第36話

「あら伊吹、姉さんって呼ばないんだ?」


「……いいでしょ、別に」


飾利さんの問いかけに、はっきりと答えない伊吹に、あたしはこっそり「どうして?」と訊いたことがある。


「……こっちの方が〝近い〟かな、って」


「近い?」


「壁、あんまり作りたくない」



習い事が終わって、車の後ろで、隣同士に座っていた時、ぼそっと言われた。


「俺は……家族として、ずっと傍にいるって、決めたから」


静かな車内で、運転手さんには聞こえない音量で、ぽつぽつと呟く。



「だって家族なら、絶対、ひとりにならないでしょ」


薄暗い車内で、その横顔はよく見えなかったけど、凄く真面目な顔をしているんだろうなと思った。


「う、ん……そうだね」


頷いて、暫くの沈黙のあと「伊吹くん」とその名前を呼んだ。


「あり、がとう」


「……くん、いらない」


「そうだったね」


「伊吹」と呼ぶと「なに」と顔を逸らしたまま言う。


ふふっと笑って「なんでもない」と鞄を胸に抱えれば「なにそれ」と窓に向けていた目をこちらに向けて、それで軽く笑った。


笑顔が増えていく。


幸せな日々が暫く続いていた。

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