幻想の島、幻想の恋

 島主の城塞じょうさいに閉じ込められたマドレーナは、我が身の不幸を嘆いてさめざめと泣いていました。


「ああ、世界の作者たるセリアーザ様、これが私の運命だとおっしゃるのですか」


 島主から愛の証(オエッ!)だと押し付けられた黄金の首飾りも、マドレーナには奴隷の首輪としか思えません。


「私だって恋がしたかった。愛する人と結ばれたかった。それが叶わないなら、せめて自由でいたかった」


 いっそ海に身を投げようかと、マドレーナが部屋の窓を開け放った、その時──彼女ははっと耳を澄ませました。窓の外に広がる海から、勇壮な歌声が聞こえてきたのです。


 ヨーホー! 俺たちゃ無敵の海賊団、目指すはロザンナ、幻の黄金島──♪


 ~カメロ・グニエス著『エルナトーレ民話集』より~


 *


「野郎ども、ずらかるぞ!」

「「「ヨーホー!」」」


青の嵐アスル・トルメンタ〉号の若き船長〈復活の大海賊〉ヴィクトーロの号令に、一味の海賊たちが威勢良く応える。


 その異名の由来は、サハギンの大群による〈総代島イスラ・ドージェ〉イルメダの襲撃事件だ。苦戦する海軍の前に、ヴィクトーロ一味は疾風のように現れ、サハギンどもをあっさり蹴散らした。あまつさえ、拍手喝采はくしゅかっさいする人々──及び歯ぎしりする海軍提督ていとく──の前で宣言したのだ。『海賊の時代の復活だ!』と。


『その場のノリでついやってしまった』とは本人の弁だが。


 ともあれ、以来ヴィクトーロは伝説の〈青の大海賊〉ジャンピーノの再来と目されている。それはつまり、エルナトーレ海で最強の海賊という意味だ。


 甲板かんぱん上を海賊たちがくるくると立ち回り、あっという間にいかりが上がり、が下りる。出航の準備を終えた〈青の嵐〉号は、夜陰に乗じてロザンナ島を離れていく。


 東風をはらむ三角帆の向こうでは、島主の城塞が炎上しているのが見えた。兵士たちは消火に大わらわで、〈青の嵐〉号の追跡はおろか、城壁上の火砲を撃つ余裕もない。無論、ヴィクトーロたちの仕業である。


 無益な殺生せっしょうは好まない彼らのこと、街にまで延焼しないよう火勢は調節してある。もっとも、城塞の宝物庫に火樽ひだるで穴を開けた際には、居合わせた島主まで吹き飛ばしてしまったが。城塞の指揮系統が乱れてラッキー──もとい、光の女神セリアーザよ、我らの罪をお許し下さい。


『島主の奴、毎晩のように宝物庫にこもって、め込んだ金貨を数えておるそうじゃ』


 という、島民から聞いた話を利用した訳ではないのです、断じて。


「ひゃっほう、これで俺たちは大金持ちだぁ!」


 甲板長のコッピオが宝箱から金貨をばらいて、散らかすなと操舵手そうだしゅのリベルトに叱られている。


黄金島イスラ・オロ〉の異名通り、ロザンナ島は黄金の鉱山に恵まれ、島民はその採掘で生計を立てている。しかし、掘った黄金は全て島主に独占され、島主は安給料に苦しんでいる。この金貨の山はその成果という訳だ。それを横取りするのは、少しばかり気が引けたが──まあ、悪徳島主の退治料と思って、諦めてもらう他ない。


 一生遊んで暮らせる──とまではいかずとも、相当なもうけには違いない宝物に、しかしヴィクトーロは視線も向けない。海賊たちに一通り指示を出した後は、ひたすら隣に立つ人物と見つめ合っている。


 マーメイドの姫君のような美女である。亜麻色あまいろの巻き毛を月光にきらめかせ、紺碧こんぺきの瞳は海のごとく無限の深みを宿している。その胸元には黄金の首飾りが揺れていた。


「お宝は平等に山分け、それが海賊のおきてではあるが──」


 ヴィクトーロは多少顔を赤らめつつ、あえて気取ってみせる。女性にさり気なく想いを伝えられる程、自分が器用な人間ではないことは自覚しているので。


「俺が真っ先に最高のお宝を取っちまったな、マドレーナ?」

「ヴィクトーロ様──」


 ついさっきまで、島主のめかけだった女性である。その類稀たぐいまれな美貌に目を付けられ、強引に召し上げられたのだ。そして、島主にあわや純潔を奪われる寸前で、ヴィクトーロたちに救出されたという訳だ。


 世間一般の目で見れば、かどわかした相手が島主から海賊に変わっただけかもしれない。しかし、ヴィクトーロを見つめるマドレーナの顔つきは、早くも変わりつつある。夢見る少女から、毅然きぜんたる大人の女性へ。


「私も海賊になります」


 そんなことを言い出したマドレーナを、ヴィクトーロは笑おうとはしなかった。自分が同じことを言いだした時も、それを聞いた仲間たちは笑ったりしなかったからだ。


「そうすれば、いつも一緒に居られるでしょう? 戦い方も操船術も覚えます。お仕事の上では、一切女扱いなさらなくて結構です。決して足手まといにはなりませんから──」

「ああ、出来るさ──君なら」


 そんな二人を、海賊たちはハラハラした顔で見つめている。弾丸の雨の中でさえ、笑いながら駆け抜けるような連中だと言うのに。


「あっ!?」


 帆柱上の見張り台で、航海士のノビリオが驚愕きょうがくの叫びを上げる。彼も知識の上では知っていたが、その目で見るのは初めてだったのだ。


 月下のロザンナ島が、虹色の光に包まれている。そして、島主の城塞が、島民の街が、弧を描く砂浜が、虹色の粒子りゅうしと化して夜の海に霧散していく。


 この場で魔術士が真智界アエティールのぞけば、はっきりと見えたことだろう。島の形に凝縮していた″地″の言霊ことだまが、同様に拡散していく幻景ヴィジョンが。あたかも、物質界プレーンで起きている事象の影のように──それとも、人が現実と呼ぶ物質界こそが影なのか?


 そして、マドレーナの姿も同様に。


「素敵! 一緒にエルナトーレ海を巡りましょうね」


 象牙細工のような足から、イルメダ織りのドレスのすそから、黄金の巻き毛の端から──虹色の粒子を撒き散らしながら消えていく。消えながら、瞳を輝かせて夢を語り続ける──決してかなわぬ夢を。


「いいえ、エルナトーレだけじゃない、セリヴェルド中の海を──」


 ヴィクトーロがマドレーナを抱き寄せ、口づけを──しようとした瞬間、腕の中の彼女の感触が消える。その胸元を飾っていた黄金の首飾りだけが、虚空に残され、甲板に落下する。


 その背後の海では、月光が波頭をきらめかせていた。ロザンナ島はすでに影も形もない。海賊たちがため息をらす。楽しかった夢の名残なごりのように。


「やっぱり駄目だったか──」

「幻想島から持ち出せるのは、お宝だけだ」


 幻想島イスラ・イルシオン──。


 エルナトーレ海に忽然こつぜんと出現し、多くは十数日、遅くとも一ヶ月以内には消滅する島々の総称である。その全てが、エルナトーレ海の伝承に登場する島々と、多くの共通点を持っている──そう、伝承中にしか存在しないはずの、架空の島々と、だ。それがいかなる理由で、この世にあらわれるのか。


 地の星セリヴェルドを構成する、物質界と真智界──。


 物質と言霊の世界であるそれぞれの界は、表裏一体にして鏡写しの関係にある。一方がるから、もう一方も在る。ゆえに、伝承中の島が実体化することもあろう──一般人の理解はその程度だが、海軍の顧問こもん魔術士たちはさらに論を進め、海賊の存在が幻想島出現の鍵になっていると主張する。


 エルナトーレ海をようするエルナトーレ共和国では、流通を一手に握るザルヴェッツィ商会と、商会に買収された議員たちによる独裁が長く続いていた。商会の船を襲うことで彼らの天下をくつがえした海賊は、恐れられると同時に自由の象徴でもある。


 だが、海賊がザルヴェッツィ商会を食い尽くせば、やがて無関係の船も襲うようになるのでは──それは困るという人々の都合のいい願望が、海賊たちに新たなる矛先ほこさき──もとい活躍の舞台を与えるべく、伝承を核に言霊を収束させ、幻想島を実体化させるのだと。


 根拠はいくつもある。第一に、幻想島が出現するようになったのは、ここ数年のことである。第二に、幻想島は海賊の前にしか姿を現さない。第三に、幻想島には必ず何らかの財宝が存在する。そして、幻想島の消滅後も、海賊に回収された財宝だけは残る。そう、財宝は──。


「──マドレーナ」


 ヴィクトーロは黄金の首飾りを拾い上げ、静かに見つめている。お宝は物質界に残されたのに、その持ち主のマドレーナは真智界にかえってしまった。彼女こそが、ヴィクトーロにとっては最高のお宝だったのに。


 首飾りを握り締め、挑むように月を睨む。


「海賊の執念をめるなよ──お宝は絶対に諦めんぞ」


 *


海賊島イスラ・ピラタ〉グエルコの酒場では、一山当てた海賊たちが〈海賊賛歌〉を合唱している。ヨーホー! 俺たちゃ無敵の海賊団──♪


「ロザンナ島をもう一度見つけて、どうにかマドレーナを連れ出す──俺が海賊を続ける理由の一つだよ」


 慣れない昔語りで乾いたのどを、ヴィクトーロはサトウヤシ酒でうるおした。


 窓の外の波止場では、月光が帆をたたんだ〈青の嵐〉号を照らしている──あの幻想の夜のように。


「あ~、こんな話で納得してくれるか──って、おいおい、泣く奴があるか!?」

「ひ、ひっく、ぐすっ──せ、船長、可哀想すぎるよぉ──」


 ヴィクトーロは恥ずかしい話のつもりで語ったのだが、それを聞いた新入りのラッサはべしょべしょに泣き崩れている。


 なぜ〈復活の大海賊〉ともあろう男が、十四歳の小僧相手にそんな羽目におちいっているのかと言うと──余興のカード賭博とばくで負けたからである。〈青の嵐〉号では金や物をけるのは御法度ごはっとなので、敗者が勝者に恥ずかしい秘密を打ち明ける、という約束で始めたのだが──結果はご覧の通りだった。


〈青の嵐〉号に役割分担はあっても、軍船のような階級制度はない。船長のヴィクトーロとて戦闘時の指揮権がある以外は、他の海賊と立場は対等だ。リベルトに『約束を破るのは駄目だぞ、たとえ船長でもな』とくぎを刺されて、肩を落とすしかなかったことである。


「マドレーナさんも──ひっぐ──やっと自由になれたのに」

(ったく、こんなにお人好ひとよしで、海賊やっていけるのかね、こいつ)


 ラッサのあどけなさの残る顔に、手拭てぬぐいを投げ付けながら苦笑する。まあ、ヴィクトーロも他人のことは言えないが。


 ラッサはミルクヤシのジュースを飲み干して、おずおずとたずねた。


「ロザンナ島は──その、また現れるんでしょうか」

「分からん。同じ名前の幻想島が、再出現した例はあるらしいが」


 いつか、ロザンナという名の島が再出現したとしても、それは同じ伝承が原型になっているだけの別の島かもしれない。そこにマドレーナという名の女性が居たとしても、ヴィクトーロの知るマドレーナとは別人かもしれない。いや、同一人物だったとしても──。


(そもそも、マドレーナは″人間″と呼べるのか)


 彼女の消えぎわを思い出す。自分の消滅を恐れるどころか、気付いてさえいないようだった。幻想島の住人は島の一部、いわば物語の登場人物に過ぎないと考える者も多い。


 ラッサにそう説明して、ヴィクトーロは自嘲じちょうの笑みを浮かべた。


「だからさ、こいつは恥ずかしい話でいいんだよ。大の男が、物語のヒロインに恋してるなんてさ」

「俺は船長を笑ったりしない!」


 少年の澄み切った瞳でにらまれ、さしもの〈復活の大海賊〉もやや気圧けおされる。あるいはその瞳の奥に、幼い頃の自分が見えたのだろうか。


「俺だって──海賊っていう物語に、恋してるようなものだし」

「──なるほど」


 ヴィクトーロはいつも身に着けている黄金の首飾りを、寂しげに見つめる。そのトップ部分をかたどっているのは、恋人の口づけを待つように瞳を閉じる乙女の横顔だった。


 グエルコの夜はけていく。

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