続・創世記

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 *


 太初はじめ虚空こくうあり。


 名も無き星々、ただ静寂しじまの内にまたたくのみ。


 そこに命なく、意思こころなく、物語もなし。


 悠久の時巡り、移ろいの時来り。


 光の星セラエノにいまし、光の女神セリアーザ。


 闇の星ヒヤデスに坐し、闇の神メーヴェルド。


 不老にして不滅なる神々、無限の余暇よかき、虚空に大いなるたわむれ画策しき。


「我ら、ここに新しき星を創造す。星の表面を海に覆ひ、豊かなる大地をはぐくまむ。光と闇の種族を住まはせ、数多あまたの物語つむがせむ。いざ、戯れの始まりなり」


 セリアーザ、光の書を紐解ひもとき、無尽の言霊を解き放てり。


 メーヴェルド、闇の書を紐解き、無尽の言霊を解き放てり。


 解き放たれし言霊、混ざり合い、り固まり、虚空に新たなる星産み落としき。


 神々、この星に己々おのおのが名の一部を与え──


 ──地の星セリヴェルドと名付けき。


 ~聖典 第1章 創世記より~



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「ふわあああ」


 光の星セラエノの〈輝ける神殿〉で一人、光の女神セリアーザ様は大きなあくびをなさいました。


『まあ、はしたない』等と仰言おっしゃいますな。神とて退屈はします。そもそも、セリアーザ様が──闇の神メーヴェルドと協力してまで──地の星セリヴェルドを創造したのも、退屈しのぎが目的だったのですから。


 セリアーザ様は城壁のような大書棚から本を取り出し、つまらなそうなお顔でパラパラと眺めます。ここに収められている膨大な量の物語は、天使たちからささげられたものです。


 壮大な歴史物語を描くために、密かに国々の趨勢すうせいに介入し──。


 身分違いの悲恋を描く為に、王女とその護衛の騎士に恋心を植え付け──。


 勧善懲悪かんぜんちょうあくの教訓話を描く為に、善人に褒美を与え、悪人に天罰を下し──。


 感動の親子再会を描く為に、同じ日に生まれた赤子を親に取り違えさせ──。


 滑稽こっけいな喜劇を描く為に、商人に化けて″馬鹿には見えない服″を国王に売り付け──。


 天使たちはあの手この手で物語を生み出し、セリアーザ様に楽しんで頂こうと奮闘しているのです。時にはセリアーザ様自らも、啓示けいじを下して物語のたちを動かすこともありました。


 メーヴェルド側の事情はセリアーザ様も詳しくは知りませんが、おそらくは配下の悪魔たちに似たようなことをさせているのでしょう。根暗な彼のことですから、復讐だの裏切りだの救われない結末だの、悪趣味な物語ばかり作らせているに違いありませんが。


 セリヴェルドを舞台にした物語たちの中でも、主軸の物語メインストーリーと呼べるものこそが〈勇者と魔王の戦い〉です。


 メーヴェルドは定期的に、人間たちの中から魔王を選びます。選ばれる条件には、不幸な境遇──複雑な家庭環境だとか、被差別階級の出身だとか──や、いじけた精神の持ち主といったものがあるようです。で、メーヴェルドは魔王に「世界を変革するのだ」などと吹き込み、死の杖メーヴェルザーを与えます。


 絶大な力を得た魔王は、今までの鬱憤うっぷんを晴らすかのように、闇の種族をひきいて国々を荒らし回ります。おお、無辜むこの民は蹂躙じゅうりんされるしかないのでしょうか。心配無用、ちゃんと救いは用意されています。


 そう、魔王の出現に前後して、セリアーザ様も勇者を選ぶのです。こちらの条件は、勇敢で聡明で誠実で、ついでにセリアーザ様好みの美丈夫イケメンで──こほん。ともかく、セリアーザ様に選ばれた勇者は、聖剣セリアーダムを与えられます。かくて、勇者と魔王の戦いが幕を開けるのです。


〈海の勇者〉テムロンと〈深淵しんえんの魔王〉ダロブル。


〈森の勇者〉エルサナスと〈朽木くちきの魔王〉ネモヘレド。


〈湖の勇者〉ダムレイクと〈業火の魔王〉ブレンジャルト。


 幾多いくたの勇者と魔王が神々を楽しませ、伝説にその名を刻みました。


 まあ、聖剣を手にする代償に『自らの命、もしくはそれにも等しいもの』を設定した所為せいで、テムロンが死んだり、エルサナスが恋人と生き別れになったり、ダムレイクの故国が焼け野原になったりした時は、セリアーザ様も少し胸が痛みましたが──やむを得ません。物語の主人公には、試練と葛藤かっとうが必要なのです。


 ですが、それも最近は──。


「飽~き~た~」


 セリアーザ様は『湖の勇者と業火の魔王・中巻』を投げ出し、ゴロンと(まあ、はしたない)神殿の床に寝転びました。


 飽きっぽい? いえいえ、物語の収集を初めて数千年、セリヴェルドそのものの創造に費やした期間も入れれば、数万年が経過しているのです。むしろ、今までよく飽きませんでしたね暇人かと申し上げるべきでしょう。


(セリヴェルドはそろそろたたんで、新しい星を創ろうかしら?)


 セリアーザ様はメーヴェルドと相談しようと、闇の星ヒヤデスに念話テレパシーを送りました。しかし、忙しいのか寝ているのか、メーヴェルドの応答はありません。セリアーザ様はちっと舌打ちして、神殿の天窓を見上げました。その遥か彼方に、セリヴェルドは浮かんでいるのです。


 最近は本を読んでばかりだったな──セリアーザ様は退屈凌ぎに、久しぶりにセリヴェルドを観察してみることにしました。本を通してではなく、直接その目で。


 そう言えば、天使たちから報告がありました。最近、イルドーラ大陸にシエト帝国とかいう国が建国された、次の物語の舞台にどうかと。どうせ数百年かそこらで滅亡してしまうのだろうし、せっかくだから見ておこうか──程度のつもりで、セリアーザ様は遠見鏡の座標を、帝国の首都に合わせました。


(ええと、緯度が三十五度で、経度が八十七度だったかな?)


 数値だけは合っていましたが、肝心の緯度と経度が逆でした。結果、遠見鏡は帝都シエトゥリアから遠く離れた、辺境の村の様子を映してしまいました。


 まさか、セリアーザ様のこの勘違いが、セリヴェルドの運命を一変させることになろうとは。


 その名も無き村は、神々が好む物語では、まず舞台にならない場所でした。なったとしても、勇者の旅の通過点か、序章で魔王に滅ぼされる程度でしょう。物語の登場人間への食料供給、その為だけに存在しているような村です。少なくとも、神々とその下僕たちにとっては。


 無論、村である以上、住人はいます。しかし、彼らは天使や悪魔の誘導を受けていない為、日々同じ暮らしを繰り返すのみです。話しかけたとしても「こんにちは、ここは○○村だよ」等と紋切もんきり型の台詞セリフを返すのが精々の、いわば″人型の背景″でしかありません。


 そのはずでした。


(これは──!)


 村を見るなり、セリアーザ様は驚きに目を見開きました。神の目は物質界プレーンのみならず、言霊ことだまの領域である真智界アエティールをも見通します。だからこそ、一目で解りました。


 村に物語が満ちていることに。


 村長の娘と恋に落ちた青年は、村長に結婚を認めてもらおうと四苦八苦し──。


 羊飼いの少年は騎士を夢見て、元傭兵の老人に密かに特訓を付けてもらい──。


 インチキ商品を売る悪徳商人と、疑う奥様が絶妙な駆け引きを繰り広げ──。


 神殿前の広場では、村人たちが数日後に迫った銀月祭の準備に追われ──。


 暖炉の前に座る老婆は、幼い日々の思い出を孫たちに語っています。


 普通の村人たちが、自ら物語をつむいでいる──天使や悪魔が工夫をらした物語に比べれば、展開の起伏でも演出でも及ばない、何よりオチすら明確でない、ささやかな小話ばかりです。けれど、そのたくまざる素朴そぼくさこそが、セリアーザ様の胸を打ちました。


 人が時に、温室で咲き誇る大輪のアカガネバラより、荒野で見かけたちっぽけなベルスミレに感動するのと、似たような感覚でしょうか。花そのものと言うより、その背後で働く大いなる自然に対して。


(気付かなかった、いつの間に──)


 何が人間たちを変えたのでしょう。ひょっとしたら、神々が生み出した物語を聞き、感動し、そして真似をする内に、進化がうながされたのでしょうか。いずれにせよ、セリアーザ様にとっては嬉しい誤算でした。


(もっと見たい、人間たちが自ら紡ぐ物語を)


 人間たちの進化がここで止まるとは思えません。そして、彼らが紡ぐ物語の進化も。その中からはいずれ、勇者と魔王の戦いすら越える物語も生まれるかもしれない。その結末は最早、神々にも予想出来ないでしょう。


 セリアーザ様は決意を固めました。以降はセリヴェルドへの干渉かんしょうは極力ひかえ、その未来は人間たちの選択に任せようと。


 問題はメーヴェルドです。果たして同意してくれるでしょうか? メーヴェルドがあくまで、人間もセリヴェルドも自分の玩具おもちゃだと言い張ったら


[以下、破損により判読不能]


 *


 教王領、聖都ヴァルドの大神殿にて。


「な、な、な──」


 その古文書を読んだ教王マルギオン二世は、ワナワナと肩を震わせている。


 彼は師である初代教王マルギオン一世の遺志を継ぎ、聖典の編纂へんさん計画を進めている。完成したあかつきには、間違いなくセリアーザ信仰の核となるだろう。シエト帝国が押し進める皇帝崇拝すうはいに対抗する為にも、速やかに成し遂げねばならない。


 マルギオン二世は聖典にせるに相応ふさわしい物語を探すべく、イルドーラ大陸の各地に聖職者を派遣した。様々な物語が集まった。セリアーザが起こした奇跡の神話、勇者と魔王の戦いを描いた戦記、信仰に生きた聖人たちの格言集──。


 その中に一冊だけ、異質な物語がまぎれていたという訳だ。


「何だ、この本は!?」


 マルギオン二世は古文書の発見者を怒鳴り付けた。彼にとっては弟弟子に当たる人物でもある。


「はぁはぁ、女神たんえ~」


 しかし、当の本人は怒声などどこ吹く風で、執務室に置かれた女神像に見れている──法悦ほうえつのあまり? ということにしておくか。


「聞いているのか、カニングス!?」

「はあ、大きな声で何ですか? 祈りの邪魔ですよ」


 およそ聖職者らしくない貧相な小男が、たかってきた風獣シミバエでも見るような顔で振り返る。今や教王である兄弟子に対して、敬意の欠片かけらもない。それでいて、神学の教養や祈願術の腕前は、初代教王の弟子中でもずば抜けているのだから、一番弟子のマルギオン二世としては尚更なおさら腹立たしい。


「これは何だと聞いておる!」

「何だと言われましても、帝国語で書いてあるんだから読めるでしょ」


 カニングスは出来の悪い生徒に教えるような態度だ。マルギオン二世は全てを諦め、結論だけ宣告することにした。


「こんなふざけた代物しろものを、聖典に載せられるか!」

「そんなこと、あんたに決定権はないでしょ。師のお言葉を忘れましたか? 聖典にはセリアーザ信仰に関わる、あらゆる文献ぶんけんを載せろと。真贋しんがん各々おのおのの信徒が決めることだと」


 そう、カニングスが唯一敬服した人間、すなわち師のマルギオン一世は、決して弟子たちに意見を押し付けなかった。弟子たちに自ら考え、議論をわすことを奨励しょうれいした。盲信は信仰にあらず。その信念こそが、彼に皇帝崇拝を拒絶させたのだろう。


 その師から、教王の座を継いだはずのマルギオン二世は、暗い眼差まなざしでうつむいている。


「その書物の何が気に入らないんです? セリアーザ様があくびをなさっていることですか? それとも、メーヴェルドと共謀きょうぼうしていることですか?」

「それもある! だが、何より聞き捨てならんのは──」


 マルギオン二世はだん、と執務机に拳を叩き付けた。


「我々に世界の行く末を任せるだと? セリアーザ様が──いや、メーヴェルドまでもが?」

「え、いや、そこですか? セリアーザ様は自由にして良い、と我々におっしゃっているんですよ。それのどこに問題が?」

「問題しかないわ! こんなことを、民衆が信じてしまったら──」


 マルギオン二世の肩は、再び震え始めている。憤怒で? 否、こんな蒼白の顔で怒れるものか。彼は恐怖で震えている。


「世界は苦界くがいだ。天地の災害に、闇の種族の跳梁ちょうりょう、何より人間同士の争い──人々は常に脅威にさらさされている。それも全ては神々に捧げる物語の為──そう信じればこそ、耐えられるのではないか」


 つい先月も、エベール川の堤防が崩れ、流域の村が濁流だくりゅうに飲まれるという災害があった。途方に暮れる村人たちを、マルギオン二世はこうさとした。


『セリアーザ様は希望に満ちた物語をお望みだ。そなたらの不屈の努力が村を復興する、そんな物語をな』


 それで村人たちの半分は納得して、復興の作業に取り掛かった。まだ立ち上がろうとしない村人たちに、マルギオン二世はこう続けた。


『メーヴェルドは絶望に満ちた物語を欲しておる。そなたらが全てを諦めて野垂のたれ死ぬ、そんな物語をな』


 返ってきた反応を確かめる前に、マルギオン二世はその場を去った。少なくとも、怒号も反論も浴びせられることはなかったけれど。


 マルギオン二世自身が、おのれの言葉に半信半疑だったことは言うまでもない。


「なのに、神々が世界への干渉を止めてしまったら──あらがえぬ災害も、止められぬ争いも、何の意味もなくなってしまうではないか。この先、我々はどんな理由で、愛する者の死を諦めれば良いのだ!?」


 マルギオン二世はしぼり出すように続けた。


「人間は──神々の操り人形でいる方が幸せなのだ」

「へえ、面白い理屈ですね」


 言葉とは裏腹に、カニングスの声に皮肉の響きはない。むしろ、初めて兄弟子に興味を持ったようだ。


「師よ、お許し下さい。私は──貴方あなた程には、神も人も信じられない」


 マルギオン二世はその古文書を暖炉に投げ入れた。ごうっと勢いを増した火が、彼の苦渋くじゅうの表情を赤々と照らした。振り返らずに、背後の弟弟子に問い掛ける。


「カニングスよ、お前はあの本を信じたのか?」

「さあ──どうでしょうね」


 気が付くと、カニングスの姿は執務室から消えていた。おそらく、教団に戻るつもりはないだろう。マルギオン二世は神殿騎士団を召集し、彼を捕縛させるべきか迷い──結局、結論は出せなかった。


 時は前黎明れいめい歴245年、世界がいまだ神々の制御下にあると思われていた〈遊戯ゆうぎ時代〉の出来事である。


 *


 マルギオン二世の死後──。


 教王領内に度々たびたび〈カニングス偽典〉なる怪文書が出回り、代々の教王を悩ませることになる。

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