森の女神像、あるいは罰当たり

「これはこれは! 聖都から遥々はるばるようこそ、司祭様」

「──ご報告ありがとうございます」


 み手で出迎えたコズビー村の村長に、ユーアン・ド=モンブレ司祭は一応そう応えた。その渋面じゅうめんは″仕事でなければ、こんなド辺境になど来るものか″と言外にはっきり表明しているが。


 ド=モンブレは大神殿の奇跡調査室に所属している。教王マルギオン九世の直属組織であり、教王領各地から寄せられる奇跡報告の調査という重大な使命を帯びている──という名目の閑職かんしょくだったのだが、最近は意外と忙しい。こんな草深い村にまで寄越されるぐらいである。


(やれやれ、教王猊下げいかは奇跡探しにご熱心だ)


 先代教王の愛人囲いや、それに端を発する〈大分裂シスマ〉で教団の求心力は低下する一方だ。派手な呼び物が必要なのだろう──そのお気持ちは理解出来るが。


(奇跡は信仰の結果として起きるものだ。奇跡が起きたから信仰するのでは、本末転倒もいいところだ)


 いけ好かない上に面倒臭い男ではあるが、信仰心は本物なのだ。むしろ信心深すぎて、聖都ヴァルドの生臭さ聖職者どもとりが合わないぐらいだ。彼が奇跡調査室に左遷させんされた一因である。


 村長の案内で、コズビー村の林道を歩き──ド=モンブレは現場に到着した。


 そこは森の合間のちょっとした広場だった。切り株が点在することから、材木を切り出した跡なのだろう。その中央に場違いな物体が設置されている。


(むう──本当にあるとは)


 光の女神セリアーザの彫像である。


 高さは約3メト、清らかに白い表面──雪花石膏アラバスター製だろうか。祈るように両手を組み、うれいを帯びた眼差まなざしで虚空を見つめている。


 村長の報告を信じるならば、村人の誰も設置していないという。加えて、力自慢の若者に村の神殿──村共用の物置と化していたが──に運ばせようとしたが、根が生えているかのようにビクともしなかったらしい。これぞ女神がこの場を聖地に定めた証と、村長は手紙で力説していた。


 ド=モンブレは女神像をじっくりと観察した。女神像芸術に関しては一家言あるつもりだ。


 壮麗な法衣姿は教王領でよく見られる様式だが、彫りの深い顔立ちはシエト帝国の流れをんでいる──不遜ふそんなことに皇族の容貌に似せているのだ──。それでいて、花をかたどった台座はフダラク風。何とも奇妙な折衷せっちゅう具合だ。


 女神像の足元にはクビカボチャがそなえられている。不思議なことに、一晩つときれいに消えているのだという。


「森の獣類どうぶつが食べているのでは」

「いやいや、わしらも最初はそう思いましたが、毎度確実に消えるんですよ? 女神様が召し上がっているに違いない」

(女神像が物を食うか)


 そもそも、供え物をする信仰心があるなら、まず神殿を片付けろとド=モンブレは思うのだが──言っても詮無せんなきことか。民衆は読めもしない聖典や退屈な説教より、分かりやすい奇跡にかれるものだ。そうなってしまったのは、教団の責任でもある。


 ド=モンブレの神経を逆撫さかなでするように、村長がへっへと軽薄な笑みをらす。


「本物の奇跡なら、そりゃあ参拝客もゾロゾロ来ますよねぇ。あ、ウチは宿屋も経営しとりましてね。いやあ、建て増しの準備をしておこうかなぁ~」

(こやつに比べたら──)


 どんな形であれ信仰心はある分、村人たちの方がマシだ。


 村長の戯言ざれごとを無視して──これ以上聞いていると、聖典で奴の脳天をかち割りたくなるので──ド=モンブレはセリアーザの御名を唱え、額に第三の目が開く心象イメージを描く。


 たちまち脳裡のうりに映し出される、もう一つのセリヴェルド。周囲には″木″の言霊ことだまの柱と化した木々が立ち並ぶ。その根から″地″の言霊を吸い、葉から″光″の言霊を吸う様子がはっきり見える。セリアーザは光の書からあふれた言霊を用いて、セリヴェルドを創造した──聖典の真実味を実感する光景だ。


 智慧ちえの目──言霊の世界たる真智界アエティールを見る感覚。祈願術の習得には必須ひっすの素養であり、持ち主は百人に一人しかいないという。ド=モンブレはちらりと思う。全ての人間に智慧の目が備わっていれば、もっと深くセリアーザに帰依きえ出来るであろうにと。


(それはともかく──)


 ド=モンブレは女神像に智慧の目を向けた。真に奇跡が関わっているならば、真智界に痕跡が残っているはずである。分かり易い例を挙げるなら、その場に満ちる″命″の言霊や、光の星セラエノから降ろされた″光″の言霊の梯子はしごなど──肉眼に見える事象など、むしろ奇跡の一部に過ぎない。


(これは──)


 ド=モンブレの肩がぴくりと強張こわばる。


「どうです、やはりこの女神像は本物の──あ、あの、司祭様?」


 村長の軽薄な笑みが引きつる。ド=モンブレが聖印を構えて、聖典の一節を唱えだしたのを見て。


「見よ、一天にわかにくもり──」


 光の書をかたどった聖印が、ばちばちと電光を帯び始め──。


「下る審判の雷霆らいてい、悪の砦を打ち砕かん!」


 黄金の雷をほとばしらせ、女神像の頭部を粉砕する! 数少ない攻撃用の祈願術、【審判の雷霆アーク・ジャッジメント】の術だ。


「し、司祭様、何を──ひゃああ!?」


 村長が腰を抜かす。首なしの女神像の足元から、土煙と共に無数の細長い何かが躍り上がったのだ。飢えた地獣キバミミズの群れのごとく、うねり狂いながらド=モンブレに襲い掛かる。


 腰を抜かしたまま逃げる村長とは対照的に、ド=モンブレは再度【審判の雷霆】の術を炸裂させる。今度は女神像の上半身が粉々に砕け散り、細長い何かも力なく垂れ下がる。


 焦げ臭い匂いを残し、森に静寂が戻る。


「こ、これは一体──」


 呆然としている村長に、ド=モンブレは淡々と語る。内心の憤怒を抑えながら。


緑類しょくぶつに詳しい知人から聞いたことがあります。エベール河には小舟に擬態ぎたいして、人間を襲う緑類が出没すると──これもその同類でしょう」


 そう、これは女神像ではない──女神像に擬態ぎたいした緑類だ。智慧の目で見れば一目瞭然いちもくりょうぜんだった。その足元から伸びた無数の根が、大地に張り巡らされているのが。ド=モンブレに襲い掛かってきたのは、その一部だったのだ。動かせなかったのも道理、本当に根が生えていたのだから。


 村人を呼んで掘り起こさせると、その根にいくつもの干からびたクビカボチャがからみ付いているのが解った。村長は供物くもつが一晩で消えると言っていた──そう、村人が見ていない隙に、こいつの根が地中に引き込んでいたのだ。″光″の言霊を吸収する葉がない分、こうやって栄養を補うのだろう。


 緑類メガミモドキ──後世の緑類学者によって、そう命名されることになる。


「なぁんだ、奇跡じゃなかったんかよ」

「クビカボチャが無駄になっちまった」

「お尻のオデキが治りますようにってお祈りしたのになぁ」

「この愚か者どもぐぁ!!」


 落胆した村人たちの呟きに、とうとうド=モンブレの怒りが爆発する。せめて、村人たちの落胆ぶりがもっと深刻であれば、彼の怒りも和らいだかもしれないが。


「真の信仰心を持たぬから、このような魔物にだまされるのだ! そもそも信仰とは──」


 平伏する村人たちに大説教をかましつつ、ド=モンブレは内心ため息を吐いていた。しばらくこの村に滞在して、村人たちの信仰を立て直さなければなるまい、と。


 *


 ちょうどその頃、教王領から遠く離れたリューン大森林にて──。


 獣道沿いに立ち並ぶ木々に、ギンヤドリギの枝輪リースが飾られている一画がある。それを道標みちしるべにするかのように、緑色の長衣ローブを着た人々がしずしずと歩んでいる。その首から下げたメダルには、樹を象ったシンボルが刻まれていた。


 森林派──教団の大分裂によって成立した宗派の一つである。開祖である〈森の聖者〉イストラは、壮大な神殿を建てて奢侈しゃしふける聖都派と決別し、森の中でこそセリアーザの御心に触れられると説いた。大森林の住人を中心に、かなりの広がりを見せている。


 森林派の信徒たちは、森そのものを神殿と見做みなし、木漏れ日の下で各種儀礼をり行う。彼らの行列が辿り着いたのは、清らかな水を滾々こんこんと湧かせる泉だった。


 そのほとりにそびえているのは、一本のメガミモドキである。信徒たちは聖印を切る仕草をしながら、その足元にベルイチゴやコガネブドウなどを供えていく。


 信徒たちが法悦ほうえつのため息をらす。


「いやはや、緑類が女神像の形を取るとは──」

「誠にセリアーザの御心のあらわれですなぁ」

「ありがたや、ありがたや──今日も森が平和でありますように」


 女神像の振りをして愚民を騙す魔物、セリアーザの御心が森を通して顕現けんげんした姿。


 聖都派と森林派、どちらの解釈が正しいのか──それはセリアーザに聞いてみなければ解るまい。

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