マリュグエール先生の呪詛術入門

(黒の魔術学院、呪詛術じゅそじゅつの校舎、第一教室にて──。


 生徒たちは困惑している。授業開始まであと五分だと言うのに、講師の姿が見えないからである。


 その代わりに──と言えるものか、教壇の片隅に小さな人形が転がっている。とんがり帽子にざんばら髪、長い鷲鼻わしばなと絵に描いたような魔女をかたどっている。生徒の誰かの忘れ物だろうか?


 時計型魔動像ゴーレムが授業開始を告げても、講師は姿を現さない。やはり、達人級の魔術士に常識なんぞ期待するだけ無駄だったか、と生徒たちが嘆息したその時。


 人形が「イィ~ヒッヒッヒッ!」と甲高かんだかい笑い声を上げ、生徒たちの度肝を抜く。人形はひょっこり起き上がり、むくむく大きくなり、とんがり帽子にざんばら髪、長い鷲鼻と、絵に描いたような魔女の姿をした老婆になり──)


 *


 ようこそ、呪詛術の世界へ。


 おやおや、活きのいい若者がゾ~ロゾロだ。丁度いい、儀式の生贄いけにえが足りなくてねえ、ヒッヒッヒッ──。


(生徒たちが一斉に放った【光芒集算=熱線ヌール・サフム】や【風よ、切り裂けグウィント・トッリ】の術が老婆に襲い掛かる。騒乱が収まった後、そこにはボロボロの人形が転がっていた。生徒たちがざわついていると、教室の扉が開き、先程の老婆が無傷で入室してくる)


 ったく、冗談に決まってるだろう。ヒヨっ子とは言え、魔術士がこの程度でビクビクしなさんな。さて、気を取り直して──。


 まずは自己紹介かね。あたしゃミルジャ・マリュグエール、呪詛術科の首席魔術士さ。


 呪詛術科のお試し授業にようこそ。呪詛術の基礎の基礎ぐらいはお伝えしたいねえ。他の授業なら弟子どもに任せてもいいんだけど、これだけは自分でやらんと気が済まなくてねえ。


 そもそも、あんたらは呪詛術をどんな魔術だと思っとる? ん~、そこの三つ編みのあんた?


(可憐な女子生徒がおずおずと「人形に釘を刺して、人を呪い殺す魔術?」と答える)


 けっ、まあ、そんなイメージだろうさ。いや、間違いじゃない。そういう使い方も出来るのは確かさ。だが、それは呪詛術のほんの一例に過ぎないよ。


 まずはおさらい。


 この星セリヴェルドは、物質の領域である物質界プレーンと、言霊ことだまの領域である真智界アエティールから成り、両界はお互いに鏡写しの関係にある。


 魔術とは言霊を操り、真智界を望む形に変化させ 物質界に結果を投影する技術だ。まあ、魔術士なら常識だね。ただ、その方法は流派によって異なる。


 例えば、初代学院長のザーハルが創始した式術は、真智界に式を描いて言霊を操る魔術だね。ほれ、眼鏡のあんたが使った【光芒こうぼう集算=熱線】は、レンズが″光″の言霊を集める原理を、数と記号で再現するんだろう? そうやって、″火が点く″という結果を物質界に投影してみせる。虫眼鏡のような道具を使わずにね。


 では、呪詛術はどうかと言うと──詭弁きべんで言霊を操る、簡単に言えばそんな原理だよ。頑固で融通の効かない物質界と違って、言霊で構成できている真智界はすぐ口車に乗る。そして、真智界が動けば、物質界も付き合わざるを得ない。共依存のダメな恋人たちカップルみたいにね、ヒッヒ。


 真智界のだまし方は、大きく分けて二通りある。


 一つはつながりを利用する方法。元は一つだった存在を、今もそうだと真智界に思い込ませることで、距離を越えて影響を伝える──この方法を用いる術を″縁術″とも呼ぶね。


 例えば、さっきも話に出た【人形縁呪・痛撃ドゥルール・ジュジュ】の術だ。まずは、標的の髪の毛を手に入れる。そいつを人形の頭に植え付け、真智界に「この人形はあいつと同じ髪を持っている、だから同一の存在だ」と呪文で言い聞かせる。いや、さすがにここまで雑じゃないが、大筋はそういう意味の呪文を、ね。


 真智界を上手く騙せれば、標的と人形の間に繋がりが生まれる。否、復活すると言うべきかね。こうすればしめたもの。人形にグサリと釘を突き刺せば、標的にも同じ痛みが走るという寸法さ。達人になれば、痛みどころか死を与えることも出来る──いや、あたしはやらないよ。真智界に痕跡こんせきが残るから、犯人はすぐバレるし。


 もう一つは、類似を利用する方法。共通点がある二者を、同一だと真智界に思い込ませることで、因果いんがを無視して状態を共有させる──この方法を用いる術を″類術″とも呼ぶね。


 例えば、雨を呼ぶ【沸水類呪・召雨アッペレ・プリュイ】の術だ。まずは壺に湯を沸かす。モクモクと湯気が立ってきたら、真智界に「雨が降るぞ、お前も従え」と呪文で言い聞かせる。湯気を雨雲に見せかけている訳だね。これで足りなければ、豆を入れたざるをざらざらと鳴らして「ほら、雨音も聞こえるぞ」とかしたりもする。


 すると、真智界は慌てて″水″の言霊を呼び集め、物質界でも本当に雨が降るという訳さ。雨量は術者の腕次第だね。全盛期のあたしなら、そうだねえ──小さな村なら水没するぐらい──いや、あの時はあせった焦った。


 さて、ここまでの内容を踏まえて、一つ問題を出そうかね。さっきあたしが使ってみせた【人形複呪・双子ジュモー・ジュジュ】の術は、縁術と類術のどちらに属するか? ん~、そこのノッポのあんた?


(長身の男子生徒は「人形を使っているので縁術──」と答えかけるが、慌てて「外見を術者に似せてあるので類術」と答え直す)


 ププ~、模範的誤答ご苦労さん★ 誤答に至る過程までバッチリだ──むくれなさんな、元より正解なんぞ期待しちゃいないよ。真剣に考えて欲しかっただけさね。


 答えは、″縁術であり類術でもある″さ。人形があたしに似せてあるのは、あんたが見抜いた通り。ただ、ついでに気付いて欲しかったねえ。つまり、人形の髪があたしから刈った本物で作られている、という点にもね。これ程高度な術となれば、縁術と類術の両方を駆使する必要があるのさ。


 どうだい、あんたらも呪詛術の奥深さ、幅広さが解ってきたんじゃないかい? 真智界さえ騙せれば、どんな望みも叶う──まあ、現実はそう甘くないが、そのぐらいの貪欲さが肝心さね、ヒッヒ。


 だが、おかしいと思わんかね? こんなに便利な魔術が、何故なぜ世間では流行していないのか? 一般での知名度が高い魔術は、聖職者どもが使う祈願術が筆頭だろう。その次が、宮廷魔術士に使い手が多い式術かね。呪詛術なんぞドマイナー──どころか、田舎の迷信としか思ってないやからも多かろうさ。


 その理由を知るには、少し歴史の話をせにゃならんね。


 フォスコーの壁画は知っとるかね? アヴァロキア聖王国のフォスコー村近くの洞窟で発見された壁画さ。壁一面に様々な獣類どうぶつが描かれていて圧巻だよ。注目すべきは、それを仕留めて喜んでいる人々も描かれている点だ。


 つまり、この壁画は狩りの成功を願って描かれたものであり、呪詛術の原型──少なくとも、その一つに間違いない。


 イルドーラ大陸の中央部が、まだ広大な森に覆われていた時代──そこに住んでいた蛮族ばんぞくこそが、フォスコーの壁画の作者であり、呪詛術の開祖だ。もっとも、当時は呪詛術とは呼んでいなかっただろう。統一された呼び名はなかったと思うが──仮に″原呪術″とでも呼ぶことにするかね。


 文字を持たなかった蛮族たちは、歴史書こそ記さなかったが、その実態は様々な遺跡・遺物から推測されておる。


 蛮族と呼ばれるだけあって、彼らの暮らしぶりは、決して文明的とは言えなかった。家は土壁に藁葺わらぶきき屋根、服は獣類の毛皮が精々。集落より大きな共同体は皆無かいむで、そこには畑も牧場もない──だが、逆に言えば、それで十分だった証拠かもしれないね。彼らには原呪術という、万能の道具があったんだから。


 原呪術の使い手は巫者ウンガンと呼ばれた。彼らは集落の長、あるいは長の補佐でもある場合が多く、集落民を儀式に動員出来るのも強みだった。


 例えば、集落では春が近づくと、毎年こんな儀式が行われた。未婚の男女に緑色の衣装を着せ、森の夫婦と呼んで結婚式の真似事をする。これは二人を森の化身に見立て、その子供たる緑類しょくぶつの実りをうながす狙いがあった。


 他には、木彫りの魚を川に流して豊漁を願ったり、病を渡り鳥にたくして運び去らせたり──キリがないからこのぐらいにしておくが、ともあれ原呪術は、蛮族たちの生活の隅々にまで浸透していた。彼らの暮らしは、原始的ながらも平和だった。


 全てが変わってしまったのは、前黎明れいめい歴三百年、つまり約五百年前のことだ。


 シエト帝国の宮廷司祭マルギオン、後の初代教王マルギオン一世が、帝国の皇帝崇拝に反抗して、信奉者たちと共にこの地へ亡命してきたのさ。彼らは今の聖都ヴァルドに当たる場所を本拠に、″正統な″セリアーザ信仰の布教を始めた。いわゆる教王領の始まりだね。


 いや、それ自体は悪いことじゃない。彼らが持ち込んだ帝国の技術のおかげで、この地の文明は飛躍的に進歩したし、セリアーザ信仰を受け入れた蛮族たちも多かった。だが、変化をこばんだ蛮族たちもまた、同じぐらい多かった。彼らは自らの集落にこもり、教王領の宣教師を追い払い続けた。


 マルギオン一世、二世の時代には、まだ教王領が安定していなかったこともあり、彼らの存在を黙認していた──新参者の分際で黙認たぁ、どういう了見だい──が、マルギオン三世はついに、大々的に巫者たちの逮捕令を布告した。かの者どもは悪魔の力を借りており、セリアーザの教えにそむいておるとね。


 もちろん、言い掛かりだよ。呪詛術の原理は説明しただろう。悪魔の力なんぞ、どの過程で借りる必要がある? マルギオン三世の真の目的は、聖職者以外の魔術士を、祈願術以外の魔術を、教王領から一掃することだったのさ。力を独占した方が、権力を握りやすいからね。まったく、迫害から逃がれてきた者たちが、迫害する側に回るとはね。


 マルギオン三世の命を受けた神殿騎士団が、蛮族たちの集落に侵攻した。奴らは帝国製の兵器で武装している上に、森を焼き払うことも躊躇ためらわなかった。巫者たちも、教王領の畑を枯らしたり、聖都に病気を流行らせたりして抵抗したが、原呪術は森で生きる為の術であって、戦争に勝つ為の術じゃない。勝負は最初から見えていた。


 蛮族たちの集落は次々と制圧され、巫者たちはことごとく火刑に処せられた。生き残った蛮族たちも教王領の支配下に置かれ、マルギオン四世の時代には完全に領民と同化してしまった。奴らに言わせれば『悪魔にたぶらかされていた蛮族どもを、正しい道に導いてやった』ってところだろうね、フン。


(大きく両手を広げて)だが、原呪術は滅びなかった! 教王領がアヴァロキアに取って変わられた今も、こうして生き延びとる。森の奥やまちの片隅で、信仰のくびきに捕らわれぬ者たちに、密かに伝承されてきたのさ。あたしみたいな、ね。


 しかし、原呪術は最早、森で生きる為だけの魔術ではいられなかった。マルギオン三世がき散らした欺瞞ぎまんは、原呪術を呪詛術に変えちまった。いや、世間から白い目で見られるという意味じゃないよ。呪詛術は──本当に悪魔の力を借りることも出来る魔術になっちまったのさ。


 多くの人々の口で、世代を越えて語り継がれる伝説は、真智界に言霊の巨大構造体──伝説構造テンプレートを形成する。一度形成された伝説構造は、配役や舞台を変えつつ、物質界に繰り返し投影され続ける。これも魔術士なら常識だね。だが、知っているかい──伝説構造は事実にもとづく必要はないってことを。


 そうさ、マルギオン三世のホラ話の通りに、悪魔と手を組む呪詛術士が現れるようになったんだ。伝説構造の悪影響でね。(生徒たちの困惑の表情から察して)ん? 師匠から悪魔の召喚法を教わるのかって? そういう場合もあるだろう。だが、知識が自らやって来る場合も多い──偶然をよそおってね。


 例えば、あたしの経験では──学院から依頼された、呪物の解析中だったかね。参考になりそうな魔術書を探して、図書室をあさっていたら、魔術書の間に古びたメモが挟まっているのを見つけたんだ。何だろうと読んでみたら、びっくり仰天! 石を黄金に変える悪魔の召喚法じゃないか──という具合にね。


 そのメモかい? とっくに禁書文庫へ放り込んだよ。当然だろう、『幼児の新鮮な心臓が三十個必要』とか書いてあったんだよ。こんな代物が世に出たら、どうなると思う? あんたらも悪魔の召喚法を見つけたら、図書館の禁書係に引き渡すか、その場で焼き捨てること! 人体実験の刑を喰らいたくなければ、ね。


 そんな訳で、現在の呪詛術が危険なことは確かだ。悪用し易い術が多い上に、使い手は常に悪魔の誘惑にさらされる。だが、どんな魔術にも暗黒面はあるさ。例えば、教王領の異端審問官どもは皆、治癒の祈願術の達人だったらしいよ──異端者を無限に拷問し続ける為にね。


 呪詛術ばかりが偏見の目で見られ、失伝していくのはあまりに惜しい。あたしはそう思ったから、呪詛術科を創設しようと思った。受け入れてくれた学院や、入門してくれた弟子どもには、本当に感謝してるよ。


(時計型魔動像が授業終了を告げる)


 おや、もうこんな時間かい。あんたらが呪詛術科を専攻するなら、その時はあらためて言わせてもらうよ。


 呪詛術の世界にようこそ。あんたらはその入口にして、最果てに立っている。

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