月だけが知っている
残暑の月、十五日の夜。
夏の熱気も引き、澄み渡った初秋の夜空──そこに輝く満月は、一年で最も美しいとされる。この夜はセリヴェルド各地で、月に関係する祭りが開催される。
アヴァロキア聖王国で行われる祭りは〈銀月祭〉と呼ばれる。
銀月祭の
そこまでの豪華さは望めずとも、庶民も趣向を
村の各所にはギンゲツソウが飾られる。家々の玄関にはギンゲツソウの花輪が下げられ、乙女たちはギンゲツソウを髪に飾る。神殿の祭壇への
満月を映すエベール河の岸部では、旅芸人の一座による神話劇が演じられる。銀色の剣を手にした役者と、漆黒の鎌を握った役者が、
さて、ここで一軒の農家に視点を
「さあて、そろそろ焼けたかね」
老婆がパン焼き
「わぁい、月影のケーキ!」
「残さず食べるんだよ」
祖母に言われるまでもなく、孫娘は大喜びでフォークを突き立てる。今頃、他の家でも似たような光景が繰り広げられていることだろう。
月影のケーキを半分まで平らげたところで、孫娘が首を
「ねえ、お祖母さん、どうして銀月祭では、月影のケーキを食べるの?」
「ううん、それを話すには──月が生まれた訳から話さないとねえ」
天窓から差し込む月光を浴びながら、老婆は語り始める──子供たちにとって語り
*
神様たちがセリヴェルドをお造りになったばかりの頃、まだ月は空に浮かんでいなかった。
あんたも月の明るさは知っているだろう。
そりゃあ、夜は出歩かないのが一番さ。けど、夜に家族が急病になって、司祭様を呼びに行く羽目になる人もいるだろう。そうそう、亡くなった祖父様は、若い頃はお城の兵士をしていてね。夜の見回りも大切な仕事だった。そんな人たちにとって、月明かりはさぞ頼もしかろうね。
だからこそ──月がなかった時代の夜が、どれだけ恐ろしかったかは想像出来るだろう。 当時も星明かりはあっただろうけど、広大な夜闇を照らすには到底足りなかっただろうね。毎夜、人々は家の中で縮こまり、風に揺れる茂みに何か潜んでいるのかと怯え──とうとう人々は耐えかねて、光の女神セリアーザ様に祈った。
『おお、光の星セラエノに
セリアーザ様は人々の祈りに応えて、夜空に月を浮かべた。そして、月に大天使ルカナアス様をお
人々はようやく安心出来たが、闇の神メーヴェルドは面白くなかった。
『夜は
ああ、越権行為と言うのはね、この場合──う~ん、あんたのお部屋に、祖母ちゃんが勝手に漬物
ともあれ、メーヴェルドは大悪魔ムンマーダを月に送り込んだ。ムンマーダは黒い鎌で銀色の花畑を
安心おし、ルカナアス様がこんな
以来、月はルカナアス様が優勢の時は銀色に輝き、ムンマーダが優勢の時は黒く染まるようになった。つまり、これが月の満ち欠けの由来だね。
人々はルカナアス様を応援する為に、銀月祭を行うようになった。あちこちにギンゲツソウを飾るのも、銀の剣を持った役者を勝たせるのも、こんな風にルカナアス様が優勢になりますように──って願いが込められているのさ。
そして、月影のケーキを食べるのもね。え? どうしてこれが、ルカナアス様への応援になるのかって? ほら、食べかけのケーキをごらんよ。黒いケーキがどんどん削れて、銀のお皿が顔を
*
「あれれぇ~、おっかしいぞぉ~?」
「な、何がだい?」
孫娘はニヤニヤ笑いながら、壁に掛けられた
「月の満ち欠けってパターンが決まってるよ? 月の満ち欠けが、ルカナアス様とムンマーダの勝負で決まるなら、もっとランダムになるはずじゃないのぉ?」
「うっぐっぐっ、あんたのような勘のいいガキは嫌いだよっ──まあ、二人とも勝負に飽きちまって、
「やおちょうって?」
「試合の勝ち負けを、
「──お祖母さん、詳しいね」
「ふっ、
・
・
・
それから約一千二百年前──。
*
「だぁ~、やっぱり私の負けかぁ~」
銀と黒の
前半戦では彼女が優勢だったのに、今や黒の
「おいおい、真剣にやっただろうね?」
勝ったはずのルカナアスの方が、なぜか
「やったわよ! 魔竜の駒で
二人が戦場盤を囲んでいるのは、月面に築かれた
いつものように、月相の周期通りに。
「う~ん、ランダム要素の少ない方法でも駄目か」
「やっぱり
そう、ルカナアスとムンマーダは、何も退屈
数千年──あるいは数万年?──に渡って、お互いの花畑を刈り合い、自分の花畑を植え直し続ける内に、彼らは気付いた。満月から新月へ、新月から満月へ、そして再び新月へ──ルカナアスが月面を制すれば、ムンマーダが取り返すという一定の周期を、自分たちが寸分の狂いもなく繰り返していることに。
月相の周期こそが、自分たちの勝負の結果を──
もっと早く気付け、と言うなかれ。天使と悪魔は強大ではあるが、人間のように自らを
ルカナアスとムンマーダは史上初の交渉の末、勝負方法を変更してみることにした。
『とうっ、サーブ!』
『何のっ、レシーブ!』
各種の
『1、2、3──うっ、君の宿屋のマスか』
『は~い、
様々な
『
『勝負!』
果ては、完全に運頼みの
ルカナアスが勝利すべき時は、ルカナアスの勝利。ムンマーダが勝利すべき時は、ムンマーダの勝利。勝利すべき方が、わざと手抜きしても無駄だった。序盤はそのつもりでも、無意識の内に真剣勝負になり、相手を負かしてしまうのである。
さすがの彼らも、この事実には虚しさを覚えた。自分たちは月に付属する舞台装置でしかないのか。とは言え、役割を放棄する気にまではなれない。神々への忠誠──と言うより、他にやることが見出せないのだ。天使と悪魔にとっては、自らの再定義もまた縁遠い概念である。
「ああ、我が神メーヴェルドよ。結果が見えている勝負を、このまま続けろと
ムンマーダが天を
「おや?」
ルカナアスが眉を上げる。イルドーラ大陸の片隅に、新しい国が
「ちょっと、あの新しい国を見てごらんよ」
「んあー? また人間どもが建国したんでしょ。いつものことじゃない」
ムンマーダは興味を示さない。数千年、数万年に渡って、セリヴェルドの興亡を見てきた彼女にとっては「地獣ミツアリがまた巣を作っている」程度の感慨しか湧かないのも無理はない。
その点はルカナアスも似たようなものだったが──彼は久しぶりに瞳を輝かせていた、新しい遊びを思い付いた子供のように。
「次の勝負は、あの国の行く末で賭けてみないかい? 僕は″
「そんなの意味ないわよ。次は私が勝つ番なんだから、あの国は──あ、そうか!」
ムンマーダがガバリと身を起こす。さすが永年の好敵手、ルカナアスの意図を即座に察したらしい。即ち、自分たちは月相の周期を逆手に取ることで、セリヴェルドの歴史をも操れるのではないかと。
ムンマーダもまた、久しぶりに笑ってみせる。トロールも
「神々は気付いていないのかしら? この致命的な穴に」
「解らない、月の
東屋の周囲は、既に一面の銀色の花畑で覆われている──。
*
かくて、ルカナアスとムンマーダが賭けた新興国──シエト帝国は急速に勢力を増し、千年後にはセリヴェルド全土に覇を唱えるまでになる。いわゆる〈
ちなみに──シエト帝国の歴代皇帝には、銀の仮面の宮廷司祭長と黒い仮面の宮廷魔術士長が常に仕えていた。彼らがもたらした魔術と技術こそが、帝国を強大化させたと歴史学者は言う。
シエト帝国の隆盛は予め決定されていたのか? 不老不死とも噂された二帝臣の正体は?
知っているのは──。
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