第6話 逃走

 宮殿内を行きかう人波の中、先程から追いかけてくる複数の隊員たちに、彼方はついに我慢ならず〈波動銃サージブラスター〉で光線をぶっ放した。

 射出音が響くと周囲もそれに気づき、一斉にこちらを振り返った。光線は彼方を追跡していた隊員たちめがけて伸びる。隊員たちはすかさずバリアで身を守った。

「うっ……⁉」

 射出と同時に全身が痺れて、彼方は自身に蔓延るノイズを思いだす。ついさっきエネルギーを消費しすぎたことが今になって裏目に出た。

 そうと知ってか、相手方は好機とばかりに武器を構える。もうこれまでかと彼方が諦めかけたそのとき、凄まじい勢いで一筋の光芒が隊員たちに迫った。

 思いもよらぬ奇襲に隊員たちは咄嗟に防壁を張る。だがそれでも光線の威力は強く、攻撃は防げても、途端に隊員たちはノイズに塗れていった。

 立て続けに放たれた光線に歩行者たちはたちまち悲鳴を上げる。安全な場所に逃げようと一斉に散らばり、宮殿内はすぐに大騒ぎになった。対照に彼方は、謎の第三勢力を警戒して、光束の穿たれた方を振り返り――がっと首根っこを掴まれる。

「ぐええぇ⁉ 誰だ、放し――って、なんでお……えぇっ⁉」

「黙って着いて来い!」

 自分の襟首を掴んだ光を認めると、彼方は息を詰まらせたまま仰天した。そのまま光が一気に走りだしたため、さらに首が締まって嗚咽が漏れる。

「クソ、邪魔が入りやがった! みんな追え、追え!」

 隊員の一人は舌打ちして周囲に指示を出した。すると怯んでいた者たちは即座に武装して、彼方と光目がけて光線や波動を放つ。光はバリアを展開して応戦した。

 彼方もようやく事態を把握すると、フィールドを張って攻撃から身を守る。

「えなになになに? なんで立花がいるのなんでなんでなんでっ?」

「うっせえ黙って防御に集中しろ! あと自分で走れ!」

 彼方を引きずりながら応戦していた光は彼方の尻を蹴飛ばす。彼方は顔をしかめつつも、迫りくる光線に飛び上がると急いで防壁で防ぎ、光とともに逃走する。

「おい、あの女ポイントを一人占めする気だぜ。どうするよ?」

「当然始末するに決まってるだろ。男は雑魚だ、先に女の方をやれ!」

 怒声を背に二人は狭い通路を目指す。すると道を阻むように武装した連中が現れた。

「うわ立花前、前! 人いる前にも人!」

「ちぃっ!」

 いちいち鬱陶しい彼方にイラつきながらも光は武器をガントレットに変え、腕を大きく振り回して全体に波動を巻き散らす。それを隊員たちはバリアで受け流した。その際パルスが飛び散って薄い青の煙霧に包まれる。

 と、隊員たちの後ろでなにかが音を立てて落ちる。気づいた数人が振り返ったときには丁度円盤型の小型爆弾がフィールドを展開し、パルスが飛沫を上げた直後だった。

「マズい、ガントレットはフェイクだ! 爆弾が本命だ伏せろ!」

 気づいた隊員が早口でまくし立てたときには、ひし形のフィールドはすでに波動でボロボロだった隊員たちのバリアを他愛もなく相殺し、爆風よろしく大人数を押しのけた。

 そこに光と彼方が突っ込んで強行突破する。どうにか立ち上がっていた者も、光の体当たりや飛び蹴りを食らい蹴散らされた。因みに彼方は光を追いながら終始ビビっており、小さな悲鳴を上げるだけでなんの役にも立たない。

 狭い通路に入る寸前、光は一度だけ隊員たちを振り返ると、ガントレットにパルスをまとわせて構える。そのまま大きく振り下ろすと、逃げ惑う人たちもろとも隊員たち目がけて凝縮された波動をぶっ放し、辺りの人を一気に吹き飛ばした。

 躊躇いのない強力な一撃に彼方は息を呑む。そんな彼方の気も知らず、光は追手のほとんどを退けたのを確認すると、彼方を連れて人通りのない通路へと姿を消した。


       ◇


 薄暗がりの道をしばらく進むと、不意に光は彼方に掴みかかって壁に叩きつけた。痛みで呻く下顎に〈波動銃サージブラスター〉を突きつけられると彼方はすぐさま命乞いをする。

「あ待ってやだ! あ、ちょ、消さないで!」

「じゃあ答えなさい。アップグレードのとき仮想都市から来たって、どういうこと?」

「ッ⁉」

 問われた刹那、脳裏に仮想都市での断片的な記憶がフラッシュバックした。途端に彼方は恐怖を顔に宿し、そのまま逃げだそうと這いつくばる。

 光はその襟首を掴むと、不快感丸出しの顔で銃口を押しつけた。

「逃げんじゃねぇ! 今ここであんたを殺してもいいのよ。早く言いなさい」

「俺には関係ない! 俺はなにも悪いことなんてしてないんだ!」

 ほざいた彼方の横顔を光が武器で殴った。彼方は「ブッ」と声を漏らすと、口から出た血反吐と一緒に右を向く。光はその頬を鷲掴むと強引に自分に向かせた。

「次答えないと撃つ! 仮想都市から来たっていうのは――」

「お、俺もよく覚えてないんだよ! 俺は自分の夢で忙しいんだ、ほっといてくれ!」

「覚えてることだけでいいわ。あんたがどうやってこの世界に来て、なんで仮想都市に行けたのか……そこでやったことを、思いだせる限り話しなさい」

 もはや取りつく島もなかった。なにより今までで一番真剣な光の表情に底知れぬものを感じる。それでいて本気で殺しかねない顔に、彼方は観念してこれまでの経緯を話した。

『夢の住民トライバー』の空けた穴で見た宇宙空間と女神。仮想都市の機械の中での覚醒。ある建物内で見たオブジェと謎の女性。残像とともに飛ばされた先が転送装置であったこと。

 一連のことを話し終わると、光は納得したように頷いた。

「今の話で確信したわ。施設の爆発も世界の終わりも、全部あなたが原因だったのね」

「っ……!? 違う、俺はそんなつもりは……!」

 断言されて彼方は即反論する。だが光の確信は変わらなかった。

「まずあんたが『夢の住民トライバー』の穴を強引に通った時点で仮想都市にダメージを与えた。だからあんたが入ってた機械も壊れて外に出られたのよ。話を聞く限り、多分『NPC』を放出する道具だと思うけど。なにより一番の問題はそのオブジェを弄ったこと! その中から残像が飛んだんでしょ? てことはそれがアップグレードに関わる道具だったのよ。で、飛ばされたあんたが施設に着いた瞬間に大爆発。そのあと起こった更新で偶然にも『イクリプス』が世界の終わりを告げたと……どう考えても全部テメーのせいだろ!」

 今まで淡々と話していた光は説明を終えると、やはり彼方が原因だと実感し、怒鳴りながら彼方の尻を蹴飛ばした。彼方は変な声を上げながら肛門を擦る。

「んひぃっ⁉ おちりぃ~ッ!」

 だが涙ぐむことは許されなかった。すぐに光が胸倉を掴んで引きずり起こす。

「でもまだ全部終わったわけじゃないわ。仮想都市は実体化した。中に入れるなら、そこで終焉を止められるかもしれない。あんたも協力しなさい!」

「入るってどうやって行くんだよ⁉ 仮想都市があるのは国の外だぞ! 俺たちだけで行くつもりか……っ⁉ あと服伸びるから引っ張んないで」

「最後まで抗いなさいよ! アップグレードが起こらないほどこの夢物語を停滞させて終わりを遅らせなさい! そうやって旧『夢見人(ドリーマー)』の筋書きに逆らうことが延命につながるの。私は旧『夢見人(ドリーマー)』の思い通りになんて絶対に動いてやらない!」

 力強く言い放つと光は断言した。その決意は固く、他の追随を許さない。

 熱く語る光に彼方は完膚なきまでに圧倒された。しかしその決意の出どころだけは明確だった。彼方は光の意見を覆すことなく、むしろその通りだと受け入れながら、反論の代わりに疑問を投げる。

「入江を助けたいからそんな焦ってんのか……?」

 いきなり問われて光は黙り込んだ。不意を突かれて固まる光に彼方は言う。

「誰かがこの夢を引き継がないと俺らも全部消えんだろ。その役目は『夢見人ドリーマー』がやるんだよな? てことはその分、入江の予定が早まったりして」

 美月から光と七海の関係は聞いていた。だからこそ彼方は確信を持てる。

(もし本当にこの世界が消えるときになったら、入江は一生一人ぼっちだ。立花はそうなるのをどうにかしたくて、こんな――)

「アップグレードは、一つ前の世界から必要な情報をこの世界に発信する一連の作業。その作業をやってるのは旧『夢見人ドリーマー』って言われてるわ」

「え……?」

 突然説明を始めた光に彼方は目を丸める。光の話は終わらない。

「この世界はまだ完成してない。なのにこの中途半端さで終わりなんておかしい。明らかに旧『夢見人ドリーマー』側の間違いだってわかる。だから終わらせるわけにはいかないわ。私もまだ夢を叶えてないしね。あんたも『夢見人ドリーマー』絡みで追いかけられるのは嫌でしょ?」

「は? なんだよ『夢見人ドリーマー』って。俺となんの関係があるんだ?」

「なにあんた、自分に懸賞金がかけられてるとも知らずに逃げてたの?」

「懸賞金⁉ え『夢見人ドリーマー』絡みで? なんで?」

 てっきり先程の騒動が原因で追われていると思っていた彼方は、突如浮上した別の理由に混乱する。すると光はこともなげに言った。

「あんた捕まえたら『霊魂タブラ・ラサ』が一体渡されるって話。今『NPC』の間じゃその話題で大盛り上がりよ。まあ世界が終わるって言われてるし、今さら『霊魂タブラ・ラサ』と交換できるだけのポイントなんて稼げないだろうから、みんなこれに目をつけたのね」

「え、まだわかんない。ねえどういうこと?」

「ちょっとノイズ塗れで近寄んないでよ! つくでしょ⁉」

「え? あ、悪い――てか、逆になんでお前は大丈夫なんだよ? あんな物凄い勢いでエネルギー使ってたのにノイズ一つない……お前なんか隠してるだろ」

 彼方は先日の任務のときや先程の騒動で、一度も光がノイズに塗れたところを見ていないことに気づき、不信感の籠った視線で光を見た。それに光は鼻で笑う。

「はっ。知恵を絞らないあんたたちと同じにしないでよね」

 嘲笑しながら光はデバイスを操作してパルスを蟠らせる。そして弾けた瞬間、大量の謎のカセットが山積みとなって床に散乱した。その量に彼方は目を見張る。

「お、おま……なんだそのゴミの山っ⁉」

「バッテリーよ。ここにあらかじめエネルギーを充電してるの。使うのは戦闘のときくらいだけどね。これは廃棄分。今後に備えて少しでも荷物を軽くしないと」

 一つ手に取ると光は彼方に示した。床に散らばった分はパルスとなって消滅する。やがて手に持っていたバッテリーも形が崩れて崩壊した。

「いつも派手にぶっ放せてたのはそういうことか。……ん? そういえば俺、そんな道具もらった覚えないけど……」

「これは私が自分の発想で創りだしたものだもの。支給品じゃないわ」

 見覚えのないアイテムに首を傾げると光が答えた。彼方はなるほどと頷く。

「へぇ……いいなそれ。俺にも創れるのか?」

「舐めたこと言ってんじゃないわよ。そんな簡単に再現されて堪るか。いくらこの世界が想像力でなんでも作り出せるって言っても、それなりに知識は必要なのよ。バッテリーの設計図も私しか持ってないし、他の奴にはそう簡単に模倣できないわ」

「じゃあ一つ貸してくれよ」

「はああああああぁぁぁ⁉ ざっけんなテメ、寝言は寝て言いなさいよカス! あんたねぇ、これ一つ作るのに私がどんだけの時間とエネルギーを消費したと思ってんの⁉」

「ヒェッ!」

 彼方が何気なく言うと光は般若のような形相で怒鳴りつけた。彼方が驚いて飛び跳ねると、光は新しいバッテリーを出して目前に突きつけながら熱弁する。

「ただでさえ『NPC』はまともにエネルギー使えないのにこれ充電式なのよ⁉ 無尽蔵じゃないし充電源は自分だから命懸けなの! 一つ充電するのでさえ何日もかかるし、エネルギーを回復しながらだと戦闘のときマジでしんどくて最近なんか疲労感半端なかったってのにテメェはどの面下げてほざいてんだ犬畜生ッ‼」

「あぁんもう言わないぃ! もう言わないから許してよぉ!」

『本部より全隊員に告ぐ。これより緊急招集をかける。全員速やかにホールに集合せよ』

 鼻息を荒げる光を遮ったのはデバイスからの通信だった。彼方はその声量からなにやら芳しくない空気を感じ取ると、緊張して変に身が引き締まる。

「私に協力してくれるなら目を瞑ってあげるけど、どうする?」

 なんの脈絡もなく光は取引を持ち出した。その問いに彼方はばっと顔を上げる。光は憎たらしい笑みを浮かべて、すでに勝者の貫禄で彼方をさらに追い詰めた。

「別に拒否してもいいけど、捕まるのも時間の問題よ? しかもそんなノイズ塗れの体でどこまで逃げられるかしらね。まあ私が直接引き渡してもいいんだけど?」

 光は余裕の表情で彼方の返答を待つ。どうやら彼方に選択権はないようだった。


       ◇


「諸君らに集まってもらったのは他でもない。先日『イクリプス』の告げた旧『夢見人ドリーマー』の覚醒に関することだ。みな心して聞くように!」

 宮殿のホールに怒号にも似た叫びが響く。前方の壇上では最高指揮官の稲垣現児が、唾を飛ばしながら気合を声に乗せて吐き出していた。

 稲垣や各部隊隊長と対峙するのは、宮殿内で暮らす全『NPC』隊員たち。指定の制服を身に着け、所属する部隊ごとに分かれると勇ましく隊列を組んでいた。

 だがその表情は不安と猜疑で彩られており、不穏な空気で満ちている。

 当然理由は先日の一件。そして現況をきちんと把握していないことにある。自分たちの今後への不安はプレッシャーとなり、『NPC』たちの精神を摩耗させた。

 前方にスクリーンが展開される。そこにはかつて立体図形でしかなかった仮想都市が映っていた。だが今そこにそびえている都市は、質量と立体感と奥行きがある。

チカチカと瞬いては地に巨大な影を差し、その存在を主張していた。

「これは実体化した仮想都市。『イクリプス』曰く、先日の騒動やこれらの現象は最後の更新に伴ったものだとわかった。今度アップグレードが開始されれば旧『夢見人ドリーマー』が目覚め、この世界は消滅するだろう」

 この流れは誰もが予想していた展開だった。しかし我が国の最高指揮官からの直々の宣言でさらに現実味を増し、かつてない緊迫感がホール全体に走る。

 その緊張感は、次に稲垣の発した言葉により少しだけ緩んだ。

「だが、まだ希望が潰えたわけではない。全員これを見てほしい」

 稲垣が言うのと同時に画面が切り替わった。瞬間、わずかにホールが騒めく。

 巨大スクリーンに、でかでかと彼方の顔写真が映し出された。

(いやああああああああああああああああああああああ!)

 宮殿のホール二階。吹き抜けの横にある巨大な柱に身を隠していた彼方は、黒歴史を刻まれた瞬間に立ち合い、文字通り声にならない悲鳴を上げた。

 まさか自分の情けない姿が公衆の面前に晒されるなど誰が想像しよう。自分でも見るに堪えないブサイクな泣き顔と、それを見て「うわっ……」とドン引きする人々の反応に、彼方の豆腐メンタルは木っ端微塵にブレイクする。

「彼の名前は笠木彼方。我々は彼が今回の騒動、特に旧『夢見人(ドリーマー)』と深く関与しているのではないかと睨んでいる。引き続き重要参考人として見つけ次第確保してほしい。だが乱暴はするな。彼も諸君らと同じ『NPC』。下手に攻撃でもしたらすぐに消えかねない」

 稲垣が先を続けると、彼方は灰になりながらふらふらと顔を上げる。

「いやもうこれ無理キツいって。捕まるまであんな画像晒されるとか……。なんか乱暴しないって言ってるし、これ捕まった方が安全なんじゃ――」

「真に受けてんじゃないわよ。ちゃんと情報を全部見なさい」

 彼方の心が折れかかると、一緒に息を潜めていた光が武器を構えながら自分のデバイスを彼方に見せた。彼方は書かれていた内容を見て顔を強張らせる。

 そこに記載されていたのは彼方の排除を促す内容だった。

「な、なんだよこれ⁉ 今言ってたことと全然違うじゃねーか!」

「あの指揮官は『NPC』擁護派だからこんな命令はしない。だとしたら命じたのは上層部の連中ね。しかも『NPC』隊員だけに流されてる。中には《夢境の黎明ヘザルダー》の起動を促したり『NPC』をよく思わない連中もいるってことよ」

 彼方の抗議を光は真っ向から立ち切った。それでも彼方は文句を垂れる。

「だからってなんで俺まで⁉」

「その方が好都合なんでしょ。普段ならこんな工作すぐバレて潰れるけど、短期間なら十分に威力を発揮する。しかも報酬が『霊魂タブラ・ラサ』なうえに、世界の存亡に関わる状況が重なれば、みんな死に物狂いであんたを始末するわ。手段を選べるのは、選ぶ余裕と選択肢のある人だけだもの。……それよりも、この残留物の破壊ってなに?」

 光はずっと気になっていた、デバイスに記載されたもう一つの実行内容を見て眉をひそめる。だがその疑問は次にスクリーンが切り替わった瞬間、即座に晴れた。

 前方の画面に、延々と残像を展開する残留物が映しだされる。

「これは以前の施設爆発時、笠木彼方と一緒に送られてきた残留物だ。そして調査の結果、この残留物は仮想都市から送られ、旧『夢見人ドリーマー』の覚醒の原因であることがわかった。そこで我々は今回、総力を挙げて合同作戦を決行することを決めた。その内容は実体化した仮想都市に潜入し、残留物を返上することである。さすればアップグレードを阻止できる可能性があるからだ。確信があるわけではない。これは一世一代の大博打である!」

 稲垣の告げる衝撃の事実に隊員たちがどよめくと、さらなる燃料の投下により、もはや会場は収拾がつかないほどの混乱の渦に呑まれた。

 しかし稲垣が先を続けることで、自然と隊員たちも耳を傾ける。

「作戦中にアップグレードが起こったときに備え、新『夢見人ドリーマー』候補にはバロディナル全体をフィールドで覆ってもらう予定だ。作戦は二手に分かれて行う。まず市街地にて各地のノイズやバグの掃滅をする部隊。そして次に、今作戦の最重要項目――実際に実体化した仮想都市に潜入する部隊には、当日この残留物を一緒に持って行ってもらう」

 一瞬の沈黙。そして一拍後、ホールは動揺と怒号の嵐に見舞われた。

「冗談じゃない、自殺行為だ!」

「街の外じゃ誰がアップグレードから守ってくれるんだよ⁉ 『夢見人ドリーマー』がいるのは国の中だけじゃないか!」

 ざわつきは喧騒へと変わり、恐怖と怒りと不安が沸き立つ。

「作戦開始は明朝。どの部隊が作戦を実行するかはすでにこちらで決めてある」

 その稲垣の声明はどんな脅し文句よりも効果覿面だった。『NPC』たちはおっかなびっくりすると一様に肝を冷やし、途端にホールは静まり返る。

「仮想都市に入るですって⁉ てことは、同行すればこの世界を持続させる手がかり見つかるかもっ……ねえ笠木」

 早速彼方に無理難題を押しつけようと振り返り、光は息を呑んだ。

「あれを仮想都市に戻せば……俺の免罪が晴れる……あの残留物さえ消せば――」

 彼方はスクリーンの残留物を凝視すると、なにやらぶつぶつと呟きながら狂気に駆られた瞳で、盲目的になにかを意気込んでいた。

 かつてないほど自分の世界に入り込んだ彼方に光は思わず慄いた。なにかに憑かれたような目に正気の色はなく、理性を失いつつある姿は限りなく異常者に近い。

 そうこうしているうちに会場が騒めく。どうやら仮想都市に潜入する部隊が決まったようだ。下のホールでは『NPC』隊員たちが各自所属する部隊ごとに分かれていた。

 仮想都市に潜入する部隊は、なんと奇しくも彼方と光が所属している部隊だった。ただでさえ騒々しい宮殿内は、不満や泣き言でさらにうるさくなる。

「クソ、俺ぁついてねえ。なんであんなとこに行かなきゃなれねぇんだ」

「なにかの悪い冗談でしょ⁉ 私行きたくないんだけど! ねえ嘘って言ってよ⁉」

 あからさまにいやな顔をして嘆く隊員たち。だが、それも猪熊の一声で引っ込む。

「作戦決行は明日! 我々が仮想都市へ向かう時機は市民の避難が済み、新『夢見人ドリーマー』候補がフィールドを展開してからだ。その後仮想都市へ赴き、本部の指示に従って行動する!」

 猪熊のドスの利いた大声は遠く離れた吹き抜けからでもよく聞こえた。今この会場で活気に満ちているのはそんな猪熊と――すぐ横で不気味に意気込む彼方だけ。

「これにて今作戦に関する説明を終える。それでは解散!」

 稲垣の号令で一同は解散する。光も明日に備えようと、闘志に燃えた瞳で彼方を促そうとしたが、その必要はなさそうだ。虚ろに据わった目を見ればわかる。

 わざわざ光が鼓舞せずとも、すでに彼方の精神は後戻りできない領域へと入っていた。

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