語られざる黄金郷(実在しないとは言ってない)

 エルナトーレ共和国は数十の島々から成る。


 その一つ〈漂着島〉ピニョスタの浜辺には、国中から漂流物が流れ着く。


 海流の関係でそうなるのだとも、マーメイドたちがゴミ捨て場として利用しているのだとも──理由は定かでないが、島民にとっては貴重な収入源だ。資源として再利用する他に、片付けるだけでも国から補助金が出る。


 逆に言えば、それぐらいしか金を稼ぐ手段がない、貧しい島だ。


(あーあ、何だってご先祖様は、こんなしけた島に住もうと思ったのかなぁ)


 割れたランプを拾いながら、セヴィオ青年はため息をいた。共和国の他の島々同様、海と空の青さだけは鮮烈なのも、かえって彼の気を滅入らせる。


(一度でいいから、イルメダに行ってみたいなぁ)


 共和国の首都〈総代島〉イルメダの航路も、ピニョスタ島の近海は通っていない。島民が使うような小舟では行けないし、たまに来る商船に便乗させてもらうにも結構な代金が掛かる。島民でイルメダを訪れたことがあるのは、島代のサンドロぐらいだろう。


 彼に聞かされたイルメダの繁栄ぶりを思い出す。


 石化した〈聖水竜〉アレクシルドの背に築かれた都市。巨大な貝殻や水獣の骨を用いたエルナトーレ様式の建造物がひしめき合い、その合間の水路を無数の小舟が行き交う。


 シマフヨウの花で飾られた酒場は昼間から賑わい、水上市場には国中から名品珍品が集う。〈大漁島〉セルーニャのダイオウエビ、〈真珠島〉テルマッソの夜光真珠、〈密林島〉ワクナナの香木石──。


(イルメダにさえ行けりゃなぁ、何か上手いことやって大儲け──)

「おら、ボヤボヤすんな、さっさと終わらせるぞ」

「へーい」


 膨らむ一方だったセヴィオの妄想を、ヨアキム老人のしわがれ声が一瞬でしぼませた。


 彼はこの仕事の師匠である。感謝も尊敬もしているが、セヴィオにとっては暗い未来の象徴でもある。まばらな白髪に、骨格の浮き出た皮膚──いつか自分もこのように老いさばらえるのだ、という。


(ん?)


 船の廃材の隙間で、何かが光ったような気がした。


(何だろう、舶刀カットラスかな?)


 船乗りが使う小型の剣だ。びていなければそれなりの値段になる。セヴィオは身を屈めて、廃材の隙間を覗き込み──腰を抜かしそうになった。


「じ、じ、爺さん、あ、あれって──!?」

「何だ、サソリエビでも出たのか──む?」


 弟子に続いて覗き込んだヨアキムも、うめき声と共に沈黙する。


 廃材の隙間で光の星セラエノの輝きを反射していたのは、半メト程の大きさの黄金の彫像だった。おそらく風獣カンムリチョウをかたどっているのだろう。セヴィオは興奮と幸福感でぼうっとなる。


(こ、こんなのを売れば、大金持ち──とまではいかなくても、少なくともイルメダへの移住費には十分──)


「よせ、触るな!」


 半ば本能的に伸ばしたセヴィオの手を、ヨアキムの一喝いっかつが止める。師のこんな大声は、彼も始めて聞いた。


「な、何だよ爺さん、独り占めしやしないって。まあ、俺が先に見つけたんだから、取り分は──」

「そうじゃねえ、こいつは──」


 そこで始めてセヴィオは気付いた、ヨアキムの声ににじむ恐怖に。人間の頭蓋骨ずがいこつを見つけても、平然と回収袋に放り込むような男だと言うのに。


「──造形が細すぎる。見ろ、羽毛の一本一本まで再現してやがる」


 言われてみれば、確かに。頭頂部を飾る冠羽の繊細さも見事だ。普通なら製作中に折れてしまいそうなものだ。黄金という素材にばかり気を取られていたが、芸術品としての価値も高いのではないか。セヴィオの期待はますます高まったが──それだけならば、ヨアキムが怯える理由にはならない。


「こいつは彫像じゃねえ──〈黄金島〉ウトゥナキの一部だ」

「お、黄金島?」


 ヨアキムは震える声で語った。〈青の大海賊〉ジャンピーノがエルナトーレ諸島を共和国にまとめるより遥か昔、ウトゥナキと呼ばれた島があったと。


 かの島には偉大にして欲深い魔術師が住んでいた。禁断の魔術に通暁つうぎょうし、言霊ことだまと物質の関係を解き明かし、ついにはあらゆる物質をだます術を編み出した。


 魔術師はまず魔法の坩堝るつぼを火にかけ、そこに青銅の腕輪を放り込んだ。腕輪が熱さでぼうっとしたところで、『お前は黄金だ、お前は黄金だ』と呪文で言い聞かせ続けた。


 冷えた坩堝から腕輪を取り出すと、それは紛れもなく黄金製に変わっていた。これで自分は大金持ちだ、歓喜して腕輪を身に付けた魔術師だったが。


 その耳に『お前は黄金だ、お前は黄金だ』というささやきが聞こえ始める。腕輪に込めた黄金化の術が伝染してしまったのだ。魔術師は慌てて腕輪を外そうとするが、時既に遅く全身が黄金になってしまう。

 

 そこで伝染は止まらなかった。魔術師の館からその周囲へ、黄金化の術は速やかに広がっていく──そこに住む人々や動植物を巻き込みながら。ついには、ウトゥナキ島の全てが黄金化し、その重みで海に沈んでしまう。


 もし、浜辺に異常に造形が細かい黄金像が漂着しても、決して触れてはいけない。それは呪われた黄金島の一部に他ならず、触れればお前もたちまち黄金になってしまうぞ──。


「わしは祖父さんからそう聞いた」

「ま、ま、まさかぁ、ハハハ──」


 鼻で笑おうとしたセヴィオの声は、自分でも分かるぐらい震えていた。気付いてしまったからだ──黄金像が恐怖に目を見開き、苦しげに身をよじるようなポーズを取っていることに。


 芸術のことは良く分からないが、少々悪趣味が過ぎるのではなかろうか。


「拾いたいなら勝手にせい。わしは手伝わんぞ」


 くるりと背を向けるヨアキムの後を、セヴィオは慌てて追いかける。


 一度だけ振り返ったが、黄金像の恨めしげな目とばっちり視線が合い──それきり、惜しいと思うのは止めにした。


 *


 やがて、月が中天に掛かる頃。

 

 闇夜に怯える人々の為に、光の女神セリアーザが生み出したとされるその輝きを、浅ましいはかりごとに利用する者がいた。


 早い話、ヨアキムが一人でこそこそと浜辺を歩いていたのである。


 老人は船の廃材の山にたどり着くと、その隙間を覗き込む。あの黄金像が無事なのを見て、躊躇ためらうことなく腕を突っ込む。


 引き出された黄金像が月光を照り返し、ヨアキムは地獣ニヤケザルのような笑みを浮かべる。


「セヴィオの奴め、あんな作り話にだまされよって、くくく──」


 そう、全ては黄金像を独り占めする為の、ヨアキムの欺瞞ぎまんだった。黄金島の名前ウトゥナキは、古ワクナナ語の”存在ウトゥン”と”無いナキ”を意味する単語からの連想に過ぎない。当のワクナナ島ですら、話者は少ない言語だ。セヴィオが気付くことは生涯ないだろう。


(これでわしも大金持ち──とまではいかんが、酒代には当分困らんかのぉ)


 さて、どうやってこいつを換金しようかとヨアキムが考えた、その時。


「ん?」


 最初はわずかな違和感だった。波と風の響きに混じって、何かが聞こえるような気がする──程度の。


 それが「お前は黄金だ、お前は黄金だ」という囁きであることに気付き、違和感は戦慄せんりつに変わる。


(ばっ、馬鹿な、あれはわしの作り話で──)


 慌てて黄金像を手放そうとするが、握った指が動かない──自分の手が既に手首まで黄金に変わっているのを見て、ヨアキムはついに悲鳴を上げる。


「た、助けてくれぇ!」


 ヨアキムは何とか集落に戻ろうとするが、黄金化は紙に水が染み込むようにみるみる進行していく。やがて、足も動かなくなり──ごとりという金属音と共に、老人は砂浜に転がる。彼が最期に見たものは、あざけるように自分を見つめる黄金像だった。


 *


 それ以来、ヨアキムはピニョスタ島から姿を消した。

 

 セヴィオは恐る恐るあの廃材の山を調べたが、あの黄金像はもうなかった。それでも彼は、師が自分を騙して持ち逃げしたとは思わなかった。


 気付いたからである──廃材の山からよろめくような足跡が伸びて、砂浜で不可解にも途切れていることに。

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