第4話 『夢見人』育成施設

 巨大都市の中でも、特に超高層ビルが建ち並ぶ駅前の繁華街。

 元いた世界とそう大差ない雑踏。とある広場のベンチに腰かけていた彼方は、いつまでも途切れることのない雑踏を遠巻きに眺めながら一人黄昏れていた。

 彼方が気落ちしている原因は無論、先日駆り出された任務のことである。

 宮殿にいても気が滅入るだけだからと気分転換に外に出たはいいが、胸の奥の罪の燻りは一向に消えず、場所を移したくらいで気は晴れなかった。

 それでも別のことに意識を向けようと首を振ると、自販機を見つける。

 そういえば朝からなにも口にせず、口の中がカラカラだった。意識するとすぐに喉が渇き始める。彼方はさっと立ち上がると自販機に歩み寄った。

 以前美月からポイントを通貨として使うと聞いたことを思いだすと、早速デバイスを起動させて支払いを試みる。だが一つ問題が。支払い方法がわからない。

 このとき彼方は、デバイスで決済方法を検索するべきだった。しかしそこまで思考が及ばず、通行人に尋ねることを選ぶ。それが自身を脅かす事態になるとも知らず。

「あの、デバイスで買うときってどう払うんですか? 操作に慣れてなくて」

「デバイス、って……お前『NPC』か?」

 直感的にその言動から差別意識を感じ取ると、彼方は「え?」と硬直した。

 俄然冷たくなった視線に背筋が凍る。蔑視から逃れようと後ろに下がるが、すぐに背中になにかが当たって進行を妨げた。彼方は後ろを見る。

 数人の通行人が立ち止まり、じっとこちらを睨んでいた。その瞳には憎悪と軽蔑が宿っており、様々な方向から鋭い眼光が彼方を射抜く。

 気づけば視界に映る限りの全『夢遊牧民ノマド』たちが棒立ちで彼方を睨みつけていた。人々は集団催眠にかかったように目を据わらせている。

 彼方はようやく、大衆全員がこの世界の住民であることに気づく。今この瞬間まで冷たい視線に晒されずに済んだのは、『NPC』と『夢遊牧民ノマド』の容姿に違いがないからだ。

 だが彼方が『NPC』と知られた今、その線引きは明確なものとなる。

「公の場で正体を晒すとか。命知らずな奴もいたもんだな」

「ほんと俺たち人間と同じ姿してやがる」

 その声が本当に聞こえてきたものかどうかも、今の彼方には判別できなかった。

 なぜなら今彼方の脳裏には、先日の任務で見た光景が蘇っていたからだ。

『また『NPC』どもが任務で街を壊しやがった』

『せめて間引いてほしいわよね。あんな奴らが『夢見人ドリーマー』と宮殿で暮らしてるなんて』

『人間じゃないんだから殺していいだろ』

「うわあああああああああああああああああああああああ⁉」

 恐ろしい記憶の数々に、彼方は途端に周りの『夢遊牧民ノマド』全員が敵に映って絶叫した。

 いきなり叫びだす彼方に民衆はびくりとし、思わず一歩下がる。

 周囲が怯んだ隙に彼方は飛びだすと、動揺している人々の間を走り抜ける。

「うお、なんだ⁉ 危ねぇだろ!」

「なんだあいつ、急に大声出しやがって」

 不満の声はヒステリーを起こす彼方に向けられたものなのか、それとも『NPC』全体への侮辱なのか。どちらにしろ彼方が原因であることに変わりはなかった。


       ◇


「全然ポイント溜まんないわね。これじゃいつ『霊魂タブラ・ラサ』がもらえたもんか……」

 自室のデスクトップを睨むと光は嘆息混じりに呟いた。画面には今まで給付されたポイントと、生活にするに当たって消費されたポイントの通計が表示されている。

 いつ旧『夢見人ドリーマー』が目覚め、消えるとも知れない世界。早く『霊魂タブラ・ラサ』を入手しなければこの世界とともに消滅してしまう。それは『NPC』なら誰もが抱える不安だ。

 と、不意にデバイスが甲高く鳴り響いた。光は眉を寄せながら通話に出る。

「なによ美月。今日は特に任務もないはずだけど?」

『いやぁー悪い。実はちょっと頼みたいことがあってな。今時間あるか?』

「ない」

『前の任務以来、笠木が部屋に引き籠っちまってな』

「ねえっつってんだろ!」

 当然のように先を続ける美月に、光はすぐにでも通話を切りたい衝動に駆られる。

『実は今日、笠木と『NPC』専用移住地区を案内する約束してるんだが、さっきから連絡がつかなくてな。悪いが笠木を連れてきてくれないか?』

「はあ⁉ なんで私がそんなこと!」

『立て込んでて時間がないんだ。隊員も今任務で駆り出されてて暇な奴がいなくて』

「ちょっと待って。私任務の話聞いてないんだけど?」

『お前また謹慎になったばかりだろ』

「うっせぇ黙れ! なんで私なの⁉ 他の奴に頼めばいいじゃない!」

 痛いところをつかれると光はすぐに話を戻し、なおかつ不満を爆発させた。

 美月はしょうがないとでも言いたげにため息を漏らす。

『あいつ、未だにこの世界であたしと光以外に顔見知りいないんだよ。ほら、笠木の場合この前ここに来てすぐに実戦だったろ?』

「知らないわよそんなの。そっちの失態でしょ、自分でどうにかすれば?」

『そういえばお前また謹慎喰らったんだってな。どう、ポイント貯まってる?』

「喧嘩売ってんのか……っ?」

 いきなり煽ってきた美月に、光は憤怒に満ちた声音を通話口へ放つ。

『その様子じゃ全然稼げてないな。どうせ消費していく一方なんだろ?』

 言われて光はデバイスを確認する。確かにポイントは謹慎期間に入ってから生活費として当てられた分だけ減少していた。図星で光はなにも言い返せず眉をひくつかせる。

『もし笠木を連れてきてくれたらお駄賃をやらなくもないんだけどなぁ……』

 美月の高慢な態度は光の気に障った。しかしポイントを稼ぎたいのもまた事実。

 光は歯噛みを緩めると、口惜しそうに息を吐いた。


       ◇


 宮殿の礼拝堂。その中に設けられている邸宅の一室。

 巨大都市から逃げ帰ってきた彼方は与えられた部屋に引き籠ると、電気も点けずベッドに潜って震えていた。脳裏に蘇るのは先日の任務の光景と、先程の『夢遊牧民ノマド』たちの視線。そしてこれから壊していく夢と『夢遊牧民ノマド』に向けられた殺意に怯えきっていた。

 特に脳裏にちらついて鬱陶しかったのが、先日柴田に言われた言葉。

『お前、前の世界では相当家族に愛されなかったようだな』

「うるさい! なにが愛だ⁉ お前だって存在しない家族を妄想してたくせ! 俺が『NPC』でも設定はあったはずなんだ、きっとなにか経歴がある! そうだ、俺はここに来たとき学生服を着てたんだから親の保護下にあったはずだ。父親はサラリーマンで母親は専業主婦、俺は学生で下には妹もいて――」

 誰に言い訳するでもなく一人盲信的に想像する彼方。その思い込みは次第に願望となると彼方独自の世界観を作り、やがて存在しない記憶となって脳内に再生された。


『ほら彼方、こっちだよ。おいでー。一人で来れるかなー?』

『そんなにぐずってどうしたの彼方? 目が覚めて誰もいなくて寂しかったのかなぁー?』


 夢現の中、夢想したのは赤子の自分から見た母の姿だった。そこでは自分は母親の胸に抱き締められており、確かな温もりに包まれ、守られるべき対象だった。

(ああ、そうだ……きっとこんな感じに違いない。こうやって親に大切にされて俺は育ったんだ。例え設定でも、この記憶が、俺に家族がいたなによりの証拠――)

 夢と現実の境界があやふやになったときだった。不意に部屋に呼び鈴が鳴る。

 自分の世界に浸っていた彼方は突然現実に引き戻された。驚いて飛び跳ねると、ドアが激しく叩かれ、呼び鈴が連続で鳴り、デバイスが激しく振動する。

「ひぃっ⁉ なに、お化け⁉」

「笠木、いるんでしょ⁉ 早く出てきなさい! 聞いてんの⁉ おい、さっさと出てこい引き籠り! ドアぶっ壊して引きずり出すぞ!」

(なっ……立花⁉ なんで俺の部屋知って――誰が出るかっ。居留守だ居留守!)

 物騒な物言いに相手が誰かわかると彼方は頭から布団をかぶった。が、なおも光はドアを連打すると、ついに痺れを切らして脅しにかかる。

「もし中にいたらそんときぁオメェただじゃ済まさねぇからな! 稼いだポイントも全部奪ってこの世界から強制ログアウトさせてやる。オラ行くぞさんにーいちッ‼」

「ねえちょっと待ってよぉ!」

 あまりに非合法で理不尽な光の強行に彼方は布団から飛び出した。可愛らしい熊の顔があしらわれたパジャマ姿でドアに縋りつく。すると一際強くドアが叩かれた。

「いるならさっさと返事しろや! テメェ調子こいてんじゃねぇぞ⁉」

「ねぇちょっ、ドア叩くのやめて! 壊れちゃうって! ねーえっ」

「あんたが美月の呼び出し無視したせいで私にとばっちりが来てんのよ。どーせこの前の任務を引きずってるんでしょ? 自分で荒らしといてほんとしょーもな。記憶がどうとかくだらない理由で悩んで。まだこの前死んだ『夢遊牧民ノマド』の方が同情できる」

「……どういう意味だよ?」

 光が柴田と自分を比較していることに気づくと、彼方は当たりの強い口調で問うた。なにより、気が滅入るほど悩んでいる記憶のことをバカにされて腹が立つ。

 しかしそんな攻め口調、光にはなんのその。むしろ「はっ」と鼻で笑う。

「あの『夢遊牧民ノマド』は目的があって事件起こしたけど、あんたには行動する理由すらないってことよ。同情できる明確な理由があるかないかの違い」

「なんだよ明確な理由って……それこそくだらねえじゃねえか!」

 半分声を裏返しながら叫ぶと、彼方は怒りに任せて思いっきりドアをぶっ叩いた。

「柴田はあんな事件さえ起こさなければ無条件で自分の望んだ人生を決められた。でも俺ら『NPC』は違うだろ⁉ 命を捧げないと人間とすら認められない。なんの苦労もなく人生を約束された『夢遊牧民ノマド』にとってあいつは悲劇のヒロインかもしれないけど、そんなの俺からしたらふざけた話だっ」

 声に怒気が宿ると、彼方は溜め込んでいた感情を一気に爆発させる。

「俺が喉から手が出るほど欲しいチャンスを、ほとんど望みのない未来を、あいつは自分の我がままで全部棒に振りやがった。全部台なしにしたんだぞ⁉ それがどれほどの屈辱かわかるか? 自分で捨てるくらいならなんで俺に譲らない! 家族ともう一度会いたかった? 一人ぼっちが寂しい……? こっちは会いたいと思う家族すら思いだせないんだぞ! それを踏み躙りやがって、ふざけてんのは向こうの方だろうがッ‼」

 と、すべてを吐き出した直後、爆風とともにドアが吹き飛んだ。

「ぎゃあああああああ!」

 突然の爆砕に彼方はベッドまで吹き飛ばされると叫びながら床に転がる。

 モクモクと上がった煙が薄暗い部屋に差す明かりを遮った。煙が晴れると、室内に入ってきた光が影を作る。手にはガントレットを装着していた。

「その点は同感ね。でも私はそれ以上にあんたが気に食わないわ。『夢遊牧民ノマド』の創った幻に翻弄された挙句、無意味に実体のない人間に八つ当たりして、ターゲットを挑発して。辛い記憶もないくせに勝手に落ちぶれて。あんたなんて傷つく理由がないんだから楽な方じゃない。周りの方がもっと大変な思いしてるわよ」

 楽と言われて彼方はぴくりと反応する。普段は恐怖の対象でしかない光相手でも、光の軽視に彼方は我慢ならず反論する。

「なんだよそれ……自分より大変な思いをしている人がいたら、悩んだり苦しんだりしちゃいけないってんか? インパクトがなけりゃたいしたことじゃないのかよ? 俺より柴田や他の『NPC』の方が辛い目に合ってるって――」

「さっきからなに言ってんのあんた? 私はこっちまで危険に巻き込むなって言ってんのよ。あの柴田とかいうクソ『夢遊牧民ノマド』のことなんて知るか。むしろ消えてくれて清々してるわよ。他の連中にしてもどうでもいいしできれば死ねって思う」

「……は? どうでもいいって……チームの輪を乱すなとかじゃなくて?」

「チームなんてクソ食らえよ。むしろあんたがやらなかったら私が直接あいつを始末してたわ。もちろん安全な方法で確実にね。あんなの表向きは捕獲なんて言ってるけど、実際はみんなその場で射殺してんだからとっとと殺せばよかったのよ」

 想像以上に個人的な意見に彼方は素っ頓狂な声を出した。それどころか自分よりもよっぽど自分勝手な言い草にドン引きする。光は続けざまに不満を垂れた。

「二次被害だけじゃないわ。ストレスになることをされるのも本当に迷惑なのよねぇ。ウザいしキモいしすぐ泣くしうるさいし小便臭いんだけど」

「お前その性格でよく迷惑とか言えんな⁉ お前こそもう少し俺を労われよ!」

「それは余裕のある人間の理屈よ。人に優しくできるのは気持ちに余裕のある人だけ。誰かを幸せにするには、まず自分が幸せにならないといけない。多かれ少なかれ相手を傷つけることが前提条件なの。人のことを考えるのはそのあとよ。自分を幸せにできない奴が、他人を幸せにできるはずないんだから。だから私は自分のことだけを考えてるの」

 彼方の言葉に光は長々と饒舌に理屈を捏ねた。堪らず彼方は言い返そうとする、が。

「ったく。あいつの幻影だけでも気に障ったってのに……っ」

 それまで威勢のよかった光の口調は、不意に歯切れ悪くなる。そんな言葉尻と、以前柴田の映像に動揺していた光の様子がつながり、彼方はふと思い至る。

「お前も……前の世界で家族となにかあったのか?」

 言ってすぐ地雷と気づいたときには、光は彼方を睨んでいた。デリケートな話題だったのだろう。その動作だけで怒りが伝わる。しかし、だからこそ確信が持てた。

「他の『NPC』たちも新しい人生が欲しくて必死なのはわかった。でも、その中でもお前は格が違うっていうか、この前も一人だけ特別な任務してたみたいだし……。だからお前も柴田みたいに、前にいた世界で未練があったんじゃないかと思って」

「そんなのあんたには関係ないでしょ」

 即答する光になにも言い返せなかった。だが光の黙秘は以前いた世界で納得しがたい人生を送っていたことを暗に示唆し、図星であることを肯定していた。彼方に変に詮索される前にほとんどキレ気味に誤魔化した。

「てか、いきなりこんな世界連れて来られて自分の人生は偽物とか言われたら、普通納得しないでしょ。私も最初は頭にきたわ。突然お前のいた世界は夢だったとか嘘だとか、私の人生を全否定されて……――まあでも、いい機会とも思ったけどね」

 と、光は不意に誤魔化すのをやめた。声色を変えて不敵に口角を上げる。

「つまり私の人生は、誰かの考えたシナリオだったってことでしょ? じゃあこれからは自分の好きなように紡いでいいってことよね? ぶっちゃけチャンスだと思ったわ。魂さえ手に入れれば、もっとマシな設定で人生でやり直すことができるってね」

 その言い方から光の人生が幸福ではなかったことが窺えた。声に宿る闘志と、わずかな希望に縋ろうとする粘着質な強い意志から、そのことは容易に想像できる。

 だがそれをわざわざ指摘はしまい。すべて個人の問題なのだから。

 光の言う通り、この世界では大勢の『NPC』たちが人生を否定され、存在を拒絶されている。それは彼方も身をもって知った。その数だけ希望や絶望があり、みんな叶えたい夢を持って、死に物狂いでこの世界で生きていることも。

元の世界の記憶も、家族や友人との思い出も、大切にされた覚えもない彼方以外は。

「よく前向きでいられるな。『夢遊牧民ノマド』からあんだけ邪魔者扱いされるってのに……」

「これでもだいぶマシになった方よ。ここ数年だけど、稲垣っていうこの国の最高指揮官が今の地位に就いてから体制が見直されて、かなり住みやすくなったし。それまでは『NPC』へのリンチや差別なんて日常茶飯事だったし、本当に無法地帯だったわ」

 突然出てきた知らない人物の名前に彼方は首を捻ったが、光はこちらを見やると、心底どうでもよさそうに問うてくる。

「で、どうすんの? 行かないなら別に引き籠ってていいけど」

「いや……行くよ」

 彼方は渋々返事をする。ここで立ち止まったら、もう踏みだせないと思ったから。

なにより光にドアを破壊され、めちゃくちゃに荒らされた室内は落ち着かなかった。


       ◇


 着替えてから約束の待合室に行くと、軍服の案内人の男がすでに待機していた。

 男に連れられた彼方は、この世界で暮らすに当たり必要な学業プログラムや希望進路、宮殿に設けられた『NPC』専用移住地区についての説明を受けた。

 改めて眺める宮殿仕立ての施設に彼方は見惚れる。周囲には彼方と同じ制服を着た住民たちが行き交っていた。最後に宮殿の最深部に案内される。長い廊下の先にある巨大な隔壁の前には見張りの隊員数名が目を光らせ、厳重に閉塞されていた。

 案内人の男が隔壁の端末を操作すると、重い駆動音を上げながら隔壁が開放した。男に続いて中に入ると、外の隔壁と内部のギャップに彼方は面食らう。

 至るところで蜃気楼のように、メルヘンチックな異世界が展開されていた。

 それこそ月面の風景もあれば他国のお城の情景もあり、時間さえ飛び越えて白亜紀やロボットが入り乱れ、その種類は多種多様でまったく統一性がなかった。終いには謎の小動物やおもちゃの兵隊に怪獣など、もはやなにを表現したいのかわからない。

 困惑する彼方の前には、小児から18歳程度の児童たちが楽しげにはしゃぎ回っていた。

 どうやらこれらを創造したのはこの子どもたちのようだ。授業の一環なのか、教師と思われる人たちが子どもたちに指示を出している光景があちこちで見られる。

 廊下は元気な叫び声で満ち溢れ、壁には不格好な絵や図工作品が飾られていた。賑やかな教室との間にときたま設けられた実験室は保健室に近い感じに装飾されている。まるで小学校のような緩さだ。

 廊下を抜けて開けた場所に出ると、手すり越しに地下まで続く巨大な実験施設が広がっていた。各所で湧いたパルスが施設内を青く染める。無数の睡眠装置と機器類が設置された施設内では研究員が行き交い、睡眠装置の中では子どもたちが眠っていた。

 だがそれよりもさらに特異なものを発見すると、彼方は目を見開く。

 施設上方に小宇宙が広がっていた。

 小宇宙は球状のフィールドに収められている。壁や天井に埋め込まれた機械は球体へ向かって突き出し、小宇宙に向けてパルスを放出していた。

神秘的な光景に彼方が呆然としていると、男が視線の先を見て説明する。

「ここは『夢見人ドリーマー』育成施設。旧『夢見人ドリーマー』の後継者を生みだすための場所だよ。ここでは主に『夢見人ドリーマー』の素質のある人を育てていて、想像力を伸ばしてるんだ」

「素質? って、どういう人ですか?」

「選ばれるのは『霊魂タブラ・ラサ』を持つ『夢遊牧民ノマド』から。その中でも『霊魂タブラ・ラサ』の大きさが標準以上である人が対象者だ。もちろん大きければ大きいほど力も強くなる。まあ大きさは生まれ持った才能だから、あとからどうこうできるものじゃないけどね」

(なるほど。『夢遊牧民ノマド』も『霊魂タブラ・ラサ』を持ってるから、柴田も創造や攻撃ができたのか)

 説明を聞き彼方は任務のことを思い出した。そのとき逃げた多くの『霊魂タブラ・ラサ』の大きさは個体によって様々だった。

「小さなものを創造することなら誰でもできる。でもすべての人たちが暮せて、なおかつ創造した世界をキープできるのは、強大な『霊魂タブラ・ラサ』と優れた想像力を持つ『夢見人ドリーマー』じゃないと無理なんだ。なんせ世界を丸々一個、それも空間から地形に時系列と、とにかく事細かく創るんだからね。その新『夢見人ドリーマー』候補の中でももっとも能力が高い、優れた想像力の持ち主だけが、この世界をつなぐ後継者――新『夢見人ドリーマー』に選ばれるんだ」

 階段を下りながら、男は憧れの存在を見つめるように目を輝かせる。その視線は頭上を見上げており、丁度展開されている小宇宙へと注がれていた。

「あの小宇宙は《夢境の黎明ヘザルダー》――新『夢見人ドリーマー』候補が創造した新世界の種子だ。まだ成長途中で完全じゃないけど、これほど驚異的なものは前代未聞だよ」

 参ったとばかりに男は脱帽する。小宇宙は儚くもはっきりとした風景を映しながら揺らぎ、そこに内在する無数の星や銀河は、燃え上がる命のように力強い輝きを放っていた。

 近くで見るとその凄まじさをより実感し、彼方は感嘆の息を漏らす。

「凄い……。いったい誰があんなもの――」

「あれを生みだしたのは私です」

 背後の声に彼方は後ろを向く。そこには純白のドレスをまとう少女がいた。

 腰まである淡い狐色の長髪は少しだけ白みを帯びており、まだ幼さのある相貌の瞳は澄んで優しさが宿っていた。血の気のない肌は人形と見紛うほどに白い。

 彼方はその瞳を覗き込んで呆気に取られた。瞳は水に浸したインクのように不定形に揺らいでおり、虹彩はさながら宇宙雲のように神秘的な色合いをしている。

 彼方はそんな、か弱げな少女――七海の全身から漂うオーラに圧倒された。

(なんだ、この初めてじゃない感じ……。俺は前に、この子とどこかで――)

「初めまして笠木さん。私は入江七海です。直接顔を合わせるのは初めてですね。よかった、無事にこちらに来られたんですね」

 丁寧に一礼して、訳知り顔で労う七海。そんな優しく微笑む彼女と、頭上に広がる小宇宙を交互に眺めた瞬間、失われていた記憶が彼方の脳内を駆け抜けた。

 崩壊する世界。サイバースペースと宇宙空間。地球を包む虹色のベール。

 その後方で瞼を閉じる、純白のドレスをまとった女神。

「君はあのときの――ていうか、なんで俺の名前を知って⁉」

 重なった断片的な記憶が理解で爆発すると、彼方は少女の正体に気づいて仰天した。今にも混乱で卒倒しそうな彼方に、見かねた七海は優しく補足する。

「それは私が笠木さんの世界を創造した新『夢見人ドリーマー』候補だからです。『夢見人ドリーマー』は自分が創造した世界を、時間や場所を超えて一度にすべてを見られるんですよ」

「彼女は新『夢見人(《ドリーマー》)』候補の中でも秀でた素質を持っているんだ。豊かな想像力と屈強な精神、そして強力な『霊魂タブラ・ラサ』を持つ適材だからこそ、それを可能にできるんだよ」

 七海に代わって男が続ける。すべてに合点がいくと彼方は美月の話を思いだした。

(てことは、この子が最後までこの世界に残る――)

「あ、七海お姉ちゃんだ!」

 彼方が複雑な気持ちを抱いたとき、実験を終えた子どもたちが彼方の横を駆けていく。

「ばいばーい。また今度遊ぼうね!」

 小学低学年くらいの子どもたちは擦れ違いざまに七海に声をかけると、教室の方へと戻っていった。七海が手を振ると子どもたちは一層はしゃいで走る速度を上げる。

 そんな子どもたちの屈託のない笑顔だけで、ここでの七海の立ち位置や信用が垣間見えた。だが七海への尊敬とは裏腹に、彼方は子どもたちに同情を覚える。

「あんな小さな子どもまで『夢見人ドリーマー』の実験をやってるのか……親は複雑だろうな」

「そうでもないよ。むしろ親御さんたちは祝福してるくらいだ」

 ぼそりと呟いた彼方に男が食いついく。まさか聞かれているとは思わず彼方はびっくりした。だがいい機会なので、そのまま詳しく聞いてみる。

「それって、自分の子どもが世界を救うかもしれないからですか?」

「それもあるけど、なにより国から恩恵も受けられるからね。おっと、親が子どもを国に売ってるわけじゃないよ? 子どもや親にも拒否権はあるし、アポイントさえ取ればいつでも会える。子どもたちも『夢見人ドリーマー』に憧れてるから、いやがる子はほとんどいないんだ」

「へぇ。じゃあ入江さんの親御さんはめちゃくちゃ恩恵を受けてるんですか? だって自分の娘が凄い新『夢見人ドリーマー』候補なんですから、国からもかなり感謝されるんじゃ」

「ああ……うん、それは」

 彼方が指摘すると男は急に言い淀んだ。突然一人だけ気まずそうする男に彼方が小首を傾げると、隣で話を聞いていた七海が言葉を継ぐ。

「両親は私が小さいころ『夢の住民トライバー』に襲われて亡くなりました」

「あっ」

 もう続きを聞くまでもなく地雷を踏んだことを察して彼方は声を漏らす。だが七海が話しだした手前、途中でそれを遮るのも憚られた。七海は物憂げに語る。

「基本的にこの国は『夢の住民トライバー』が侵入して来ないよう、新『夢見人ドリーマー』候補がバリアを張っているんですが、未熟だったりすると破られてしまうんです。当時の候補者は私ではありませんが、でもその方を恨んではいません。仕方のない事故だったので……。あ、でも私が新『夢見人ドリーマー』候補になってからは今まで破られたことがないので、その辺は心配しなくて大丈夫ですよ?」

「……へ、へぇ~そうだったんだ……へぇ……」

(え、なにこの空気……重っ)

 事故とは言え、シリアスムードな流れに彼方は伐が悪くなる。そこで彼方は、話題の方向転換を試みようと咄嗟に機転を利かせた。

「ああでもその辺りのシステムはきちんとしてるんですねぇ! いやー俺だったら無理だな。だってもし自分が『夢見人ドリーマー』に選ばれたら一生一人ぼっちいぃぃぃぃんッ⁉」

 失言に急いで口を閉じる。もはや爆撃機並みの愚行に死人が出る勢いだ。彼方は恐る恐る七海を見る。しかし七海は彼方の胸中を悟ったのか、大丈夫と穏やかに答える。

「そう。新『夢見人ドリーマー』に選ばれたら、誰もいなくなったあとも、ずっと一人ぼっちで生きていかなくちゃいけない……。だから私が新『夢見人ドリーマー』になるの。だってあの子たちに、そんな重荷を背負わせたくないもの。……憧れてるみんなには悪いけどね」

 いたずらっぽく、しかしどこか哀愁漂う笑みを作ると、七海は施設に残っている子どもたちを見た。その悲しげな表情に、彼方は思わず言葉をかける。

「でも、それじゃあ入江さんが一人に――」

 悲鳴のように口を衝いた彼方の苦言は、しかし七海の寛大な優しさ包み込まれた。

「誰かが苦しい思いをして傷つくくらいなら、私が全部背負いたいんです。誰かが苦しんでる姿って、自分が傷つくことよりも辛いから」

 歳の近い少女の口から、それも生半可な気持ちではなかなか言えない覚悟に満ちた宣言に、彼方は面食らって舌を巻く。そして、だからこそ疑問が湧いた。

「なんでそこまでできるんですか? 別に誰も強制してないのに……」

「自分にしかできないことがあるなら、それを最大限に活かしたいって思うのって自然な考えじゃない? それが誰かのためになるなら、なおさらだよ」

 にっこりと、それが常識だと告げる七海。その圧倒的な価値観の違いに彼方は心底参った。それも一見か弱そうな少女から発されたものならショックも大きい。

「といっても、それほど褒められた動機じゃないけどね。誰かのため、って言えばかっこよく聞こえるけど、結局は役目を与えられる方が生きていくのが楽ってだけだから」

 彼方がそんな七海を尊敬する一方で、しかし七海は自嘲気味に捕捉する。

「人って、疑うよりも信じてる方が幸せで楽だから。自分が決めるよりも、誰かに決めてもらった方が生きやすいんだ。認知負荷って言うんだけどね。例えそれが本当に間違ってて、自分でも騙されてるってわかってても、今までそうだと信じて生きてきた時間や信念を否定されるよりは、それに従った方が精神的な負担は少ないの。よく言うでしょ? 信じる者は救われるって。それって多分、そういう意味なんじゃないかな?」

 自分でも言い訳じみたことを言っているのを自覚しているのだろう。七海は目を伏せると、どこか申し訳なさそうにさらに語る。

「それで辛いこともたくさんあるけど、でもどうすればいいか誰かが教えてくれる分、生きていくうえでの不安はあまりないんだよ。なによりも、誰かが敷いてくれたレールの上を走らせてもらってるのに、そこに胡坐を掻いて、自分はこれでいいのか? って勝手に不満を抱くのは、凄く高慢なことだから」

 それは自分への戒めだったのだろう。決して思い上がるなと。その説教として七海は今実際にそれを口にし、自分に言い聞かせたのだ。

 だが彼方の意見は違った。七海の意見に頷く一方で、彼方は持論を語る。

「確かに傾向としては悪いかもしれないけど、それだって自尊心を保つための手段の一つなわけだし。それが私情でも、実際にこの世界で生きてる人たちにはありがたいことだから、共依存としては理想的だと思うよ。誰かに必要とされてるだけ、まだ……」

 説得しながら自分の置かれた状況を顧みてしまい、彼方は惨めになった。

 七海はそれまで自分をフォローしてくれた彼方の緩急に違和感を覚える。

「……なにか辛いことでもあったんですか? そんな顔してますよ?」

「うぇ⁉ あーいや、辛いって言うか……うん」

 どう言い訳しようかい一瞬言い淀む彼方。誤魔化そうとしたが、別段隠すことでもないと思い至ると、彼方は己の悩みを打ち明けることにした。

「実は俺、前にいた世界のこと全然覚えてなくてさ。ここ最近ずっとそれが気にかかったんだよね。それを丁度今思い出しちゃって。だから家族の思い出とか、誰かに必要とされた記憶もなくて……みんなに頼られてる入江が羨ましいなーなんて。俺には帰るべき世界がないから……」

 嫉妬にも似た感情を曝露すると、彼方は気恥ずかしくなって後頭部を掻いた。そんな彼方が勇気を出して打ち明けた悩みは、しかし七海の何気ない一言が解決してしまう。

「なら創ればいいじゃないですか。帰るところ」

「え?」

 破顔して優しく表情を緩める七海に、彼方は理解できず呆然とした。そんな彼方の胸中を察すると、七海は『夢見人ドリーマー』ならではの発想を披露する。

「私たち『夢見人ドリーマー』は世界を生み出す側の人間です。そこに今までの生い立ちは関係ありません。いつだって創造するのはオリジナル作品。笠木さんたち『NPC』は『霊魂タブラ・ラサ』をもらえば好きな設定を選べるんですよね? なら自分のオリジナルもアリだと思います」

「俺の望む、好きな世界で……?」

 七海の発言はまさに目から鱗だった。自分の中になかったアイデアに、勝手にタブーだと決めつけていた発想に感銘を受ける。

「……そう、か……記憶がなくても、俺が作ればいいんだ……」

「記憶も諦めるのは早いですよ。思い出してくれたじゃないですか、私のこと」

「ああ、そうだ……そうだよな! 入江を思い出せたんだから、次もあるよな⁉」

 つけ足された言葉に彼方はさらなる希望を見出すと、興奮して声を荒げた。叫ぶ彼方に奇異の目を向ける通行人に対し、七海は朗らかに微笑む。

「ふふっ。笠木さんのお力になれたようで、なによりです」

「別にさんづけしなくていいよ。普通に名前で呼んで」

「じゃあ、彼方君で。彼方君も、さんをつけなくていいからね?」

 言って七海は嬉しそうに微笑む。その笑顔は先程の大人びたものとは違い、嬉しさのあまり思わず溢れた、年齢相応の可愛らしい女の子の笑顔だった。


       ◇


 七海もホールに用事があるということで、案内人の男と三人でホールに向かう。そこには無数の機械が設置されており、研究者や軍人で入り乱れていた。

 壁際の祭壇には巨大な台形の機械が鎮座している。機械から伸びた無数のホースは壁や天井、目下の機器類へとつながれ、障壁に掘られた回路図が緑に点滅していた。

 中央には円柱のガラスケースがあり、中には機械でコーティングされた玉座がある。

 その前方に建てられた塔には、巨大なクリスタルが祭られていた。

 と、七海は突然「あ!」と声を上げるや、ドレスを翻して駆けだした。

「おーい光ー!」

 七海は元気な声で手を上げると、暇そうに突っ立っていた光を呼ぶ。

「あ。七海」

 光は顔を上げると微笑んだ。光の横には美月の姿もあった。

 女子特有のスキンシップなのか、七海は嬉しそうに光に抱きつく。

「偶然ー! こんなところでなにしてるの?」

「美月に頼まれた仕事が終わって、その報酬待ち。七海はアップグレード?」

「うん、そうだよ!」

 光は笑みを湛えると親しげに言葉を交わした。その光景に彼方は驚愕する。

(えっなにあの二人友達なの⁉ 嘘だろ、なんであんな可憐な子と擬人化したメスゴリラの失敗作みたいな奴が仲よしなんだよ! やっぱりこの世界おかしい……)

「光がこっちに来たのは13歳のときだ」

 彼方が怪訝な目を向けていると不意に美月が言った。美月は彼方の横に並ぶと、楽しげに会話する二人をしばし眺め、それからどこか母親然とした表情で語る。

「あのころ光はこの世界に来たばかりで心を開かなくてな。入江もずっと『夢見人ドリーマー』の実験で友達を作れず寂しい思いをしてた。だからお互い惹かれあって、ああして支え合ってるんだろう。こっちとしても信頼できる友達同士でいてくれるのはありがたい」

(ああ。だから柴田が新『夢見人ドリーマー』候補を悪く言ったとき、立花はキレたのか)

 偶然にも二人の出会いを知って関心を向ける。と、彼方はふと悟った。

「入江がこの世界に最後まで残るってこと、立花は――」

「知ってる。あの二人を見てると、そのときが来なければいいって思うよ」

 美月は仲睦まじく会話をする光と七海を見ながら悲しげに言った。いずれ離れ離れになる二人や、その未来を変えられない自分の無力さに失望しているのだろう。

『間もなくアップグレードが開始されます。『夢見人ドリーマー』をセットしてください』

「あ、もう行かなくちゃ。じゃあ光、またあとでね」

 機械音声が響くと七海は光と別れて玉座へと急いだ。周囲にいた研究員や軍人も徐々にざわつき始める。彼方はなにかが始まる予感を感じ取ると美月に尋ねた。

「なにが始まるんだ?」

「見てればわかるさ。それより笠木、その機械の前に立ってくれるか」

 言われるがまま彼方は指定された機械の置いてある前に立つ。それは縦型のMRIのような機会だった。いったいなにが始まるのかと不安半分で彼方は待機する。

 足元から光の輪が出現し、素早く頭まで通過した。彼方は思わずびくっとする。

 その一方で、美月の弄っている機器の画面には彼方の全身と、その他細かな情報が表示されていた。不備がないかさっと目を通すと美月は「よし」と首肯する。

「今笠木のデータ情報を読み取った。すぐ住民登録する。もう降りていいぞ」

「早っ。え、もう終わったの?」

 数秒で事が済むと彼方は呆気に取られた。美月は一人機械を操作する。

 すぐに用済みを言い渡されると彼方は機械から降り、空いた時間をどうしたものかと視線を巡らす。すると不運にも光と視線がぶつかった。途端に光は目を尖らせる。

「なに?」

「え? いやその……入江と知り合いだったんだなって」

「ああ、そのこと」

 と、それだけ言うと光は視線を逸らした。彼方も何気なしに周辺を眺める。その先にガラスケース内に設置された玉座に座る七海を発見すると、彼方は思わず見入った。

「凄いよな入江は。あんな才能を持ってて、誰からも好かれて信頼されてるし」

「才能があるからって、それが必ずしも本人の望むものとは限らないわ」

「……? どういうことだ?」

 彼方が何気なく呟くと、それまで気怠そうにしていた光が強めに反応した。いやに否定的な意見に彼方がなぜと尋ねれば、光は不快気に述べる。

「本当に欲しいものと実際に手に入れたものが違うなんてざらにある。いつの世も、能力のある者には強制的に義務が課されるんだから、求めてない才能なんて呪縛でしかないわ」

 様々な感情がない交ぜになった言葉の羅列に、彼方は訝しんだ。

「随分な言いようだな……入江は『夢見人ドリーマー』の能力を望んでなかったのか?」

「初めから能力を持って生まれたんだもの。こんな環境にいたら、自然とその道で生きていかなくちゃいけないって思うものでしょ? 才能は持ってるだけで罪なのよ」

 珍しく熱弁すると光は感慨深げに息を吐いた。今まで一番近くで入江を見てきて、そう思う場面に何度も遭遇したのだろう。機械音声がホールに反響したのはそのときだった。

 暇潰しにも満たない論争は強制的に終了する。

『『夢見人ドリーマー』の接続を確認しました。フィールドを展開します』

 設置されていた台形の機械が作動すると、無数の巨大な反射板が出現した。駆動音が唸ると塔に祭られたクリスタルからパルスが湧き、周囲にいつぞやのパラノマが投影される。彼方は突然のことに驚きながら、ある異変に気づいた。

 映しだされた夢の終尾と砂漠地帯。さらにその奥、国境を越えた先に、陽炎のようにぼんやりとした建造物がぽつんとそびえていた。

 淡い青色のパルスをまとった、電子回路の浮かぶバーチャル仕様の仮想の都市。その周囲はサイバースペースで覆われており、電子回路は都市の外にまで伸びていた。

「この前あんなのあったか?」

「あれは仮想都市だ。定期的に出現しては、最新の情報をこの世界に発信する。その情報をこちらがキャッチするまでの一連の流れをアップグレードと呼んでる」

 謎の都市に彼方が声を上げると作業中の美月が応じた。彼方は思案する。

「アップグレード……て、品質を上げるって意味だよな」

「そうだ。例えば武器やデバイスに新機能が搭載されたり、今までなかった建物が都市内部に出現する。まるで時間を一気に飛び超えたような感覚だぞ」

 一足先に観た映画の感想でも述べるように、美月は期待を込めてそのときの体験談を語る。そのあまりに誇張された内容に、彼方は疑いとともに問いを投げた。

「そんな大袈裟な……だいたい、どこからそんな未来的な情報が来るんだよ?」

「この世界が創造される以前の、一つ前の世界から、この世界を維持するために一人取り残された旧『夢見人ドリーマー』が発信してると言われてる。そしてその情報と同時に、入江のような新『夢見人ドリーマー』候補が創造した産物――お前ら『NPC』が送られてくるんだ」

「仮想都市⁉ え、なんでそんなとこから?」

 原理がわからず彼方が当惑すると、美月は思考しながら解説した。

「ここは旧『夢見人ドリーマー』の夢の中。ということは、この世界にいる『夢見人ドリーマー』はある意味全員が旧『夢見人ドリーマー』と繋がってることになる。なら入江たちが見た夢も旧『夢見人ドリーマー』の見る夢の出来事同然。繋がってるからこそ夢の内容が旧『夢見人ドリーマー』にも及び、アップグレードのとき夢の産物である『NPC』が送られてくるんだ」

「……?」

 小難しい説明に彼方の思考が止まる。だがこの際、辻褄などどうでもよい。

(まあ要するに、アップグレードが起こると『NPC』もこの世界に来るってことか)

 などと彼方が考えていると、不意に機械音声がホールに響いた。

『フィールド展開』

 宣言と同時に駆動音が唸る。すぐに前方にあるクリスタルから莫大なパルスが湧きだした。やがてバリアが展開すると、膨張して彼方たちを内側に呑み込む。

 彼方がパノラマを見ると、宮殿からはみ出したフィールドがドーム状に膨らむ様子が映った。巨大ドームは宮殿と巨大都市を隔てたところで膨張を止める。柴田のときとは桁外れのスケールの大きさに彼方は驚愕した。

 仮想都市が爆ぜたのはそのときだった。視界の端が激しく点滅する。

『アップグレードが開始されました。各自衝撃に備えてください』

 感情のない機械音声を聞き流しながら、彼方は熱量のある光景に釘づけになる。

 仮想都市は青いパルスの飛沫を上げると波動を放った。すると都市自体が電子回路に沿って四方八方へと幾重にもスライドし、一瞬にして残像が国に迫って衝突する。

電子回路は国まで伸びると、人、草木、建物と、あらゆる風景が国全体を突き抜けていった。ばらけたピースは徐々に速度を落として巨大都市と重なっていく。

 そんな中、宮殿に展開された防壁だけが光波を弾いていた。彼方は当惑する。

「この場所だけ残像を弾いてる……」

「『NPC』はあれに触れたら消滅する。だから宮殿にだけフィールドを展開したんだ」

 すかさず美月が補足した。彼方は頭の片隅で納得しながら更新風景を眺める。

 残像が重なるごとに、巨大都市の形が最初に見たときと変わっていく。人はそのままだが、先程まで建っていた建築物はさらに発達し、宮殿の周囲に隣接していった。

「街の形が変わっていく⁉ 建物も増えてくぞ!」

「この世界で行われるアップグレードは、新しい情報をインプットし、この世界に上書きする一連の流れだ。ゲームでいうところのセーブだな」

 終始度肝を抜く彼方のリアクションに満足が行ったのか、美月は少年のように得意げな様子で語りながら、次々に巻き起こる事柄を我が物顔で実況した。

 映像媒体を使った一種のアトラクションのような心地に、彼方は素直に胸を躍らせる。

(凄い景色だ……凄い――けど。なんだ? この妙な既視感は……?)

 眼前で重なりあう巨大都市と仮想都市の残像に目を奪われる。だが不思議と初めて見た気がせず胸に蟠りを覚える。その原因を探ろうと彼方は目前の光景を注視した。

 刹那、脳内に陽だまりの中で淡く煌めく、ジオラマの都市が浮かぶ。

(――そうだ。俺は最初、あそこで――)

「俺はあの都市で目を覚まして、外に出た瞬間にここへ流されたんだ――」

「は?」

 無意識に彼方は言葉にしていた。それに横にいた光が眉をひそめてぽかんとする。

 そのタイミングで美月は彼方の登録作業を終えた。彼方のデータは一瞬にして『イクリプス』に読み込まれる。美月は作業の完了を彼方に告げた。

「よし。登録完了したぞ、笠木」

『――KA――NA――TA――』

「え?」

 美月がすべて終わった旨を伝え、彼方が同時に二人から呼ばれたような気がして振り返ろうとした瞬間だった。巨大な物体と正面衝突したような衝撃が宮殿全体を震わせる。

 次いで岩を砕くような凄まじい激突音が空気を震わせた。その威力は宮殿を激しく揺らし、立っていた大半の者たちが投げ出されたように転倒する。

「みんな伏せろ! 中央に集まれ!」

 すぐさま隊員たちが指示を下し、一同は蹲る形で頭を抱える。揺れの原因はなにかという一同の疑問は、誰かが答えずともすでに眼前に展開されていた。

 国全体を見渡せるパノラマ。その中で、アップグレードによって仮想都市から放出された残像が、わずかに実体化しながら国中をスライドしていた。

 建築物の残像は巨大都市と重なる前に実体化すると、そのままの勢いで都市中の建物と衝突し、あらゆる建築物を破壊する。粉砕した建物は爆発音を轟かせると、瓦礫となって『夢遊牧民ノマド』たちの頭上に降り注いだ。そんな光景が国中で起こる。

 当然その影響は、宮殿を覆っていたフィールドにも大打撃を与えた。元々残像を弾いていたバリアに、あらゆる人工物が隕石のような勢いで衝突する。シールドがそれを防ぐ度に宮殿は激しく揺れ、衝突音と粉砕音がホール中に轟いた。

「入江!」

「私は大丈夫です! でも街が――ッ」

 美月が叫ぶと、七海はそれよりも今も破壊され続けている都市の方を心配した。

今や街並みは巨大なハリケーンに襲撃されたような有様だった。街の原形は完全に崩れ、至る場所からノイズが侵食し、大量のパルスが噴出している。

 絵に描いたような地獄絵図に彼方たちは絶句した。

 そのときには光波も減速していた。残像が消えるころには砂漠が一望でき、アップグレードも完全に終了する。残されたのは破壊し尽くされた巨大都市だけ。

 やがて人々は正気に戻ると一人、また一人と、砂漠地帯のさらに向こう側に実在しないはずのものを見て硬直した。それは数瞬ごとに瞬き、光りを反射させている。

 実体化した仮想都市が、現実の姿となってそこに佇んでいた。

「嘘だ。更新が終わったのに、なんでまだ仮想都市があそこにあるんだ……っ?」

 誰かが呟くと一同は同じ反応を示す。初めてアップグレードの一連の流れを見た彼方だけが、なにが正解で間違いなのかわからず首を傾げた。

 再び都市が燐光を帯びるとハウリングが響く。遠く離れた場所でも不快音は届き、人々は一斉に耳を塞いだ。画面は仮想都市を拡大してその存在を強調する。

『最新データの受信完了。キーワードを入力。物語が再開されました』

 機械音声の奇妙なセリフに、その場にいた全員が呆気に取られる。

 すぐにホール内はざわつき不穏な空気が立ち込めた。やがて音声は告げる。

『間もなくこの物語は終わりを迎えます。次のアッグレードまでお待ちください』

それは『イクリプス』による、この世界の終焉を告げる予言だった。

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