知らないおじさん(3)


 この村で井浦さんだけが、タカちゃんの存在に違和感を持っていた。

 自分一人がおかしいのではないかと思っていたけれど、もう一人いるなら、話は別だ。


「僕は昔からこの村にいたわけではないからわからなけど、以前この村に住んでいた可能性はないかな?」


 井浦さんは、タカちゃんというが井浦さんがこの村に来る前に住んでいたのではないかと考えているようだ。

 そして、その人物が私が村を離れていた二年の間に戻ってきたのではないか、と……


「そのタカちゃんっておじさんは、何才くらいなの?」

「うーん、多分ですけど、四、五十代じゃないかなと……髪に白髪も混ざってますし」

「それなら、若い頃に村を出て行って、戻ってきた可能性があるね。そうじゃなきゃ、突然やってきた他人を自分の家に住まわせたりしないだろうし……僕もこの村に住み始めた頃は、かなり警戒されていたからね。孫だってわかってもらえるまで、完全によそ者扱いだったし」

「それは……なんかすみません」


 村八分————とまではいかないだろうが、この村の人たちはよそ者を警戒する。

 山祭りもそうだが、村独自のルールというか掟のようなものがあって、田舎暮らしというものに憧れて都会からこちらに移り住んだ家族が、そのルールを守らないために、追い出された話を何度か聞いたことがある。

 山祭りに男なら必ず参加しなければならないのも、そのルールの一つだ。

 あのおじさんも男なのだから、山祭りに参加していないのはおかしいし、誰もそのことでおじさんを責めたりしていないのなら、違和感しかない。


「もしかしたら、結ちゃんが覚えていないだけで、本当に家族なのかもしれないし————そうだ、写真は?」

「写真……?」

「ほら、家に古いアルバムとか残ってないかな? そこにそのタカちゃんらしき人が写っていれば、家族ってことになるんじゃないかな?」


 確かに、なぜか家族も親戚もタカちゃんが誰だか教えてくれないのであれば、自分で調べるしかない。

 もし、アルバムに写っていたら、少なくとも赤の他人というわけではない。

 親戚ということになるのだから、血の繋がりがあるはずだ。

 それなら、今ほど気持ち悪いとは思わないんじゃないだろうかと、そういう話になった。



 私は井浦さんと別れて自分の家に戻ると、すぐさま古いアルバムを探した。

 仏壇がある和室の押入れの下段だ。

 小学生の頃に、自分の生まれた頃の写真が授業で必要になり、母がこの家の歴史が詰まっていると言っていた古い大きな茶箱を引っ張り出す。

 中には私の記憶していた通り、アルバムが大量に入っていた。


 古すぎて表紙が外れかけているものもあったけれど、写真を撮るという行為が一般の家庭にも広まった時期から、スマホが普及する近年に至るまでの家族の歴史がそこにあった。

 今はなんでもデジタル化してしまって、写真を撮ったとしても、こうして印刷してアルバムに収めると言うことはすっかりしなくなってしまったが……それでも、年号が変わる前までの写真が綺麗に収納されていた。


「急にどうしたの? アルバムなんて引っ張り出して」


 茶箱から全てのアルバムを出して床に並べ出した私の突然の行動に驚き、母に声をかけられる。


「ちょっと気になることがあっただけ。それより……」


 アルバムから視線を母に向けると、薄てのネイビーのワンピースにカーディガンを羽織っていた。

 つばの広いお出かけ用の帽子をかぶっていて、明らかに村の外に出かける準備をしてたようだ。


「どこかいくの?」

「ええ、昨日のご馳走で作るのに食材がなくなっちゃったから、幸恵さんとおばあちゃんとちょっと行って来るわ。おばあちゃんも欲しいものがあるみたいだから……」

「ふーん、そう」


 この村には、大きなスーパーがない。

 車で町まで出れば、大きなショッピングモールがある。

 0のつく日は会員であれば5%オフの特売日で、それが土日であれば、免許を持っていない母を連れて幸恵さんが車を出すのはいつものことだった。

 そこに、たまに祖母も欲しいものがあるときは一緒に乗っていくようにしていた。


「結もいく?」

「いや、私はいいよ、やることがあるし……」

「そう? それなら、行って来るわね。夕食の前には帰って来るから」


 そう言って、母たちは出かけて行った。

 父は庭の草刈りをしているようで、開けっ放しの窓から草刈機のエンジン音と青臭い匂いが入って来る。

 部屋の中はとても静かで、私は夢中でアルバムのページをめくる。


 タカちゃんと思われる人物を探そうと、必死だった。

 年齢から考えて、父や叔母とそんなに変わらないだろう。

 生まれたばかりの父の写真を見つけ、その周辺をたどったが、写真に写っている子供は父、伯母、叔父、叔母と見事に男女二人ずつ。

 父の従兄弟である可能性も考えたが、結婚式や葬式で撮られたと思われる集合写真にも、タカちゃんらしき人は写っていない。

 何人か、父の兄弟たち以外にも子供が写っているものはあった。

 でも、顔に特徴的なホクロがついてる。

 タカちゃんの顔をまじまじと見たわけではないが、写真に映るくらい大きなホクロが顔にあればすぐにわかるはずだ。


 もう少し時間を進めてみても、父の兄弟たち四人全員の成人式の写真は出てきたが、タカちゃんの写真は出てこなかった。

 やっぱり、タカちゃんは親戚ではないんじゃないんだと、これだけ見ても答えが出ないことにがっかりしながら、アルバムを茶箱の中に戻していると、いつの間にか日が傾き、オレンジ色に変わり始めていることに気づく。


「もう、そんな時間?」


 外は薄暗くなり始め、父の草刈り機の音もいつの間にか止まっていた。

 なんて無駄な時間を過ごしてしまったんだろうと、さっさと全部戻そうと手が大雑把になってくる。


「あっ!」


 そのせいで、アルバムの表紙が外れかけている古いアルバムがずるりと手から滑り落ちしまう。

 その衝撃で、もともと壊れかけていたアルバムがバラバラになって床に散らばった。

 台紙を止めていた紐が劣化して完全に切れてしまったようだ。


 慌てて拾い上げるが、もう元の順番はわからない。

 かなり古いアルバムだ。

 それこそ、祖母がセーラー服を着ているような、それくらいの————今改めて見ると、ちょうど今散々見た叔母たちの若い頃にそっくりで、遺伝だなぁなんて思った。

 そこには祖母と一緒に並んで写っている坊主の少年がいて、これは祖母の話にたまに出てくる方のタカちゃんだと思った。


 タカちゃん。

 もしそのタカちゃんがまだ生きていたとしたら、八十歳手前くらいだろうか?

 少し歳が離れていたせいもあって、余計に祖母は弟を可愛がっていたそうだが、いくつ離れていたのかまでは知らない。


 本当に、あのおじさんは一体誰なんだろう。

 どうして、この家で暮らすことになったのか、全然わからない。


 すべてのアルバムを茶箱に戻して、茶箱も押入れの中に押し込んだ。

 そうして、押入れの襖を閉めたところで、はたと気づく。


 ————タカちゃんは、今、どこにいる?


 母と祖母、叔母はまだ帰ってきていない。

 父は、草刈りが終わって、この時間ならおそらく日課にしている散歩に出かけているはずだ。

 そうなると、この家には今、私と、タカちゃんしか……


 そう思った瞬間、背後に人の気配がすることに気がついた。

 居間とこの部屋の間にある敷居のあたりから、こちらを見ている。

 振り向かずともそう思った。


「もう暗いでしょう? 電気、つけようか?」


 居間とこの部屋の間に立った時にだけ鳴る、ぎしっ、という床の軋む音と同時に知らない男の声がしたからだ。

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