影が番う夜

 燃え上がる夕焼けを浴びて、鱗雲うろこぐもが黄金に輝いている。


「やれやれ、今夜はここで野営キャンプだな」


 若き騎士デュライス・リムロットは嘆息した。ハイダル山脈の向こうに沈み行く、光の星セラエノに目を細めながら。


(まさか橋が落ちているとは)


 おかげで、地元のきこりしか使わないような迂回路うかいろを、愛馬ブライトウィンの手綱たずなを引きながら歩かされる羽目になった。挙句あげくに山中で夜を迎えようとしている。足元には岩がゴロゴロしており、夜間の強行軍は危険だ。


(まあ、ベッドでないと寝られないなんて、軟弱を言うつもりはねえけどさ)


 十七になったばかりとは言え、幼い頃から白馬騎士団で鍛えられてきたデュライスである。同僚との野営訓練であれば、むしろ楽しみにしていたくらいだ。天幕テントの設営も、野営火キャンプファイヤーでの料理も、夜襲への警戒さえも、ちょっとした冒険気分だった。


 だが、今はそんな気分になれない。守るべき同行者がいるからだ。


「すまねえな、イリリカ」

「デュライスの所為せいじゃないですよ! それに、星を見ながら眠るのも素敵じゃないですか?」


 光の女神セリアーザの託宣を授かりし、聖女イリリカである。彼女を聖都ヴァルドまで護衛するのが、デュライスの当面の任務だ。


 今年で十六だそうだが、精神的には自分より大人だとデュライスは思う。とんでもない使命を背負わされながら、弱音一つらさない。今も、こうして無邪気をよそおって、自分を気遣きづかってくれているのだろう。守るべき存在ではあるが、足手まといとは断じて思わない。


 幸い、野営に適した場所が見つかった。穏やかな清流の岸部だ。水の補給には困らないし、急な増水時にも流されない程度の高低差はある。ブライトウィンが食べられる緑類しょくぶつも茂っている。


 まずは、騎士団仕様の天幕を広げる。水獣カワヌシの丈夫で薄い革製で、記帳ノート大にまで折り畳める上に、断熱効果も高い優れものだ。しかも、クッション状になった床には、″風″の言霊ことだまを封入する仕組みになっている。おかげで、ゴツゴツの岩場でもフカフカ──とまではいかないが、ある程度の寝心地は得られる。


 踏み割った火凝石かぎょうせき──火炎を″硬″の言霊で鉱物化させたもの──の上に、たきぎを格子状に積み上げて火を起こす。三脚に吊るした鍋を設置し、湯が沸いたら旅人のシチュー──食材から″水″の言霊を抜き、ブロック状に固めた保存食──を溶かし込む。トロトロになった肉団子とクビカボチャが、甘い香りを放つ。


「こいつにビスケットをえて──う~ん、もう一品ぐらい欲しいな」

「農家のお婆さんから頂いたユウヒリンゴがありますよ」

「ユウヒリンゴかぁ、あぶるとすごく甘くなるって聞いたな。串焼きにしてみるか?」

是非ぜひ!!!」

「わ、解った解った」


 飢えた地獣ガロウのように目をぎらつかせるイリリカは、正直あまり見たくないデュライスであった──閑話休題それはともかく


「さて、風呂にすっかな~」


 食事を終えてから、デュライスはさりげなく切り出した。


「え、お風呂ですか?」


 まさか入れるとは思っていなかったのだろう。イリリカが目を輝かせる。


「ご面倒でしたら、無理をしないで下さいね?」

「なぁに、すぐ入れるって」


 小川の一画を石で仕切り、そこに火凝石をいくつか投入する。十数分も待てば、即席の露天風呂の出来上がりだ。


「まあ、素敵! デュライス、ありがとうございます」

「ゴブリンでも出たら、すぐに呼べよ」

「え、その、入浴中でも、ですか?」

「い、命には代えられねーだろ。なるべく見ないようにするって」

「わ、解りました」


 デュライスはあくまで守護騎士として、緊急事態への覚悟を説いただけだ。決して、その発生を期待している訳ではない。多分。


「さあて、ブラ公の蹄鉄ていてつの具合でも見るかな~」


 わざとらしく呟いて、愛馬の元へ向かおうとするが。


「デュライス、ちょっと来て下さい!」

(えっ、ちょっ、マジで!?)


 いざとなったら躊躇ためらってしまうあたり、所詮しょせんは十代の若造であった。


「あ、まだ脱いでいないので、大丈夫ですよ」

「今行く!」


 残念なような、ほっとしたような──ともあれ、デュライスは片手半剣バスタードソードを抜き放ちつつ、イリリカの元に駆け戻った。幸い、ゴブリンの群れに包囲されたりはしていなかったが──。


「どうした!?」

「あそこ、見えますか?」


 イリリカが小川の上流を指差す。


(何だ?)


 ぼんやり光る何かが、川面かわもをふわふわと飛んでくる。尻尾のごとく、虚空こくうに残像を引きながら。火獣トモシビトカゲだろうか? 人家の灯りの振りをして、人間を危険な場所へおびき寄せる害獣だが──いや、それにしては、ふらふら動き回っているのはおかしいか。


「魂ですよ。あんなに低く飛んでいるのは珍しいですね」

「あれが──」


 魂、それは死んだ肉体を離れた、″心″の言霊の集合体である。


 万物は具象と言霊が対になっている。例えば、目前の川が″水″の言霊の流れであり、燃え盛る野営火が″火″の言霊の渦でもあるように。


 その唯一の例外が、″心″の言霊である。この言霊だけは対となる具象が存在しない。あるいは、感情や記憶がそれに該当するのだという説もある。


 肉体というからから解き放たれれば、ぼんやり光る球体のように見えるが、あくまで観測者の″心″の言霊が見せる幻景ヴィジョンに過ぎない。その証拠に、魂の放つ光は川面に一切反射していない。


 生前の人格を、魂がどの程度継承しているのかは不明だ。魂と人格は同一であり、継承は完璧であると考える者もいる。魂には記憶が情報として刻まれているだけで、人格は死と同時に失われると考える者もいる。


(クソ親父やお袋が死んだ時も──)


 あれが身体から抜けていったのかと、デュライスはぼんやり思った。


「ん? あの魂──」

「ええ──」


 よくよく見れば、魂は二体居た。一体に見えるぐらい、ぴったりと寄りいながら飛んでいたのだ。


「生前は御夫婦か恋人だったのでしょうか? 死後も一緒なんて素敵ですよね」

「────」


 デュライスは即答出来なかった、イリリカの真意をつかみ兼ねて。


 彼女ら聖都派の聖職者は、戒律で結婚を禁じられている。無論、不純異性交際も御法度ごはっとだ。家族よりも信仰を優先するため、聖職者の世襲化を防ぐ為──その二つが主な理由だが、最近は見直すべきだという声も多い。イリリカは──賛成も反対も表明していない。


 自らは禁じられていながら、聖都派の聖職者は結婚や恋愛に関わる機会が多い。アヴァロキア聖王国では結婚式のほとんどを司祭がり行うし、告解室で恋愛相談に応じる場合もあるだろう。イリリカも経験したはずだ。


 幸せの絶頂にいる新婚夫婦や、悩みながらも愛を貫く恋人たちを、彼女はどう見ていたのだろう?


(一度も後悔しなかったのかな──聖職者になったことを)


 イリリカの横顔を盗み見るが、暗くてよく見えない。デュライスは早々に諦めて、魂たちに視線を戻す。


「そう言えば──あの魂、一緒にいるってことは、ほぼ同時に死んだのか?」

「え?」

「でないと、〈至天の塔ジッグラト〉へ飛んでくタイミングがズレちまうだろ?」


 肉体を離れた魂は、セリヴェルドの北極にそびえる至天の塔へ向かう。


 そこは北極に位置しながら常春とこはるの楽園であり、あらゆる美食と歓楽が用意されているという。辿り着いた魂は、天使たちに歓待されながら、己の物語──すなわち、生前の記憶を塔の大書庫にささげる。そして、清らかな身に戻った魂は、再び生まれる為に塔から飛び立つ──聖典はそう記している。


 それが真実なのかどうかは、誰にも解らない。だが、ほとんどの魂が、死と同時に何処どこかへ飛び去ってしまうのは確かだ。生前にどんなに仲睦なかむつまじかった男女の魂も、片割れの死をその場で待つことなど出来ない。


 それが嫌なら、残された手段は一つしかない。


「ほぼ同時に死んだ──?」

「イリリカ?」


 デュライスとしては何気なくいたのだが、イリリカは何やら真剣に考え込んでいる。


「まさか」


 イリリカがはっと息を呑むと同時に、魂たちがピタリと動きを止める。彼らが生者であったなら、舌打ちの一つもしていたかもしれない。


「何だ!?」


 魂たちから、爆発のように黒い霧が吹き出す。いや、霧と呼ぶには、あまりに粘度が高すぎるか。それは夜闇より遥かに凝縮された、″闇″の言霊の投影だった。慌ててイリリカを背後にかばうデュライスの前で、闇は魂にベタベタとまとわりつき、形を成していく。


 それは二体の黒い人体のような姿だった。細長く引き伸ばされ、螺旋らせん状にからみ合っている。男女であることだけは見分けられたが、骸骨がいこつのように落ちくぼんだ目には、理性の欠片かけらも認められない。そのおぞましい姿にもひるむことなく、イリリカは己の守護騎士に警告を発する。


「気を付けて、迷魂です!」


 迷魂とは、転生出来ずにいる魂の総称である。


 恨み、ねたみ、渇望かつぼう、悲憤、そして絶望──そんな強い負の感情を抱き続けた人間は、″心″の言霊に″闇″の言霊がこびり付き、死後の魂にも引き継がれてしまう。


 そのような魂は、″光″の言霊を恐れ、暗がりへ逃げ隠れるようになる。肉体という鎧を失くした魂には、″光″の言霊による″闇″の言霊の浄化作用が、灼熱しゃくねつの業火のように感じられるのだ。


 当然ながら、彼らは至天の塔にも辿り着けない。イルドーラ大陸と北極の間に広がる大洋には、セラエノの光をさえぎる物が何もないのだから。


 そして、いつしか己が死んだ事実すら忘れ、生の戯化パロディとでも呼ぶべき凶行を繰り返すようになる。手当たり次第に他者を捕食し、無関係の相手に私怨をぶつけ──。


 恐ろしくも滑稽こっけいな怪物、迷魂と化すのだ。


「彼らはツガイカゲ、心中した恋人たちの迷魂です!」


 迷魂の内、多少でも肉体が残っている種類をシビトやドクロ、魂だけになっている種類をカゲと呼ぶ。迷魂ツガイカゲは風きのようなうめきを上げながら、二人の周囲を飛び回る。


「し、心中? 同時に死んだって、わざとかよ!?」


 いくら仲が良いからと言って、至天の塔にまで一緒に行きたいものか? 残りの人生を捨ててまで? デュライスには到底理解出来ない──ような、痛い程解るような──。


「それで、何をやらかすんだ、この迷魂は?」

「はい、ツガイカゲは──あの、その」


 何故なぜかイリリカが急に口ごもる。理由は直後に判明するが。


「生者の、こ、恋人を見つけると、体を乗っ取ろうとするんです!」

「こっ、こここっ!?」


 デュライスは風獣アサツゲドリのように上擦うわずり──。


「誰と誰がだ、こらぁっ!?」


 大赤面しつつ、ツガイカゲに抗議するしかなかった。イリリカの名誉を汚された怒りで? ということにしておくか。


「迷える魂よ、転生を恐れるなかれ。至天の塔こそ、至福の園なり──」


 さすがにイリリカは、すぐに聖職者の使命を思い出した。すなわち、迷える子羊を導くこと。たとえ死者であっても。


 聖印パナギアを握り締め、聖典の一節を詠唱えいしょうし始める。【鎮魂の説教ターン・アンデッド】の術だ。至天の塔の素晴らしさや転生の意義を迷魂に説き、″闇″の言霊を手放すよううながすのだ。成功すれば、迷魂は正常な魂に戻り、至天の塔へ旅立つことが出来る。


 イリリカの詠唱が荘厳そうごんに響き、迷魂の″心″の言霊をも震わせる──かに見えたが。


「セリアーザはなんじの物語を──きゃっ!?」

「避けろっ!」


 ツガイカゲがきりごとく回転しながら、二人に突進する。右に飛んだデュライスと、左に転がったイリリカの間を、うなりを上げて黒い凶風が通過する。


(くそっ、これがゴブリンとかだったら──)


 死んでも退かないところだが、実体のないカゲ相手ではすり抜けられるだけだ。イリリカを助け起こしながら、デュライスは内心の焦りを押し殺す。


「このままじゃ術を使う暇がねえ、まずはボコって弱らせるぞ」

「──やむを得ませんね」


 イリリカが川の水をすくい「祝福あれ」と唱えると、″光″の言霊を宿してほのかに輝き始める。【間に合わせの聖別クイック・コンセクレイション】の術だ。【聖別の儀礼コンセクレイション】と異なり効果は数分しか保たないが、ご覧の通り一瞬で行使出来る。


 聖水がデュライスの片手半剣に注がれると、たちまち刀身が輝きに包まれる。″光″の言霊を移したのだ。こうすれば、実体のないカゲでも焼き斬れる。無論、【鎮魂の説教】のように無痛とはいかないが──。


(助けてやるんだ、それぐらい我慢しやがれ!)


 再び突進してくるツガイカゲの脳天に、デュライスは片手半剣をおがみ打ちに振り下ろす──。


 ツガイカゲが左右に素早く分かれた。


「なっ!?」


 片手半剣はむなしく空を切る。まさか、一心同体の振りをしていたのはたばかりか。十分有り得る。何せ、正体を隠して近づいてきたぐらいだ。


「デュ、デュライス──」

「イリリカ!?」


 イリリカの苦しげな呻きに、慌てて振り返る。女のツガイカゲが、彼女の背中にしがみついていた。この肉体は自分のものだと、思い込んでいるのだろう。


「てめえっ、離れやがれっ!」

「駄目──後ろ──」


 身をひるがえしたデュライスを、他ならぬイリリカが止める。からみ付くツガイカゲの髪に、なかば口をふさがれながらも。


「見よ、一天にわかもり──」

(え?)


 背後から聞こえてきたのは、途切れ途切れではあるが、間違いなく聖典の一節だった。迷いながらも振り返ると、男のツガイカゲの手がばちばちと電光を帯び始めていた。


「あれは【審判の雷霆アーク・ジャッジメント】──攻撃用の──祈願術──」

(祈願術!? 何だって迷魂が──)


 祈願術を使えるのは聖職者のみ、アヴァロキア聖王国なら子供でも知っている常識──そのはずだった。


「下る審判の雷霆らいてい、悪の砦を打ち砕かん!」


 ツガイカゲの手から、うねり狂う電光がほとばしる。デュライスは──その場に踏み止まる。


(避けたらイリリカに当たる)


 咄嗟とっさった次善策は、片手半剣を天高くかかげることだった。狙い通り、電光はその刀身に吸い寄せられ、胴体への直撃だけは避けられたが。


「がっ──!?」


 篭手ガントレット越しにも結構な衝撃が伝わり、全身が石のように強張こわばってしまう。デュライスは己の筋肉に動け、動け、と必死に命じるが、指先がびくつくばかりだ。この絶好の機会を逃すはずもなく、男のツガイカゲもデュライスの背中にしがみつく。


(や、やめろ──)


 ぞっとする程冷たい何かが、彼の溝付甲冑フリューテッドアーマーを、詰め物をした鎧下ギャンベゾンを、そして皮膚すら透過して侵入し──。


(──え?)


 気が付くと、デュライスは見知らぬ場所に立っていた。


 かすみけぶったような視界だったが、白亜の列柱と燭台しょくだいの並ぶ祭壇さいだん、そしてセリアーザの女神像は判別出来た。何処いずこかの神殿だろうか?


 だが、そんな背景は、霞の向こうから現れた人物を目にした途端、視界から消し飛んでいた。


(ああ──)


 美しい乙女──そう、彼にとっては、セリアーザよりも美しい恋人。彼女のいない人生など考えられない、まさにおのれの半身。デュライスは愛しさのあまり、胸が苦しくなるという感覚を初めて知った。


 デュライスはひたすら恋人を見つめる。恋人もまた、ひたすらに彼を見つめ返す。その宝玉のような瞳に、あふれそうな程に涙をたたえて──無理もない。彼女は明日ここで、親が決めた相手と結婚させられるのだ。


 他に好きな人がいると訴えれば、あるいは婚約は解消されるかもしれない。だが、解消されても意味がない。なぜなら、自分はこの神殿の司祭、そもそも誰とも結婚出来ぬ身なのだから。


 残された道はただ一つ、街外れの崖から共に──だが、せめてその前に、最初で最後の口づけを交わそうと、彼は恋人のか細い肩に──伸ばした手を。


 がぶり、ブライトウィンに思い切りまれた。


「いってえ!?」


 彼はアヴァロキアでも希少な、地獣タキャクウマである。瞬足で頑強な上に知能も高い。主人が危機におちいれば、自主的に助太刀すけだちに入る程度には。


 男のツガイカゲが、デュライスの肉体からはじき出される。痛みに反応した彼の″命″の言霊が、瞬間的に防御を固めたのだ。


 デュライスの視界から、意識から、幻惑の霞が晴れる。ここは神殿などではなく、自分は司祭でもない。そして、目の前に立っているのは──口づけを交わそうとしていた相手は──。


 慌てて飛び退すさりつつ、ブライトウィンをねぎらう。


「よくやった、ブラ公! けど、もう少し優しく──」


 ブライトウィンが鼻を鳴らす。贅沢ぜいたく言うな、とでも言いたげに。


 弾き出された反動か、男のツガイカゲは風に流されるように、ふらふらと漂っている。デュライスが光り輝く片手半剣を振るうと、黒い腕が斬り落とされ、地面に落ちる前に消散する。


 ツガイカゲが身の毛がよだつ悲鳴を上げる。斬り落とされたのは自分の腕ではなく、実際はり固まった″闇″の言霊に過ぎないというのに。


「あっ」


 イリリカの肉体から女のツガイカゲが──自ら──抜け出し、脇目も振らずに相方にすがり付く。何故なぜだろう、先程まで骸骨そっくりだった顔が、わずかに生前の面影を取り戻していた──そう、デュライスは彼女に見覚えがあった。


 何せ、穴が開く程に見つめ合ったのだから。


(そうか、あの光景は──)


 生前のツガイカゲたちの記憶だ──男の方に祈願術の心得があったのは、生前は司祭だったからだ──。あの悲しくも幸せな記憶を再体験する為に、その為だけに、恋人たちの肉体を求めているのだろう。永遠に明けない夜を彷徨さまよいながら。


 それを思うと、デュライスは無性に──腹が立った。


「どうして一緒に生きなかったんだよ! あんなに好きだった相手と──」


 デュライスの叫びに、ツガイカゲたちがびくんと震え──川の下流へと飛び去る。かなわないという判断か、それとも。


「イリリカ、しっかりしろ! 俺が解るか!?」


 ふらついているイリリカに駆け寄り、肩を揺さぶる。出来る限り優しく。


「え、ええ──」


 幸い、イリリカの黒い瞳は、すぐにいつもの輝きを取り戻した──が、ほおを赤らめて、デュライスから顔をらしてしまう。


(う、もしかして、イリリカはあの光景を?)


 女側の視点から見せられていたのだろうか。口が裂けてもけないが。


(め、めっちゃ気不味きまずい)


 先に平常心を取り戻したのは、今回もイリリカだった。慌ててデュライスの負傷を確かめ、【癒しの御手ロイヤル・タッチ】の術の詠唱を始める。見る見る消えていく火傷──及びブライトウィンのあと──を見て、デュライスも意識を切り替える。


「すまねえ、逃がしちまったな。何処かで、また誰かが襲われたら──」


 自分は一介の騎士に過ぎない、イリリカ一人を守るのが精一杯──等と言い訳も出来ない。もし、ブライトウィンが機転をかせてくれなかったら、今頃どうなっていたことか。自分はイリリカの護衛すら務まっていない。


 だが、無力感にさいなまれているのは、イリリカも同様だったらしい。


「失敗はお互い様です。少なくとも、私の祈りではあの人たちは救えない」

「それは、やってみなけりゃ──」


 デュライスは擁護ようごしたが、イリリカには悲しい確信があるようだった。


「今なら解る、あの人たちは望んでいない。至天の塔に行くことも、生まれ変わることも」

「望んでないって──じゃあ、この先どうするつもりなんだ、あいつら?」

「現状のまま、迷魂のまま、永遠に一緒に居たいのでしょうね」


 思わず絶句するデュライス。セリヴェルドの全人類の存在理由は、セリアーザに物語を捧げることである。少なくとも、最終的には。彼らはそれすら拒否したというのか。


 それが究極の愛というものか。


「デュライス、あなたに愛する人が居たとして、死後も一緒に居たいと思いますか?」

「──解らない」


 イリリカも返答は期待していなかったようだ。妙な質問をしたことをびると、あのツガイカゲが誰にも危害を加えないよう、セリアーザに祈り始めるが──明らかに声に張りがない。


(幻滅したのかな、結婚や恋愛に)


 だとしても、それを悲しむべき喜ぶべきかも、デュライスには解らない。


 目指す聖都ヴァルドは、まだ遠い。

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