家族じゃない(4)
「助けてぇえ、助けてぇえ!」
美子さんがまた家から出ようとしている。
開かない玄関の扉を何度も何度も叩いて、叩いて、叩いて、叩き続けている。
「殺される、怖いぃ……怖いぃ……」
「ちょっと! 美子さん、落ち着いてください!」
狂ったように叩き続けているので、手が赤く腫れている。
このまま叩き続けたら、美子さんの手がおかしくなるし、何より助けを求めるその声が、不快でたまらなかった。
抵抗する美子さんの手を掴んで、落ち着かせようとすると、外に人がいるような気配がした。
「————美子さん、ダメですよ。ちゃんと家の中に戻ってください」
井浦さんの声だ。
「みんな、あなたを待っているんですから」
「嫌だ! いやだぁ! ここは嫌だ!」
「あなたのお家なんですから、安心してください」
「いやぁああ」
みんなが何を指しているのか俺にはわからなかったが、外に井浦さんがいるならどうにかして助けてもらおうと思った。
「い、井浦さん!」
「……おや、誰かいるんですか?」
「
「……三島さん? あぁ、新しい駐在さん。そういえば、パトカーが停まっていますね。なぜ、そちらに?」
「停電で電話がつながらなかったので、美子さんを乗せてきたんです! それで、どういうわけか家から出られなくて」
「ああ、なるほど」
こちらは緊迫した状況だというのに、井浦さんは随分とのんびりしているようだった。
「助けてください!」
「そう言われましてもねぇ……三島さん、あなた勝手に入ったんでしょう?」
「え……? 勝手って、そんな……井浦さんと連絡がつかないから、送り届けただけで」
また家から出ようとしていたから、仕方がなく一緒に家に入ったと説明したが、井浦さんは「あらあら」と何処吹く風という感じだった。
「それは大変ですねぇ。残念ながら、私には助けようがありません」
「は?」
「ダメですよ。家主の許可なく、勝手に他人の家に上がり込んでしまっては」
「……どういう意味ですか?」
「どうもこうも、そのままの意味です。この家から出たいなら、この家の人間として認めてもらうしかないのです」
「は?」
ますます意味がわからなくて、説明を聞けば聞くほど、何を言っているのか理解できなかった。
この人が何を言っているのかわからない。
それどころか、扉の向こうにいる井浦さんの表情は全く見えないのに、その声が笑いを堪えているような気がした。
バカにされているような、そんな感じがしたのだ。
美子さんを迎えに駐在所に来た時には感じなかった、嫌な感じがした。
「これは仕方がないことなのです。声は聞こえているのでしょう?」
「声……? それは、あの、男性と女性二人、それから、子供の声ですか?」
「ええ、そうです。聞こえているのですね。でしたら、大丈夫です。日が完全に沈んでしまえば、きっと見えるはずです。そうしたら、お役目を果たしてください」
「お役目……? さっきから、何を言っているんですか? 本当に、意味がわからないんですけど」
「まぁ、その状況になればわかることです。美子さん、今夜は三島さんが相手をしてくれますから、大丈夫ですよ。怖がらなくても大丈夫です」
美子さんに対する口調は優しいもので、美子さんは井浦さんからそう言われて納得したのか、じっと俺の顔を見て眼を細めた。
嬉しそうに、ニコニコと笑みをこぼしながら、拝むように両手を合わせて「ありがとう、ありがとう」とまた感謝される。
本当に意味がわからなくて、混乱していると井浦さんが遠ざかっていく足音が聞こえた。
「え、ちょっと! 井浦さん!?」
井浦さんは俺を無視して、帰ってしまった。
どうしたらいいのかわからなくて、呆然としていると美子さんは玄関で動かなくなった。
外はすっかり真っ暗になり、雨は完全に止んだようで、窓から外を見ると星が瞬いている。
「美子さん、美子さん……」
「…………」
美子さんは無表情のまま、玄関の扉をただ見つめている。
まだ雨に濡れた髪も服も乾いていないのに、こんな状態で玄関に居座り続けられては、困る。
また抱きかかえて、無理にでも居間まで連れて行こうと思ったが、美子さんは先ほどよりもずっしりと重くて、どうしても不可能だった。
たった数時間の間で、体重が増えるわけもないのに、本当に岩のように重かった。
「もう、いいです」
諦めて仏壇の方へ戻ると、さっき一応拝んだ時につけたままにしていた蝋燭がゆらゆら揺れていた。
他人の家の、蝋燭に照らされた遺影というのは、ものすごく不気味に思えたが、仏壇の下にあった引き戸を開ける。
「————もう、ダメじゃないか。勝手にそんなところを開けちゃ」
「そうよ、お兄ちゃん。ご先祖様に怒られちゃうわよ?」
また声が聞こえて、振り返ると、そこには鴨居に飾られた遺影と全く同じ顔をした中年の男性と、セーラー服姿の若い女が立っていた。
停電しているはずの居間と台所が、ぼんやりと明るくなっている。
ソファーの前にある長テーブルの上に、大皿に乗った食事と、人数分のご飯茶碗とお椀、皿、箸が並んでいて、エプロンをつけた中年女性が、いそいそとご飯茶碗に白米を盛り付けていた。
「ほら、夕食にしましょう。今夜はお兄ちゃんが久しぶりに帰ってきてくれたから、お母さん、頑張ったのよ?」
その女もまた、遺影の顔と同じだった。
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