第3話 ドーム

「これより今回の任務を伝える!」

 密室にドスの利いた野太い声が響く。その声量に皮膚がビリビリと痺れる。周りは慣れているのか、誰も微動だにせず起立していた。そんな彼ら彼女らは、この部隊に所属する『NPC』隊員たち。老若男女入り乱れた隊員たちは、戦闘前だというのにすでに殺気を放ち、闘志を燃やしていた。全員〈想像強化鎧レヴァリー〉を装備して隊列を組んでいる。

 その中でただ一人学生服姿だった彼方は、完全なアウェー状態に困惑した。

(え、なにこの状況……。なんで俺みたいなへっぽこド素人がここにいるの?)

 自ら志願しておきながら彼方は胸中で文句を垂れる。それとは別にこの世界に来て間もない新人を動員する辺り、本当に『NPC』はただの捨て駒なのだと再確認した。

(やべぇ緊張してきたおしっこ行っとけばよかったなぁ……でも)

『役立たずかどうか見極めるいい機会じゃない』

 志願したことへの後悔とは裏腹に、先程の光の言葉が遮る。

(少しでもポイントを稼いで役に立つところをアピールしないと。ただでさえ記憶がなくて欠陥品扱いされてんのに。今は事故の重要参考人として生かされてるけど、もし有罪なり、役立たず認定されたら俺は本当に⁉)

 光によって刷り込まれた強迫観念に駆られると、全身の毛細血管が収縮して鋭い痛みを感じた。それは自律神経に失調を来し、精神のバランスを狂わす。

 彼方の呼吸が乱れかけたころ、不意に前方から野太い声が響く。見ればこの部隊を仕切る巨漢こと隊長の猪熊武が『NPC』隊員たちと対峙していた。

「本日未明、柴田直樹という男が隊員に変装し、『霊魂タブラ・ラサ』保護施設を爆破したのち、大量の『霊魂タブラ・ラサ』の入ったデバイスを持ち出し逃亡。柴田は今回の実験の移住計画の志願者だ。ケースの破壊時に逃げだした『霊魂タブラ・ラサ』は現在、先に出向いた部隊が捕獲中」

(移住計画――俺がいた世界のことか。あの巨漢も確か前の世界で……)

 覚えのある言葉と顔に彼方が思い至っていると、空中にモニターが出現した。

 瞬間、彼方は目を見開く。アップで映されたのは先程保護施設で見た男だった。

(変な施設で見たおっさん……爆破の犯人だったのか!)

「犯人は逃走の際、デバイスを盗んだのち市街地にてフィールドを展開。現在二つの部隊が犯人の追跡と『霊魂タブラ・ラサ』の捕獲に取り組んでいるが、いかんせん放たれた『霊魂タブラ・ラサ』の数が多くて犯人の追跡どころではない。そして先刻数体の『霊魂タブラ・ラサ』が奴のフィールドに逃げ込んだと連絡があった。我々の任務はその『霊魂タブラ・ラサ』の捕獲だ。実戦を繰り返してきた諸君らなら無事任務を遂行できるだろう――それでは全員配置につけ!」

 猪熊の指示に従い〈想像強化鎧レヴァリー〉組は次々とデバイスを操作した。各々の手元に発生したパルスが弾けると電子回路に変貌し、回路をなぞりながら様々な武器を模る。

波動銃サージブラスター〉はもちろん、小型爆弾や球体やガントレットなどの武器も揃う。近未来的な道具の数々に彼方は驚くと同時に、突然戦闘態勢に入る隊員たちにぎょっとした。

(今ここで装備するの? 気ぃ早くない?)

 ふと浮かんだ疑問は突如視界を覆った青白い光彩により中断した。駆動音が聴覚を支配すると泡のように湧いたパルスがイワシの大群さながらに渦巻き、彼方を含んだ隊員一人一人の体にまつわりつく。音が消え去ると視覚情報が途絶え、途端にホワイトアウトする。

 次に彼方の視界に入ったのは、バグ塗れながら崩れたビル群と、大量のノイズやサイバースペース、そして街中を縦横無尽に飛び回る『霊魂(タブラ・ラサ)』の軍勢だった。

 ノイズの蔓延る一帯は空間が破壊され、砂嵐が発生し、モザイクが視界を遮り、断絶している。サイバースペースも大量に漏洩し、かなり危険な状態だ。

 響くのは雄叫びと爆音。破壊された街並みには塵が舞い、独特の悪臭が鼻を衝く。全身を取り巻く空気を実感たとき、彼方はようやく自分が転送されたことに気づいた。

「この感じ――そうか、転送したのか……いやここどこ?」

 覚えのある感覚に察し、見知らぬ場所に送られたことに彼方は困惑した。眼前では隊員たちが入り乱れながら『霊魂タブラ・ラサ』を捕獲している。そこに統一性はなく、みな好き勝手に暴れ回っていた。だがそれよりも、彼方は隊員たちが使っている武器に興味を持つ。

 まずは球体。球体は手のひらサイズだ。放られると四つに分裂し、対象物へ向かって自動追尾する。対象が中央に来るように電磁波で三角錐を作りだし、パルスを増大させて疑似的なフィールドを展開する。すぐに駆動音が唸ると球体ごと転送された。

 次に小型爆弾。形は円盤形で、設置した場所に対象が来ると、フィールドが展開する作りとなっていた。一瞬にしてひし形のフィールドを展開し、瞬く間に転送する。

 最後にガントレット。ガントレットを嵌めた腕からは大量のパルスが増大した。対象に指先を向けると空間を湾曲させ、遠く離れた場所から球状のフィールドを展開させる。手のひらを向けると高電圧を放出し、対象に遠距離攻撃も加えていた。

 どれもシンプルで使い勝手がよく、初心者にも扱いやすい代物ばかりだ。〈波動銃サージブラスター〉を使用しているところは何度か目にしたが、その他の武器は見たことがなく新鮮だった。

「うっひゃー、あん中に何体も『霊魂タブラ・ラサ』が逃げ込んでるとか。マジしんど」

 眼前で繰り広げられる戦闘に不安を覚える中、背後にいた隊員の億劫な声に彼方は振り返る。巨大都市の至るところにドーム状のフィールドが展開されていた。

 一つ一つの内部には様々な世界が広がり、こちら側を隔てている。ドームが重なって相殺しているものもあれば融解している世界もあり、一つの光景、あるいはそれらが融合しながら、なんとも形容しがたい亜空間を演出している。

 一つ残念な点があるとすれば、ドームによって大きさが異なり、内部風景も酷く捻じくれ、それこそ子どもの落書きのような有様だったこと。

「結構手間取りそうだな。あのドーム、本物以外は全部柴田のフェイクなんだろ? 普通、一人の人間がこんなにたくさんのドームを作り出せるわけがない」

「だろうな。そこら一帯にあるドームは柴田が一人で展開した世界って話だぜ」

(え、世界って『夢遊牧民ノマド』でも作り出せるものだったのか!? あれ全部、一人で展開した世界なのか!? 嘘だろ……!)

 横にいた隊員の話に彼方は驚愕した。そのまましばらく口をあんぐりさせていると、目前にぬっと現れた巨大な影に注意が逸れて気が逸れる。

「お前が新入隊員の笠木だな。話は聞いている。俺はお前の入隊した『NPC』部隊の隊長、猪熊武だ。ここでは俺のことは教官と呼ぶように」

「⁉ は、はい!」

 名指しに彼方は声を裏返す。シルエットの正体は我が部隊隊長の猪熊だった。

「いい返事だ。では早速デバイスを起動してみろ!」

 急に始まる指導に戸惑いつつ、彼方は事前に渡されていたデバイスの電源を入れる。

 瞬間、デバイス内の全情報が一瞬にして脳内を駆け巡った。

「……ッ⁉ なん! これは⁉ 直接頭の中に情報が――!」

 少し思考するだけで無限の情報が行き交い、常に更新される。新感覚に彼方はショックと感動を同時に覚えて呆然とした。莫大な情報量にも脳はオーバーヒートせず、脳とリンクして容量分を補っているのか、思考は常にクリアである。

「デバイスを起動させたら準備完了だ。慣れれば思い浮かべただけで具現化できるようになる。さあ、次に〈想像強化鎧レヴァリー〉を着用しろ!」

 言われて熟慮するや、途端に全身からパルスが湧いて電子回路が体を覆った。パルスが電子回路に沿って体をなぞると刹那に〈想像強化鎧レヴァリー〉が装備される。

 ほぼ一瞬の出来事に彼方は仰天した。だが改めて自分の肢体を眺めると、せっかくの感動はすぐに吹き飛ぶ。彼方は顔を引きつらせながら体を見下ろした。

「えぇ……なにこのスーツ? パッツンパッツンで体に張りつくし凄いちんちんもっこりするんだけど。うわこれ蒸れちゃうじゃんもぉーっ。場所変だしぃっ」

 全身にフィットするゴム製のスーツに彼方は不満を垂れた。早速股間が気になったのか、執拗に弄っては正確な位置に整えようとする。なかなか位置が定まらない。

「起動した時点で頭の中に武器の扱い方や情報が流れたはずだ。あとは自分のやりやすいように動いて敵に攻撃しろ。次は実践だ俺に着いて来いえああああぁぁ!」

 ざっくりとさえしていない説明を終わらすと、猪熊は一人意気込んで叫びを上げ、彼方を置いて戦場へと駆け出した。

「は⁉ ちょ、待ってください教官! 置いてかないで教官ってば! おい巨漢! ……ああもうクッソ! 武器はどう出すんだっけ⁉」

 自分勝手な猪熊に怒りつつ、彼方は装備を整えようと想像力を働かせる。

 途端に手中に奇妙な感覚を覚えた。見ると再び手を覆った電子回路の上をパルスが走っていた。すぐに確かな感覚と重量とともに〈波動銃(サージブラスター)〉が生成される。

(本当にできた⁉ これマジ凄いぞ! これなら俺にもできそ――)

「うわあああああ⁉」

 準備が整い、いざ出陣と身構えたとき悲鳴が響く。見るとそこには頭を抱えて跪く隊員と、全身を微動しながら具現化した波長を発する『霊魂(タブラ・ラサ)』がいた。

「った、助けてくれぇ! やだぁ……死にたくない! 元の世界に帰るまで俺は――」

 喚かれた願いは、『霊魂タブラ・ラサ』を中心に周囲の空間が凝縮されたと同時に止む。重力が発生したように景色が歪むと、隊員の全身にノイズが蔓延って肢体がバグのように断絶し、そのままノイズとなって消滅した。あとには少量のノイズが残る。

 眼前で起きた壮絶な出来事に彼方は硬直する。だが悲痛の懇願は終わらない。

「足がああぁぁ⁉ は、早く直し……これじゃもうボール蹴れぐぶぉ⁉」

「やり直すの……今度こそあの人が振り向いてくれるよう頑張るの! 私、絶対に帰ってみせるから。だからそれまで待ってて健一さ――ぎゃっ」

「金持ちになるんだ! 金持ちになってあいつら見返してやるんだよぉ! そうすりゃ親父も俺を殴らない。お袋も金がなくて病気で死ぬこともな……があああぁ⁉」

「なんで俺ばっか狙うんだよぉ⁉ あっち行けよクソっ。散々な人生だったんだ、一度くらい夢見てもいいだろぉ⁉ 頼むよぉ、頼むからあっちい……ぐっ、あぁああ!」

 一瞬前まで人の形をしていたものが、叶えたい夢や会いたい人の名前を叫びながら、ノイズに塗れて、あるいは波長に歪められながら醜く消えていく。

それも、最後は決まって絶望に打ちひしがれた絶叫で。

 彼方は知らなかった。本来『NPC』は、『夢遊牧民ノマド』たちの幸福な生活を送るために、不幸な立場を歩む側として生み出されたモブたちであるということを。

 そうとは知らず彼方は、一方的にやられていく隊員たちを見て慄いた。

「ひ、とが、あんな簡単に、殺され、て……っ⁉」

 命を懸けるどうこうの話は事前に聞かされていたが、実際に目で見るまでは実感が湧かなかった。まさかここまで混沌とした無慈悲な戦場とは思わなかったのだ。

 立て続けに脱落していく仲間たちに、彼方はこの世界で生き残ることの苛烈さ、そして目の前で呆気なく奪われる命の数々に戦慄する。同時に自己嫌悪に襲われた。

(みんな、それぞれ元の世界で歩んできた人生があって、それなりの理由があって戦ってるのに……俺はなんだ? なんの望みも、帰る場所もない。この疎外感は……?)

(でも死にたくない。本当は戦いたくもないのに! でも成果がないと処分が――)

『複数のドームの消滅を確認。逃亡者のエネルギー切れによるものと思われます。各隊員は速やかにフィールド内に侵入し、逃亡者の身柄を確保してください』

 自己嫌悪に浸っているとデバイスに通信が入った。

 見ると、先程まで展開されていたドームが一斉に消え、出来のよかった数個だけが残っている。消失していく世界に隊員たちも戦闘を中断した。

 と思いきや突然咆哮を上げると、今度は様々な世界が展開するドームへ向かって一目散に駆けだし、無秩序となった人波が叫びを上げながら猛進した。

 その先にあるのは選定された三つのドーム。遠目からでもわかるほどドームの内部は外観より中が広く、一つ探索するだけでも骨が折れそうだった。

 突撃するのも躊躇われる未知の領域。慄く彼方をよそに、他の部隊はフィールドを張って次々とドーム内部の異空間へ侵入し、『霊魂タブラ・ラサ』もそのあとを追った。

(あのどれかに柴田が……。くそ、行きたくねぇ……けど、ここで結果を出して周りを認めさせなきゃ。でないと生き残ってもどっちみち消されちまう!)

 彼方は自分に言い聞かせて奮い立たせると、一直線にドームへと進攻した。

 仲間たちは一様にフィールドを展開しながら敵の攻撃を躱し、死に物狂いでドームへ突撃する。彼方もそれをマネてバリアを張ると、姿勢を低くして駆け抜けた。

 だが勢いのよかった足取りも、目的地に漕ぎ着くとぴたりと止まる。

 眼前のドームの規模と圧力に彼方は息を呑んだ。世界を隔てる壁はシャボン玉の膜のように薄い、紙一重の立体絵画。そこに描かれているのは不格好な異世界の大都市。これでも先程一斉に消えた出来損ないのドームと比べれば、まだまともな出来だった。

 不格好なのは逃亡者の想像力の影響か、それとも他のドームにも労力を費やしているためか。その内部では隊員たちが戦闘を繰り広げている様子が見て取れた。

(この先に、まったく別の世界が……本当に入れるのか?)

 浮かんだ彼方の疑惑を解くように、大勢の隊員たちが次々と彼方を追い越してはドームへと入っていく。その様子に彼方は覚悟を決めると、指先でドームに触れた。

 不可視の壁に波紋が広がる。彼方の防壁とドームが接触すると双方の外壁が相殺され、向こう側への入り口が出現した。ゆっくり全身が奥に沈むと後方の喧騒が遠ざかる。

 今度は前方から騒音が響き、別世界の光景が眼前に広がる。

 ノイズとサイバースペースが溢れた世界と、バグにより波打った地盤に、ひしゃげながら乱立する建築物。この世界はすでに崩壊寸前だった。

 そんな崩壊世界にいるのは、しゃかりきに多方向へ分散する隊員たちと、群れで空中を泳ぐ『霊魂タブラ・ラサ』。だがまず疑念を覚えたのは自分の体に起こった変化だった。

「っ……なんだ? 急に体が痺れて……」

 体中の妙な痺れに顔をしかめると彼方は全身を見下ろす。

 体の至る箇所から少量のノイズが湧いて、痣のように食んでいた。

「うわ⁉ ノイズが……っ」

 突然のことに彼方は慌てふためく。しかしそれ以上ノイズが湧かず、数秒毎にわずかに収まっていく様子を確認すると、ふと美月の言葉を思いだした。

『『NPC』の場合燃料は自身の存在になる。少し全身にノイズが走るがな』

「これがその代償か……? エネルギーを使ったから? 他の人は……」

 気になって姿を探すと、異様に赤黒く染まった亜空間の渦巻く中、全身にノイズを付着させながら頭上を飛び交う『霊魂タブラ・ラサ』と、戦闘を繰り広げる隊員たちを見つけた。

 だがすぐに疑問を覚える。隊員たちの攻撃は、そのどれもがあらぬ方向へ繰り出されており、誰もが見えない敵と戦っているかのように立ち振る舞っていた。

(なにもない場所を攻撃してる? あいつら幻覚でも見てんのか……)

 彼方が訝しんだときだった。亜空間は意思を持ったように伸縮すると、隊員たちを囲うように無数の帯を全体に行き渡らせ、激烈なフラッシュを焚く。

 凄絶な電撃音が周辺の空気を引き裂いた瞬間、巻き込まれた隊員たちは木っ端微塵になってノイズと化すか、周囲に体の破片をぶちまけて絶命した。

「な⁉」

 壮絶な光景に彼方は怖気づく。一方で『霊魂(タブラ・ラサ)』の群れは次々と亜空間へ突入した。歪曲した亜空間は苦しそうにひしゃげながら不気味になにかを模る。

 瞬きほどの刹那、亜空間は柴田の顔をぼんやりと浮かび上がらせた。だが一瞬後には形が崩れ、不定形な柴田の相貌と面影はすぐに消えてしまう。

「し――柴田⁉ いや、でも柴田は人の姿だったはず――」

 彼方が驚愕している間にも『霊魂タブラ・ラサ』は亜空間と融合し、フラッシュの範囲と威力を増した。すると後方から現れた新たな部隊が、先陣と同様に亜空間へ突撃していく。

 だがすぐに周囲に蟠っていたノイズが爆ぜると、閃光が走って瞬時に隊員たちを呑み込む。激しいスパーク音とともに悲鳴が響くと隊員たちは一瞬にして滅された。

 視界いっぱいにバグに満ちた空間と破壊された街並み、そして隊員たちの惨たらしい残骸が張りつく。刹那、破壊された空間に奇妙な力が働いてみるみる渦巻く。

 あらゆるものが独りでに動くと、徐々に歪みが修正され、元の街並みに戻った。

 敵の排除を確認すると、亜空間は怪しく蟠りながら沈黙する。彼方は恐ろしさに足を震わせながらも、なにが起きたのか理解して震撼した。

(そうか、ここは柴田の夢の世界――自由自在に空間も変えられるのか⁉)

 この仮説が合っていれば、柴田は神にも等しい力を持ったことになる。だとしたら神に歯向かうなどおこがましいことだろう。が、彼方の脳裏には別の考えが浮かぶ。

(――あれを仕留めたら、いくらポイントもらえんだ……?)

 一攫千金のチャンスに目が眩む。なによりここで有能であることを証明できなければ戦力外通告を受ける可能性もある。その末に待ち受けるのは無慈悲な廃棄処分。

『なら欠陥品じゃないっていう証拠を見せなさいよ。でないとあんた殺処分決定よ?』

「やらなきゃ……処分される……殺される」

 呪縛さながらに脳裏を過ぎる光の言葉に、彼方は激しい動悸と極度の緊張に襲われると、呼吸の乱れと眩暈でふらついた。目元に涙が浮かべて歯の根をカチカチ鳴らす。

 そんな表面的な体調不良とは対照に、恐怖で追い詰められた彼方の精神はギリギリで保っていた正気のタガが外れかけた。窮鼠猫を噛むを体現するように覚悟と混乱と生存本能が刺激され、彼方のバイタリティを決して踏み越えてはならない危険な領域へと誘う。

 と、心の平静を欠きかけた彼方の脳が焼き切れる寸前、後方の世界を隔てる壁――外の世界から騒がしい音が響いてきた。あまりの騒々しさに彼方はぎょっとする。

再び外から突入してきた『霊魂タブラ・ラサ』と『NPC』隊員たちが突っ込んできた。一同はそのまま彼方を横切ると、柴田へと一直線に向かって行く。

「え、なにあの顔……キモ」

 聞き覚えのある声に振り向く。隣を見るといつの間にかいた光が、ときおり歪んだ柴田の顔を浮かべる亜空間を見ながら眉をひそめていた。

「『霊魂タブラ・ラサ』使って随分好き放題してるじゃない。一度にあんなドーム作って……『夢見人ドリーマー』なら未だしも、一人の人間に宿る魂は一つが限度だってのに、それをあんな大量に取り込んだらキャパオーバーで爆発するわ。そこんとこわかってんのかしら、あの中年?」

 光が言っている間も『霊魂タブラ・ラサ』は亜空間こと柴田に取り込まれていった。隊員たちも驚異的な力の前に手も足も出ず、一方的に消されていくばかり。

 亜空間に変化が起きたのはそのときだった。不意に柴田は「ぐっ……」と苦悶を漏らして攻撃を中断する。何事かと誰もが顔を上げた、その瞬間。

『ガアアアアアアアアアアァァァァァ!』

 柴田の絶叫を引き金に亜空間は爆砕し、ドーム内の街並みがホワイトアウトする。視界はただの真っ白い空間だけに支配された。

 しかし彼方は世界が消えたことよりも、別のものに興味を惹かれていた。

『パパ、おかえりなさーい!』

『今度の土曜日にお遊戯会があるんだけどね、仕事とか、他に予定とか入ってない?』

『見てパパ、蝶々捕まえたぁ~』

 眼前には半透明の幼女と母親らしき女性の、様々な日常生活の風景がいくつも投影されていた。先程の殺伐とした空気から一転した環境に隊員たちも困窮する。

(なにが起こった……どこだここ? 俺今、街中にいたよな? この幻は……)

「おい! あそこ!」

 いくつもの幼女と女性の幻影を注視していると誰かが叫ぶ。

人の姿に戻った柴田が、怪しげな亜空間をまといながら疲弊した様子で地面に手をつき、苦しそうに息を荒げていた。その足元には半壊したデバイスが転がっている。

「前の移住計画で与えられた設定上の出来事かしら。これがあなたの望んだ現実?」

 誰一人として身動きの取れない中、やけに落ち着いた声音に彼方は振り返る。

 光は一人納得したように頷くと冷静に周囲を観察していた。

「この二人は奥さんと子ども? あんた、まだ夢と現実の区別がついてないの?」

「黙れ! お前になにがわかる⁉ 本来ならこの生活が続くはずだったのに……これも全部新『夢見人ドリーマー』候補が真面目に夢を見なかったせいだ。あの役立たずのあばず――」

 柴田が言い切る前に、耳を劈く破壊音が続きを掻き消した。

顔の横を物凄い勢いで通過した巨大な光芒に柴田は息を呑む。前方には〈波動銃サージブラスター〉を構えたまま鋭い眼光で己を睨みつける光。その目は軽蔑と怒りの炎に燃えていた。

「言葉を選びなさい。消し炭にするわよ。もう聞いてるでしょ? 今回の移住計画が失敗したのは悪条件が偶然重なっただけ。新『夢見人(ドリーマー)』候補に落ち度はないわ」

 そう告げた光の目は本気だった。トリガーに添えられた指を見ればわかる。相手を消し去りたくて疼いていた。その怒りを吐き出すように光は続ける。

「私から言わせればあんたの方がクソ野郎よ。『霊魂タブラ・ラサ』までばら撒くから、どんな陰謀があるのかと思えば……ただの妄想から抜け出せなくなった中毒者じゃない」

 言って光は柴田の目を覚まさせようと、偶然横を通りかかった少女の幻影を虫でも払うように軽く小突く。幻は容易く霧散した。その何気ない行為が柴田の逆鱗に触れた。柴田は禁断症状のように目をかっ開くと、獣のように唇を捲り上げた。光はそれに気づかない。

「この分じゃあんたは一生豚箱にぶち込まれて人生終わりね。じっとしてればいずれ手に入った世界を、自分の手でパァにするなんて愚の骨ちょ――」

「ふざけるなああああああああああああああ!」

 顔を真っ赤にして叫んだ直後、柴田は怒りに任せて連続でフィールドを展開した。前触れもなく激高した柴田に、周囲はもちろん、光も理由がわからず驚愕する。

 その間にも柴田を中心にバリアが膨張し、マトリョーシカのように次々と展開されていった。無限に押し寄せるパルス色の壁に、一同は咄嗟に防壁を張る。

 彼方は運よく前方にいる何人かの隊員たちの展開するバリアによって柴田のフィールドが緩和され、どうにか耐え抜いていた。そんな極限状態の中、彼方は周囲から聞こえる微かな音声に注意を向ける。

『今日は遊園地行くんだから。早く起きてよパパ! ねえパパってばぁ!』

(これは、柴田の夢見た世界――いや、実験のときに生きてた人生)

風切り音の中、柴田一家の楽しげな会話が囁き程度に聞こえる。そのどれもが幸せと温かみに満ちた風景だった。そんな情景を前に、彼方は不釣り合いの感情を抱く。

(ああ、そうか……。目的を持って生きてるのは『NPC』だけかと思ってたけど、柴田みたいな『夢遊牧民ノマド』も、ちゃんと理由があって生きてるんだよな……)

 本来この場面で覚える適切な気持ちは、この夢を終わらせることが本当に柴田を救うことなのかと疑問を抱くことなのだろう。しかし彼方は違った。

(本当に俺は、誰かに望まれて生まれたわけでも……必要な誰かも、いないんだ)

明確に自分が欠陥品であることを実感し、彼方の心は粉々に砕けた。戦闘中にもかかわらず、立っていることもままならなくなり、手で顔を覆って膝を崩す。

 そんな彼方を嘲笑うように柴田の望んだ世界が、笑い合う家族が出現した。その度に彼方は罪悪感に苛まれて胸を痛める。が、その懸念は意外な形で幕を閉じた。

 不意に柴田が脱力してフィールドの圧が弱まる。限界が近いのだろう。その一瞬の隙を光は見逃さなかった。武器を構え直すと柴田に肉薄し、近距離で光芒を穿つ。

「くっ……!」

 持ち直した柴田が急いでフィールドを展開すると、光線はフィールドの壁面に直撃して、凄まじい電撃をぶちまけながら相殺した。

 柴田が光を睨むとたちまち辺りの空間が内側へと渦巻き、光を呑み込む。

 直後、閉じかけた隙間から光線と青いパルスが溢れ、歪んだ空間が弾け飛んだ。奥からは血液のように漏洩するバーチャル仕様の帯と、身を屈めた光が現れる。

 光は駆けだすと〈波動銃サージブラスター〉を投げ捨てる。武器がたちまち分散する一方、空いた手にはすでに新たな電子回路が浮かび、即座にガントレットが装着される。

 装着の際に散乱したパルスを光が鬱陶しそうに薙ぎ払うと、パルスはそのまま波動となって放たれ、青の電撃が空間を駆け抜けた。波動が通過すると煙霧のようにノイズと周囲の風景が消し飛び、一瞬だけサイバースペースをちらつかせる。

「ぬあああああああああああああああああ!」

 柴田の雄叫びに呼応して一帯が爆ぜる。それは最早攻撃とは言えなかった。感情的になった柴田の怒りが空間と連動して爆発したに過ぎない。

 爆撃は一直線に光へと伸びた。光はさらにパルスを噴出させて全身にまとう。

 そのまま連続で瞬間移動すると、爆撃を交わしながら柴田に肉薄した。光が姿を現すごとにパルスが散乱し、姿を消すごとにパルスだけがその場に取り残される。

 柴田との距離が縮まると、光はパルスの放出したガントレットを前に突き出した。凝縮された波動が放たれると、柴田は咄嗟にフィールドで相殺を試みる。

 だが柴田の集中力はこれ以上持たなかった。ノイズに浸食された肉体は限界を迎えると、展開しかけた防壁は途中で霧散し、柴田は波動をもろに食らって吹き飛ばされる。

「ぐはぁ……っ!」

 何度も地面をバウンドすると柴田は転がりながら苦悶を漏らした。それと連動するように創造した世界は完全に色が抜け落ち、混沌とした異空間へと変貌する。

「一瞬で追い詰めたぞ。なんだ今の動き⁉ 手も使わず攻撃する相手をあんな簡単に追い詰めて……てか、なんであんだけエネルギー使ってんのに大丈夫なんだ?」

「俺なんて少しフィールド展開しただけで全身ノイズに塗れたのに。同じ『NPC』のはずなのに……あいつ、命令聞かねぇヤベェ奴って噂されるだけのことはあるぞ!」

 間近でその様子を見ていた隊員たちは一様に唖然とした。全身に鳥肌が立っているのさえ忘れ、敬意の籠った視線を光に向ける。

「これで終わりよ。いい加減夢から覚めなさい」

 引導を渡そうと光がトリガーを引こうとする。そのとき空間が歪んだ。

 突然の事態に一同は動きを止めた。空間が揺らぐと、女性と幼女の姿は別の情景に塗り潰されていく。そして新たに表れた衝撃的な光景に絶句した。

『うわあああん! いやだぁ! 助けてパパ、パパ――ッ!』

『あなた、愛梨の血が止まらないの! お願い助けてぇ!』

 投影されたのは鮮血に塗れた室内。そこには見知らぬ男に髪の毛を引っ張られて泣き叫ぶ幼女と、幼女の胸から流れる血を必死に止めようとする女性だった。

 先程の温厚な光景とは比べ物にならない真逆の温度差に誰もが目を見張る。それは今さっき、この瞬間まで勝気であった光をも黙らせるほどのインパクトだった。

「うっ⁉ なんだこの酷い映像は……バグったのかっ⁉」

「いや違う、バグじゃない! こっちが本当に起こった――」

「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああ‼」

 真実に気づいた隊員の言葉は、柴田の絶叫で遮られた。

 青ざめた柴田は悪夢にでも魘されるように怯え、自分の精神がコントロールできない様子で小刻みに震えた。周囲の幻は柴田の自我の崩壊を示すように酷く歪む。

「おい女! なにしてんだ早く捕まえろよ! お前のせいでこうなったんだぞ⁉」

「そうよ、早くどうにかしなさいよ⁉」

 男性隊員に続いて女性隊員も急かすと、光は鬱陶しそうに顔をしかめる。

「うっさいわね、変に刺激できないでしょ⁉ 人任せのくせに威張ん――」

 叫びを上げる柴田に呼応してドーム内全体からパルスが吹き出し、好き勝手言う隊員たちに光が怒鳴っている最中だった。突如放たれた野太い光芒が柴田の腹部を貫く。

 その場にいた全員が、明確な殺意を持った一撃に目を見開いた。

 耳障りな砲撃の残響に惑わされたように、柴田は光線で貫かれた腹部を見下ろす。そして一同は軌道の先――全身にノイズを走らせながら〈波動銃サージブラスター〉を構える彼方を捉えた。

「成果を出さなきゃ、ポイントを稼いで……消される――殺される……っ!」

 ぶつくさ言いながら彼方は青い顔で力強く武器を構える。その手元は酷く震えており、今にも卒倒してしまいそうなほど血の気が引いていた。

 にもかかわらず彼方は再び柴田に標準を向ける。光は弾かれるように叫んだ。

「バカっ! 下手に刺激すんな!」

「あ、ああぁ……あぁあ、あぁ、ぁああぁぁああああああ――!」

 咄嗟の光の忠告は、しかし一足遅かった。

 柴田は自身の腹に空いた穴と、その傷口を中心に迸る放電とノイズを視認するや、恐怖で金切り声を上げる。それに呼応するように映しだされていた一家の幻影が消滅した。空気が激しく振動すると、足元も地震のように揺れて視界がぶれる。混沌とした風景は徐々に薄れ、すべてが白光に包まれて隊員たちごと消そうとした。

 だがその暴走も長くは続かなかった。柴田の発狂に畏怖した彼方は「ひっ」と声を漏らすと、今度はまともに標準も合わさずに光線を乱射する。

 幸か不幸か、偶然にもそれらの射撃はすべて柴田に命中した。

 まず一発目が左腕を肩から吹き飛ばす。次いで二発目、三発目が右胸とわき腹を貫通した。立て続けに襲った衝撃に、柴田はボロ人形のように吹き飛ばされる。

 すると周りの景色はたちまち半透明になった。やがて外の風景が霞んで徐々に見えるようになると、それに合わせてドームも収縮を始める。

「世界が崩壊を始めた⁉ 夢が終わろうとしてんのか……っ?」

「これ崩れるんじゃないか? やべぇ、早くドームの外に出ないと!」

 異常を察知すると隊員たちは急いで外の世界へと駆けだした。対して彼方は柴田に近づくと、報酬欲しさに傍らに落ちていた半壊したデバイスを回収する。『霊魂タブラ・ラサ』が逃げぬようあらかじめ小さくバリアを展開すると、中に施錠された無数の『霊魂タブラ・ラサ』を確認した。

「中に『霊魂タブラ・ラサ』を施錠したのね。こんだけ詰め込んだらそりゃ壊れて当然か。元からデバイスにそんな機能も備わってないのに、道具を仕舞う場所にこんな大量の『霊魂タブラ・ラサ』を無理やり詰め込むなんて。どんだけ乱暴な使い方してんのよ」

 離れた場所でその様子を見ていた光が独りごちた、そのときだった。

バキリと彼方の手中でなにかが砕ける。同時に不穏なノイズが周囲に走った。

「ああああああああああああッ!」

 絶叫が上がったのはその直後だった。振り返ると薄れゆく残像の中、決して色褪せず原形を留めた風景があった。そこには柴田の妻と娘がいる。

 その二人はノイズに浸食され、目も当てられないほど残酷な姿になっていた。

 手足が捻じ曲がり、デッサンは狂って全身が崩壊している。内臓の位置すらずれて、肉体を貫通してはみ出していた。無残な姿になった家族を前に柴田は発狂する。

「笠木あんた⁉」

 怒鳴ると光は彼方にズカズカと詰め寄った。その手には、ひび割れてショートしたデバイスが握られている。柴田の妻子がバグった動かぬ証拠だった。

 空間とともに女性と幼女がぐにゃりと歪む。もはやただの不気味な肉細工と化した二人はノイズと化すと、明滅しながら筋肉や内臓をぶちまけ、パルスとなって散りだした。

「やめろ! 頼む行かないでくれ、文香! 愛梨ぃ‼」

 ショックで絶叫を上げながら柴田は家族への深い愛を、愛する者の名を叫ぶ。

 そんな愛する者がいる柴田に、慈しめる記憶に、彼方は耐えがたい憎しみを覚えた。

『パ……パ…………だい、す――』

 幼女の幻影が最後の一言を発しようとした直後。彼方は腹の底から溢れる胸糞悪い感情に歯噛みすると、デッサンの狂った妻子の幻影目がけて躊躇なく光線を撃った。

「……⁉ ? ……っ⁉」

 二人が貫かれるや、柴田はなにが起こったのかわからないと言った表情で顔を絶望に曇らせた。それから理性を失った獣のように咆哮を上げる。魂ごと体を引き裂かれたような叫びに光と隊員たちは、常軌を逸した彼方の行動に正気を疑った。

 死体蹴りを凌駕した惨い仕打ちと、彼方への失望と幻滅で、一同は息が詰まる。

「な……なにしてんだ、あいつ……っ。気でも狂ったのか?」

「ひ、酷い……あそこまでしなくたって。もう戦う気力もないのに……」

 周囲が不快感と軽蔑を彼方に注ぐ。すでに崩壊していた妻子はさらにノイズに蝕まれると、識別不能なまでに汚染された。だがまだ彼方の気は収まらない。

 彼方は妻子だったものに近づくと、足を上げては何度も二人を舐るようにノイズを踏みつけた。分散して千切れた手足や顔面を蹴散らし、踵でぐりぐりと磨り潰す。

 瞬く間に人の形は消え去り、ズタボロになったノイズだけが蟠った。

 眼前で行われる冷淡な仕打ちに隊員たちは不快感を抱く。それとは対照に、彼方は当然の報いだと言いたげな表情で、靴裏にこびりついたパルスを地面に擦った。

 もはや柴田はなんの反応も示さなかった。両膝を突いたままただ絶句して、電源が落ちたように動かない。その状態のまま絶命したのではないかとさえ思える。

そんな疑問を肯定するように世界は大きく揺れると、白光に包まれていった。


       ◇


 亜空間が歪むとドームは空気を抜いたように縮小した。外側から順に中に取り残されていた隊員たちが姿を現し、最後に三人分の影が中心から現れる。

「隊員は指示があるまで各自その場で待機!」

 吠えるなり猪熊は中心部へ駆けると、現場の中央で佇む彼方を見て驚愕した。

「もしかしてお前がやったのか笠木⁉ まさか新人が逃亡者を捕まえ――」

「笠木!」

舌を巻いた猪熊が彼方を称賛しかけたときだった。光は彼方の胸倉を掴んで睨みつける。

「さっきのどういうつもり? 相手を刺激するなって言ったわよね」

「ぐっ……な、なんだよいきなり⁉ 全部終わったんだし別にいいじゃねーか!」

「結果論で語ってんじゃねぇ! いい? あの世界を創ってたのは柴田なの。それを追い詰めて、下手したら中にいた私たちも危なかったのよ⁉ てか最後のあの意味のない死体蹴りなに? どういうつもりか知らないけどねえ!」

「いやだぁ! 行かないでくれ文香ぁ、愛梨……ッ!」

 開き直った彼方に光の応酬が続こうとしたとき、断末魔の叫びが響く。振り返ると悶えるように泣きじゃくっていた柴田が、複数の隊員に取り押さえられていた。

「離せ! 向こうに愛梨と文香がいるんだ、二人が待ってるッ!」

「それは『夢見人ドリーマー』が作った設定だ! 全部夢なんだよ! そんな奴はいない!」

 拘束されてなお否定する柴田に隊員が事実を告げる。だが柴田は聞く耳を持たない。

「夢なものか! 確かに手の中に温もりがあった、そばにいたんだ……っ。お願いだ、頼むから俺を連れてってくれ! どうか、もう一度あの子の元に――ッ」

「いい加減にしなさいよこのクソジジイ!」

 不運にも足にしがみついた女性隊員は気が荒く、柴田は顔を蹴り飛ばされた。その姿はあまりにも哀れで見るに堪えない。だがそれも柴田が唸るまでのこと。

「まえ……たちは――いつ、やって……消して……」

「あぁ? なによ気持ち悪いわねぇ。聞こえないのよおっさ――」

「いつもこうやって夢を奪ってきたのかッ⁉」

 隊員の苛立たしげな言葉は、柴田の怒鳴り声に掻き消された。

 一瞬空気が震えたような気がし、隊員は怒声に圧倒されてたじろぐ。

「聞いてるぞ、毎回俺のように事件を起こす輩がいると。その度にお前たちは他人の人生を消したんだ。今まで何人の夢を踏みにじった……? どれだけの人生を奪ったッ⁉」

 柴田が怒鳴ると、その怒りに呼応するように周囲にパルスが蟠る。

 猪熊は柴田の手にデバイスがないことを確認するや、急いで制止を呼びかけた。

「バカなマネはよせ! デバイスが手元にない状態で創造するんじゃない! 力が制御しきれず暴走するぞ! お前たち、すぐに取り押さえ――」

 猪熊の指示は、しかし次にパルスが爆ぜた瞬間、誰の耳にも届かなくなる。

『これ以上『NPC』なんてゴミを増やすな! 政府はなに考えてんだ⁉』

『旧『夢見人ドリーマー』の負荷を増やして眠りを妨げる疫病神め。早く殺してしまえ!』

『魂の持たないバグ風情が。国が擁護しなければ今すぐ殺してやるのに』

『お前らが生きてるだけで世界が汚れるんだよ! こんな奴らに人権なんてあるか!』

 周囲にバロディナルに住まう『夢遊牧民ノマド』の姿が投影されると、彼方たち『NPC』へ向けて謂れのない差別発言や迫害など、壮絶な誹謗中傷の嵐が巻き起こった。

 柴田の展開した『夢遊牧民(ノマド)』たちからのバッシングに隊員たちはたじろぐ。四方八方からのなじるような視線に委縮した。それは映像だけが原因ではない。

 軽蔑の眼差し、憤怒の渋面、底知れぬ怒りを孕んだ声量。そして現実に『夢遊牧民ノマド』たちが『NPC』に行っているであろうリンチの光景が、完璧なほど臨場感に溢れて再現されていた。周囲から執拗なまでに見せつけられる残虐性に誰もが怯える。

「や、やめろ、こんなもん見せつけんな……うわあああやめろおおおおぉ!」

 幻影とわかっていて錯乱する隊員たち。その反応はこれらが実際の出来事であり、それによって『NPC』たちがトラウマを植えつけられたことを物語っていた。

(な……なんなんだよ、これ……。これがこの世界の住民――『夢遊牧民(ノマド)』なのか?)

恐怖に打ちのめされる彼方の横で『NPC』たちは武器で幻を攻撃する。攻撃は実体のない『夢遊牧民ノマド』をすり抜けると別の隊員に直撃し、二次被害をもたらした。

「なにを踊らされているお前たち! これは映像だとわかっているだろう⁉ 本物ではないんだ、正気に戻れ! 相手の策略に呑まれるんじゃない!」

 直ちに猪熊は制止を呼びかける。それを見た柴田は嘲笑を漏らした。

「くく……映像か。確かに実態じゃないから偽物だな――映像以外は」

「黙れ! 貴様、往生際が悪いぞ! 早く映像を消せ! でないとお前の体も」

「なにが悪い⁉ 全部事実だろ!」

 猪熊の説教に柴田は逆上した。そして周囲を示すように手を広げる。

「今でこそ俺たち『夢遊牧民ノマド』は『NPC』を受け入れてるが、そんなのは建前だ。お前もわかってるだろ。住民全員が今でもこう思ってる。すぐにでも『NPC』とお前たちが俺になにをしたかを国民に教えてやりたい。こいつらは旧『夢見人ドリーマー』の夢を妨げるだけじゃなく、俺たちの夢も台なしにして嘲笑ってることを!」

 全体を見回しながら叫んでいた柴田の眼光が彼方を射抜く。そのギラついた殺気に彼方は背筋を凍らせた。すると己の家族を葬った彼方への憎しみが柴田の中で増幅する。

「特にお前だけは絶対に許さない。俺の妻を……娘を二度も殺しやがって!」

「うっ、……あ、あぁ……」

「やめろ笠木、まともに取り合うな! お前も毒されるぞ!」

 矛先が向くと彼方はたじろいだ。即座に猪熊が警告するが、柴田がそれを許さない。柴田は彼方を追い詰めるため、彼方のコンプレックスをピンポイントで攻撃する。

「お前、前の世界では相当家族に愛されなかったようだな。大切なものを全部奪われたから俺にもわかる。さっきの光線もその逆恨みだろ?」

「はあ⁉ な、にを……いつ俺が家族のことしゃべった⁉ そんな適当なこと――」

「く……はははっ! なんだその見るからに図星って面⁉ 人の家族を殺しといて被害者面しやがって! お前はただ自分より幸せな奴が気に食わないだけだろっ」

「いい加減黙れよ……的外れなこと言い続けんのも大概にしろ……」

 本音を悟られて彼方はたじろぐ。そんな反応に柴田は彼方の人生の哀れさを嘲笑った。

「最低最悪の逆恨み野郎だ。安心しろ、お前なんか誰からも愛されないし必要とされない」

「黙れって言ってんのが聞えねぇのかよ――」

「幸せなんてもっての外だ! 夢を見るだけ無駄。なんせ他人の夢の中でさえ愛されなかったんだからな! お前は一人ぼっちでこの世界で死ぬんだ!」

「うわあああああああうるせえええええぇぇ! 黙れ黙れ黙れええぇ!」

 終わらない柴田の応酬についに彼方は悲鳴を上げた。ヒステリックを起こすと武器を振り回し、所構わず〈波動銃サージブラスター〉をぶっ放す。お陰で彼方はノイズ塗れになった。

「なにしてる笠木⁉ バカなことはやめろ! 武器から手を放せ!」

 猪熊は暴走する彼方に掴みかかると、暴れる手足を抑えつけながら〈波動銃サージブラスター〉を引き剥がした。その様子を見ていた柴田は彼方の滑稽な姿に高笑いする。

「くっははははは! ざまあねぇなあ! どうせ前の世界でも似たようなことやってたんだろ、その報いだ! 前科がないなら悲惨な人生なんて送るはずない! 全部お前が悪いんだっ……そのはずなんだ。だから、俺の人生だってこんなはずじゃ……」

 始めこそ苦しむ彼方を見て愉悦に浸っていた柴田だったが、何気ない自分の一言に我が身を振り返るや、次第にその余裕も消え、ついには泣き叫ぶように怒声を上げる。

「うぅ、くそ……畜生おぉぉッ‼ 俺がなにをやったってんだ! ふざけるなァ‼」

 半狂乱のまま柴田は叫んだ。彼方はその情緒不安定な柴田の姿に怯えると、ようやく己がしたことを自覚して、背筋から沸き上がった恐怖心でメンタルが擦り減る。

「移送のときは記憶を書き換えるくせに、なんで起きたときは夢の記憶を残しておくんだよ⁉ なぜ消さない⁉ 記憶がなければこんな思いをせずに済んだのに……っ。残すくらいなら幸せな夢を見させないでくれッ! もううんざりだ、全部消してくれぇ‼」

 猛獣のように吠えると柴田は頭を掻き毟った。跪いて何度も地面を殴りつけると、血の滲んだ手で顔を覆って苦しげに喘ぐ。力んだ指先は顔に減り込み、血で汚した。

 その隙間からは涙が伝い――湧き出したノイズで歪められる。

 柴田は全身にノイズを走らながら不気味に明滅した。だが本人はなおも譫言を呟く。

「ずっとそばにいたかった。これから先も一緒に生きていけると信じていたのに……どうして消えてしまったんだ……。会いたい……もう一度、二人に会いた――」

 パァン! とスパーク交じりの破裂音が響くと、柴田は勢いよく破裂した。

 盛大に撒き散らされた内容物に彼方はショッキングな光景に慄く。隊員たちも半狂乱のまま無残な姿になった柴田に、そのあまりに惨たらしさに一瞬で熱が冷め、正気に戻らざるを得なかった。周囲の見るに堪えない映像も、電源が落ちたように消えていく。

 ノイズに浸食された柴田の内臓が、飛び散った状態で虚空に張りついていた。柴田だった残骸は、さながら針の長いウニのような状態でフリーズしている。そして次第にノイズに塗れていくと、そのまま浸食されて形を崩した。

 そんな状態でも柴田は絶命していなかった。柴田は自分の身になにが起きたのかわからぬまま、唯一原形を留めていた口元を動かすと、潰れた声帯から声を絞りだす。

「あ……愛、梨……文――」

 やっとのことでそう呟いたのを最後に、その口元もノイズに埋もれた。肉塊以外のノイズも柴田だったものとつながり、一つの大きなバグの塊となって蟠る。

 柴田の壮絶な最期に、彼方は戸惑いと恐怖で口を戦慄かせた。

「い、今なにが……っ。体があんな、爆発して⁉」

「あれほどの『霊魂タブラ・ラサ』を一度に体内に宿したんだ、負荷で肉体がズタボロだったのだろう。そんな体でデバイスなしで投影したら、こうなって当然だ……バカ者が」

 不安定な精神状態のまま彼方が呆然と呟くと、重い声音で猪熊が呟いた。

 だがすぐに顔を上げると、ことさら圧的な声で全体に促す。

「あれはもうただのノイズだ、あの程度なら我々が除去しなくともじきに消える! さあ任務は終了したぞ! 無事な者はこのまま帰還する! 精神が不安定な者はカウンセリングを受けに行け! 怪我人は医療棟で体を修復するように!」

 指示が終わると、踵を返す猪熊に続いて隊員たちは次々と撤退する。

 その中で彼方だけが放心状態のまま動けずにいた。初めこそ能面だった表情は次第に険しくなっていくと、やがて彼方は棒立ちのまま拳を固める。

「結局、柴田は……なんでデバイスを盗んだんだ?」

「自分の理想の夢を見るためよ」

 答えたのは光だった。彼方が首を傾げていると光は続ける。

「家族ともう一度一緒にいたい……その一心で柴田は今回の事件を起こしたのよ。ここまで逃げてきたのだって、新『夢見人(ドリーマー)』候補の展開しているこのフィールドの外に出るため。でないと新『夢見人(ドリーマー)』候補にすぐに場所を特定されて、夢の世界を作れないから……」

「……それが、もう存在しない世界にこだわった理由か」

 ようやく柴田の動機がわかり、彼方は少しだけスッキリした。しかし、このあとのこと――今後の自分が送るだろうこの世界での生活を思うと、鬱々とした気持ちに苛まれた。

「こんな、汚れ仕事を……この先ずっとするのか? ただでさえ酷く差別されてるのに、そんな奴らをわざわざ守るために……こんないやな思いをしてまで……っ」

「なにが汚れ仕事よ。ふざけんな」

 悲惨な結果を嘆いていると横を通った光が反応した。その声には怒気が宿っている。

「捕まえればすぐに終わった仕事を、くだらない私情でめちゃくちゃに引っ搔き回しやがって。誰のせいだと思ってんだ。こんな最悪の気持ち初めてよ」

 冷たく言い放つと、光は軽蔑の籠った眼光で彼方を射抜いた。そして萎縮する彼方からすぐに目を逸らし、不機嫌なオーラをまといながら隊員たちと撤収する。

 彼方の脳裏には悲しみに満ちた柴田の顔――そして柴田が投影した『夢遊牧民ノマド』たちの偏見と差別に満ちた形相が浮ぶと、途端に自己嫌悪に陥って唇を噛む。

(これからも俺は、こうやってみんなが幸せを望んだ世界を壊していくのか?)

(あんな、俺にはなかった幸せな景色ばかりを、見せつけられながら――)


       ◇


 同時刻。彼方が任務を完了したころ。『NPC』転送施設では鎮火が終わり、今は研究員たちが被害状況の確認や無事な機器類の点検、そして転送装置の爆発の原因も探っていた。

(結構な損傷だな。笠木は本当に、この爆発を引き起こした原因なのか……?)

 研究員たちとともに作業していた美月は、周囲の惨状を見て訝しんだ。今『イクリプス』が原因を解析している。すると早速解析が終わったのか機械音声が施設全体に鳴り響いた。

『解析完了。転送経路に残留物を発見しました。これが先刻の爆発の原因です』

「残留物だと? 『NPC』専用の転送装置にか?」

 答えたのは『NPC』転送施設を管理する所長だった。壁際に設けられたコントロールルームで、数人の助手を率いて画面に向かって疑問をぶつける。

「今までこんなことなかったぞ。なにが詰まるっていうんだ?」

『複合的な情報体。詳しい解析は不能。射出可能です。どういたしますか?』

 取り除くことができると聞き、一同は緊張した顔を見合わせる。いったい何が出てくるのかわからないのだ、動揺するのも当然のこと。

「一度上層部に報告して返答を待った方がいいのでは? なにが詰まっているかわからない以上、私たちだけで判断するのはどうかと」

 やがて一人が提案する。それに別の者が首を振った。

「それもわかるが、いつ更新があるかわからないんだ。また『NPC』も一緒に送られてきたとき、残留物を取り除いていないと、次も爆発が起こる可能性も……」

「とにかく確認してみないことにはわからない。射出してくれ『イクリプス』」

 あとの言葉を継いだのは所長だった。所長の合図に機械音声が応答する。

『疑似フィールドを展開します。射出開始』

 施設中央、本来なら機械の塔が建っている場所からパルスが湧き、毛色の違う疑似フィールドが展開された。内部で蟠るパルスの量が増すごとに金属音が大きくなっていく。聴覚が雑音を捉えるころ、誰もが既視感を覚えた。その感覚に美月も顔を上げる。

(……? この音って――まさか!)

 美月が察すると、一同もそれに気づいて目を見開く。直後にパルスが盛大に弾けると、耳を劈く甲高い絶叫が疑似フィールドの中から響き渡った。

キァアアアアアアアアアアアッ――――‼

 発狂は女性の悲鳴のように思えた。キィンという耳障りな金属音も交じり、美月を含めた研究員たちは堪らず耳を塞ぐ。パルスの発光が最骨頂に達すると、光輝は一瞬だけ網膜を焼き尽くすほどに膨張し、すぐに萎んで枯れた。同時に不快な金属音と悲鳴も止む。

 ようやく場が静まると、研究員たちはそっと耳から手を離して息を呑んだ。

「い、今の金属音って、まさか……っ」

「ああ、似ていたな……アップグレードに」

 部下が驚いた声音で喉を震わせると、所長がその先を継いだ。周りの者たちも同じことを考えていたようで、やはりといった表情で顔を強張らせている。

「だが、あの悲鳴と――これはっ?」

 思考しながら、だが眼前で展開されている異様な光景に目を奪われる。

 それに注目しているのは所長だけではなかった。この施設にいる全員が疑似フィールドの中に施錠されている瞬きに注目する。それは無限に展開され続ける残像の塊だった。

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