湖の勇者と業火の魔王(前編)
現在はアヴァロキア聖王国が栄えている、イルドーラ大陸の中央部。
聖王国の建国前は教王領であり、それ以前は蛮族たちが
ミッドランドの遺跡群には、
*
ミッドランド末期、王家に待望の王子が誕生した。
父王と宮廷占い師の協議の結果、王子にはダムレイクなる名が与えられた。ミッドランドの古語で″唯一の血筋″という意味である。
ダムレイクは武術にも学問にも優れ、快活な人柄から皆に愛された。強いて欠点を挙げるなら、王族専用の隠し通路を悪用して、しょっちゅう王宮を抜け出すことぐらいだった。
その日も、ダムレイクは堅苦しい式典を──父王の許しも得ずに──途中退場して、王宮の裏に広がる御用林を駆け回っていた。森の勇者エルサナスに扮して、聖剣に見立てた木の枝を振りかぶっていると、木々の合間に見慣れぬ建物が見えた。
牢獄の鉄格子の
だが、背後から聞こえたか細い
夢中の如く
少年──ダムレイクの弟はまるで他人事のように語った。生まれた直後からこの離宮に幽閉されているのだと。
古今東西、王族にとって双子は厄介な存在である。王位継承争いの原因になり兼ねない──本人にそのつもりがなくとも──反面、不慮の死に見舞われた際の保険にもなる。双子の息子たちの扱いに困った父王は、非情な決断を下した。弟は一切人目に触れさせず、兄の
自分だけが何も知らなかった。弟の犠牲の上に
そんな弟にダムレイクがますます心を痛めた、その時。
殿下、
弟の世話係だという彼女はアマルツァと名乗った。兄弟よりは歳上だが、まだ少女の域だろう。ダムレイクはその美貌に思わず
どうかお引取り下さい、そして全てお忘れ下さい──アマルツァにそう
自分が王位を継いだ
呆れたことに、弟には名前すらなかった。アマルツァら離宮の使用人は、ただ殿下とだけ呼ばされていたらしい。そこでダムレイクは、弟にイルハートという名を贈った。森の勇者エルサナスの弟の名である。
イルハート──己の名を繰り返す弟の目に、ようやく意思の光が宿り始めた。
*
それから度々、ダムレイクはイルハートに会いに行った。
離宮の鉄柵越しに、半刻にも満たない密会ではあったが、回を重ねる
密会をお
最初は
白状すれば、ダムレイクがイルハートと密会を重ねる理由には、アマルツァに会いたいという動機も含まれていた。しかし、彼は鋼の自制心で初恋を封印した。弟にとっても、彼女は大切な存在らしいと察して。
──自分は王子として、王宮で何不自由ない暮らしを送っている。しかし、イルハートにはこの離宮とアマルツァしか与えられなかったのだ。どうして、それを横取り出来るだろう。
自由になったら何がしたい──ある日、ダムレイクは何気なくイルハートに尋ねた。返事は意外なものだった。彼は魔術士になりたいと答え、指先に火を灯して兄を驚かせた。離宮にあった魔術書で独学したのだという。魔術には
弟よ、お前は宮廷魔術士になれ。そして、王になった俺を支えてくれ。ダムレイクが鉄柵越しに差し出した手を、イルハートは力強く握り返した。
兄弟が十五の成人を迎えた直後、運命は急転した。
一人、剣の
三人は策を練った。ダムレイクが御用林で薬草を集め、イルハートに渡して仮死の
準備を済ませ、三人は別れを惜しんだ。ダムレイクは弟に必ずまた会おうと誓い、アマルツァには──散々迷った挙句──弟を頼むとだけ言った。
*
決行予定日からしばらく、ダムレイクは父王とその近臣に目を光らせたが、特に不穏な動きは見られなかった。二人は上手く逃げ延びたのだろうか。後はセリアーザに祈るしかなかった。
それから数年後、父王が黒血病に倒れた。
かつての威厳は見る影もなく衰えた父王の姿に、ダムレイクは割り切れぬ思いだった。弟への仕打ちは到底許せないが、父も苦しんだのかもしれない。時には家族より国を優先しなければならない、それが王だ。
そして、父王の病状がますます悪化し、ダムレイクの王位継承も間近と思われた頃──彼の運命は再び急転した。しかも、今度はミッドランド全土を巻き込んで。
瀕死の急使がもたらした凶報が、王宮を震撼させた。〈業火の魔王〉ブレンジャルトを名乗る者が、闇の種族の軍勢を率いて王都に侵攻中だと。
魔王──闇の神メーヴェルドの代理人として、死の杖メーヴェルザーを貸し与えられた者。エルサナスと戦った〈
将軍は各地の砦の守りを増強した。しかし、ブレンジャルトの人知を超えた魔力の前には、全てが無意味であった。
火炎の竜巻を巻き起こし、砦を兵士たちの火葬場に変えたところで、配下の闇の種族──浅ましきゴブリン、人食いのオーガー、戦鬼のトロール──を
火炎の息を吐く火炎鳥の群れが、王都を火の海に沈めた。ダムレイクは玉砕覚悟だったが、死の床に
冷たい水面に叩きつけられる衝撃と、死に物狂いで流木にしがみつく記憶を最後に、ダムレイクの意識は途切れ──。
*
気が付くと、質素な部屋に寝かされていた。壁にはセリアーザの女神像が飾られている。
包帯を替えに来た女性を見て、ダムレイクは
思いも掛けない再会に、ダムレイクはしばし少年の日々に戻る。だが、そんな気分も、弟は元気かとアマルツァに尋ねるまでだった。彼女は途端に沈痛な顔になって、王都を離れてからの日々を語り始めた。
あの後、アマルツァとイルハートは中規模の街へ移住した。癒しの術の心得があったアマルツァは神殿で働き始め、イルハートは郊外に住む元宮廷魔術士の老人に弟子入りした。最初は門戸を閉ざしていた老人だったが、イルハートを一目見るなり才能を見抜いたらしい。実際、アマルツァの目にも、彼の上達ぶりは凄まじかった。
やがて、異例の早さで一人前と認められ──おそらく、この日に実行しようと決めていたのだろう、イルハートはアマルツァに求婚した。だが、返事を聴くまでもなく、彼女の表情から察したようだった。
即ち、アマルツァが兄を想っていることを。それも、おそらくは初対面時から、ずっと。
翌日、イルハートは街から姿を消した。せめて、彼の居場所だけでも突き止めようと、アマルツァは方々を訪ね回った。だが、その行方は
身の程知らずの恋をした、わたくしが悪いのです。弟君を託されていながら、ダムレイク様には合わせる顔が御座いません──泣き崩れるアマルツァに、ダムレイクも掛ける言葉が見つからなかった。無論、彼女を責めていた訳ではない。
自分は国も弟も守れなかった。それどころか、想い人に告白されて舞い上がっている──こんな状況にも関わらず。何と
突如、アマルツァの全身が光輝に包まれ、自失状態に
女神の託宣だ──セリヴェルド創世以来、幾度も繰り返されてきた勇者と魔王の戦い。その一方の主役に自分が選ばれたのだ。ダムレイクは両肩に重責を感じながらも、奇妙な開き直りも覚えていた。王子失格の自分にも、まだ出来ることはあるのかと。
ブレンジャルトの討伐、そして弟の捜索をアマルツァに誓い、ダムレイクは神殿を飛び出そうとして──最後に一言だけ伝えた。アマルツァ、君は身の程知らずなどではない、と。
*
ダムレイクはブレンジャルトへの対抗軍を組織する為、生き残っている諸侯を訪ねて回った。道中、幾度も闇の種族の襲撃を
大叔父でもある辺境伯は即座に協力を約束してくれたが、その隣人の伯爵は既にブレンジャルトに寝返っていた。最も多かったのは、どちらにも態度を決め兼ねている諸侯だった。だが、結束を呼び掛け続ける王子の姿に、民は確実に希望を取り戻していった。
一方、イルハートの捜索は進まなかった。西の荒野でそれらしい人物の目撃証言はあったが、今や彼の地は闇の種族の
苦難の旅がすっかり日常になった頃──。
ダムレイクが滞在していた街が、闇の種族に襲撃された。共の兵士たちは逃亡を進言したが、彼はもう民の危難を見過ごしたくなかった。数々の試練を耐え抜き、今や無双の剣士に成長していたダムレイクは、闇の種族の
だが、敵の
見よ、天より流星の
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