祈りの行方

 ここなら安全だとばかりに、樹上でニタニタと弓を構えていたゴブリンが──。


「【聖剣飛燕斬ソニック・スワロー】!」

「ギャバァッ!?」


 不可視の斬撃に枝ごと両断される。デュライスが片手半剣バスタードソードを一閃、真空の刃を放ったのだ。


〈白の聖騎士〉アヴァロクは、同じ技でシエト帝国の飛空艇をも撃墜してみせたそうだが──その域には及ばなくとも、彼もアヴァロキア聖王国の騎士である。たかが十数メト先にぶら下がっている、動かない標的を外しはしない。


 デュライスは愛馬ブライトウィン──六本の脚を持つ地獣タキャクウマ──で林道を駆けながら、同様の手順を繰り返し──。


 やがて、静寂を取り戻した林道に、ゴブリンどものむくろが散らばる。デュライスがこれ見よがしに片手半剣をさやに収めても、樹上から矢が降ってくる気配はない。そこでようやく警戒を解き、背後に呼び掛ける。


「おーい、もう出てきてもいいぞ」


 地獣ケナガウシがく荷車の下から、巡礼用の司祭服カズラ姿の少女が飛び出す。


「デュライス、お疲れ様です! お怪我はありませんか?」


 光の女神セリアーザの託宣を受けし聖女イリリカである。本当なら聖女様とお呼びすべきなのだろうが、本人はどうかイリリカと呼んでくれ、敬語も不要と言い張るので、そうさせてもらっている。


 デュライスを守護騎士に任じ、共に聖都ヴァルドを目指すべし──女神はイリリカにそう命じた。


「いやはや、お若いとは言え、さすが騎士様ですなぁ」

「ほんに、何とお礼を申し上げればいいやら──」


 荷車の持ち主である農夫とその妻も、おっかなびっくり荷車の下からい出す。ゴブリンどもの矢から必死で隠れているところに、運良くデュライスたちが通り掛かったのだ。ホープズクロスの市場でクビカボチャを売って、コズビー村へ戻る途中だったらしい。


「いやあ、ゴブリン退治なんて余興レクリエーションみたいなモンですよ~」


 正直に言うと、何度か矢が当たりそうになってヒヤヒヤしたが──彼とて十七になったばかり、見栄の一つも張りたい年頃である。ブライトウィンがやれやれと言いたげに鼻を鳴らした。


「ちょっと、あんた! 血が出てるわよ」

「ん? ああ、ゴブリンの矢がかすめたか。大したことねぇさ」


 見ると、農夫のシャツの肩が裂け、僅かに血がにじんでいる。本人の言う通り、大した傷ではなさそうだが──。


「まあ、気付かず申し訳ありません! 治癒の術を使いましょう」

「い、いや、司祭様のお手をわずらわせる程じゃ」


 迷わず聖印パナギアを握り締めるイリリカに、農夫の方が慌てる。教王領が聖王国になって二百年経つとは言え、民衆にとって聖職者は今も崇敬の対象である。


「ご遠慮なさらず、小さな傷でも病気の元になりますから」


 イリリカが聖典の一節をおごそかに詠唱する。聖女アマルツァが〈湖の勇者〉ダムレイクの治癒を祈る場面だ。


 聖印がほのかな光を放ち、照らされた農夫の傷がみるみる癒えていく。イリリカの目には、聖印から放たれた高濃度の″光″の言霊が、農夫の体内の″命″の言霊を活性化させる様子が、はっきり見えているのだろう。


 祈願術──光の女神セリアーザに仕える聖職者にのみ許された、聖なる魔術。光の星セラエノにまで祈りを届かせ、女神に聖典の内容を再現してもらうのだ。この【癒しの御手ロイヤル・タッチ】の術にはデュライスも幾度も世話になった。


「はい、もう大丈夫ですよ」

「う、うへえ、ありがたや、司祭様!」


 農夫とその妻はひたすら平伏している。彼らの目には、奇跡が起きたとしか見えなかっただろう。いや、セリアーザがイリリカという端末を通してセリヴェルドに干渉したのだから、まさしく奇跡だ。


 それにも関わらず。


「感謝はセリアーザ様にお捧げ下さい。私は代行しただけですから」

(──本当に謙虚だよなぁ)


 見栄っ張りの自分とは大違いだ。聖職者としては当然なのか──否、全ての聖職者がイリリカのような人間なら、教団の〈大分裂シスマ〉など起きていまい。


 幸いケナガウシは無傷で、荷車の走行に支障はなさそうだ。この辺りは宿場町もないとのことで、今晩は農夫の家に泊めてもらうことになった。


 二人はいつものようにブライトウィンに相乗りして──頑強で胴長のタキャクウマは相乗りに最適である──、農夫の荷車に歩調を合わせるが。


「あらあら、お仲がよろしいんですねぇ」


 農夫の妻に微笑ましげに言われ、二人して馬上でぴょこんと飛び上がる。まあ、そう言われるのも、無理はないかもしれない。密着とまではいかないにせよ、かなり近い体勢ではある。正直、最初はデュライスも抵抗があった。


「い、いやいや、そんな関係じゃないッスよ!? こいつは馬に乗れないから、仕方なく──」

「忘れたのか、お前。ほら、司祭様は戒律で結婚出来ないから──」


 農夫は妻をいさめたつもりかもしれないが、二人にしてみれば火に油を注がれただけである。案の定、農夫の妻は一転して痛ましげな顔になる。


「まあ、それはお辛いでしょうねぇ」


 彼女の中では完成してしまったらしい、禁断の恋に悩む騎士と聖女という物語が。


(おい、おめーも何とか言えよ。いや、言って下さいお願いします)


 デュライスはでた水獣スナダコのように赤面しつつ、背後のイリリカに必死で念を送るが──通じているとしても、彼女に反応はない。

 

 幸いにも、この話題はお流れになった。いや、幸いと言っては問題か。


「うっ!? グググ──」


 突如、農夫がのどを押さえて、苦しみ始めたのだから。


「あんた、どうし──ひぃ!?」


 振り返った農夫の形相に、彼の妻がおののく。吊り上がった双眸そうぼう爛々らんらん赤光しゃっこうを放ち、地獣ガロウのごとき出した犬歯は、長く鋭く変形している。


「がぁっ!」


 妻に襲い掛かろうとした農夫を、デュライスが荷車に飛び移って組み伏せる。それでもなお暴れ続ける農夫の姿に、イリリカがはっと息を呑む。


「これは──チスイシビトの呪い!? いけない、矢に血が塗られていたんだわ!」


 チスイシビト──自身はヴァンパイアと名乗る彼らは、最も恐れられる迷魂の一つだ。吸血による捕食行為のみならず、犠牲者に己の血を与えて同族化させるという、冒涜ぼうとく的な性質によって。


(くそっ、矢に何か塗られてる可能性は考えとけよ、俺)


 ゴブリンとの戦闘で最も多い死因が、毒矢だとは知っていた。こうなっていたのが自分だったら、一行は全滅していた。それよりはマシとは言え、喜ぶ気になどなれない。


「イリリカ、治せないのか!?」


 ブライトウィンが火獣カドクヘビに咬まれた時は、解毒の術であっさり治してくれた。だが、これは一筋縄ではいきそうもないとは、デュライスでも解る。


 案の定、イリリカは即答しない。無論、農夫の妻のすがるような視線には気付いているだろう。だが、安け合いも出来ないのだ。


(殺すしかないって言われたら──)


 腰に帯びた片手半剣が、やけに重く感じる。いや、自分はまだいい。所詮しょせん、騎士は殺すのが仕事だ。だが、イリリカは──こいつがそんな決断を迫られたら──。


「村に神殿はありますか?」


 治せるのか──上げかけた歓声を、デュライスは飲み込む。イリリカの決然とした声が、わずかに震えていることに気付いて。


「は、はい、小さいものですが、一応」

「分かりました、案内お願いします」


 *


 コズビー村は森に隠れるようなたたずまいだった。総人口は五十人にも満たないだろう。


 怪我人の治療に使いたいと説明すると、村人たちはこころよく神殿を貸してくれた。が全身をすっぽり毛布で覆われているのを見た時は、さすがに少し戸惑っていたが──無論、ロープでぎちぎちに緊縛されている農夫の姿を、村人たちに見せないためである。

 

 神殿は村で唯一の石造りの建物だった。常駐の司祭こそ居ないが、手入れは行き届いているようだ。村人たちの信仰のあつさをうかがわせる。


 祭壇に寝かせた農夫を前に、イリリカは淡々と説明する──自分に言い聞かせているかのように。

 

 チスイシビトによる犠牲者の同族化──それは血を媒介ばいかいに分身を憑依ひょういさせ、肉体を死者のそれ──彼らは″不滅の肉体″と称する──に変えることで完了する。農夫の心臓はまだ鼓動しており、肌も暖かい。今なら分身を追い出せば、健康体に戻れるかもしれない。そこで──。


「【憑依祓いの儀礼エクソシズム】をり行います」


 イリリカも始めて試みる術だという。成功率は──神殿内であれば多少は増す、としか言えないらしい。最善は尽くすが、失敗してもセリアーザ様を恨まないで欲しいと、彼女は懇願こんがんした。


「悪いのは、信仰心が足りない私ですから」


 どちらも絶対に恨んだりしないと、農夫の妻は悲壮な顔で誓った。彼女に誰も神殿に入れないよう頼み、大急ぎで儀式に必要な品をそろえる。


 準備が済む頃には、光の星セラエノはハイダル山脈の向こうに沈みつつあった。


「時間がありません、早速始めましょう」


 イリリカが詠唱を始める。【癒しの御手】のそれとはまるで違う、威厳に満ちた声で。


「聖ガラハム、病める乙女を神殿に運ばせたり──」


 聖人ガラハムが信徒に憑いた悪魔をはらう一節だ。聖印が炎のような輝きを放ち、照らされた農夫が──否、その体内に居座る、チスイシビトの分身が苦鳴を上げる。生者にとっては命の源たる″光″の言霊だが、迷魂にとっては灼熱しゃくねつの業火に等しい。


 人に憑依した迷魂は、しばしばその肉体を鎧として利用するが、【憑依祓いの儀礼】にそんな姑息こそくな手は通じない。聖典の詠唱に″光″の言霊を乗せ、耳から体内へと直接注ぎ込むからだ。

 

 神殿内を風が吹き荒れ、ステンドグラスが激しく振動する。チスイシビトの分身が抵抗しているのだ。イリリカ目掛けて飛んできた椅子を、デュライスが咄嗟とっさに蹴り退ける。


 時折、農夫の口から黒い影がのぞく。あれがチスイシビトの分身だろう。だが、なかなか体外へ出てこない。


(くそっ、しぶといな)


 詠唱を続けるイリリカの額に、玉のような汗が浮かぶ。夜になれば闇の星ヒヤデスの影響が強まる。それまでが勝負だと彼女は言っていた。


く去れ! ここはセリアーザの神殿、なんじが居るべき場所にあらず! 裁きの光にかれる前に、闇のふところに疾く去れ!」


 聖印の輝きが一際ひときわ強まり、ついに農夫の口からチスイシビトの分身が飛び出す。


 ステンドグラス越しの残光に焼かれながらも、今度はイリリカに寄生しようと突進するが──バチィッ! 青白い電光に弾かれる。彼女が首から下げておいた、ヒラニンニクの束の効能だ。


 迷魂がなぜただの野菜にはばまれるのか──答えは″チスイシビトはニンニクを嫌う″とわれているから、である。セリヴェルドは伝説が事実になる世界だ。


 分身の動きが鈍ったところで、すかさずデュライスが片手半剣を抜き放つ。その刀身はイリリカが聖別した井戸水で洗浄済みだ。こうすれば実体のない迷魂も斬れる。それもまた、伝説であり事実である──。


 *


 翌日、コズビー村の出入り口にて。


「もう行かれるんですかい? 何のお礼も出来ませんで」


 すっかり回復した農夫とその妻が、二人を見送りに来ていた。


 他の村人たちには、チスイシビトになりかけていたことは秘密にしてある。民間では迷魂への恐怖は未だ根深い。村の伝説にしたいのにと悔しがる農夫と妻に、イリリカはこう応えた。皆様の日々の祈りが、セリアーザ様に通じたのです──。


「──私は代行したに過ぎませんわ」


 同じ言葉を繰り返している彼女を、デュライスは無言で見守っていた。


「司祭様、せめてこれだけでも──」

(謝礼か? でも、こいつはきっと受け取らな──)

「──クビカボチャのパイです、お弁当にどうぞ」

「ありがとうございます!」

(あ、甘いモンスイーツは素直にもらうのな)


 そして、二人は旅を再開したが──。


 いつものようにブライトウィンに相乗りする気になれなくて、徒歩を続けている。会話もぎごちなく、天気や旅程など当たりさわりのない話題ばかり。


「あ~、晩飯はハムステーキが食いたいな──い、いてて」


 ブライトウィンが主人を鼻先でゴスゴスと小突く。よ本題に入れと言いたげに。


(わ、解ってるよ)


 デュライスは精一杯のさり気なさをよそおって言った。


「いやぁ、昨日の【迷魂祓いの儀礼】は凄かったなぁ」


 そして、見事に人命を救ったと言うのに──あれ以来、イリリカがどこか無理をしている様子なのは、デュライスも気付いていた。彼女の守護騎士として、少なくとも見て見ぬ振りは正解ではない。


「でも、どうしてわざわざ神殿でやったんだ? その方が、セリアーザ様にお祈りが届きやすいのか?」


 デュライスとしては、取りえずのつもりで振った話題だったのだが──意図せず核心を突いてしまったらしい。イリリカがぴたりと立ち止まる。


「デュライス、あなたには嘘をきたくありません。だから、本当のことをお話します」

「お、おう?」

「私たちの祈りは、セリアーザ様に届いてなんかいない。少なくとも、祈願術は聖典の伝説構造テンプレートを利用しているだけの、ただの技術なんです」


 世界は言霊ことだまで出来ている──それは半分正解で、半分は誤りだ。正確に言えば、言霊の世界である真智界アエティールと実体の世界である物質界プレーンは、表裏一体の関係である。一方が在るから、片方も在る。一方が揺らげば、片方も揺らぐ。


 その両界を橋渡しする行為こそ、人々による語りだ。

 

 世代を越えて人々に語り継がれる伝説は、真智界に言霊の巨大構造体──伝説構造を形成する。そして、伝説構造が配役を変え、舞台を変えつつも、繰り返し物質界に投影され続ける様を、人は運命とも因縁いんねんとも呼ぶ。


 その最たるものこそ、セリアーザ教団の聖典だ。初代教王マルギオン一世によって編纂へんさんされて以来、数百年に渡ってセリヴェルド中の信徒に語り継がれてきた。伝説構造が形成されない訳がない。


 そう、そこまではデュライスも知っていた。なぜなら、彼ら聖王国の騎士たちが習得しているアヴァロキア流聖剣技は、剣を媒介に開祖アヴァロクの伝説構造を投影する──それが原理だからだ。


 だが。


(祈願術もそうだってのか?)


 イリリカは淡々と語る。聖典の詠唱によって伝説構造を呼応させ、そこに記された奇跡を物質界に投影する──術者の望みに沿う形で。それが祈願術の原理なのだと。


「聖典に記された奇跡は、神殿が舞台になることが多いんです。神殿で行使した祈願術の成功率が高まるのは、その方が伝説構造を呼応させやすいからに過ぎない」


(あ~、つまり)


 デュライスはようやく、イリリカが言わんとしていることを察した。つまり──祈願術の行使過程において、セリアーザは何ら介入していない。


 聖典の伝説構造は、あくまでセリアーザ信仰の副産物。そして、祈願術とはその流用に過ぎない。その事実を教団は隠蔽いんぺいしている──少なくとも、積極的に明かそうとはしていない。


『私は代行したに過ぎませんわ』


 あの言葉に含まれていたのは、謙遜けんそんだけではないのかもしれない。


「それでも、教団は人々に祈れと説く。祈ればセリアーザ様はお応え下さると──信仰という仕組みを保つ為に」

「そ、そりゃしょうがないだろ。皆が祈らなくなったら」


 伝説構造は人々の語りに支えられている。聖典の場合は祈りと言うべきか。それが供給されなくなれば、いずれ聖典の伝説構造は消滅する。祈願術も失伝してしまうだろう。チスイシビトの呪いだって祓えなくなる。


「それでも、嘘は嘘です。デュライス、私はあなたに守られる価値があるんでしょうか」


 デュライスは口をへの字に結んだまま、イリリカの悲しげな横顔を見つめている。何を言うべきか迷って──いる訳ではない。口に出すのが恥ずかしいだけだ。


「ああ、もう! 一回しか言わねーぞ」

「え?」


 金色に染めた髪をガリガリときながら、デュライスは一息に言い切った。


「正直、俺はあんまりセリアーザ様を信じてない。元からな」


 黒血病をわずらった母を助けてくれなかったからか、それともゴブリンの大群と戦った父を生還させてくれなかったからか。そんなことはセリアーザの知ったことではなかろうと、理性では解っているけれど。


「けど、お前を選んだセリアーザ様の判断は、俺も正しかったと思う」


 昨日のイリリカを見れば、誰だってそう思うだろう。


(むしろ──)


 自分のような未熟者に、なぜ彼女の守護騎士を任せたのか。そちらの理由こそ解らないぐらいだ。


「だから、その、そんなに卑屈ひくつになるなって」

「デュライス──」


 イリリカの揺らぐ眼差まなざしを、デュライスはどうにか受け止め──ぼっと赤面する。早くも限界のようである。


「と、とにかく! 聖都はまだ遠いぞ、さっさと乗りな」


 デュライスがブライトウィンにまたがり、そっぽを向きつつ手は差し伸べてくれる。慌ててその手を借り、相乗り鞍タンデムサドルに座るイリリカ──その口元には、早くも微笑みが戻りつつあった。取り戻した当人からは、全く見えていないが。


 ブライトウィンがやれやれと言いたげに鼻を鳴らした。

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