湖の勇者と業火の魔王(後編)
聖剣セリアーダム──自らの意思で所有者を選ぶという、勇者の証たる剣。ダムレイクを所有者と認めたか? 否、それには最後の試練が必要だった。
ダムレイクは聖剣を引き抜こうとするが、びくともしない。大地と一体化しているかのようだ。焦る彼の
ダムレイクは伝説が事実であったことを悟った。
森の勇者エルサナスは聖剣に認められる為、恋人グウェンドリンと永遠に会わないと誓ったという──ならば、自分はアマルツァを対象に同じ誓いを立てよう。そうすれば、いつかイルハートが戻ってきて、彼女と結ばれてくれるかもしれない。
分かっていた、分かってはいたが、ダムレイクにとってその誓いは、身を裂かれるような苦しみだった。元々、そのつもりであったにも関わらず。それでも、彼はやり遂げた。長く
一瞬前までの抵抗が嘘のように、聖剣が大地からするりと抜ける。同時に、その刀身が氷に覆われていく。あたかも、樹氷の生成を加速して見るかの
ダムレイクは無我夢中で振り下ろし──火炎の矢を放とうとしていた貴族級悪魔を、凍結させつつ両断する。その顔に驚愕の表情を浮かばせたまま。
これで街は救われた──かに見えた直後、熱風がダムレイクの
聖剣の力は魔王殺しに特化している。今回は業火の魔王に対抗するべく、水界を統べる力を備えたらしい。
新たなる勇者、ダムレイク誕生せり。その知らせは
沸き立つ民衆、気勢を上げる兵士たちを前に、ダムレイクは早くも若き勇者を演じ始めていた──心中、密かにアマルツァに
*
西の荒野に
それは巨大な骨を組み合わせたような、およそ人界には有らざる外観らしい。
魔王城とは単なる城砦ではなく、城主たる魔王の力を増幅・拡散させる兵器でもある。放っておけば、国中に火炎の雨でも降らせ兼ねない。一刻も早く
ダムレイク率いる王国軍を待ち構えていたのは、西の荒野をまさに埋め尽くす闇の種族の軍勢だった。案ずるなと
すると、大河が大蛇の如くうねり、標高の低い西の荒野に押し寄せた。たちまち巨大な湖が生まれ、闇の種族の大半が水底に沈んだ。これが現在のオルドーゼ湖である。
それでも、かなりの数の残党──水棲のサハギンや、空飛ぶハーピーなど──が王国軍に襲い掛かった。ここは我らにお任せあれ──そう叫ぶ兵士たちの覚悟を信じて、ダムレイクは未だ名もない湖の岸に立った。
ダムレイクが聖剣を振り下ろすと、湖水が左右に割れ魔王城へ続く道となった。魔王城へ単騎突入したダムレイクに貴族級悪魔たちが立ちはだかるが、
やがて、
魔王め、覚悟しろ──聖剣を構えるダムレイクに、ブレンジャルトは
弟よ、
街を飛び出し、西の荒野を
だが、いくらアマルツァを忘れようとしても、恋の炎は燃え上がるばかりだった。自分とて、兄に能力で劣っている訳ではない──そうだ、自分には魔術の才がある──悪いのは、自分を離宮に押し込めた父王だ──兄と境遇さえ逆であったならば──否、今からでも遅くはない──。
兄さえ亡き者にしてしまえば。
恋の炎が闇色に染まった瞬間、イルハートの眼前に死の杖が突き立ったのだという。汝の願いを叶えてやろうという、闇の神メーヴェルドの誘惑と共に。その代償が己の魂だと分かっていても、イルハートは諦められなかった。
ダムレイクが王子でさえなければ、イルハートもメーヴェルドの手を借りる必要はなかった。しかし、彼が王宮と王国軍に守られていたことが、恋の戦を聖魔の戦にまで拡大させてしまったのだ。
恩を
お前を殺せるものか──聖剣を降ろしかけたダムレイクの耳に、兵士たちの
自分を葬ってアマルツァを略奪すれば、人としてのイルハートは満足かもしれない。しかし、魔王としての弟がそこで止まれるはずがない。メーヴェルドはあくまで、下僕にセリヴェルドを制圧させようとするだろう。
ダムレイクは聖剣を構え直す。弟とアマルツァと、三人で過ごした少年の日々に、今度こそ永遠に別れを告げながら。
勇者と魔王の決戦は壮絶なものになった。火炎の
自分を仕留める機会なのに、
やがて、先に力尽きたのはイルハートだった。強大な魔力を行使し続けた代償か、その髪は白く染まり、手足は骨と皮ばかりにやせ細っている。弟はぜいぜいと
兄上、貴方は私を救うべきではなかった──離宮を出なければ、いずれ始末される運命だったとは言え──それまでは、アマルツァを独り占めしていられたものを!
魔王城の尖塔群が、一斉に火炎を吐き始める。おお、
尖塔群が吐き出す火炎は、ますますその勢いを増してゆく。ダムレイクは今度こそ、兄弟殺しの覚悟を決めた。だが、聖剣は何故か、その刀身を氷で覆う代わりに、ダムレイクを氷の
魔王城を吹き飛ばしつつ、火炎の津波が
*
気が付くと、ダムレイクは
周囲は一面の焼け野原で、黒焦げの骨や武具が転がるばかりだった。聖剣は自分のみを守り、他の全てを見捨てたのか。理由を問おうにも、使命を終えた聖剣は既に消失していた。あるいは、セリアーザの
ダムレイクは虚脱状態でミッドランドを放浪した。焼け野原はどこまでも途切れない。時折見かける黒焦げの廃墟だけが、そこにかつて街や村があったことを示していた。
何が勇者だ──結局、自分は何も救えなかった。国も弟も愛しい人も。
皆の所へ行きたい──ダムレイクが心底願った、その時。
絶望で
己の正気を疑いつつ門を潜ったダムレイクを、予想通りと言えば予想通りの人物が出迎える。ダムレイク様、よくぞご無事で──涙を浮かべるアマルツァは、相変わらず美しかった。
そんな馬鹿な──ダムレイクは呆然とアマルツァを見返す。自分は聖剣に誓ったはずだ、彼女には二度と会わないと。聖剣との誓いは自然法則にも等しい。破りたくても、破れるはずがないのだ。現に、エルサナスはどんなにグウェンドリンに会おうとしても、運命のすれ違いを繰り返すばかりだったという。
だが、現実にアマルツァは目前に居る。
アマルツァは薬草入りの
セリアーザ様のご加護だったのでしょうか。だとしても、何故わたくしだけを──ダムレイク様!? どうなさいました、お顔が真っ青ですよ──。
最早、ダムレイクの耳には、アマルツァの声も聞こえていなかった。全てを悟ったからだ。アマルツァを守ったのが聖剣の仕業であることも、その理由も。
汝、我を振わんと欲すれば、代償を捧げよ──聖剣の求めに対して、自分はアマルツァと二度と会わないと誓ったつもりだった。だが、
何もかも忘れて、アマルツァと二人だけで暮らしたい──だから。
あの時、自分はそう願ってしまっていたのだろう。そして、聖剣は所有者との誓い通りに、自分とアマルツァのみを生き残らせたのだ。アマルツァと今もこうして会えていることが、何よりの証拠だ。
ダムレイクは部屋に駆け込み、扉に
セリアーザよ、これが貴方の望んだ物語か?
ダムレイクはアマルツァを隣国に送り届けるなり、姿を消した。俺には君と結ばれる資格はない、という書置きだけを残して。
以降、ダムレイクの消息は不明である。
・
・
・
そして、
*
「母上、母上、ちょっとよろしいですか!?」
「兄上、そんな大声でなくても、母上には聞こえますよ」
そろそろ来る頃かと予想していたルザリア王妃は、苦笑しながら私室のドアを開けてやった。興奮した様子で飛び込んでくる兄イヴァロクと、その後に
「この本に書かれていることは、本当なのですか!?」
イヴァロクが
「ダムレイクとアマルツァは聖典にも出てきますけど、断片的な記述ばかりですよね」
早くも聖典を読破したというミヴァロクは、さすがに詳しい。聖女アマルツァに
「そうね、おそらくは聖典の記述を元に、誰かが創作したのでしょう」
アヴァロキア聖王国の前身たる教王領の成立は三百年前。その頃にはイルドーラ大陸の中央部は深い森に覆われていたというから、この物語の時代はさらに過去と言う事になる。焦土と化した大地に緑が戻るまで、どれほどの年月が必要なのか──少なくとも、事実がありのままに伝わる期間だとは、ルザリアには思えない。
〈白の聖騎士〉アヴァロクと〈魔皇帝〉ケイゼリオスの戦いですら、世間では早くもお
「でもね、内容が本当かどうかは、あまり大切なことではないの。物語にとってはね」
ルザリアは双子と共に寝台に腰掛け、彼らの頭を
「大切なのは、読者が何を感じ取ったかです。イヴァロク、ミヴァロク、貴方たちはこの本を読んでどう思いましたか?」
「ダムレイクはアマルツァと一緒になるべきでした! これじゃあ、誰も幸せになれない」
「それは無理ですよ、兄上。国も弟も救えなかったのに、自分だけ幸せになるなんて」
「いやいや、少なくともアマルツァは何も悪くないだろう!」
やいやいと議論する双子を、ルザリアは微笑ましそうに見つめ──ふと〈
双子の誕生時、片方は隠して育てるべきだと進言した臣下もいた。口にこそ出さなかったが、いっそ始末してしまえとすら思っていたかもしれない。それを聞いた夫アヴァロクは、普段の温厚さからは想像も付かない剣幕で宣言した。この子らは一緒に育てる、何一つ差別も
この人が夫で良かったと、ルザリアはつくづく思ったものだ。
(あの人もこの本を読んだのかしら)
この本はルザリアが聖フラジア女子修道院に在学していた頃、地下書庫から発見したものだ。一般に出回っている品ではないはずだが──あるいは、一方的に嫌われていたという義兄マヴァロクへの想いがあるのかもしれない。
いずれにせよ、人も国も確実に前に進んでいる。
「さあ、もう夜も
「「ひえっ、母上おやすみなさい!」」
双子は祖母にして教育係総監のファーメイユ公爵夫人を何より恐れている。仲良く寝室に──全速力で──駆け戻っていく。
──彼らが剣王イヴァロク一世および聖王ミヴァロク一世として、アヴァロキア聖王国の共同統治者になるのは、もう少し未来の出来事である。
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