知らないおじさん(2)
米寿のお祝いの会がお開きになった後、みんな帰って行ったのにおじさんは帰らなかった。
ここに住んでいる————ということなのだろうか。
私は自分の部屋に戻ってから、納得がいかずに眠れなかった。
知らないおじさんが、私の実家でいつの間にか暮らしている。
それも、私の部屋の隣だ。
そろそろ深夜十二時を過ぎようとしているが、襖一枚を隔てた向こう側でおじさんはテレビを見ているようで、音と光が漏れている。
私の隣の部屋は、二年前まで物置部屋として使われていた。
襖を突然開けられて、急に入ってこられたらどうしよう————こんなんじゃ、せっかく実家に帰って来たのに全く気が休まらない。
玄関でさえ鍵をかけるという発想がないど田舎なのに、自分の部屋に鍵をかけたいと思う日が来るとは思ってもいなかった。
その場しのぎで学習机の椅子やカラーボックスを動かしてバリケードの代わりにしてみたが、そんなのは気休めにもならない。
この襖を開けられなかったとしても、廊下に出られてそちら側から入られるかも入れないし……
向こうは私が気を揉んでいるなんて思ってもいないのだろう。
いつの間にか隙間から漏れていた音と光は消えていて、知らないおじさんの
うるさいし、しかも突然止まるので、色んな意味で心配になり、ますます眠れない。
こんなのは、絶対におかしい。
全く眠れないまま朝を迎え、朝食を食べてすぐに私は実家を出た。
そして、近所の人にもタカちゃんについて訊ねたが、みんな「タカちゃんはタカちゃんだ」としか言わなくて、むしろ「家族のくせに何を言っているんだ?」と私の方が不思議がられてしまう。
誰に聞いても、みんなタカちゃんを知っていて、私が冗談を言っていると思っている。
私だけが、おかしいと思われているのは明らかだった。
どうしたらいいかわからなくて、このまま知らないおじさんがいるあの家に帰る気にもなれずに、今は公園のベンチに座っている。
家族だとか、タカちゃんはタカちゃんだと言われても、どうしても思い出せない。
私だけが、覚えていない。
もしかして、私は何か病気なのだろうか?
脳に大きな腫瘍ができていて、タカちゃんという家族の記憶だけがないとか……
「いや、そんな都合よく一人だけ覚えてないとかあるか!!」
自分で自分にツッコミを入れていると、私の方へ近づいて来る足音があった。
「————どうしたの? 結ちゃん、何か悩み事?」
声のした方を見ると、そこにいたのは井浦さんだった。
* * *
井浦さんは、バスの運転手だ。
高齢で引退した前任者に変わってやってきた人で、ずっとこの村に住んでいたわけではない。
数年前に母方の地元であるこの村に越してきたのだ。
都会の出身のため、同じ村の男の人たちとはどこか雰囲気が違う。
さらには国立大を出ているらしく、仕事がない日は村にいる子供たちの勉強を見てくれていた。
私もそのうちの一人で、一応、井浦さんにとっては教え子ということになる。
その教え子が、土曜日の昼間から一人で奇声をあげていたのを偶然目撃したのだから、心配にもなるだろう。
「つまり、自分だけが知らないおじさんが、いつの間にか家族になっていたってこと?」
「そうなんです! タカちゃんだって、みんな当たり前のように言うんですけど……私は、本当にあんな人知らなくて」
誰も私の言うことを信じてはくれなかったし、それどころか軽くあしらわれた。
こちらは真剣に、本当に、あのおじさんが何者なのかわからなくて怖がっているというのに、ちっともわかってくれない。
井浦さんもそうなのかと、恐る恐るその顔を見ると、井浦さんは真剣な顔で、顎に手を当てながら何か真剣に考えている。
「————実は、僕もおかしいと思っていたんだ」
「え?」
「この村はほとんど田畑と山くらいしかないような場所ではあるけど、田舎であるからこそ都会より昔ながらの近所の人との付き合いは多い。特に秋の
秋の山祭りは、この村の年一回行われる祭りだ。
この村では無事に作物を収穫できるのは山神様のおかげということになっており、その感謝と来年も上手くいきますようにと願いを込めて行われるもので、村の住人で、なおかつ男性ならば乳飲み子ですら強制参加だ。
どういう儀式をしているのか、女である私は参加できないので知らないが、毎年村の男たちはそこで親睦を深めてそれぞれの家に帰ってくる。
村以外から引っ越してきた新参者であっても、そこで暮らしている以上は必ず参加しなければならない。
当然、井浦さんもこの村で暮らすようになってから、毎年参加している。
「君の家に住んでいるタカちゃんを、僕は一度も見たことがないんだ」
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