森の傷痕(前編)
リューン大森林の細い獣道を、三人の男たちが急ぎ行く。
緑の
その内の二人は、四角い荷物を棒に吊るして
棒の先端部を担ぐ男──ひょろりとした体格なので″ヒョロ″と呼ぼう──が慌てる。荷物を覆う布が、木の枝に引っかかって
その黄金の毛皮目当てに乱獲され、コガネウサギはリューン大森林以外ではほぼ絶滅している──ここだけが例外なのは、リューンヘイム王国がその狩猟を禁じてきたからだ。
リューンヘイム王国──。
リューン大森林を
リューンヘイム王国の人間たちの祖先は、二百年前のシエト帝国の侵攻の際、リューン大森林に逃げ込んだ難民たちだ。エルフたちは彼らを
以来、王国の人間たちは森の恵みに浴しつつ、森への配慮も忘れたことはない。コガネウサギの狩猟を禁じた法律も、エルフたちに命じられたからではなく、人間たちが自主的に定めたものだ。
だが、どこの国にも、私利私欲で禁を破る連中はいる。この密猟者たちのように。
「えっへっへ、金が入ったら豪遊するぞ~。浴びるほど酒飲んで~、酒場の姉ちゃんに
もう一人の、檻を担いでいる男がへらへらと笑う。図体ばかり大きく、頭の悪そうな顔付きなので、仮に″ウスノロ″と呼ぶことにする。
「馬鹿野郎、静かにしろぃ!」
すかさずヒョロが
「何のために、獣避けの鈴を置いてきたと思ってやがる!」
「そう言えば、持ってねえなぁ──ツノグマとか出たらヤバくね?」
「奴らに見つかるよりはマシだからだよ!」
ヒョロが小声で怒鳴った、まさにその瞬間。
「クチベニソウの花言葉を知っているか──?」
木々のざわめきにもかき消されぬ、
「″熱烈な愛″だ!」
ひょうという風切り音と共に、細長い何かがウスノロの額に突き立った。「あで?」と間抜けな
「ひっ」
ヒョロがたちまち青ざめる、樹上に射手の姿を認めて。
密猟者にとっては、地獣ツノグマより恐ろしい彼らこそ──。
「
エルフたちは滅多に人間たちに干渉しないと言ったが、その数少ない例外が森番制度である。
エルフたちは定期的に人間の少年少女を弟子入りさせ、森での生き方を教える。そして、彼らが一人前になった
リューンヘイム王国の人間たちにとって、森番になることは最高の名誉である。
ヒョロが慌てて
「やめて、アタシのいい人を傷付けないで!」
「ぐふぅ!? こ、こら、何しやが──ぐえええ」
がばりと起き上がったウスノロが、ヒョロの胴に
エルフ流
特殊な加工を施した
「きゃ~、ダーリン頑張って♥」
──ご覧の通りである。額に刺さったクチベニソウの矢は、数分も
木陰から槍使いが飛び出す。地獣ドクイタチのような釣り目に、
森番が
槍使いは木陰に隠れつつ、ひゅううと風が
「【
技名の宣言、および槍の回転演武と共に、槍使いを包む極小の竜巻と化す。東西南北の風に関する伝承を利用する、ベクトラン流
槍使いは竜巻を従え、じりじりと森番に迫る。森番はちらりとウスノロに視線を向けたが、すぐに槍使いに向き直る。しがみついて妨害しろと命じかけて、中断したのだ。そんなことをさせたら、槍使いに殺されてしまうと判断して。
それを察して、槍使いが
さしもの森番も絶体絶命かと思われた、その時──水晶の
「【
「ぐっ!?」
槍使いが
「精霊術か!?」
流れる水に、揺らめく炎に──天地自然の事物に名前を与え、″精霊化″させて操る魔術である。花弓技と同じく、開祖はエルフとされる。
槍使いを襲ったのは、風に風獣カマイタチの名前を与え、不可視の刃で切り裂かせる術だ。魔術士が
(落ち着け、威力は大したことない)
傷は肌を浅く切られた程度だ。手加減したのか、元々この程度の術なのか。ともあれ、槍使いは術者を探して、周囲を──見渡そうとして、ようやく気付いた。
「風が!?」
自分を守っていた竜巻が、跡形もなく消えていることに。そう、【風よ、切り裂け】の術の狙いは、槍使いへの攻撃ではなく、術の上書きによる風の無効化だったのだ。慌てて別の技を構える槍使いの耳に、森番の死の宣告が届く──どことなく
「ハジケマメの花言葉を知っているか──?」
馬鹿め、外したな──と、槍使いが
「″
【
*
「お疲れ様です、森番殿! この者どもは、我々が責任をもって連行しますので──」
蔦で縛り上げた密猟者たちは、遠笛で呼んだ
森番がコガネウサギを檻から放ってやると、何度か振り返りながらも森の奥に消えていった。
「──はぁ」
そこでようやく、森番はため息を吐いた。高貴なるエルフの代理人という仮面を脱いで。
ついでに、森番の証の三角帽も脱いだ。その下から現れたのは、未だ少年の面影さえ残す若者の顔だ。リューンヘイム王国の人間には珍しい浅黒い肌に、太く釣り上がった眉、眼光鋭い
「どうしてそんな顔をしているの、タウィン?」
精霊を呼んだ美声が、木陰から若き森番──タウィンに問い掛ける。そう、彼女はずっと側に居たのだが、密猟者たちも捕吏たちも最後まで気付かなかった。地獣カクレネズミも真っ青の気配の殺し方だ。タウィンは背中を向けたまま応える。
「いい加減出てこいよ、シルギィ」
「ごめんなさい、人間の皆さんがいらっしゃると、つい、ね」
木陰からするりと現れたその姿は、森の
リューンヘイム人であれば、その
外見上の年齢は、タウィンと同じぐらいに見える。無論、人間より遥かに長命で、しかもほとんど老化しないエルフのこと、実際の年齢は解らない。
「密猟者を捕まえて、森の獣類を守って──これでタウィンも一人前の森番ね」
むくれる息子を
「どこがだよ、最後は結局シルギィに助けられちまった」
「私はあなたの相棒よ? 助け合うのは当たり前じゃない」
そう、リューンヘイムでもあまり知られていないが、森番は後見人であるエルフ──大抵はその森番を勧誘したエルフだ──と二人一組で行動する。あまり知られていないのは、エルフが極力人前に出ないよう心掛けているからだ。森番がエルフに従属しているような印象を、人々に与えない為なのだという。
当初はタウィンも、なんて謙虚なのだろうと感心した。だが、今は複雑な心境だ。それは結局──子供が親に見守られながら、お使いをしているようなものではないか。他の森番はともかく、彼はそれでは困るのに。
「相棒──それは対等な関係ってことか?」
「ええ、もちろんよ」
「じゃあ、言う資格ぐらいはあるよな」
本当は、もっとこう、ズバッと格好良く決めた直後などが望ましかったが──よくよく考えてみれば、何事にも動じないシルギエラが、一時の場の空気に流されるはずがない。どんな状況であろうと、彼女の答えは同じだろう。
タウィンはようやくシルギエラに向き直り、真っ
「シルギエラ・ケアルト・ミスニーハ──君が好きだ。俺と結婚してくれ」
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