第7話 仮想都市

 一夜明けて作戦決行当日。巨大都市の市街地中央地区は、今や研究員や隊員でごった返していた。周辺には無数の輸送車が停車し、テントが張られている。

 テントの中は多くの機器類で溢れ、研究員たちは常にスクリーンと睨めっこしていた。アスファルトは外にまで伸びた配線や転送装置で埋もれてしまいもはや足の踏み場もない。

 差し迫ったアップグレードに加え、ただでさえ破壊されたビル群に囲まれた息苦しい市街地は、その場にいる全員の殺気を煽った。

『作戦開始時刻が迫りました。各部隊は作戦開始の合図まで待機してください』

 スピーカーから流れる音声によって張り詰めていた空気はさらに膨張し、破裂寸前にまで達する。いつもと変わらないのは平坦な機械音声くらいのものだった。

『『夢見人ドリーマー』の接続を確認しました。宮殿を開放します』

 聞き慣れない言葉に隊員たちは一声に首を捻る。開放された宮殿はなんなのかと誰もが頭の中にその様子を思い描いた。宮殿から地鳴りがしたのはそのときである。

 昂然たる姿勢でそびえていた宮殿の正面入り口が開き、内部が公に晒されると、黄金色の輝きとともに宮殿の中央から巨大な台形の機械が姿を現した。

 その中心に新『夢見人ドリーマー』候補――入江七海はいた。

 大木のようにそびえる台形の機械。その円柱のガラスケース内部に設けられた玉座に七海は腰かける。正面には光沢を帯びたクリスタルが塔に祭られ沈黙していた。

 やがて駆動音が大音量で市街地へと轟き、機械が作動を開始する。

 そんな開放された宮殿内の総司令部で指揮官を務めているのは稲垣。周囲では役員や美月を含む新『夢見人ドリーマー』候補の補助を担当する研究員たちが作業をしていた。

「『イクリプス』との同調率が80%に到達。新『夢見人ドリーマー』候補の体調は良好」

「仮想都市方面で微弱なエネルギー反応を感知。アップグレードの兆候と思われます」

 芳しくない返答に同席した役員たちは緊張した。総司令部内に沈鬱な空気が流れる。

「『イクリプス』との同調完了。いつでもフィールドを展開できます」

 合図とともに、スクリーンに純白のワンピース姿の七海が玉座に着いている様子が映しだされた。細く白い肢体には機械が宛がわれ、頭には不気味な装置を装着している。

 その風貌たるや痛々しい。さしずめ人間兵器であった。

 人体実験をしているような罪悪感に、研究員たちは不謹慎な気持ちになる。そんな中稲垣はスクリーンに一歩近づくと、変わり果てた七海に声をかけた。

「いよいよだ入江君。気分はどうかね?」

『少しだけ緊張してます……。みなさんは平気ですか?』

「ああ、こっちは順調だ。……強いて言うなら、みんな血の気が多いのが問題かな?」

 七海は小さく愛想笑いをした。稲垣も少しだけ笑みを零す。

 他愛ない会話は、それだけで周囲の緊張を解すには十分だった。今度は七海が問う。

『成功……するんでしょうか?』

「正直なところ、わからない。こんなことは今までになかったからね」

『稲垣さんにはいろいろとお世話になりました』

「突然なにを言う。それじゃあまるで根性の別れみたいじゃないか」

『すみません。でも、今度いつ会えるかと考えてしまって……』

 不安げな七海の声音に、稲垣はたいした怒気もなく叱咤する。

「そんな後ろ向きでどうする、気を強く持て。いいか入江君、みんなもよく聞くんだ」

 稲垣が振り返ると、全員の視線が我が国の最高指揮官へと注がれる。

「これは賭けだ。アップグレードから逃れられるか――我々が消滅するか。そして、その運命を握っているのは他でもない――我々だ!」

 稲垣は力強くデバイスを握り締め、スピーカーへ向かって叫ぶ。

「諸君、配置に着け! フィールドの展開と同時に作戦を開始する。なんとしてもこの夢を持続させるのだ!」

『パルスを増大させます』

 機械音声が告げた瞬間、宮殿全体から駆動音が轟く。台形の機械は数多の巨大な反射板を出現させ、宮殿内部の黄金色の煌めきを市街地へと反射させた。

 駆動音に合わせて塔のクリスタルからパルスが湧き、瞬きの数と光量が増す。

刹那、クリスタルから高密度のパルスをまとった球体が出現し、パルスが爆ぜた。

『フィールド展開』

 青い光りが一瞬にしてバロディナル全域へと行き渡る。クリスタルから出現した球体は膨張すると宮殿を覆い、そのまま司令塔やビル群、やがて巨大都市を呑み込む。

 バロディナルは瞬きの間に七海の展開したフィールドに占領された。以前柴田が展開した世界とは比にならないほどの見事な出来栄えだ。

 七海の偉業に都市全域から感嘆が響く。

 今まで七海にこんな巨大なフィールドを展開させたことがなかった美月は、そのあまりに常軌を逸した想像力と、それを容易く具現化する強力な『霊魂(タブラ・ラサ)』に舌を巻いた。

(実際にここまで大きなフィールドを展開したのは初めてだが――まさかここまで強大だとは知らなかった。普段は『NPC』を守るために、宮殿の周囲にしかフィールドを展開していなかったが……いや、それよりもだ)

(これでまだ不完全だって?)

(じゃあこの世界を維持してる旧『夢見人ドリーマー』は、いったいどれほどの力を――)

 そこまで考えて美月はハッとすると、急いで顔を上げて七海へ視線を向ける。

 七海は玉座に着いたまま、行儀よく両手を肘かけに置いていた。特に苦しむような動作もなく、優雅な佇まいで沈黙している。美月はほうと安堵の息を吐いた。

 反対に総司令部内は慌ただしくなる。研究員たちは各自配置に着くと自分に与えられた使命を果たすべく、機敏に行動を開始した。

「新『夢見人ドリーマー』候補の心音、呼吸、脈拍、同調率ともに安定」

「フィールドのキープを確認。固定が完了しました」

 研究員が口々にそう告げると、稲垣は一層息んで吠える。

「それでは諸君、作戦開始だ。なんとしても生き残るぞ!」

 発破のかかった号令がスピーカーから発された瞬間、バロディナルの各地で獣にも似たけたたましい咆哮が木霊した。


       ◇


「フィールドが展開された! こちらも動きだすぞ! 全員用意はいいか⁉ これは訓練ではない。戦争と思え! 我々は今、生きるか死ぬか、消えるか存在し続けるかの瀬戸際にいる! そして、その未来は我々の手の中にある!」

 転送室で待機していた猪熊はスクリーンに映った巨大フィールドを確認すると、今度は背後の『NPC』隊員たちに振り返り、溌剌な大音声で鼓膜を震わせた。

「ねえ、本当にやるの? 私不安なんだけど」

「当たり前だろっ。チャンスは今しかないんだぞ!」

「デバイスを起動したらどうしてもパルスが湧くんだ。狙うなら転送のときしかない。そうすれば向こうの視界も遮れる」

 猪熊の大声に紛れ、ひそひそと会話をする少数の隊員。そしてその会話の内容を聞き取れた者が数名、聞こえずとも容認している者は全員だった。

 そうとは知らず猪熊はデバイスを起動する。ちらつくパルスの中に出現したそれが公に晒されるや、一同は食い入るようにして興奮に染まった瞳でそれを凝視した。

「この通り、残留物は最高指揮官から俺が直々にあずかった」

 誇りと責任の宿った声音で猪熊は伝える。その手中には相も変わらずして残留物がバリアの中で展開し続けていた。それから猪熊は声高らかに宣言する。

「これより仮想都市へと転送する! 転送装置起動!」

 猪熊のかけ声に合わせて床から湧いた青いパルスが室内に満ちる。

 徐々に視界が青く染まり、駆動音が聴覚を揺らすと、隊員たちは好機到来と一斉にデバイスを操作した。各々武器を出すと、バレないよう照準を猪熊に定め――

「笠木彼方だ! 例の『NPC』がいたぞ、捕まえろ!」

 突如上がった叫び声に誰もが反応した。賞金首の名前に隊員たちは武器を構えたまま一斉に振り返ると、急いでその姿を探す。そのとき後ろの隔壁が開かれた。

「へ……?」

 彼方は部屋の入り口の前で呆然と立ち尽くしていた。自身でも状況を理解できていない様子は間抜けで、しかしすぐに現状を把握すると、彼方は瞬時に青ざめていく。

「ちょっと待って撃たないで違う俺笠木じゃないから!」

 咄嗟に嘘をついて喚く彼方。当然通じるはずもなく、隊員たちは一斉に彼方へと光線を浴びせかけた。彼方は飛び上がって室内を逃げ回る。

「なにをしているお前ら⁉ 定位置に戻れ! 転送が開始されるぞ!」

 好き勝手光線をぶっ放し始めた隊員たちに猪熊は一喝した。収拾のつかなくなった隊員たちを牽制しようとデバイスに手を伸ばし――死角から放たれた光線が直撃する。

「ぐわあああぁ!」

 突然の衝撃に猪熊は思わず叫んだ。デバイスをつけていた腕が光線の直撃で吹き飛んでいくと、残留物強奪を図っていた隊員たちはハッとして目を向ける。

 千切れた腕は、切断された断面からパルスを撒き散らしながら宙に放られ、途中で腕とデバイスに分かれる。光線の出所を目で追った猪熊は、捉えた人影に歯噛みした。

「貴様……ッ」

「貸してもらうわよ」

 光はニヤリと口角を上げる。一方で彼方は逃げ回りながらも宙に放られたデバイスをキャッチすると、デバイスはパルスとなって弾けて彼方のデバイスに収容される。

 猪熊の端末機はパルスとなって散り散りになり、瞬く間に消える。

「しまった、賞金首の方は囮だ! 早くあのデバイスを取り返せ!」

 一部始終を見ていた隊員たちは、先ほど彼方の発見を知らせる大声と、目の前の少女の声音が同一のものであることに気づいて注意喚起する。

 だがそれに応じたのは一部だけだった。大半の隊員は今なお彼方に注意を向けている。

「構うか! どの道あいつを始末すりゃあ『霊魂タブラ・ラサ』が手に――ぐおおぉ⁉」

 と、今度はその隊員の声が光線の発射音に遮られた。着弾した隊員がたちまちノイズに塗れると、立て続けに銃撃音が響いて、次々と仲間たちは戦闘不能になる。

 いよいよ転送が目前に迫り、莫大なパルスが視界を覆っていく。その一方で隊員たちは予期せぬ襲撃に慄くと、どうにか敵を見つけだそうと目を皿にした。

 そして予想通り、そこには〈波動銃(サージブラスター)〉をこちらに向ける光がいた。パルスに紛れてその姿ははっきりと見えないが、確かにそうだと確信する。

 二人のターゲットを探す隊員たちに比べ、一人を除いて全員が敵である光たちからしたら、いちいち確認しなくてもある程度の予測だけで狙いやすかっただろう。

「悪いけどそいつもこのあと使うのよね。手ぇ出さないでくれる?」

「この……うおっ⁉」

 舐め腐った光の口調に腹を立てたのも束の間。ついに転送が開始され、完全に視界を淡いブルー一色に塗り潰される。一同は思わずギュッと目を瞑った。

 室内がパルスで満たされると世界は一瞬で空白に支配された。あらゆる感覚器官が麻痺すると完全なる無が全員を蹂躙し、意識が断絶される。

 それも一瞬。すぐに熱量が全身に蘇ると、青い光彩に阻まれていた世界が再び姿を現した。命からがら逃げ回っていた彼方は、自分の位置を確かめようと急いで顔を上げる。

 まず一陣の風もない砂漠地帯が視界に入った。次いで砂漠地帯の至るところに、ノイズとサイバースペースが蟠っているのを確認する。

 ノイズに染められた空間の隙間で、ときおりサイバースペースが波打つと、ところどころに景色が見え隠れする。その様子は元の背景がバグで汚染されたような違和感があり、修復作業を行えば、元のクリーンな状態に復元できそうな気がした。

「の、ノイズ……⁉ なんでこんな近くに――っ」

「そういえばお前は新人だったか。なら知らなくて当然だな」

 彼方が声を震わせると近くにいた猪熊が、消し飛ばされた腕を庇いながら膝を折っていた。そこに敵意はなく騒いでいるのは『NPC』だけだ。猪熊は辺りを見回す。

「ここは未開拓領域だ。アップグレードによって出現する未開の地。以前の更新のあとにバロディナルの巨大都市が発展しているのを見たと思うが、実は影響を受けているのは我が国だけではない。この世界全体が影響を受けている」

「ぎゃああああ!」

 会話の途中で悲鳴が上がる。背後を見ると光が戦闘を繰り広げていた。

 転送時にまともに強烈な光輝を見て目をやられ、一時的に視界を奪われたのだろう。隊員たちは光から一方的に攻撃を受けると、次々と戦闘不能になっていく。

 彼方は急いで猪熊の大きな体を盾にして身を隠した。猪熊もそれを咎めることなく、好き勝手に暴れ回る光を睨みつけながら話をする。

「だが中には上手く繁栄し切れないところもあり、周囲にバグを残した状態でこうなる場合がある。本来ならこんな殺風景ではなく様々な景色が広がり、発展しているはずなんだ。新『夢見人ドリーマー』候補が未熟ゆえに、アップグレードのとき情報を処理し切れず起こる現象――という説もあるが、実際のところ原因はわかっていない」

「ノイズはずっとあのままなんですか?」

「次のアップグレードのときにだいたい消える。お前もそのうち未開拓領域の拡張作業でいやというほど目にするだろう。『NPC』に課せられる任務の一つだ。バグを消去すればその分危険地帯が減り、人が住める。……まあ、今回はこっちが優先だがな」

 説明を終えると猪熊は後方を振り返った。彼方もつられて体ごと向き直る。

パルスをまとった仮想都市が眼前にそびえていた。

「く……っ」

 仮想都市を視界に入れた直後、彼方は片頭痛を覚えて額を抑える。

 都市からは電子回路が伸び、その上をパルスが走っていた。陽だまりのように青く淡い光彩はチカチカと反射し、摩天楼は頻りに小さなフラッシュを焚く。

「おい、なんだよこれ! まだ半透明じゃねぇか⁉」

 徐々に視界が戻ってきたようだ。隊員たちが仮想都市を見て声を上げる。

「これじゃあ中に入れねぇよ。どうすんだ?」

「いきなり作戦失敗かよ……嘘だろ」

 仮想都市は確かに実体化していたが、まだ半透明で下部がぼやけており、とても中に入れそうもなかった。そのことに気づいた隊員たちは口々に不安を口にする。

「まさか。ちゃんと研究員が調べたはずだ。……いや、誰もが次のアップグレードのことで焦っていたから、初歩で見落としが生まれたのか?」

 突きつけられた現実に誰もが絶望すると、猪熊も厳しい現実を前に歯噛みする。

と、そこに一人の隊員が後ろ歩きでこちらに近づいてきた。その視線は暴れ回る光に向けられている。離れた場所では視界が回復した『NPC』たちが光に応戦していた。

 だがそれでも圧倒的な差が縮まることはなかった。ただ倒されにくくなったというだけで、結果としては相変わらず圧倒され続けている。

 光の元々の戦闘力もあるのだろうが、やはりバッテリーを所持しているかどうかの違いは大きいらしい。現に隊員たちは燃料切れでノイズに汚染されかけている。

「くそ、入り口はどこだ⁉ あの女から早く隠れないと――ぐええぇ⁉」

 焦りで独り言を呟いていた隊員は背後の猪熊に気づかなかった。それをいいことに猪熊は手首から下のない腕を隊員の首に回して、ガッチリとホールドする。

 筋肉質な太い腕に首を絞められると隊員は呻いた。そのまま片腕で軽々と体を持ち上げられ、自分の体重で首が閉まって呼吸が詰まると、頭上から猪熊の声が響く。

「貴様、この一大事になにをしている? なぜ俺の制止の命令を聞かなかった」

「だ、だいぢょ……っ⁉ す、すびばぜ……カハッ!」

 謝罪しかけた隊員は、しかし首に手刀が入ると、短い息だけ漏らして事切れた。

 猪熊は動かなくなった隊員からデバイスを奪う。体を離して地面に落とすと、早速片手でデバイスを操作した。瞬間、吹き飛ばされた手首が修復される。

 それから不意に猪熊は視線を鋭くした。不穏を感じた彼方は砂漠へと目を凝らす。

蟠った大量のバグが、火花を散らしながら物凄い勢いでこちらに接近していた。

「バグを確認! 敵襲だ、全員戦闘態勢に入れ!」

 突然の隊長の叫びに、光を倒すことに躍起になっていた隊員たちは仰天する。その瞬間バグやノイズが大量に出現し、隊員たちは一瞬にして包囲された。

 一同はすぐに彼方を始末するどころではなくなる。

「態勢を崩すな、そのまま攻め続けながら都市の壁へ寄れ! 死角を作るな!」

 猪熊の適切な指示により、隊員たちは光との戦闘を中断し、どうにか部隊は態勢を立て直す。仮想都市の壁を背に陣地を広く取ると、少しずつ行動範囲を広げた。

「くそ、すぐそこに賞金首がいんのに、なんでこんなことしなくちゃならないんだ!」

 隊員たちは武器で前方と左右から迫るバグに応戦しながら悪態をつくか、都市の入り口を探した。だが彼方を仕留めることも、入り口を見つけることも叶わない。撃ちっぱなしの光線の燃料は著しく消費されていくばかりだ。その隙に彼方は隊員たちから離れる。

 今彼方の脳内では、忘れていた記憶が蘇っていた。

 一瞬ごとに仮想都市内の風景がフラッシュバックする。初めの風景はどこかの廊下。次に外に出て、都市内を彷徨う光景。最後に砂漠地帯から都市を振り返った場面。

 彼方は俊敏に周囲を見渡し、都市の透明でない部分に手をつきながら歩く。

「ちっ。まさか都市に侵入するのにここまで手間取ることになるなんて……ん?」

 少し離れたところにいた光は、どこかへと歩いていく彼方を見つけた。

 彼方はひたすら壁を伝って進む。光はすぐに彼方の変化に気づいた。なるべく彼方を挑発しないよう距離を置き、しばらく様子を観察する。彼方が目を見開いた。

「あった――入り口だ!」

「っ⁉」

 その一言を耳にするや、光は急いで彼方の方へ駆けた。そして見つける。

 光輝によって不透明に映る仮想都市。しかし光明が屈折する度に、凸凹な外観の奥に実体化した通路を微かに確認することができた。

 隊員たちに指示をしながら光を監視していた猪熊も、目的を持って動きだした光を見て異変に気づく。そしてすぐにその意味することを理解した。

「入り口を発見した! 全員こちらに集合しろ!」

 猪熊がデバイスに叫ぶや隊員たちはすぐに隊長の方へ走りだした。するとさらに先の方で都市に入っていく彼方と、そのあとを追う光の姿を発見する。

「いたぞ、笠木彼方だ! あいつを逃がすな!」

「女も一緒だぞ! 絶対に捕まえろ!」

 後方の者たちが敵と応戦している間に、他の者たちは素早く都市へと侵入する。

やがて最後の一人が都市の内部へ逃げ込むと、ノイズはそれ以上追求することなく、その場で蟠ったまま沈黙した。


       ◇


 都市に広がる世界に彼方は目を白黒させた。

 サイバースペースを基盤とした仮想都市内部。すべてが波動のように淡く青みがかった陽だまりの中、住民と思われる人陰が縦横無尽に闊歩していた。

 明滅する視界と、耳鳴りを誘う小さなハウリング。いくつも陳列した奇妙な形の建築物は一棟ずつ透明なケースに丁寧に収納され、ジオラマさながらに造設されていた。バーチャル仕様の空間には電子回路が浮かぶ。

 無機質で一切の熱量が存在しない透き通った人影や建物、そして都市の瞬きによってケースに光輝が反射する度に、彼方は目が眩んで瞬きをした。

「なにぼーっとしてんだ! さっさと行けや!」

「ぐえっ⁉」

 眩しさに目を細めていると、あとから入ってきた光が背中に蹴りを入れた。幻惑にも似た寒々しい街を横目に、彼方は何事かと後ろを振り向く。

 顔の横を光線が通り過ぎていった。

「『霊魂タブラ・ラサ』は俺のもんだ! 邪魔するんじゃねぇ!」

「ここまで来りゃあ逃げ場所なんてねぇ! 一気に畳みかけろ!」

 突然のことに冷や汗をかくと、視線の先で次々と進入してきた隊員たちが、猛烈な勢いでこちらに向かってくるのを認めた。これには彼方も飛び上がる。

「うわ⁉ また来やがった!」

「ふんっ――」

 慌てふためく彼方の横で、光は冷静に装備をガントレットに変える。そしてその場で力強く踏み込むと、ベースボールの投球の要領で下から上へ腕を大きく薙いだ。

 砂埃を撒き散らすように大量のパルスの粉末が散乱する。濃度の高い粉塵はすっかり隊員たちの視界を覆うと一時的に攻撃が止んだ。その間に彼方たちは避難する。

 数秒と立たないうちに隊員たちは次々にフィールドを展開して粉末を吹き飛ばす。だがそのころにはすでに二人の姿はなかった。すぐにちらほらと悪態が上がる。

「ちくしょう、どこかへ消えやがった!」

「都市の外はノイズだぞ、どうせ逃げられやしない。きっとまだこの辺りに――」

「お前たち、さっきから作戦中になにをやっている?」

 腹の底から響く怒りに声に隊員たちは息を呑んだ。

 振り向けば、そこには肩を怒らせた猪熊が憤怒の形相で近づいてくる。

 思わず一同は尻込みした。だがすぐに弁明しようと叫ぶ。

「か、勝手ではありません! これは上層部からの命令なんです!」

「そっすよ! それに昨日だって、見つけ次第捕獲するようにと最高指揮官が――」

「たわけ! 上司の命令は好き勝手に行動していいという免罪符ではない! お前たちはただ『霊魂タブラ・ラサ』欲しさに躍起になっていただけだろう!」

 自信満々に言う隊員とそれに頷く周囲に、猪熊は怒鳴り散らした。ビリッと空気が震えると、その威圧に周りはすぐに縮み上がって委縮する。

 猪熊の怒りは収まらない。滾々と言い聞かせるような説教は続く。

「身勝手な判断で何人もの仲間が危険な目に遭った。挙句、落ち着いて対処すれば捕らえられたかもしれない二人を、目の前の欲望に負けて自分の手で台なしにし、結果醜態を晒してこのざま。すべてお前たちの身勝手な行動が招いた結果だ!」

 正論に誰も二の句が継げなかった。隊員たちは揃って伐が悪そうに肩を落とす。

「残留物も奪われ、もう我々にはあとがない。《夢境の黎明(ヘザルダー)》もきちんと起動する保証はないんだ。もしかしたらこのまま全員この世界とともに消えるかもしれない。いいか、ここからは一人一人に責任を持って行動してもらう。なぜ二人が残留物を奪ったかは知らないが、この世界とともにみすみす消える気はないはずだ」

 説教が終わると猪熊は都市全体を見渡す。そして隊員たちを睨んだ。

「これよりあの二人を捕獲する。見たところ影に害はなさそうだ。いいかお前ら、次勝手な行動をしたらその場で処刑するからな。それが嫌なら秩序を持って行動しろ!」


       ◇


 どうにか隊員たちを振り切り、逃げ果せたのも束の間だった。

 一休みしようと彼方が膝に手をつくや、一緒に逃げていた光に襟首を掴まれ、乱暴に引き寄せられる。その目は焦燥に駆られて落ち着きがなかった。

「さあ、早くあんたの見たっていうオブジェのとこまで案内しなさい。もう全部思いだしてるんでしょ? 覚えてるところまででいい。私をそこに連れてって」

 捲し立てると光は彼方から手を離し、今度は〈波動銃サージブラスター〉を構えて銃口を顔面に突きつけた。光の奇行に面食らうと、彼方は落ち着けと胸の前で両手を振る。

「おいバカやめろ! 危ねーだろしまえ⁉ てか、そんなことしなくてここまで来たら今さら逃げたりしねぇって! 戻ってもどうせ殺されるし!」

「どうかしらね。あんたいつも泣き言言って逃げてるし。臆病者は信用ならないわ」

 これまでの行いで光の信用は完全に失ってしまったようだ。しかし自分のプライドまで否定されるわけにはいかなかった。光の言い草に彼方は真っ向から意見する。

「臆病だからこそ逃げることも選べるし、逃げて生き残れたから次があるんだろ。逃げるが勝ちってよく言うじゃねーか。立ち向かうばかりが正解じゃない。そうやって別の道を選ぼうとしてる奴を叩くお前こそ、変化が怖くて動けないだけじゃないのか?」

 今まで散々光から受けた侮辱を晴らすように、彼方は強気に臨んだ。

これには光も面食らい、動揺したように瞳を揺らす――だが。

「くだらねぇ理屈捏ねてねえで早く行け」

「いぃん⁉」

 光に彼方の信念は通用しなかった。蹴飛ばされると彼方は情けない声を漏らす。

 そのとき視線の端でスパークが弾けるのを二人は目撃した。

 周囲の人影が少し濃くなる。儚かった風景に質量が宿り、徐々に熱を帯びると視覚化した。パルスが降雪のように舞い、体に触れた個所だけが微かに消滅する。

 突然のことに二人が目を剥いていると、デバイスに通信が入った。

『各地でスパークとパルスが発生している。さらに人影と建物の濃化を確認。パルスに触れると体が消えるぞ、各自フィールドを展開して防げ!』

 通信が途絶え、沈黙が二人の間に流れる。口火を切ったのは光だった。

「このままだとお互い消えるわね。早く目的地に行って雨宿りしましょう」

 懇願と焦りの入り混じった瞳で光は彼方を見据えた。その恐ろしいまでの執着心に彼方は息を吐くと、うんざりした表情で光を見ながら踵を返す。

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