湖の勇者と業火の魔王(後編)

 聖剣セリアーダム──自らの意思で所有者を選ぶという、勇者の証たる剣。ダムレイクを所有者と認めたか? 否、それには最後の試練が必要だった。


 ダムレイクは聖剣を引き抜こうとするが、びくともしない。大地と一体化しているかのようだ。焦る彼の脳裡のうりに、聖剣の意思がひらめく。


 なんじ、我を振わんと欲すれば、代償をささげよ──。


 ダムレイクは伝説が事実であったことを悟った。すなわち、聖剣は所有者に命、もしくはそれに等しい代償を求めるという。その覚悟なくして勇者にはなれない。


 森の勇者エルサナスは聖剣に認められる為、恋人グウェンドリンと永遠に会わないと誓ったという──ならば、自分はアマルツァを対象に同じ誓いを立てよう。そうすれば、いつかイルハートが戻ってきて、彼女と結ばれてくれるかもしれない。


 分かっていた、分かってはいたが、ダムレイクにとってその誓いは、身を裂かれるような苦しみだった。元々、そのつもりであったにも関わらず。それでも、彼はやり遂げた。長く懊悩おうのうしていたつもりだったが、実際にはほんの一瞬だった。


 一瞬前までの抵抗が嘘のように、聖剣が大地からするりと抜ける。同時に、その刀身が氷に覆われていく。あたかも、樹氷の生成を加速して見るかのごとく。それは一瞬で、全長数十メトに及ぶ氷刃と化す。


 ダムレイクは無我夢中で振り下ろし──火炎の矢を放とうとしていた貴族級悪魔を、凍結させつつ両断する。その顔に驚愕の表情を浮かばせたまま。


 これで街は救われた──かに見えた直後、熱風がダムレイクのほおをなぶる。貴族級悪魔が乱射した火炎の矢が、火災を巻き起こしていたのだ。手中の聖剣が独りでに起き上がり、真っ直ぐに天を指す。一天にわかにくもり、降り始めた驟雨しょううが火災を鎮火していく。


 聖剣の力は魔王殺しに特化している。今回は業火の魔王に対抗するべく、水界を統べる力を備えたらしい。


 新たなる勇者、ダムレイク誕生せり。その知らせはまたたく間に国中に広がった。迷っていた諸侯たちも、ようやくダムレイクの元に集い始めた。


 沸き立つ民衆、気勢を上げる兵士たちを前に、ダムレイクは早くも若き勇者を演じ始めていた──心中、密かにアマルツァにびながら。


 *


 西の荒野に禍々まがまがしき城が出現──その知らせを聞いたダムレイクは、決戦が近いと確信した。


 それは巨大な骨を組み合わせたような、およそ人界には有らざる外観らしい。出鱈目でたらめに突き出した尖塔せんとうの先端から、時折ぼっと火炎が吹き上がる。ブレンジャルトの魔王城に違いないと、王国軍の顧問魔術士は語った。


 魔王城とは単なる城砦ではなく、城主たる魔王の力を増幅・拡散させる兵器でもある。放っておけば、国中に火炎の雨でも降らせ兼ねない。一刻も早く陥落かんらくさせねばならない。


 ダムレイク率いる王国軍を待ち構えていたのは、西の荒野をまさに埋め尽くす闇の種族の軍勢だった。案ずるなとおののく兵士たちを鼓舞こぶしつつ、ダムレイクは魔王城に聖剣を向ける。


 すると、大河が大蛇の如くうねり、標高の低い西の荒野に押し寄せた。たちまち巨大な湖が生まれ、闇の種族の大半が水底に沈んだ。これが現在のオルドーゼ湖である。


 それでも、かなりの数の残党──水棲のサハギンや、空飛ぶハーピーなど──が王国軍に襲い掛かった。ここは我らにお任せあれ──そう叫ぶ兵士たちの覚悟を信じて、ダムレイクは未だ名もない湖の岸に立った。


 ダムレイクが聖剣を振り下ろすと、湖水が左右に割れ魔王城へ続く道となった。魔王城へ単騎突入したダムレイクに貴族級悪魔たちが立ちはだかるが、ことごとく氷刃で切り伏せた。


 やがて、謁見えっけんの間に辿り着いたダムレイクを、真紅の長衣ローブ姿の男が玉座から見下ろす。その手に握られた漆黒の杖は、魔王の証たる死の杖メーヴェルザーに間違いなかった──業火の魔王ブレンジャルトだ。


 魔王め、覚悟しろ──聖剣を構えるダムレイクに、ブレンジャルトは頭巾フードを上げて応えた。兄上、お久しぶりです──多少は面変おもがわりしていたものの、見間違える程ではない。あらわになった魔王の顔は、まぎれもなくイルハートのものであった。


 弟よ、何故なぜだ──絶叫するダムレイクに、イルハートもまた苦しげに告白した。どうしても、どうしてもアマルツァを諦め切れなかったのだと。


 街を飛び出し、西の荒野を彷徨さまよいながら、イルハートは必死に自分に言い聞かせた。思えば、自分は兄に助けられてばかりだった。アマルツァに笑顔を取り戻させたのも兄だ。彼女が兄にかれたのは当然だと。


 だが、いくらアマルツァを忘れようとしても、恋の炎は燃え上がるばかりだった。自分とて、兄に能力で劣っている訳ではない──そうだ、自分には魔術の才がある──悪いのは、自分を離宮に押し込めた父王だ──兄と境遇さえ逆であったならば──否、今からでも遅くはない──。


 兄さえ亡き者にしてしまえば。


 恋の炎が闇色に染まった瞬間、イルハートの眼前に死の杖が突き立ったのだという。汝の願いを叶えてやろうという、闇の神メーヴェルドの誘惑と共に。その代償が己の魂だと分かっていても、イルハートは諦められなかった。


 ダムレイクが王子でさえなければ、イルハートもメーヴェルドの手を借りる必要はなかった。しかし、彼が王宮と王国軍に守られていたことが、恋の戦を聖魔の戦にまで拡大させてしまったのだ。


 恩をあだで返して、誠に申し訳ありません──イルハートは苦しげな表情のまま、それでも死の杖を構える。兄上、貴方の弟は既に人ではない。情けは無用です──。


 お前を殺せるものか──聖剣を降ろしかけたダムレイクの耳に、兵士たちのときの声が響く──自分を信じて、死地に同行してくれた者たち。


 自分を葬ってアマルツァを略奪すれば、人としてのイルハートは満足かもしれない。しかし、魔王としての弟がそこで止まれるはずがない。メーヴェルドはあくまで、下僕にセリヴェルドを制圧させようとするだろう。


 ダムレイクは聖剣を構え直す。弟とアマルツァと、三人で過ごした少年の日々に、今度こそ永遠に別れを告げながら。


 勇者と魔王の決戦は壮絶なものになった。火炎のちょうが舞い、床が火炎の海に変わり、火炎の巨人が火炎の剣を振るう。イルハートの恐るべき火炎魔術の数々を、吹雪で吹き散らし、氷の螺旋らせん階段で避け、無限長の氷刃で切り裂きながら、ダムレイクはいつしか確信していた。弟には躊躇ためらいがある。


 自分を仕留める機会なのに、咄嗟とっさに攻勢をゆるめてしまう。そんな場面が幾度もあった。よもや──ダムレイクは思った、セリアーザが自分を勇者に任命した理由はこれかと。だとしても、彼に女神を恨むという発想は湧かない。時は未だ遊戯ゆうぎ時代──人が神々のこまでしかなかった時代である。


 やがて、先に力尽きたのはイルハートだった。強大な魔力を行使し続けた代償か、その髪は白く染まり、手足は骨と皮ばかりにやせ細っている。弟はぜいぜいとあえぎながら、自嘲じちょうの笑みを浮かべた。


 兄上、貴方は私を救うべきではなかった──離宮を出なければ、いずれ始末される運命だったとは言え──それまでは、アマルツァを独り占めしていられたものを!


 魔王城の尖塔群が、一斉に火炎を吐き始める。おお、永遠とわに愛しきアマルツァよ。私のものにならぬなら、誰のものにもさせるものか──イルハートの断末魔が意味するものを悟り、ダムレイクは戦慄せんりつした。弟はアマルツァと王国を道連れにするつもりだ。


 尖塔群が吐き出す火炎は、ますますその勢いを増してゆく。ダムレイクは今度こそ、兄弟殺しの覚悟を決めた。だが、聖剣は何故か、その刀身を氷で覆う代わりに、ダムレイクを氷のひつぎに閉じ込めた。違う、そうじゃないと彼が叫ぶ暇もなく、視界が真紅に染まる。


 魔王城を吹き飛ばしつつ、火炎の津波があふれ出す。それはまたたく間にミッドランド全土を飲み込み──。


 *


 気が付くと、ダムレイクは湖畔こはんに倒れていた。


 周囲は一面の焼け野原で、黒焦げの骨や武具が転がるばかりだった。聖剣は自分のみを守り、他の全てを見捨てたのか。理由を問おうにも、使命を終えた聖剣は既に消失していた。あるいは、セリアーザのいます光の星セラエノに還ったか。


 ダムレイクは虚脱状態でミッドランドを放浪した。焼け野原はどこまでも途切れない。時折見かける黒焦げの廃墟だけが、そこにかつて街や村があったことを示していた。


 何が勇者だ──結局、自分は何も救えなかった。国も弟も愛しい人も。


 皆の所へ行きたい──ダムレイクが心底願った、その時。


 絶望でかすむ彼の目に、信じられぬ光景が飛び込んできた。山々ですら焼け焦げているというのに、その合間に無傷の建物が見えるのだ。どうも神殿らしいが、あの鐘楼しょうろうの様式は──間違いない、アマルツァが身を寄せていたあの神殿だ。


 己の正気を疑いつつ門を潜ったダムレイクを、予想通りと言えば予想通りの人物が出迎える。ダムレイク様、よくぞご無事で──涙を浮かべるアマルツァは、相変わらず美しかった。


 そんな馬鹿な──ダムレイクは呆然とアマルツァを見返す。自分は聖剣に誓ったはずだ、彼女には二度と会わないと。聖剣との誓いは自然法則にも等しい。破りたくても、破れるはずがないのだ。現に、エルサナスはどんなにグウェンドリンに会おうとしても、運命のすれ違いを繰り返すばかりだったという。


 だが、現実にアマルツァは目前に居る。


 アマルツァは薬草入りのかゆを温めながら、ダムレイクにあの日の出来事を語った。火炎の嵐が村に迫って来るのが見え、最早これまでかと覚悟を決めた直後──神殿を氷の円蓋ドームが覆い、難を逃れたのだという。


 セリアーザ様のご加護だったのでしょうか。だとしても、何故わたくしだけを──ダムレイク様!? どうなさいました、お顔が真っ青ですよ──。


 最早、ダムレイクの耳には、アマルツァの声も聞こえていなかった。全てを悟ったからだ。アマルツァを守ったのが聖剣の仕業であることも、その理由も。


 汝、我を振わんと欲すれば、代償を捧げよ──聖剣の求めに対して、自分はアマルツァと二度と会わないと誓ったつもりだった。だが、心奥しんおうでは違っていたのだ。


 何もかも忘れて、アマルツァと二人だけで暮らしたい──だから。


 わずわしい国も、足手まといの弟も──聖剣よ、──。


 あの時、自分はそう願ってしまっていたのだろう。そして、聖剣は所有者との誓い通りに、自分とアマルツァのみを生き残らせたのだ。アマルツァと今もこうして会えていることが、何よりの証拠だ。


 ダムレイクは部屋に駆け込み、扉にかんぬきを下ろした。アマルツァが心配する声にも耳を貸さずに、げらげらと笑い転げる──子供のように泣きじゃくりながら。


 セリアーザよ、これが貴方の望んだ物語か?


 ダムレイクはアマルツァを隣国に送り届けるなり、姿を消した。俺には君と結ばれる資格はない、という書置きだけを残して。


 以降、ダムレイクの消息は不明である。


 ・


 ・


 ・




 そして、悠久ゆうきゅうの時が流れ──。


 *


「母上、母上、ちょっとよろしいですか!?」

「兄上、そんな大声でなくても、母上には聞こえますよ」


 そろそろ来る頃かと予想していたルザリア王妃は、苦笑しながら私室のドアを開けてやった。興奮した様子で飛び込んでくる兄イヴァロクと、その後に悠然ゆうぜんと続く弟ミヴァロク──彼女の双子の王子たちは、容貌はそっくりなのに性格は正反対だ。


「この本に書かれていることは、本当なのですか!?」


 イヴァロクがかかげている本は、ルザリアからの建国祭の贈り物だ。毎年必ず、兄弟で共有できる物と決めている。題名は『湖の勇者と業火の魔王』、著者名はかすれて読めない。


「ダムレイクとアマルツァは聖典にも出てきますけど、断片的な記述ばかりですよね」


 早くも聖典を読破したというミヴァロクは、さすがに詳しい。聖女アマルツァに憑依ひょういしたセリアーザが、ダムレイクを勇者に任命する場面は有名だが──逆に言えば、それぐらいしか知られていない。この本の内容が真実だとすれば、ミッドランド文明の断絶がその一因と言う事になるのだろうが。


「そうね、おそらくは聖典の記述を元に、誰かが創作したのでしょう」


 アヴァロキア聖王国の前身たる教王領の成立は三百年前。その頃にはイルドーラ大陸の中央部は深い森に覆われていたというから、この物語の時代はさらに過去と言う事になる。焦土と化した大地に緑が戻るまで、どれほどの年月が必要なのか──少なくとも、事実がありのままに伝わる期間だとは、ルザリアには思えない。


〈白の聖騎士〉アヴァロクと〈魔皇帝〉ケイゼリオスの戦いですら、世間では早くもおとぎ話になりつつあると言うのに。


「でもね、内容が本当かどうかは、あまり大切なことではないの。物語にとってはね」


 ルザリアは双子と共に寝台に腰掛け、彼らの頭をでてやりながら続ける。


「大切なのは、読者が何を感じ取ったかです。イヴァロク、ミヴァロク、貴方たちはこの本を読んでどう思いましたか?」

「ダムレイクはアマルツァと一緒になるべきでした! これじゃあ、誰も幸せになれない」

「それは無理ですよ、兄上。国も弟も救えなかったのに、自分だけ幸せになるなんて」

「いやいや、少なくともアマルツァは何も悪くないだろう!」


 やいやいと議論する双子を、ルザリアは微笑ましそうに見つめ──ふと〈紅薔薇べにばらの君〉とまで呼ばれた美貌に影を落す。


 双子の誕生時、片方は隠して育てるべきだと進言した臣下もいた。口にこそ出さなかったが、いっそ始末してしまえとすら思っていたかもしれない。それを聞いた夫アヴァロクは、普段の温厚さからは想像も付かない剣幕で宣言した。この子らは一緒に育てる、何一つ差別も贔屓ひいきもしない──と。


 この人が夫で良かったと、ルザリアはつくづく思ったものだ。


(あの人もこの本を読んだのかしら)


 この本はルザリアが聖フラジア女子修道院に在学していた頃、地下書庫から発見したものだ。一般に出回っている品ではないはずだが──あるいは、一方的に嫌われていたという義兄マヴァロクへの想いがあるのかもしれない。


 いずれにせよ、人も国も確実に前に進んでいる。


「さあ、もう夜もけました。そろそろベッドに入らないと、お祖母様が怒──心配しますよ」

「「ひえっ、母上おやすみなさい!」」


 双子は祖母にして教育係総監のファーメイユ公爵夫人を何より恐れている。仲良く寝室に──全速力で──駆け戻っていく。


 ──彼らが剣王イヴァロク一世および聖王ミヴァロク一世として、アヴァロキア聖王国の共同統治者になるのは、もう少し未来の出来事である。

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