第62話

彼も、そうなのかもしれない。


誰かと目を合わせることは、怖くて、たまらないのかもしれない。




音もなく手を伸ばして、その袖を引く。


はっとしたようにまた彼がこちらを見た。




誰も、だれも見てくれないのは、辛いことだ。


つらくて、かなしくて、いつしか自分から逸らしてしまうことが当たり前になっていく。


当たり前になったら、もうきっと、誰も信じられなくなってしまう。


あたしには飾利さんたちがいたから、今もこうして顔を上げて人と話せている。



「だっ、たら」



だったら彼は……?


この子のことは、一体だれが見るのだろう。



「あたしが、あなたを見ますから」



彼の目が、ゆらゆらと儚げに揺れる。


緩やかに波打つその美しい目に、あたしはきちんと映っているのだろうか。




「だから、そらさないでください」



頼りがないまま笑ってしまう。


だって、自信がない。


あたしなんかと目を合わせても仕方ないって、あたしが一番わかっているから。



暫く彼は何も言わないまま、その場に立ち尽くしていた。


迷惑なことをしてしまった。言ってしまった。


あたしは諦めたように袖から指を離そうとした。



その時、彼がその場にしゃがみ込んだ。


緩い風を少しだけ感じて、はっと瞼を上げたあたしと彼は真っすぐと目を合わせる。



「……さっきは」


「……え?」


「ありがとう」



目が合っているからか、真っすぐとこちらを見られているからか。


言葉が、すんなりと届く。


意表を突かれたように瞬きを何度かしたあと、あたしは笑って首を振った。


「いいえ」と短く言えば、「ううん」と返される。



「ありがとう、本当に」



彼は少しだけ真面目に、縋りつくような声ではっきりと告げた。

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