第85話

黒のスラックスを穿いた足を組み、髪の毛は軽く縛っている。


可愛らしさは封印したとばかりに、今のこの人からは、八神さんたちと近い雰囲気しか感じない。


どこか緊張しつつ、膝の上で手を合わせるように両指を組んでしまう。


すると自然と視線が落ちて、自分の服装が視界の端に映った。


あたしは、今日もナツキさんに渡された服を着ている。


レセプションの時のように、清楚で、気立ての良いお嬢様を、簡単に演じさせてくれる、そんな装い。



今着ているワンピースはどこか深い、海の底のようなそんな色をしている。



「緊張してる?」


「え……」


「顔が強張ってる。にこやかにしないといざという時、アヤちゃんの隣で笑えないんじゃない」




いざという時。


それはいつ来たっておかしくない。


あたしはこれから先、笑いたくなくても、笑わなければならない時に笑えるような人間でなくてはならない。




「……あの、ナツキさん、聞いてもいいですか」


「ん?何」


「自分にとって、取るに足りない存在を、何かを犠牲にしてまで、近くに、置いておきたいことってありますか」

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