かからない家(4)

 本当に、意味がわからなかった。

 全く知らない親子は、野球中継が終わると、あの選手がエラーしてなければとか、抑えで出てきたピッチャーがひどかっただの言いながら、普通に玄関から出て行った。

 帰る前に一応誰なのか聞いたかが、これまで突然やってきた人たちのように、名前は言わず、ただこの村の人間だとしか言わないし……


 鍵を付け替え、ちゃんともう開かないことを確認したはずなのに、どうして、なんで……

 せっかく、都会の喧騒から離れて静かに暮らす予定だったのに、これでは一人暮らしをしていたマンションの方がまだ静かだった。

 それからも、何度鍵を閉めても、新しいものに付け替えても、二個つけても、三個つけても、四個つけても、五個つけても、玄関の鍵はかからない。


 勝手に入ってこないで欲しいと言っても、入ってくる人たちはみんな多分、別の人で、同じ人じゃない。

 知らない村の人が、老若男女、時間を問わずに勝手に玄関から入って来て、そして出て行く。

 勝手に上がり込んで、冷蔵庫のものを飲み食いしたり、持ち込まれた謎の肉を食わされたこともある。

 湯船に浸かっていると、よぼよぼの婆さんが風呂に入ってきたり、寝ているところを赤ん坊の鳴き声で起こされたり、金縛りにも何度もあった。

 そんな日々が何日も続き、もう頭がおかしくなりそうだ。


「どうなってるんだよ!! くそが!!」



 こうなったらこの玄関が二度と開かないように、板を打ち付けて塞いでやろうと思った。

 面倒だが、出入りは勝手口からするようにすればいい。

 釘を打ち付けようと、金槌を振り上げたその瞬間————


「ごめんください」


 家の呼鈴が鳴った。

 今まで勝手に入ってこられていたため、その音を聞いたのは初めてのことだった。


「お取り込み中でしたか?」

「い、いえ……」


 おそるおそる扉を開けると、若い見知らぬ男が立っていた。

 また村人かと思ったが、男はどこか洗練された雰囲気をしていて、田舎の村人という感じが全くない。

 我が物顔で、当然のように勝手に入ってくる村の人たちとは違って、とても感じがの良い人だった。


「僕、井浦いうらと言います。すぐそこの、黒い家に住んでいるのですが……」


 黒い家と言われて、ピンときた。

 坂を下ってすぐのところに、黒い四角い箱のような大きな家がある。

 田舎の家にしては、随分とモダンで、都会的な作りをしている家だ。

 むしろ、田舎の田畑が並んでいるようなところにポツンと立っているのが似合わないような、そんな家だ。


「とても大切なお話があるのです。少し、お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」

「いいですけど、なんでしょうか?」


 井浦さんはにっこりと一瞬笑って、それからは少し申し訳なさそうな表情をして言った。


「この家を、僕に売ってもらえませんか?」




 * * *



 こんな古い家を売って欲しいだなんて、世の中には変わった人もいるものだと思った。

 少し考えさせて欲しいと、今日のところはお引き取りいただいたが、井浦さんの提示した金額は、新築の家が余裕で建つくらいの金額だった。

 若いのにかなりの金持ち……かどうかは、置いておいて、この家の所有者は今の所、俺じゃなくて母だ。

 井浦さんが帰った後、すぐに母に電話で話したが、その金額には母も驚いていた。

 こんな古くて、もう使われないもので溢れていて、仏壇までそのままで……それでいて、鍵がかからない。

 変な家を買って、一体、井浦さんは何を考えているんだろうか。

 母は売るかどうかは、俺が決めていいと言っていたが……どうしたものか。


 坂を下り、村で唯一の商店へ向かって散歩がてら考えていると、あの家の中にいるとたくさん人がやってくるのに、全く誰ともすれ違わない。

 外に人がいる気配が全くないし、例えば、新しく駅ができるとか、そういう理由で土地の値段が跳ね上がる……という感じも全くしない。

 こんな田舎の、それも、山に一番近い坂の上にある一軒家を買い取って、なんのメリットがあるのか、さっぱりだ。


 すごく怪しい。

 何かの詐欺かもしれない。


 寝不足で回らない頭で、ぐるぐると考えながら買い物をしていると、珍しく警官と遭遇した。

 警官としてどうなんだと心配になるくらい、かなり年配の爺さんだが、犯罪のはの字もなさそうな田舎の警官なんて、きっとそんなもんだろう。

 警官はなぜか俺の顔をじっと見つめている。

 何も悪いことをした覚えはないのだが……


「お兄さん、あれやろ? 山坂さんとこに越して来た……」

「そ、そうですけど……?」

「困ったことがあれば、いつでもゆうてな」


 困ったことだらけだった。

 そう言われた途端、涙が溢れて止まらなくなった。


「おうおう、なんや、何があったんや、話してみい」


 警官はまるで何もかもわかっているようで、年甲斐もなく大泣きしてしまった俺の話を真剣に聞いてくれた。

 玄関の鍵がかからないこと、勝手に知らない人が上がり込んでくること、勝手に家のものを使って、勝手に家で飲み食いして、くつろいで、意味不明な会話をして帰って行くこと。

 それが気持ち悪くてたまらないこと。


 警官は俺を心配して、パトカーで家まで送り届けてくれた。

 だが、鍵がかからないのを確認して欲しいと言っても、決してパトカーからは降りなかった。


「これ以上住まん方がええと思うけど、まぁ、まだもう少し時間はありそうやし、どうするかはお兄さんが決めることや」

「……どういう意味ですか?」

「まぁ……その、そういうことや。とにかく、またなんかあたら、いつでも駐在所に来たらええ。でも、110番に通報はしたらあかん。いたずらやと思われて終わりやからな」


 そう言って、帰ってしまった。

 そして、俺は嫌々家に入るとやっぱり鍵はかかっていなくて————


「おかえり、おそかったねぇ」

「もう帰ってこないかと思った」


 また知らない男と女が家の中にいた。

 今日は、十人もいる。

 大家族かよ。


 今のテーブルには、誰が作ったのか夕食が並んでいた。

 唐揚げ、エビフライ、イカの刺身、ポテトサラダ、茶碗蒸し、きんぴらごぼう、野菜たっぷりの味噌汁。

 日本酒まで……


 なんの宴会だと、腹が立って仕方がなかった。

 すぐに母に電話して、俺はこの家を売った方がいいと言った。

 翌日、井浦さんに話すと、あとはもう、一瞬だった。





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