かからない家(3)

「では、これで失礼しますね」

「はい、ありがとうございました」


 諸々の手続きが終わり、これでガスも電気も水道も使える状態になった。

 業者の人たちが帰った後、俺は今度こそ内側からしっかり鍵をかけた。

 そういえばトイレに行っていなかったなと、トイレに入りさっと掃除をする。

 水回りの掃除だけは最初にすべきだと思っていたので、ちょうどいい。

 ここが終わったら、風呂場だなとぼんやり思いながら洗剤を水で流し、棚の中を確認するとトイレットペーパーも当分買いに行かなくてもいいくらい残っていた。

 最低限必要な服や靴、日用品や掃除道具などは事前に買って持ってきてはいたが、本当にしばらく人が住んでいなかったとは思えないほど、この家はなんでも揃っていた。


 さすがに、食料品は賞味期限は切れているだろうが、それ以外は普通に生活できるのになんの不自由もなさそうな感じだった。

 そうして、一日目はほとんど掃除に費やして、夕食も適当にカップラーメンを食べ、事前に用意しておいた寝袋をソファーの上に敷いて寝ることにした。


 居間と台所、トイレ、風呂さえ片付けてしまえば、残りはゆっくりやって行けばいい。

 ただ、どうしてもあの仏壇がある部屋だけが気になって仕方がない。

 ソファーで寝ているとどうしても視線に入るため、扉は閉めたものの……

 仏壇なんてどう捨てたらいいのかわからないし、どこかの寺に聞けばいいのだろうか?

 母には、この家にあるものは全て自由にしていい。

 というか、もう誰のものでもないから、全部捨ててくれとまで言われている。


 服や靴、家具なんかはリサイクルでいいとしても、仏壇と遺影はどうしたらいいものか……

 ぐるぐると考えながらその日は気づいたら眠っていた。


 そして、最悪なことに金縛りにあった。


 十人ぐらいいただろうか、どこかの誰かが、眠っている俺の周囲を取り囲むように立っていて、昏い目でじっとこちらを見下ろしている。

 そんな最悪な夢を見て、全く動くことができなかった。

 仏壇と遺影の処理をどうするかなんて、考えながら眠ってしまったせいだろう。


「————ちょっとあんた、いつまで寝てるのよ」


 はっきりと目が覚めたのは、翌朝、聞き覚えのまるでない、若い女の声が聞こえたからだった。


「へ……?」


 声のした方を見ると、若い女————おそらく、二十代か三十代くらいの見知らぬ女性が、ソファーの横に仁王立ちしている。

 眉間にしわを寄せ、どこか怒っているような、そんな表情で……


「へ? じゃないわよ。何時だと思ってるの?」

「何時って……え? いや、あの」

「さっさと起きなさいよね」


 ふんっと鼻を鳴らして、台所の方へ歩いて行ってしまう。


「いや、え? 誰!?」


 どうやって入ってきた!?


 起き上がって玄関の方を見ると、昨日、確かに鍵をかけたはずの扉が開け放たれていた。



 * * *



「あなたは一体誰なんですか?」

「誰って、失礼ね。初対面の相手に」

「いや、失礼なのはあなたでしょう!? なんで、勝手に人の家に入ってるんですか!?」


 この謎の女は、俺が訊ねても全く悪びれる様子もなく、さもそれが当然かのように勝手に冷蔵庫の中に新聞紙で包まれた何かを入れ、やかんに水を入れてお湯を沸かし始める。


「昨日、村の人から聞かなかった? 入っていいのよ。ここは、そういう家だもの」

「はぁ? 言っている意味がわからないんですが……」

「わからないも何も、そういう家なのよ。村人ならいつでも出入り自由。鍵だって、かからないでしょう?」

「……鍵、…………かからない?」

「そうよ。そういう家なのよ」


 女はそれが当然だろうという顔で、勝手に食器棚から湯飲み茶わんと急須、茶っ葉を取り出してテーブルの上に置いた。

 どこに何があるか、正確に把握しているようで、本当に気味が悪かった。


「そういう家って……鍵が壊れているってことですか? だから、勝手に入ってきたと?」

「うーん、ちょっと違うけど。まぁ、そんなところね」

「そんなところって……」


 俺が戸惑っている間に、さっさっとお茶を淹れたかと思うと、今度はいつの間にスイッチを入れていたのか、炊飯器の炊き上がったご飯を吊り戸棚の上から出した大きな茶碗に丸く盛り付ける。


「ほら、これ、お仏壇に置いてきて」

「え?」

「いいから早くいく!」


 わけがわからないまま、それを俺に押し付けてきた。

 仕方がなく、台所から居間に戻ると、気持ち悪くて寝る前にちゃんと締めたはずの和室の扉もなぜか全開になっている。

 本当にどうなっているのかわからなかったが、言われた通りに仏壇にそれを置く。


「いやぁ、今日もいい天気だねぇ」


 そして、振り向くと今度は居間のソファーに知らないお婆さんがニコニコと笑っていて、女はそのお婆さんにの前にお茶を置いて、玄関から出て行った。


「あ、あの……どちらさまでしょうか?」

「いやねぇ、わたしのことは気にしないで。これをいただいたら、すぐに帰りますから」


 お婆さんはゆっくりとお茶を飲み、宣言通り帰って行った。


「…………なんなんだ!?」


 どういうことなのか、何が何だかさっぱりわからなかった。

 また内側から玄関の鍵を閉め、念のため他の部屋の窓や勝手口が開いていないかも確認したが、どこもしまっている。

 それなのに、不思議なことに数分後にもう一度玄関の扉に手をかけると、鍵はかかっていなかった。


 この玄関の鍵だけが壊れているのなら、新しく付け替えなければならない。

 俺は、その日のうちに町のホームセンターへ行って、鍵を買った。

 元からもらっていた鍵はなくしてしまったし、自分で鍵を取り替えるくらいできる。

 仮に村中の人がこの家の鍵を持っていたから入れたとしても、それは使えなくなるだろう。


 そうして、鍵を取り替えたというのに、どういうわけかその日の夜、シャワーを浴び終えて体を拭いていると、テレビの野球中継の音声が聞こえてきた。

 まさかと思って、急いで居間の方を見ると、今度は小学生くらいの男の子とその父親らしき男がいて、父親の方はビールを片手に試合に夢中になっていた。


「打ったぁぁぁぁあああ!!」

「ホームランだぁああああ!!」




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