熱々なマグカップル

渡貫とゐち

熱々は通り越して……


 喫茶店に一組のカップルがいた。

 注文を受け、ブレンドコーヒーを淹れた店主が二人席へマグカップを運ぶ。見て分かる不穏な空気だったが、店主は顔には出さず、湯気があがるコーヒーをふたりの前へ置いた。


「ごゆっくりどうぞ」


 店主がカウンターの向こう側へ戻る。静かな店内BGMがあるおかげで張り詰めた空気にはなっていなかったが……しんとしていたら思うとゾッとする。

 ふたりはまだコーヒーには口をつけなかった。あまり覗き見てはいけないと分かっていながらも、店主は手元で仕事をしながら、ちらちらとカップルの動向を追う。


 彼女がスマホを取り出した。

 そして彼氏に突きつける――その内容は、浮気の証拠だった。


「これ、説明してくれる?」

「…………」

「黙ってる、ってことは、私が思っている解釈のままでいいのよね?」

「…………どうせ、説明しても信用しないだろ」

「説明していないじゃない」


 男の大きな溜息に、彼女が舌打ちをした。


「ざけんじゃないわよ。裏切っておいてやれやれみたいに私を見てんじゃないわよッ」


「女友達と会っていただけでこれだ。証拠写真? 君が撮ったわけではないとは思うが……知り合いが撮っていたとか? 探偵でも雇ったのか? 相手のタレコミをそのまま信じたのか? 喧嘩腰で俺に言うあたり、まったく俺のことを信用していないじゃないか。

 ……見間違いだと疑うこともない。共通の知り合いなんだから写真の相手に連絡してみればいいだろう。なのにそれもせずに急にこうして証拠と言いながら突きつけてさ……。信頼関係が崩れたじゃないか」


「疑われる行動をしたあんたが悪いでしょ」

「すぐに疑う君が悪くないとでも? 君の誕生日プレゼントを買うために相談に乗っていた、とか考えなかったのかな?」

「あら、彼女の誕生日すら忘れていたの? 半年も先なんだけど?」

「先の話で相談するなら半年だろうと一年後だろうとおかしくはないじゃないか」


 サプライズなんだから、と彼氏。


「サプライズをする気なら最後まで貫きなさいよ。私に問い詰められてすぐに吐くあたり、浮気を隠す理由にしているようにしか思えないわ。半年後の私の誕生日プレゼントの相談? 悪いけど、そうだったのね疑ってごめん、にはならないから」

「……君は、そうやってすぐに熱くなる……直した方がいいよ?」

「そうやって私に非があるように仕向けるところが大嫌いなのよ……ッ」


 言い合いが過熱していく。

 浮気か浮気じゃないか。決定的な証拠がないから彼女側も責められない。


 女友達と一緒に歩いている彼氏の写真は決定的な証拠並のパワーを持つが、男が言ったようにサプライズをするための相談をしていた、と言えば、女友達との買い物であり、浮気ではないとも言える。

 同性では相談できないことは、やはり異性にしかできないのだから、彼女に秘密にして裏でこそこそと会う理由にはなるわけだ。


 浮気と断罪するにはピースが足りない。

 浮気と断定するのもまだ早い段階だが……。


「謝れば許してあげるけど?」

「謝る? 非がないのにどうして俺が謝るんだ? 疑った君が謝るべきだろう?」

「……ねえ、証拠がこれだけだと本当に思ってるの?」

「……なに?」


 風向きが変わった。

 彼氏側が優位だったが、彼女の一言で彼氏の顔が曇った。

 その時点で勝負あったようなものだったが、まだ……巻き返すことはできるだろう。


「写真一枚であんたを追い詰める……大きな勝負に出ると思う? 少なくともあと二、三枚の決定的な証拠を準備すると思わない? 写真に限らず、証言とか……。

 あんたの杜撰な言い訳で軽くいなされるわけにはいかないから、こっちはこっちで準備をしてるのよ。……探偵? あら、あんたの予想はいい線いってたわよね……。常習犯だから?」


 探偵という発想が出るのは前例があるからなのか。


「フン。なにを言われたところで俺は浮気をしていない。……だがな、こうも散々疑われて、今後もお前と付き合っていられるかと言われたら……NOだぞ? ここまで言われてまだお前を愛せると、俺に期待をするのは傲慢じゃないか?」


「そうね。私も別れるつもりだもの。もうあんたにはついていけない――」


 その時、男のスマホが着信を知らせた。

 静かな店内でよく響く着信音を切ろうと、スマホを取り出して画面を見た男が顔をしかめた。

 一瞬だったが、彼女が見逃すはずもなく、彼からスマホを奪い取る。


「おいっ――」


「ふうん。あの子からね。どんな用件かしら」


 彼女が応答ボタンを押し、スピーカーモードで聞こえてきたのは共通の女友達の声。


『おつかれやっちょーん。ねえねえあの子ともう別れたの~?』


「まだ別れてないけどすぐに別れるから。奪った彼氏とよろしくやっておいてくれるかしら」

『え……。あ、あの…………なんでマチ姉が出るの……?』


「浮気かどうかを問い詰めてるところに偶然、浮気相手から電話がかかってくるなんて、狙ったようなタイミングよね。私の運が良いの? あんたが悪いの? ……まあ、これで浮気が確定したみたいだけど……」


「…………」


 彼氏は黙って目を瞑った。

 言い訳も諦めたようだった……に見えたが、


「ねえ、浮気を認めるわよね? 謝らないの?」

「浮気じゃない。ただの女友達だ」

『え、やっちょん……ひどくない……?』


「だ、そうだけど?」

「なんと言われようが俺は浮気をしていな、」


 ガンッ、と投げられたスマホが男の額に当たった。

 額に手をやり、元彼氏は痛みに声も出なかった。


「――死ね、クソ野郎」


 もう終わりね、と言い残した彼女が、最後にマグカップを掴んで、中身のコーヒーを男にかけた。――湯気が上がる、熱々のコーヒーを、だ。



「熱ッッ!?!?」



 椅子から転げ落ちて、冷たくもない床の冷たい部分を探して男が頬をくっつける。

 意味があるとは思えないが、本人からすればだいぶマシなのだろう。

 彼女の足音が遠ざかっていく。

 入店を知らせる鈴の音が鳴り響き、店内には店主と男だけが残った。


『ねえやっちょん!? 無事なの!? マチ姉は……あたしのところにナイフ持ってやってきたりしないよね!?!?』


 床の上でスマホが助けを求めていた。

 男は火傷していないか顔を両手でぺたぺたと触って確認した後、スマホを回収する。


「逃げろ、カナ」


『マジでこっちきてんの!?』


 すぐに通話が切れた。電話先の彼女は逃げ出したのだろうか。出先でばったり出会わないことを祈るが……こういう時に限ってばったりと出会うものでもある。



「…………大丈夫かね?」


 気を遣って店主が話しかけた。

 客のプライベートに介入するべきではないのだが……。


 ふたりきりの空間で、穏やかではない空気が流れている。触れない方がつらかった。


「騒がしくてすみません。……マスター……お冷ください」

「かしこまりました。……顔にかけた方がいいかね?」

「はは……。じゃあ、お願いしてもいいですか?」




 教訓があった。


 浮気がほとんどバレている時、女性側の手元に置くのはホットでない方がいい。




 …了

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熱々なマグカップル 渡貫とゐち @josho

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