お題に沿って書くショートショート

一文字零

駆け堕ちた翼

 世界は三つある。地獄と天国、そして、うつし世である。

 古来より地獄と天国はいがみ合っていた。うつし世の支配権を巡る戦争である。地獄には純黒の翼を持つ悪魔が、天国には、彼らに染まるまいと輝く純白の翼を持つ天使が存在していた。

 戦争はその始まりから三十万年を過ぎた頃から急速に過激化し、やがてお互いがお互いの本土へ侵攻することとなり、混沌とした空気が二つの世界を包んだ。

 戦争の激化から十二万年が経過した頃。まるで天空から垂れた一本の糸のように、地獄に一人、天使の少女が落下した。

 千切れた翼と傷が膿んだ肌。満身創痍の彼女を、死骸の燃える音と腐敗した匂いだけが広がる地獄の荒野で、ただ一匹だけ目撃した悪魔の少年がいた。

 少年は細長い手足をした少女を抱え、燃え盛る戦場を駆け、人気のない廃墟まで避難した。このことが他の天使や悪魔に見つかれば、自分達の命は無い。彼にとってそんなことは、知ったことではなかった。

 悪魔が天使を助けるなど言語道断であったが、彼が悪魔との戦いに敗れた彼女をその醜い瞳で見た時、彼の世界はどうしようもなく変わってしまったのだ。「彼女の全てを自分のものにしたい」彼の願いは、始めこそ単なるから来る欲望であったが、彼女の感謝の声を一度聞くと、悪魔の存在意義たるそれは、祝福へと姿を変えた。

 祝福だけが天使の生きる意味であった。自己犠牲から生まれる奇跡を、ただひたすらに信じ、満たされるものは何もなかった。

 絶望こそが悪魔の生き甲斐であった。何も手に入らないことこそが、彼らの生きる原動力だったのだ。

 しかし、幾万年の時空を経て今、世界にたった一匹と一人、天地をもう一度創造するほどの革命が、まさに起こった。

 少年は少女の手を取って走り続けた。どこまでも、安全な場所を求めて、お互いの手の温かさを確かに感じながら。

 三つの世界は終わりを告げようとしている。時計はまもなく零時を指す。大天使と大悪魔は、うつし世に降り注ぐ隕石群の存在を予言した。戦争によって崩れかかっていた生命の均衡が、とうとう崩壊する。

 誰も皆、祈るか諦めるかしかなかった。

 世界の終焉を悟り、熱と闇に包まれた時計台の中で、少年と少女が抱き合うと、彼らは気付いた。「我々が求めていた幸せはここにある」と。

 少年はその瞳を潤わせ、震える手を抑えた。「たとえ世界が終わっても、キミとなら、どこへでも堕ちていける」これは彼のただ一つの願いでもあった。

 少女はそっと少年に口付けをする。

 戦争が終結と隕石群の消滅は、一生にも感じられるような、長い長い、その瞬間の出来事であった。

 突如まばゆい光が地獄と天国を包み、時は止まった。

 今、祝福と絶望は一つになり、天使も悪魔も超越した存在が現れた。

 戦場を駆け、世界でたった一つの幸福を見つけ、誰よりも堕落した一匹の悪魔と一人の天使の翼は今一つとなり、大きな剣を持った戦士が生まれた。

 戦士が背丈と同じくらいのその剣を振りかざすと、天使と悪魔達は自身の満たされぬ心を埋める、たった一つの冴えたやり方を覚えた。

「私達を包むこの気持ちを『愛』と呼ぶなら、私達の子供をこう名付けることにします。『ルシファー』」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る