第5話 会議

 そのとき彼方は想像した。もしかして世界が消えるような事態になったのは、自分がこの世界に来たせいなのかもしれないと。そのせいで物語を終了させるような事態へと発展してしまったんじゃないかと慄いた。

(そんなはずはない、『NPC』の自分がそんな大きな事件に関わっているなんて。自分が世界を終わらせるなんてことがあるはずなんてない。でも――!)

 その先を考えるとあまりの恐怖でなにも考えられなくなり彼方は自分の殻に閉じ籠った。

 始めに彼方が頭に思い描いた理想の人物は、赤子の自分を抱く母親だった。

 厳密には母親しか想像できなかった。先日は暗い部屋で父親や妹と譫言で言った彼方だったが、なぜか他の家族を思い浮かべることができない。

 きっと今の彼方が心から求めていたのが、自分を生み出せる唯一の人、包み込んで受け入れてくれる存在だったからだろう。ボロボロに傷ついた精神を癒し、非情な現実から心を守る砦は、誰もが想像し得る最上級の包容力の化身である母親だった。

 赤子は母親に抱きしめられ、守られるべき存在という固定観念がそうさせたのだと、彼方は夢現ながら思う。同時に上手く想像できないのは、大切にされた記憶がないことの裏返しだろうと自己嫌悪に陥った。しかし、そんな惨めな気持ちさえ想像の原料にする。

 だが思いつく母親は、自分に上手く接することができていない不完全な少女だ。


『あれ? ご飯じゃないの? 眠いわけじゃなさそうだし、おむつも違う……っ』


 妄想の少女は、ぐずる赤子を前にたじろぐ。

 母親になってまだ日が浅いようだ。産後うつさながらにノイローゼ気味で、言葉の端々から不安が窺えた。その姿は今の彼方の心境を現しているようである。


『泣き止んでよ。お願いだから泣き止んで!』


 ヒステリック一歩手前で少女は懇願する。だが泣くことでしか意思表示できない赤子に気持ちを伝えるすべは他にない。ひたすら金切り声を上げるだけである。


『もう、どうやったら泣き止んでくれるの⁉ 静かにしてってば。いい加減に――』


「目ぇ覚ませっつってんのが聞えねぇのかよ⁉」

 錯乱した少女にベッドに叩きつけられたのと、別の怒鳴り声が発せられたのは同時だった。妄想の中での衝撃は、もろに現実の肉体へと還元される。

 次いで体中にいろんなものがぶつかる感覚と、一斉になにかが倒れる音が響く。痛みよりも困惑が先行して顔を上げると、侮蔑の表情でこちらを見下ろす三人組がいた。

「あ……れ? 今の夢は……ここは? 俺の部屋は――」

 尻もちをついた彼方の周りには机と椅子が盛大にひっくり返っている。周囲にいた人々は遠巻きにこちらを見ており、そこでようやく彼方は、ここが移住地区に設けられた休憩スペースの一角であることを把握した。三人はなおも彼方を罵る。

「こいつまだ寝ぼけてるわよ? 夢遊病患者みたいなんだけど」

「フィールド張りながら歩いてたし、それこそ自分の世界に逃げ込んでたんでしょ」

「そりゃ俺にぶつかっても気づかねーわけだ……おい、兄ちゃん聞いてんかよ?」

 困惑している彼方をよそに二人の女隊員が毒づくと、最後に三人目の男隊員が彼方の胸倉を掴んで引き寄せる。彼方はそんな隊員たちを、薄く展開されたバリアと、自身から放出されるパルスのカーテン越しに虚ろな目で眺めた。

 そのバリアには、先程妄想していた世界がわずかにちらつき、即座に消える。

 どうやら彼方は無意識で宮殿内を彷徨っていたようだ。自分の殻に閉じこもるという言葉を、実際にバリアを用いて体現していたのなら、周りの好奇の眼差しも頷ける。

「……ん? あれ? ねえ、こいつ前の任務でやらかした例の新人じゃね?」

「あーあの柴田とかっておっさんの? え、マジ? やっば」

 女隊員のたち会話に柴田という名前が出るや、彼方は虚ろな目に恐怖を滲ませた。

 そんな彼方にはお構いもなく、男隊員の方が厭らしい笑みを浮かべて嘲笑う。

「ぎゃっははは! んだよ、マジもんの狐憑きじゃねーか! お前、一度頭ん中開いて診てもらった方がいいんじゃねーの? それか人体実験受けて調べ――」

 続く言葉は、しかしその顔が光輝に包まれた瞬間、強制的に打ち止められた。

 真っ青な表情で過呼吸を起こしながら、彼方は生成した〈波動銃(サージブラスター)〉でなんの躊躇もなく男の頭部を吹き飛ばした。

「違う、俺が世界を終わらせようとしてるんじゃない! そんなことできるわけないじゃないか! 絶対に違う!」

と、そのとき狂気に駆られた目で先日美月の言っていた言葉が頭の中に響いた。

『こいつは貴重な研究対象だから』

「人体実験……そうだ、普通じゃない俺は解剖される……バラバラの破片にされる。貴重なサンプルだから。いや、俺がこの国を終わらせる存在となってしまったら最悪即刻消される――抹殺!?」

 今にも卒倒しそうなほど震えながら彼方は呟く。その間に頭部をなくした男の体は、ぐちゃりと生々しい音を立てて倒れた。刹那、すぐ隣から金切り声が響く。

「いやあああああ⁉ こ、殺しやがった! こいつほんとに頭イカれ――ぎゃ!」

 騒ぎかけた女性隊員の下顎を光線が直撃する。その衝撃に軽い脳震盪を起こすと相手は床に倒れた。彼方はその上に跨るように立って光線の雨を降らせる。

 一発、二発、三発、四発……十発を超える辺りから女性隊員の体は、それこそ丸焦げになった炭のように形をなくし、歪なノイズだけがそこに蟠った。

「な、なんなんだよお前……い、いや――いやああぁ助けてええぇ!」

 滅多打ちにされた仲間の亡骸と頭のない死体に、もう一人の女性隊員は悲鳴を上げると踵を返して逃走を図った。彼方は即座に銃口を向ける。

 だが射出の反動で体中にはノイズが蔓延り、これ以上の攻撃は危険が伴った。そこで彼方は〈波動銃サージブラスター〉を投げ捨て、代わりにガントレットを装着する。

 彼方は完全に背中をこちらに向けた女性隊員の肩を掴むと、無理やりこちらに振り向かせ、ガントレットの鋭い爪で顔面を斜めに切り裂いた。

「うぎゃあぁああぁ!」

 女性隊員は絶叫を上げながら、深々と切り裂いた肌の表面からは血飛沫を飛び散らせ、彼方の着ていた制服はもちろん、顔や首、そしてガントレットの指先に赤い斑点を作る。

 爪は偶然にも相手の眼球を二つとも切り刻み、赤黒い血に交じって白っぽい液体が飛散した。だが分厚い装甲からは眼球の破裂する感覚は伝わらず、手応えはない。

 女性隊員は両手で顔面を覆うと盛大に転んだ。しかし小さくくぐもった声を漏らすだけで、視力を失った恐怖で最早悲鳴すら上げられない様子だ。

「いや、やだ……お願い殺さないで……っ。謝るから殺さないでよぉ……っ」

 涙すら流せないまま、女隊員は恐怖で引き攣った涙声で懇願した。彼方はその声を聞き流しながら、相手の首元に狙いを定めてガントレットを構える。

 いきなり周りの悲鳴が耳を打ち抜いた。彼方は徐々に正気を取り戻していくと、周囲の視線に気づいて手を止めた。すっかり正気に戻るころには、大勢の人々が遠巻きにこちらを眺めているのに気づいた。

 自分がやったとは信じられない惨劇の現場を見て、彼方は逆に自分のしてしまったことに怯えて身震いすると、瀕死の女性隊員をその場に放置して脱兎の勢いで逃亡を図った。


       ◇


 宮殿の最深部にある議事堂。そこに設けられた楕円形のテーブルには軍服の各部隊隊長と、スーツを着た上層部の役員、そして白衣姿の研究員が着いていた。

 テーブルの中央には巨大なモニターが展開されており、先日のアップグレードで実体化した残像がバロディナル全域に衝突し、大打撃を受ける様子が放映されていた。ほぼ一瞬にしてビル群が崩れ、割れた音量がその壮絶さを物語っている。

 やがてアップグレードが終了すると、画面の端で、仮想であるはずの都市の外観に徐々に奥行きが生まれるのが見て取れた。都市全体に質量が宿ると、確かな重みと形を持って三次元へと侵入し、この世界に実体を持って出現する。

 VTRは仮想都市に注目した場面で止まった。それを合図に、今度は一回り小さいサイズのモニターが一同を囲むように無数に展開される。

 映しだされたのは各国の新『夢見人(ドリーマー)』候補たち。

 老若男女問わず様々な年齢層の者たちが一様に真剣な面持ちをし、厳格な様子でこの会議に臨んでいた。そして一時停止された映像を睨みつける。

『おおよそこちらも同じ感じだな。あの残像でほとんどの建築物が倒壊したあと、世界が終わると伝えられた。あのアップグレードでどれだけの死者が出たことか』

『すぐに移住計画を開始すべきだ。直ちに《夢境の黎明ヘザルダー》の起動を!』

 一人が口を開くと、それを皮切りに各国の新『夢見人ドリーマー』候補たちは揃って同意の声を上げた。あまりにも自分勝手な意見の数に、美月は今にも爆発しそうな怒りをぐっと堪える。

(こいつら、『夢見人ドリーマー』が夢を引き継ぐことがどういうことかわかってんのか⁉)

(誰もいなくなった世界で、次の『夢見人ドリーマー』が誕生するまで一人で待ち続けるんだぞ。例え仕事を全うしても、最後は夢と一緒に消えるしかないんだ!)

(そんな入江の辛さも知らないで……っ。お前らに人間に血は流れてないのか⁉)

「諸君、各国の『夢見人ドリーマー』の前だぞ。口を慎みたまえ」

 声を上げたのはバロディナルを統一する最高指揮官、稲垣現児だった。

 歳は四〇代前半。テーブルの先頭に陣取ったその堂々とした出で立ちは、役員の初老より若いにもかかわらず貫禄が滲み出ていた。その口調にはバロディナルの民度を下げかねない言葉への――なにより七海への配慮を欠いたことに対する怒りが滲んでいた。

 心臓が凍りつきそうな眼光の鋭さに、役員たちは恐怖で沈黙した。稲垣はその様子を見たあと、今度は子どもに言い聞かせるような柔らかい目を美月に向ける。

「漣研究員も理解してくれ。君の気持ちもわかるが、現にこうしてタイムリミットが近づいている。私だってこの結果は本意ではない。しかし他に方法も――」

「方法ならまだあります! この世界を持続できる可能性が!」

 ここぞとばかりに美月は悪い流れを断ち切った。先程の役員たちの勢いに劣らず、美月は机を叩きながら身を乗り出すと、意気揚々に自分の意見を主張する。

 一瞬の静寂。誰もが奇異の視線を美月に向ける中、稲垣は重い口を開けた。

「可能性、か……。ということは、なにか具体的な案があるのかね?」

 ギラついた眼光は、向けられた者の肝を冷やすほどの冷徹さが宿っている。悪足掻きで言っているなら許さないと。だが美月はその眼光に真っ向から対峙してみせた。

「実体化した仮想都市に侵入し、アッグレード阻止の手がかりを探すことを提案します」

「なっ⁉ 正気の沙汰じゃないぞ! アップグレードはもう目前に迫っていると『イクリプス』が告げたばかりだ! 探索などしている暇などない!」

 早速野次の応酬に押し切られそうになる。そのすべてがこの国の上層部の連中の発言だったのは言うまでもない。モニターの新『夢見人ドリーマー』候補たちは沈黙している。

だが美月も負けじと声を張って叫び続けた。

「最後まで話を聞いてください! 『イクリプス』は夢を〝物語〟と比喩していた。ということは〝夢が終わらない〟というアクションを起こせば、夢は持続するのではないかと推測したのです! アップグレードの阻止、または遣り過ごすことができれば――」

『うーん。確かに魅力的な提案ではあるが、現状では難しい』

『そうですね。いつ更新が始まるかも知れない今、あまり現実的ではない気がします』

 だが中にはまともな意見もあった。発言したのは新『夢見人ドリーマー』候補たち。なにより言ったのが新『夢見人ドリーマー』候補というのが大きかった。これには美月も歯噛みする。

「でも――!」

「もういいですよ、美月さん」

 どの人物よりも優しい声音に美月は思わず声を詰まらす。同時に、誰よりも発言力の大きい者からの言葉に、場はすぐに静まり返った。視線は一人の少女へと向けられる。

「みんな、生きるか死ぬかの瀬戸際で不安なのに……役に立てなくてすいません」

 そう言って謝ると七海は申し訳なさそうに顔を伏せた。美月はそんな心優しい少女の悲しげな横顔を見ると、決してその声から聞きたくなかった一言に顔をしかめる。

(違うんだ入江、そうじゃない! あたしは別に死ぬことは怖くないんだ。ただ心残りがある。もし当初の予定通り事が進んだら、お前は天涯孤独になるんだぞっ)

(それをわかってるのか⁉ なんで落ち着いていられる? もっと自分の心配をしろよ!)

 胸中で爆ぜた思考は、しかし口を衝かなかった。今さっき稲垣が役員たちを諫めたばかりだというのに、再び自分が騒いでは、稲垣の最高指揮官としての面目が立たない。

 本人に伝えられない罪の意識に、美月は拳を固く握るだけに留まる。

「入江君、それは」

 今度は稲垣が慈しみの籠った声で引き止める。それは意外なことではなかった。むしろ全員が、稲垣がなにかしらのアクションを起こすことを予期していた。

 稲垣にとって七海は、実の娘のように可愛がってきたかけがえのない存在。『NPC』に人権を与えた心優しき人物が、なぜ簡単に納得すると思うだろう。

「いいんです。もうこれ以上みなさんを危険に晒せません。それに全部わかっていますから。美月さんと稲垣さんの気持ちも、自分がどうしたいのかも」

 だがそんな稲垣の言は、七海の諭すような言葉に説き伏せられた。優しい声音ながらも決して譲るつもりのない主張に、稲垣も思わず苦い顔になる。

「おおっ。ということは、ついに!」

 すると一同、特に上層部の者たちは、期待と私利私欲に満ちた眼差しで七海を見る。七海はそれすらも許容するように、決意表明のために口を開いた。

「私も《夢境の黎明ヘザルダー》の起動に賛成――」

「いや、移住計画は保留にしましょう」

 一際冷静な、それでいてよく通る声に誰もが耳を疑った。美月は意外な場所からの意見に希望を見出し、七海は土壇場の反対意見に虚を衝かれて反応が遅れる。

 そして新『夢見人ドリーマー』候補と上層部の面々だけが、不快感を露わに声の方を睨んだ。

 その先では、軍服に身を包んだ薄褐色肌の男――この会議の司会進行役の男性隊員が席に座り、組んだ指を口元に当てて、実に悩ましげに目を伏せていた。

 いかにも訳ありそうな表情に、上層部の一人が値踏みの視線で真意を問う。

「なんだね? まさか君も我々に楯突く気じゃ――」

「滅相もございません。私もみなさんの判断は妥当だと思います。ただ一つ気になる点が――漣研究員、例の『NPC』と仮想都市についてはお話にならないんですか?」

『『NPC』と仮想都市? それは《夢境の黎明(《ヘザルダー》)》の起動と関係あるのか?』

 司会進行役の危惧に、モニター越しの新『夢見人ドリーマー』候補が問う。その言い方は明らかに男の発言を疎ましく思っており、言葉の端々から苛立ちがちらついた。

 だが男は臆さなかった。むしろよくぞ聞いてくれたと声を張る。

「もちろんです。このままでは例え《夢境の黎明ヘザルダー》に移住しても、入江七海自身に問題が起こり、最悪我々も消滅の危険があるので。それは漣研究員がよくご存じのはず」

「どういうことかね? なにか知っているのか漣研究員?」

 あまりに大袈裟な話の展開に稲垣は美月を見た。美月は一瞬戸惑って司会進行役を睨んだが、それよりも全体に説明せねばと、すぐに気持ちを切り替える。

「……まず大前提として、入江七海自身が新『夢見人ドリーマー』として不完全であることが問題です。まだ《夢境の黎明ヘザルダー》も完成に至っておらず、先日も移住計画の件でトラブルがあったばかりなのも気になります。それは『夢遊牧民ノマド』たちの間でも周知の事実。みなさん、こちらをご覧ください」

 言いながら美月が手元のデバイスを弄ると、テーブルの中央にパルスが蟠ってフィールドが展開された。瞬間、全員が目を奪われて釘づけになる。

 なにかを展開し続ける謎の残像が施錠されていた。美月は話を進める。

「これは以前『NPC』転送施設で爆発が起きたときに回収した残留物です。非常に脆く儚い代物のため、この中でないと保存できませんが」

「ああ、その報告なら以前聞いた。この残留物が転送装置の中にあり、あの爆発を引き起こした原因みたいだが。しかし今は解析中だったはずでは――」

 訝る稲垣に、美月はここぞとばかりに意表を突いた質問をする。

「では、この残留物と一緒に送られてきた『NPC』についてはご存じですか?」

「……なんだと?」

 議事堂内にざわめきが起こる。その中でも一際大きく反応したのが七海だった。

 いったい誰を指しているのか瞬時に察した七海は、弾かれたように美月を凝視する。美月はそれにアイコンタクトで「わかってくれ」と示した。七海は表情を濁らす。

「『NPC』って、以前の移送計画のときのか?」

『アップグレードが起きていないにもかかわらず送られてきた、あの』

『そんな話聞いた覚えがないぞ。どういうことだ?』

 上層部側が言うと、把握していない情報に新『夢見人(ドリーマー)』候補たちが反応した。そんな騒がしい説明を求める声をよそに、美月は胸中で脳裏に浮かぶ顔に謝罪した。

(巻き込んで済まない……だが七海を救うためなんだ!)

「詳しい内容は今から説明します。今回の『NPC』は未更新でこの世界に現れ、施設爆発の原因であるこの残像とともに送られてきました。――彼の名は笠木彼方」

 告げられた名前に誰もが興味を抱いた。きっとこの名は、この先もここにいる全員の記憶に深く刻まれるだろう。そう確信しながら美月は話を続行した。

「残留物の性質からしてアップグレードの断片で間違いないでしょう。そして残像を発信する場所は仮想都市のみ。となれば、仮想都市でなにかしらのトラブルがあったと考えるのが妥当です。それからすぐに世界滅亡が予言された」

 一つずつ筋を通すと美月は残留物の隣に、宮殿に来たばかりの、光に引きずられて無様に泣きじゃくる彼方の情けない静止画を映しだす。

「彼が未更新で送られてきた『NPC』の笠木彼方。そして彼の出現後に同じ装置から残留物が現れたことを考慮すると、彼が残留物と一緒に仮想都市から送られたと推察できます。あたしはこの残留物が原因で、本来旧『夢見人(ドリーマー)』の紡ぐ物語の進路を変えてしまい、現状に至ったと考えています」

 言いたいことをすべて言い終わると、美月は最後の判断を稲垣に委ねた。

 全員の視線が稲垣に集中する。最早迷いはなかった。稲垣は決断を下す。

「まず最優先に『NPC』笠木彼方を確保せよ。並行して仮想都市への侵入、及びアップグレード阻止の準備を整える。《夢境の黎明(ヘザルダー)》の件も……致し方あるまい。最悪の事態に備え、いつでも起動できるよう動作チェックだけ済ませるように。以上!」

 七海に関わる話のときだけ渋りを見せる稲垣。だがそれ以外は指揮官らしく胸を張って厳格に声を上げると、上層部と隊長と研究員たちに命令を下した。


       ◇


 その会話がされたのは会議のあと。バロディナルの某所でのことだった。

「やはりあの指揮官の首を縦に振らせるのは一筋縄ではいかないようだ。この期に及んでまだ《夢境の黎明(ヘザルダー)》の起動を拒んでいる」

「次の更新まで猶予はないっていうのに。あの司会進行役、余計なことを……」

「こうなればもう手段を選んではいられない。こちらでことを進めるぞ」

「具体的にどうするつもりだ? こちらだけで《夢境の黎明ヘザルダー》の起動はできないぞ」

「だったら起動せざるを得ない状況を作ればいい。指揮官が《夢境の黎明(ヘザルダー)》の起動を見送ったのは希望を見出したからだ。希望となった残留物を早急に排除する」

「残留物は、指揮官に肩入れしてる研究員たちが保管してるぞ。どうするつもりだ?」

「今はまだ気を窺うしかないだろうな。だが必ずそのときはやってくる」

「誰が破壊する?」

「『NPC』どもにデマの情報を流して命じればいい。この騒動であいつらも躍起になっているはずだ。『霊魂タブラ・ラサ』をちらつかせれば簡単に動くだろう」

「指揮官の希望はまだあるぞ。例の爆発事故のときに現れた『NPC』だ」

「ならそちらの排除も隊員たちに命じよう。こちらはすぐに取りかかれる。デバイスにその『NPC』の情報を貼って送信だ」

「これでついに《夢境の黎明ヘザルダー》へと旅立つことができる――」

 場所も人数も定かではない不穏な会話は、やがて雑踏に紛れて消える。

 そしてその魔の手は、すぐに彼方へと伸びていった。

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