、このキャラクターでスタートするということらしいわ。


 ウィンドウの右側にはパーツ切り替えの項目がある。

 その反対、左側には顔や体などのパーツのサイズ、配置、色を変更できるボタンがある。

 が、私はその全てを変更することなく、決定ボタンを押そうとする。

 すると寸前、メフの言葉によって引き止められた。


「あんまり変わってないけど、ほんとうにそれで良いの?」

「自分の顔をいじるなんて気が引けるもの。でもそうね、確かにこれじゃ味気ないかしら」

「そうだ! メフ、良いこと思いついた!」


 子供らしく大きく開けた口で、突然そんなことを言う。

 何を思いつたのかしら。そう不思議に思っていると、メフが自分の顔を、ぐんっと私の顔の方へと近付けてきた。


「ちょっと、なによ」


 急な接近に戸惑っていると……前髪の上から抑えるようにして、何かが私のひたいに触れた。

 ひんやりとしていて、柔らかくて、仄かに湿っていて。


 同時に、ちゅ、と音がしたのを私は聞き逃さなかった。



「メフ?」


 

 一瞬、何が起こったのか理解が追いつかなかった。

 が、しかし、状況証拠を鑑みてしまえば、それがキスであったと悟る。

 

 未だ感触が残っている額に、指でそっと触れてみる。

 突然の口づけを疑問に思っていると、彼女もまた私と同じように顔に指を当てていた。

 ただ一つ違うことがあるとすれば、彼女の小さく白いその指が触れているのは、唇。

 艷やかに潤い、透き通った、淡桃色の、小さな、唇。


「あはは、ちょっとテレるね……!」

 

 本当に恥じているのだろう、紅く染まるメフの頬。


 まあ、その程度で照れるとはウブというかなんというか。

 接吻ごときで赤くなっているようじゃまだまだね。と、優越に浸ってみる。

 私? キス程度なら何度も経験したかしら。もちろん頬や手だけれど。



 ふとウィンドウを見てみると変化があることに気付いた。


「あら、髪が……」

「えへへ! 気付いた?」


 くるりと回って、彼女のオレンジ色の髪がふわり。


「メフと同じ色にしてみた! どうかな?」


 母譲りの漆黒に、編み込まれたようなオレンジ。まさかの髪色をいじってくれたらしい。

 クラスメイトが言っていたのを耳にしたことがある。これはメッシュというやつだ。

 正直、髪色なんかで喜ぶ人間の気持ちがわからないけれど。

 存外、悪い気はしなかった。


「良いじゃない。気に入ったわ」

「ほんとに?」

「ええ、本当よ」

「えへへ、それなら良かった!」


 感謝の気持ちで、彼女の手を取る。


「……マフ?」


 それから、甲にキス。

 さっきのお返しだ。


「わっ!」


 みるみるうちに赤くなっていくメフの顔。

 

 ふふふ。

 素直な子供は好きなのよね。

 だって凄く分かりやすくて、扱いやすいから。


 こんな子供でも一国の神だというし、まあ今のうちに仲良くなって損はないわね。

 跡継ぎ娘たるもの、交友関係は広く持つべきなのよ。


 クラスメイト? あんなのはどうだって良いのよ。

 友達なんか必要ないんだから。



 ……本当よ?







 キャラクターメイクとやらを終えると、その後は操作方法や注意事項についての簡易なガイダンスを受けた。

 そして特に時間を掛けることもなく、ものの数分で完了。

 これにて全てのチュートリアルが終了した。



「他に覚えるべきことはもうないのかしら?」

「うん! これで全部終わりだよ、お疲れ様!」


 お疲れ様と言われても、ほとんど何もしていない気がするけれど。

 問題が無いのならいいわ。



 メフが名残惜しそうに言葉を発する。


「これでマフは一人前の放浪者さんだよ!」


 私の腰程度の小さな少女は、再び私の足へと抱きついて、


「放浪者にどうか加護があらんことを」

「……メフ?」


 何やら訳の分からないことを言っている。

 かと思えば、彼女の掌から蛍のような小さな光が溢れ出した。

 光は数え切れないほどに飛び回り、やがて私の体をすっぽと包み込む。


「ちょっとメフ、何よこれ!」


 徐々に覆われて、奪われていく視界。

 全ての景色が光によって消え去る寸前、メフの笑顔が見えた。



「言ってらっしゃい、マフ。またどこかでお会いしましょう」


 

 決め台詞と共に微笑むその少女は、やっと女神のようにすら思えた。



 そうして私は、新たなる世界へと放り出された。

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