月だけが知っている

 残暑の月、十五日の夜。


 夏の熱気も引き、澄み渡った初秋の夜空──そこに輝く満月は、一年で最も美しいとされる。この夜はセリヴェルド各地で、月に関係する祭りが開催される。


 アヴァロキア聖王国で行われる祭りは〈銀月祭〉と呼ばれる。


 銀月祭のもよおしで最も有名な例は、ファーメイユ公爵主催の夜宴であろう。三日月をした銀色の船をオルドーゼ湖に浮かべ、船上で月をでながら舞踏や詩作を楽しむのである。当時は一介の騎士だった建国王アヴァロクが、後に妃となるルザリア王女と出会ったのも、この席でのことだったという。


 そこまでの豪華さは望めずとも、庶民も趣向をらして銀月祭を祝う。白鳥騎士団領のグリンデール村の例を見てみよう。王国の大動脈エベール河の右岸に位置する農村である。


 宿屋兼酒場タヴァーン以外は闇に包まれる夜の村も、この日ばかりは無数の祈願灯で照らされる。数日前から村人総出で祈り、″光″の言霊をたくわえておいたのである。司祭にしてみれば「普段から祈っておけ、この不信心者ども」と言いたいところであろうが。


 村の各所にはギンゲツソウが飾られる。家々の玄関にはギンゲツソウの花輪が下げられ、乙女たちはギンゲツソウを髪に飾る。神殿の祭壇へのそなえ物もギンゲツソウの花束だ。満月の夜にのみ開く銀色の花弁が、花芯かしんの放つ青白い燐光りんこうを照り返す様は、幻想的の一言だ。


 満月を映すエベール河の岸部では、旅芸人の一座による神話劇が演じられる。銀色の剣を手にした役者と、漆黒の鎌を握った役者が、丁々発止ちょうちょうはっしの演武を繰り広げるのだ。細かい筋書きは一座ごとに異なるが、銀色の剣の役者が勝利するという結末だけは共通している。


 さて、ここで一軒の農家に視点をしぼってみよう。村内では村長宅に次いで大きい家である。その台所では老婆が何やら調理中だ。


「さあて、そろそろ焼けたかね」


 老婆がパン焼きかまから取り出したのは、黒晶糖を入れた黒くて丸い焼き菓子だった。まだ湯気を上げているそれを銀の皿に盛ると、孫娘が歓声を上げる。


「わぁい、月影のケーキ!」

「残さず食べるんだよ」


 祖母に言われるまでもなく、孫娘は大喜びでフォークを突き立てる。今頃、他の家でも似たような光景が繰り広げられていることだろう。


 月影のケーキを半分まで平らげたところで、孫娘が首をかしげる。


「ねえ、お祖母さん、どうして銀月祭では、月影のケーキを食べるの?」

「ううん、それを話すには──月が生まれた訳から話さないとねえ」


 天窓から差し込む月光を浴びながら、老婆は語り始める──子供たちにとって語りとは、身近な老人である。


 *


 神様たちがセリヴェルドをお造りになったばかりの頃、まだ月は空に浮かんでいなかった。


 あんたも月の明るさは知っているだろう。松明たいまつや祈願灯じゃあ、せいぜい自分の周りしか照らせない。けど、月明かりは、夜の大地を万遍まんべんなく照らしてくれる。


 そりゃあ、夜は出歩かないのが一番さ。けど、夜に家族が急病になって、司祭様を呼びに行く羽目になる人もいるだろう。そうそう、亡くなった祖父様は、若い頃はお城の兵士をしていてね。夜の見回りも大切な仕事だった。そんな人たちにとって、月明かりはさぞ頼もしかろうね。


 だからこそ──月がなかった時代の夜が、どれだけ恐ろしかったかは想像出来るだろう。 当時も星明かりはあっただろうけど、広大な夜闇を照らすには到底足りなかっただろうね。毎夜、人々は家の中で縮こまり、風に揺れる茂みに何か潜んでいるのかと怯え──とうとう人々は耐えかねて、光の女神セリアーザ様に祈った。


『おお、光の星セラエノにいまし、慈悲深きセリアーザよ。昼の百分の一で構いません。夜にもセラエノの光を届けて下さい』


 セリアーザ様は人々の祈りに応えて、夜空に月を浮かべた。そして、月に大天使ルカナアス様をおつかわしになって、銀色の花畑を一面に植えさせなさった。こうして、鏡のようにピカピカになった月は、地平線の下に沈んだセラエノの光を反射して、夜闇を照らした。


 人々はようやく安心出来たが、闇の神メーヴェルドは面白くなかった。


『夜は吾輩わがはいの時間だというのに、あんなまぶしいものを浮かべおって、越権えっけん行為ではないか──』


 ああ、越権行為と言うのはね、この場合──う~ん、あんたのお部屋に、祖母ちゃんが勝手に漬物たるを置くようなモンかね──怒りなさんな、例えばの話だよ。


 ともあれ、メーヴェルドは大悪魔ムンマーダを月に送り込んだ。ムンマーダは黒い鎌で銀色の花畑をり取り、代わりに黒い花畑を植えた。黒く染まった月はセラエノの光を反射しなくなり、夜は闇の世界に逆戻りさ。


 安心おし、ルカナアス様がこんな狼藉ろうぜきをお許しになるはずがないだろう。銀色の剣を振るって黒い花畑を刈り取り、銀色の花畑を植え直した。すると、ムンマーダも負けじとやり返す。天使と悪魔は直接戦うことを禁じられている──でないと、人間が物語の主役になれないからね──ので、二人の月を巡る争いは延々と続いた。


 以来、月はルカナアス様が優勢の時は銀色に輝き、ムンマーダが優勢の時は黒く染まるようになった。つまり、これが月の満ち欠けの由来だね。


 人々はルカナアス様を応援する為に、銀月祭を行うようになった。あちこちにギンゲツソウを飾るのも、銀の剣を持った役者を勝たせるのも、こんな風にルカナアス様が優勢になりますように──って願いが込められているのさ。


 そして、月影のケーキを食べるのもね。え? どうしてこれが、ルカナアス様への応援になるのかって? ほら、食べかけのケーキをごらんよ。黒いケーキがどんどん削れて、銀のお皿が顔をのぞかせて──まるで、月が満ちていくみたいだろう?


 *


「あれれぇ~、おっかしいぞぉ~?」

「な、何がだい?」


 孫娘はニヤニヤ笑いながら、壁に掛けられた暦表カレンダーを指差している。日数や言霊ことだま日だけでなく、月相も記されているタイプだ。


「月の満ち欠けってパターンが決まってるよ? 月の満ち欠けが、ルカナアス様とムンマーダの勝負で決まるなら、もっとランダムになるはずじゃないのぉ?」

「うっぐっぐっ、あんたのような勘のいいガキは嫌いだよっ──まあ、二人とも勝負に飽きちまって、八百長やおちょうしてるのかもしれないねえ」

「やおちょうって?」

「試合の勝ち負けを、あらかじめ決めておくことさ。賭け試合の結果が分かっていれば、大儲け出来るだろう?」

「──お祖母さん、詳しいね」

「ふっ、賭博場カジノの女王と呼ばれたワシも、ずいぶん丸くなったモンだよ──」


 ・


 ・


 ・






 それから約一千二百年前──。


 *


「だぁ~、やっぱり私の負けかぁ~」


 銀と黒のこまが並ぶ戦場盤クェスを前に、ムンマーダは肩を落とした。


 前半戦では彼女が優勢だったのに、今や黒の魔王駒キングはすっかり銀の騎士駒ナイトに包囲されている。どう動こうと、次の手で取られるのは避けられない──早い話、王手チェックメイトだ。


「おいおい、真剣にやっただろうね?」


 勝ったはずのルカナアスの方が、なぜかいぶかしげにしている。


「やったわよ! 魔竜の駒でめた時は、あんたもあせってたでしょうが」


 二人が戦場盤を囲んでいるのは、月面に築かれた東屋あずまやである。その周囲では黒い花が咲き乱れていたのだが、早くもしおれ始めている。代わりに急速に生え始めた銀の花畑が、地平線の彼方から押し寄せてくる。地上から見れば、夜空に溶け込んでいた新月が、細い三日月になっていくように見えるだろう。


 いつものように、月相の周期通りに。


「う~ん、ランダム要素の少ない方法でも駄目か」

「やっぱりくつがえせないんだわ、月相の周期は──」


 そう、ルカナアスとムンマーダは、何も退屈しのぎで遊んでいた訳ではない。これは大いなる実験だった。


 数千年──あるいは数万年?──に渡って、お互いの花畑を刈り合い、自分の花畑を植え直し続ける内に、彼らは気付いた。満月から新月へ、新月から満月へ、そして再び新月へ──ルカナアスが月面を制すれば、ムンマーダが取り返すという一定の周期を、自分たちが寸分の狂いもなく繰り返していることに。


 すなわち、自分たちの勝負の結果が、月相を決定するのではなく。


 月相の周期こそが、自分たちの勝負の結果を──あらかじめ──決定しているのではないかと。


 もっと早く気付け、と言うなかれ。天使と悪魔は強大ではあるが、人間のように自らをかえりみるのは苦手──人間にも出来ないやからは多いが──なのだ。彼らはあくまでセリヴェルドを維持する為の、言わばに過ぎないのだから。


 ルカナアスとムンマーダは史上初の交渉の末、勝負方法を変更してみることにした。


『とうっ、サーブ!』

『何のっ、レシーブ!』


 各種の競技スポーツに──。


『1、2、3──うっ、君の宿屋のマスか』

『は~い、賃貸レンタル料120シャルもらうね』


 様々な盤上遊戯ボードゲームに──。


丁方ちょうかたナイカ、ナイカ! ナイカ丁方!』

『勝負!』


 果ては、完全に運頼みの賭博ギャンブルまで試してみたが、結果はいつも同じだった。


 ルカナアスが勝利すべき時は、ルカナアスの勝利。ムンマーダが勝利すべき時は、ムンマーダの勝利。勝利すべき方が、わざと手抜きしても無駄だった。序盤はそのつもりでも、無意識の内に真剣勝負になり、相手を負かしてしまうのである。


 さすがの彼らも、この事実には虚しさを覚えた。自分たちは月に付属する舞台装置でしかないのか。とは言え、役割を放棄する気にまではなれない。神々への忠誠──と言うより、他にやることが見出せないのだ。天使と悪魔にとっては、自らの再定義もまた縁遠い概念である。


「ああ、我が神メーヴェルドよ。結果が見えている勝負を、このまま続けろとおっしゃるの? 永遠に?」


 ムンマーダが天をあおいで嘆息する。彼女の頭上では、セリヴェルドが鮮烈な青い輝きを放っている。湖の勇者ダムレイクと業火の魔王ブレンジャルトの戦いで一時荒廃していたが、それも回復しつつあるようだ。


「おや?」


 ルカナアスが眉を上げる。イルドーラ大陸の片隅に、新しい国がおこっていることに気付いたのだ。彼の千里眼をもってすれば、月からセリヴェルドの様相を見るなど朝飯前である。


「ちょっと、あの新しい国を見てごらんよ」

「んあー? また人間どもが建国したんでしょ。いつものことじゃない」


 ムンマーダは興味を示さない。数千年、数万年に渡って、セリヴェルドの興亡を見てきた彼女にとっては「地獣ミツアリがまた巣を作っている」程度の感慨しか湧かないのも無理はない。


 その点はルカナアスも似たようなものだったが──彼は久しぶりに瞳を輝かせていた、新しい遊びを思い付いた子供のように。


「次の勝負は、あの国の行く末で賭けてみないかい? 僕は″またたく間に亡びてしまう″に賭ける。君は″セリヴェルド一の大国になる″に賭ける」

「そんなの意味ないわよ。次は私が勝つ番なんだから、あの国は──あ、そうか!」


 ムンマーダがガバリと身を起こす。さすが永年の好敵手、ルカナアスの意図を即座に察したらしい。即ち、自分たちは月相の周期を逆手に取ることで、セリヴェルドの歴史をも操れるのではないかと。


 ムンマーダもまた、久しぶりに笑ってみせる。トロールも裸足はだしで逃げ出しそうな、凄絶な笑顔で。


「神々は気付いていないのかしら? この致命的な穴に」

「解らない、月のことわりにも限界はあるのかもしれない──だが、試してみる価値はある」


 東屋の周囲は、既に一面の銀色の花畑で覆われている──。


 *


 かくて、ルカナアスとムンマーダが賭けた新興国──シエト帝国は急速に勢力を増し、千年後にはセリヴェルド全土に覇を唱えるまでになる。いわゆる〈黎明れいめい大戦〉である。


 ちなみに──シエト帝国の歴代皇帝には、銀の仮面の宮廷司祭長と黒い仮面の宮廷魔術士長が仕えていた。彼らがもたらした魔術と技術こそが、帝国を強大化させたと歴史学者は言う。


 シエト帝国の隆盛は予め決定されていたのか? 不老不死とも噂された二帝臣の正体は?


 知っているのは──。

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