森の傷痕(前編)

 リューン大森林の細い獣道を、三人の男たちが急ぎ行く。


 緑の天蓋てんがいから差し込む木れ日が、彼らの姿をまだらに照らし出す。どいつもこいつも、世の中をめきっている顔付きだ。


 その内の二人は、四角い荷物を棒に吊るしてかついでいる。残りの一人は長槍片手に随行ずいこうしている。獣類どうぶつの襲撃を警戒しているのか? だが、それにしては、誰も獣避けの鈴を下げていない。


 棒の先端部を担ぐ男──ひょろりとした体格なので″ヒョロ″と呼ぼう──が慌てる。荷物を覆う布が、木の枝に引っかかってめくれそうになったのだ。その下からのぞくのは小型のおりだ。中では地獣コガネウサギがくぅくぅと悲しげに鳴いている。


 その黄金の毛皮目当てに乱獲され、コガネウサギはリューン大森林以外ではほぼ絶滅している──ここだけが例外なのは、リューンヘイム王国がその狩猟を禁じてきたからだ。


 リューンヘイム王国──。


 リューン大森林をようするこの国こそ、イルドーラ大陸の五大国中で唯一、人間が主権者でない国である。人口の99%以上を占める人間たちは、女王リルハインを頂点とするエルフたちに臣従している。その体制を人間たちが不服としないのは、エルフたちが滅多に干渉してこない上に、彼らに多大な恩義を感じているからだ。


 リューンヘイム王国の人間たちの祖先は、二百年前のシエト帝国の侵攻の際、リューン大森林に逃げ込んだ難民たちだ。エルフたちは彼らをこころよく受け容れたのみならず、『森の深部にまでは立ち入らない』という条件で資源の利用まで許してくれた。


 以来、王国の人間たちは森の恵みに浴しつつ、森への配慮も忘れたことはない。コガネウサギの狩猟を禁じた法律も、エルフたちに命じられたからではなく、人間たちが自主的に定めたものだ。


 だが、どこの国にも、私利私欲で禁を破る連中はいる。この密猟者たちのように。


「えっへっへ、金が入ったら豪遊するぞ~。浴びるほど酒飲んで~、酒場の姉ちゃんにみついで~」


 もう一人の、檻を担いでいる男がへらへらと笑う。図体ばかり大きく、頭の悪そうな顔付きなので、仮に″ウスノロ″と呼ぶことにする。


「馬鹿野郎、静かにしろぃ!」


 すかさずヒョロがしかる。叱ってから、怯えた顔で周囲を見回している。


「何のために、獣避けの鈴を置いてきたと思ってやがる!」

「そう言えば、持ってねえなぁ──ツノグマとか出たらヤバくね?」

「奴らに見つかるよりはマシだからだよ!」


 ヒョロが小声で怒鳴った、まさにその瞬間。


「クチベニソウの花言葉を知っているか──?」


 木々のざわめきにもかき消されぬ、りんとした問い掛けが響き──。


「″熱烈な愛″だ!」


 ひょうという風切り音と共に、細長い何かがウスノロの額に突き立った。「あで?」と間抜けなうめきを漏らし、くにゃくにゃと崩れ落ちる。


「ひっ」


 ヒョロがたちまち青ざめる、樹上に射手の姿を認めて。


 むちのように引き締まった体躯たいくまとう、緑色の狩人装束しょうぞくからみ合うつたかたどった華麗な複合弓コンポジットボウ。風獣チエフクロウの羽をあしらった三角帽トリコーン


 密猟者にとっては、地獣ツノグマより恐ろしい彼らこそ──。


森番スクーヴァクタレっ!?」


 エルフたちは滅多に人間たちに干渉しないと言ったが、その数少ない例外が森番制度である。


 エルフたちは定期的に人間の少年少女を弟子入りさせ、森での生き方を教える。そして、彼らが一人前になったあかつきには、リルハインから森番の称号を授け、森の守護者として様々な任務にかせる。密猟者の摘発てきはつもその一つだ。


 リューンヘイム王国の人間たちにとって、森番になることは最高の名誉である。


 ヒョロが慌てて十字弓クロスボウを撃つが、森番は地獣カゲヒョウのような身ごなしで、瞬時に地上に降り立つ。矢がみきむなしく突き刺さり、ヒョロはますます慌てる。十字弓は扱いやすく威力も高いが、連射できないのが弱点である。それでも、どうにかこうにか次の矢をつがえるが──。


「やめて、アタシのいい人を傷付けないで!」

「ぐふぅ!? こ、こら、何しやが──ぐえええ」


 がばりと起き上がったウスノロが、ヒョロの胴に渾身こんしんの力でしがみつく。その額に刺さっているのは、あでやかな赤い花──口紅の原料になることからその名が付いた、クチベニソウだ。


 エルフ流花弓技かきゅうぎ──リューン大森林のエルフたちが編み出した闘技である。


 特殊な加工を施した緑類しょくぶつを矢に用い、その花言葉にちなんだ効果をもたらす。森番が密猟者たちにわざわざ花言葉を教えてやったのは、その方が矢の効果が高まるからだ。クチベニソウの矢を放つこの技は【一目惚れの紅矢エルスカ・ピール】と呼ばれる。その効果は──。


「きゃ~、ダーリン頑張って♥」


 ──ご覧の通りである。額に刺さったクチベニソウの矢は、数分もてば傷も残さず抜ける。エルフの温和さを反映してか、花弓技には不殺ころさずの技が多い。まあ、その──むくつけき男の黄色い歓声が、少しばかりキツいのは難点だが。ちなみに、ヒョロはすでに泡を吹いて失神している。


 木陰から槍使いが飛び出す。地獣ドクイタチのような釣り目に、剣呑けんのんな眼光を宿した男だ。


 森番がわずかに緊張をにじませる。花言葉を教えてやった瞬間も、こいつだけは立ちすくまなかった。それどころか、迷わず身を隠しさえした。素人の立ち回りではない。おそらくは一行の護衛役──無論、森番に対しての。


 槍使いは木陰に隠れつつ、ひゅううと風がくような口笛を吹き続けていた。その音色はあたかも本当に風が吹いているかのように、森の下生えをさわさわと揺らし──。


「【南風竜巻陣ノトス・トルネード】!」


 技名の宣言、および槍の回転演武と共に、槍使いを包む極小の竜巻と化す。東西南北の風に関する伝承を利用する、ベクトラン流風槍技ふうそうぎの使い手だったのだ。無数の木の葉と小枝をも舞わせ、矢に対する絶望の障壁を形成する。


 槍使いは竜巻を従え、じりじりと森番に迫る。森番はちらりとウスノロに視線を向けたが、すぐに槍使いに向き直る。しがみついて妨害しろと命じかけて、中断したのだ。そんなことをさせたら、槍使いに殺されてしまうと判断して。


 それを察して、槍使いが嘲笑ちょうしょうを浮かべる。躊躇ちゅうちょなく他人を切り捨てられる自分を、強いと信じきっている手合いだ。


 さしもの森番も絶体絶命かと思われた、その時──水晶の竪琴たてごと爪弾つまびくような、澄んだ女性の声が響いた。


「【風よ、切り裂けグウィント・トッリ】、汝の名は鎌鼬かまいたち

「ぐっ!?」


 槍使いがうめく。己の手足や革鎧に、突如無数の切り傷が刻まれるのを見て。


「精霊術か!?」


 流れる水に、揺らめく炎に──天地自然の事物に名前を与え、″精霊化″させて操る魔術である。花弓技と同じく、開祖はエルフとされる。


 槍使いを襲ったのは、風に風獣カマイタチの名前を与え、不可視の刃で切り裂かせる術だ。魔術士が真智界アエティールを覗けば、はっきり見えたことだろう。″風″の言霊が凝縮し、鋭い鈎爪かぎつめを備えた獣類の姿になる様が。


(落ち着け、威力は大したことない)


 傷は肌を浅く切られた程度だ。手加減したのか、元々この程度の術なのか。ともあれ、槍使いは術者を探して、周囲を──見渡そうとして、ようやく気付いた。


「風が!?」


 自分を守っていた竜巻が、跡形もなく消えていることに。そう、【風よ、切り裂け】の術の狙いは、槍使いへの攻撃ではなく、術の上書きによる風の無効化だったのだ。慌てて別の技を構える槍使いの耳に、森番の死の宣告が届く──どことなく苛立いらだっているような。


「ハジケマメの花言葉を知っているか──?」


 咄嗟とっさに飛び退ずさった槍使いの足元に、黒い豆を実らせた枝が突立つ。獣類などが触れると、勢い良くはじけて種をき散らすことから、その名が付いた。


 馬鹿め、外したな──と、槍使いがわらう暇などあらばこそ。


「″いさぎよく散る″だ!」


爆散の黒矢ブラスト・ピール】が衝撃波と共に弾け、槍使いを天高く吹き飛ばした。


 *


「お疲れ様です、森番殿! この者どもは、我々が責任をもって連行しますので──」


 蔦で縛り上げた密猟者たちは、遠笛で呼んだ捕吏ほりたちにしょっ引かれていった。法術士に【家畜化の刑ドメスティケイション】の術を掛けられて、数ヶ月の強制労働──が適当な罰だろうか。


 森番がコガネウサギを檻から放ってやると、何度か振り返りながらも森の奥に消えていった。


「──はぁ」


 そこでようやく、森番はため息を吐いた。高貴なるエルフの代理人という仮面を脱いで。


 ついでに、森番の証の三角帽も脱いだ。その下から現れたのは、未だ少年の面影さえ残す若者の顔だ。リューンヘイム王国の人間には珍しい浅黒い肌に、太く釣り上がった眉、眼光鋭い青鈍あおにび色の瞳──本来は精悍せいかんな印象を与えるはずの顔は、しかし情けなさそうに弛緩しかんしている。


「どうしてそんな顔をしているの、タウィン?」


 精霊を呼んだ美声が、木陰から若き森番──タウィンに問い掛ける。そう、彼女はずっと側に居たのだが、密猟者たちも捕吏たちも最後まで気付かなかった。地獣カクレネズミも真っ青の気配の殺し方だ。タウィンは背中を向けたまま応える。


「いい加減出てこいよ、シルギィ」

「ごめんなさい、人間の皆さんがいらっしゃると、つい、ね」


 木陰からするりと現れたその姿は、森の古譚エッダから抜け出してきたかのようだった。


 端正たんせいな──あまりにも端正すぎて、無表情だったら彫像にしか見えない美貌が、日溜ひだまりのような微笑みを浮かべている。優雅にい上げたあわい金の髪、深く澄んだみどりの瞳。雪のように白い肢体したいまとうのは、地水火風の文様を織り込んだ精霊術士の衣だ。


 リューンヘイム人であれば、そのとがった耳を認めるまでもなく、彼女が森の貴族──エルフだと察するだろう。いとも自然に漂わせる、高貴な雰囲気で。


 外見上の年齢は、タウィンと同じぐらいに見える。無論、人間より遥かに長命で、しかもほとんど老化しないエルフのこと、実際の年齢は解らない。


「密猟者を捕まえて、森の獣類を守って──これでタウィンも一人前の森番ね」


 むくれる息子をなだめる母親のような顔で、エルフの乙女──シルギィことシルギエラが太鼓判たいこばんを押す。それでも、タウィンは振り向かない。


「どこがだよ、最後は結局シルギィに助けられちまった」

「私はあなたの相棒よ? 助け合うのは当たり前じゃない」


 そう、リューンヘイムでもあまり知られていないが、森番は後見人であるエルフ──大抵はその森番を勧誘したエルフだ──と二人一組で行動する。あまり知られていないのは、エルフが極力人前に出ないよう心掛けているからだ。森番がエルフに従属しているような印象を、人々に与えない為なのだという。


 当初はタウィンも、なんて謙虚なのだろうと感心した。だが、今は複雑な心境だ。それは結局──子供が親に見守られながら、お使いをしているようなものではないか。他の森番はともかく、彼はそれでは困るのに。


「相棒──それは対等な関係ってことか?」

「ええ、もちろんよ」

「じゃあ、言う資格ぐらいはあるよな」


 本当は、もっとこう、ズバッと格好良く決めた直後などが望ましかったが──よくよく考えてみれば、何事にも動じないシルギエラが、一時の場の空気に流されるはずがない。どんな状況であろうと、彼女の答えは同じだろう。


 タウィンはようやくシルギエラに向き直り、真っぐに見つめながら告白した。


「シルギエラ・ケアルト・ミスニーハ──君が好きだ。俺と結婚してくれ」

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