マリュグエール先生の呪詛術入門
(黒の魔術学院、
生徒たちは困惑している。授業開始まであと五分だと言うのに、講師の姿が見えないからである。
その代わりに──と言えるものか、教壇の片隅に小さな人形が転がっている。とんがり帽子にざんばら髪、長い
時計型
人形が「イィ~ヒッヒッヒッ!」と
*
ようこそ、呪詛術の世界へ。
おやおや、活きのいい若者がゾ~ロゾロだ。丁度いい、儀式の
(生徒たちが一斉に放った【
ったく、冗談に決まってるだろう。ヒヨっ子とは言え、魔術士がこの程度でビクビクしなさんな。さて、気を取り直して──。
まずは自己紹介かね。あたしゃミルジャ・マリュグエール、呪詛術科の首席魔術士さ。
呪詛術科のお試し授業にようこそ。呪詛術の基礎の基礎ぐらいはお伝えしたいねえ。他の授業なら弟子どもに任せてもいいんだけど、これだけは自分でやらんと気が済まなくてねえ。
そもそも、あんたらは呪詛術をどんな魔術だと思っとる? ん~、そこの三つ編みのあんた?
(可憐な女子生徒がおずおずと「人形に釘を刺して、人を呪い殺す魔術?」と答える)
けっ、まあ、そんなイメージだろうさ。いや、間違いじゃない。そういう使い方も出来るのは確かさ。だが、それは呪詛術のほんの一例に過ぎないよ。
まずはおさらい。
この星セリヴェルドは、物質の領域である
魔術とは言霊を操り、真智界を望む形に変化させ 物質界に結果を投影する技術だ。まあ、魔術士なら常識だね。ただ、その方法は流派によって異なる。
例えば、初代学院長のザーハルが創始した式術は、真智界に式を描いて言霊を操る魔術だね。ほれ、眼鏡のあんたが使った【
では、呪詛術はどうかと言うと──
真智界の
一つは
例えば、さっきも話に出た【
真智界を上手く騙せれば、標的と人形の間に繋がりが生まれる。否、復活すると言うべきかね。こうすればしめたもの。人形にグサリと釘を突き刺せば、標的にも同じ痛みが走るという寸法さ。達人になれば、痛みどころか死を与えることも出来る──いや、あたしはやらないよ。真智界に
もう一つは、類似を利用する方法。共通点がある二者を、同一だと真智界に思い込ませることで、
例えば、雨を呼ぶ【
すると、真智界は慌てて″水″の言霊を呼び集め、物質界でも本当に雨が降るという訳さ。雨量は術者の腕次第だね。全盛期のあたしなら、そうだねえ──小さな村なら水没するぐらい──いや、あの時は
さて、ここまでの内容を踏まえて、一つ問題を出そうかね。さっきあたしが使ってみせた【
(長身の男子生徒は「人形を使っているので縁術──」と答えかけるが、慌てて「外見を術者に似せてあるので類術」と答え直す)
ププ~、模範的誤答ご苦労さん★ 誤答に至る過程までバッチリだ──むくれなさんな、元より正解なんぞ期待しちゃいないよ。真剣に考えて欲しかっただけさね。
答えは、″縁術であり類術でもある″さ。人形があたしに似せてあるのは、あんたが見抜いた通り。ただ、ついでに気付いて欲しかったねえ。つまり、人形の髪があたしから刈った本物で作られている、という点にもね。これ程高度な術となれば、縁術と類術の両方を駆使する必要があるのさ。
どうだい、あんたらも呪詛術の奥深さ、幅広さが解ってきたんじゃないかい? 真智界さえ騙せれば、どんな望みも叶う──まあ、現実はそう甘くないが、そのぐらいの貪欲さが肝心さね、ヒッヒ。
だが、おかしいと思わんかね? こんなに便利な魔術が、
その理由を知るには、少し歴史の話をせにゃならんね。
フォスコーの壁画は知っとるかね? アヴァロキア聖王国のフォスコー村近くの洞窟で発見された壁画さ。壁一面に様々な
つまり、この壁画は狩りの成功を願って描かれたものであり、呪詛術の原型──少なくとも、その一つに間違いない。
イルドーラ大陸の中央部が、まだ広大な森に覆われていた時代──そこに住んでいた
文字を持たなかった蛮族たちは、歴史書こそ記さなかったが、その実態は様々な遺跡・遺物から推測されておる。
蛮族と呼ばれるだけあって、彼らの暮らしぶりは、決して文明的とは言えなかった。家は土壁に
原呪術の使い手は
例えば、集落では春が近づくと、毎年こんな儀式が行われた。未婚の男女に緑色の衣装を着せ、森の夫婦と呼んで結婚式の真似事をする。これは二人を森の化身に見立て、その子供たる
他には、木彫りの魚を川に流して豊漁を願ったり、病を渡り鳥に
全てが変わってしまったのは、前
シエト帝国の宮廷司祭マルギオン、後の初代教王マルギオン一世が、帝国の皇帝崇拝に反抗して、信奉者たちと共にこの地へ亡命してきたのさ。彼らは今の聖都ヴァルドに当たる場所を本拠に、″正統な″セリアーザ信仰の布教を始めた。いわゆる教王領の始まりだね。
いや、それ自体は悪いことじゃない。彼らが持ち込んだ帝国の技術のおかげで、この地の文明は飛躍的に進歩したし、セリアーザ信仰を受け入れた蛮族たちも多かった。だが、変化を
マルギオン一世、二世の時代には、まだ教王領が安定していなかったこともあり、彼らの存在を黙認していた──新参者の分際で黙認たぁ、どういう了見だい──が、マルギオン三世はついに、大々的に巫者たちの逮捕令を布告した。かの者どもは悪魔の力を借りており、セリアーザの教えに
もちろん、言い掛かりだよ。呪詛術の原理は説明しただろう。悪魔の力なんぞ、どの過程で借りる必要がある? マルギオン三世の真の目的は、聖職者以外の魔術士を、祈願術以外の魔術を、教王領から一掃することだったのさ。力を独占した方が、権力を握り
マルギオン三世の命を受けた神殿騎士団が、蛮族たちの集落に侵攻した。奴らは帝国製の兵器で武装している上に、森を焼き払うことも
蛮族たちの集落は次々と制圧され、巫者たちは
(大きく両手を広げて)だが、原呪術は滅びなかった! 教王領がアヴァロキアに取って変わられた今も、こうして生き延びとる。森の奥や
しかし、原呪術は最早、森で生きる為だけの魔術ではいられなかった。マルギオン三世が
多くの人々の口で、世代を越えて語り継がれる伝説は、真智界に言霊の巨大構造体──
そうさ、マルギオン三世のホラ話の通りに、悪魔と手を組む呪詛術士が現れるようになったんだ。伝説構造の悪影響でね。(生徒たちの困惑の表情から察して)ん? 師匠から悪魔の召喚法を教わるのかって? そういう場合もあるだろう。だが、知識が自らやって来る場合も多い──偶然を
例えば、あたしの経験では──学院から依頼された、呪物の解析中だったかね。参考になりそうな魔術書を探して、図書室を
そのメモかい? とっくに禁書文庫へ放り込んだよ。当然だろう、『幼児の新鮮な心臓が三十個必要』とか書いてあったんだよ。こんな代物が世に出たら、どうなると思う? あんたらも悪魔の召喚法を見つけたら、図書館の禁書係に引き渡すか、その場で焼き捨てること! 人体実験の刑を喰らいたくなければ、ね。
そんな訳で、現在の呪詛術が危険なことは確かだ。悪用し易い術が多い上に、使い手は常に悪魔の誘惑に
呪詛術ばかりが偏見の目で見られ、失伝していくのはあまりに惜しい。あたしはそう思ったから、呪詛術科を創設しようと思った。受け入れてくれた学院や、入門してくれた弟子どもには、本当に感謝してるよ。
(時計型魔動像が授業終了を告げる)
おや、もうこんな時間かい。あんたらが呪詛術科を専攻するなら、その時は
呪詛術の世界にようこそ。あんたらはその入口にして、最果てに立っている。
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