家族じゃない(3)


 俺が初めてこの村に来たその日、先輩と一緒に一軒一軒挨拶に回った。

 当然ながら、美子さんの家にも一度来ている。

 だが、玄関の前までだ。

 井浦さんが美子さんを家まで連れ帰っている最中で、こんなに大きな家があるのに一人で暮らしているのかと、とても印象に残っていた。

 その時、美子さんは何も話をせず、ただ視線を地面に向けているだけで、井浦さんが全て代弁していた。

 それに先輩も乗っかるように話し、俺はそういう事情なのかと思ったくらいだ。

 まさか、毎日のように駐在所までやってくるとは思っていなかったが……


 先輩も、井浦さんも、はっきりと「美子さんは一人暮らしだ」と言っていたのは確実だ。

 美子さんには、一緒に暮らしている家族も、息子や孫もいない。

 だから、井浦さんが痴呆の進んでいる美子さんの様子を度々見に来ている。

 それなのに、家の中から聞こえてきた声は、男性一人と女性二人の声。

 それから、小さな子供のきゃっきゃとはしゃぐ声やパタパタと可愛らしい足音も聞こえていた。


 客が来ているのかと思ったが、それなら玄関に靴があるはずだ。

 しかし、玄関に置かれている靴は、泥だらけの婦人物の小柄の長靴だけで、男性の靴や子供はなかった。


「……あのーすみません!」


 誰かいるなら、今もこの家から逃走しようとしている美子さんを止めるのを手伝って欲しくて、不審に思いながらも俺は声をかけた。

 かなり大きな声を出したつもりだったが、話し声の主たちは聞こえていないのか、談笑を続けている。


「すみませーん!」


 もう一度呼びかけたが、やはり誰も返事をしないし、こちらへくる様子もない。

 話に夢中で聞こえていないのかと靴を脱いで、美子さんを引っ張りながら上がりこみ、正面にあった居間と思われる扉を開けたが、そこには誰もいない。

 しんと静まり返った室内は広いが、その分厚い雨雲のせいで窓からの採光が届き切らずに全体的に薄暗かった。


「あれ……?」


 そして、先程まであんなに聞こえていた話し声も、ピタリと止んだ。

 声はここからしていると思っていたのに、見渡しても人がいた気配すらなく、正面に見える大きな仏壇がある和室も、数珠暖簾のれんの向こう側に続いていた台所にも、人はいない。

 それどころかパッと見ただけでも、床も棚も埃にまみれていて、現在も人が生活しているというより、かつて人が生活していたという雰囲気だった。


「あああ……だめだぁぁ……」


 美子さんは、そう言って居間に入ると急にその場に座り込んでしまった。

 もう逃げようとはしている様子はなく、ただただ床の一点を見つめ、微動だにしない。


「美子さん?」

「…………」


 俺の問いかけにも一切答えない。

 仕方がないので、美子さんを抱きかかえて、茶色いソファーの上に座らせると、井浦さんを呼んでこようと居間から出た。

 玄関で靴を履いて、扉を開けようと手をかけるが、


「は……?」


 動かない。

 それも、接着剤でくっつけたように、ビクともしなかった。


 雨が降っていたため、美子さんを玄関に押し込んだ後、すぐに扉は閉めたが、鍵をかけた覚えはない。

 こんな古い家の鍵がホテルの様なオートロックなわけがないし、そもそも、それなら美子さんを連れて中に入ることもできなかったはずだ。

 わけがわからないまま引違い戸の中心にある鍵に手をかけるが、鍵のつまみを上げても下げても、扉はピクリとも動かなかった。


「どうなってんるんだ……!?」


 他に鍵があるのかと扉全体を何度も確認し、それでもやはり鍵と思われる場所はそこしかない。

 それなのに、どう操作しても、押しても引いても、この玄関から外に出ることは不可能だった。

 鍵が壊れてしまったののかもしれない、それなら窓から————と思って居間の方へ戻ったが、窓も玄関と同じで全く動かない。


「美子さん、どうなってるんですか、この家————」

「……」


 問いかけても、美子さんは無言のまま動かない。

 他にどこか出られそうなところはないかと、勝手ながら家中を見て回ることにした。

 居間のすぐ隣にある和室には、田舎の家によくある豪華な仏壇があり、日に焼けて黄色くなり、所々ボロボロに敗れている障子の扉があった。

 開けてみると、障子の向こう側には小さな物置部屋というか、縁側に当たる部分があるようで、奥に大きなガラス戸がある。

 ここも同じように、鍵はかかっていないのに、開く気配がない。

 苛立ちながら、別の部屋を探そうと振り返ると、鴨居の上に飾られているいくつもの遺影と目があった。


 セピア色のかなり古い写真とカラー写真も数枚。

 和室をぐるりと一周してしまいそうなほどの枚数だ。

 老人だけでなく、若い女性や子供の遺影もあった。

 俺の家にもこんな風に先祖の遺影が飾られてはいるが、壁一面で収まる程度。

 それだけでこの家がかなり古くから続いて来た家であることが窺える。

 だが美子さんの代で、この家は途絶えてしまう。

 そう考えると、なんだか物悲しいように感じられたが、今はそういう時代だ。

 これから先は、むしろ後継がいる方が珍しい時代になっていく。


 障子とは反対側の襖を開けると、そこも和室だった。

 扉を開けただけでくしゃみが出る。

 かなり長い間、掃除をされていないどころか、開けられてもいなかったのではないだろうか。

 北側に位置するためか一段と中は暗い。

 古い介護用のベッドと、倒れているタンス。

 地震で倒れたものをそのまま放置しているような状態だ。

 窓は少し高い位置にあるが、こちらは採光の為につけられたはめ殺しのようで、取っ手も鍵も見当たらなかった。


 この和室は台所とつながっていて、もちろん台所の窓も開かない。

 台所の隣の扉を開けると、そこは洗面所と風呂場だった。

 洗濯機の置かれた場所の近くに勝手口を見つけて、ここからなら出られると思ったのだが、こちらも同じく鍵はかかっていないのに、扉が開かない。

 その隣はトイレだ。


「くそっ!」


 玄関から見て家の右側をぐるっと一周する形になり、開かない玄関を睨みつけながら廊下に出て反対側に進むと、今度は畳の上にカーペットを敷いた洋室もどきの部屋が二つ続いていた。

 古い学習机にボロボロの襖。

 壁や天井には昭和男性アイドルのポスターが所狭しと貼られていて、どれもカメラ目線。

 なんだか大勢の人間に見られているようで、居心地が悪い。

 もう一方の部屋も同じようなもので、そちらは昔のロボットアニメのポスターやミニカーが並んでいる棚があった。


 この他、物置部屋と思われる小さな部屋が一つと、最初に一周した時には気がつかなかったが不自然な位置に取ってつけたようなドアを見つけた。

 何度も折れ曲がった長い廊下の先に、増築したのか大きな洋室が一つ。

 こちらは洋室だったが、居間と仏壇がある和室を足したかぐらいのかなり広い部屋だった。

 無駄に広いだけで、大した家具も置かれてはいなかったが、ここも窓は一切か開かず、途方に暮れていると、また、誰かの話し声が聞こえる。


「もうやだぁ、お父さんったら」

「あははは」

「お姉ちゃんは笑いすぎよ。うふふふ」


 絶対に誰かいる。

 そう思うのに、声のした方へすぐに駆け出したが、やはり誰もいない。

 相変わらずソファーに座ったまま、まったく動こうとしなかった美子さんが一人居間にいるだけだ。

 誰もいないのに、誰かの声がして、俺が居間に戻るとその声はすっと消える。

 一体何が起こっているのかわからない。

 外には出られないし、美子さんに聞いてもなんの答えも出てこない。


 ふと外を見ると、雨はすっかり止んでいたが、日が落ちかけている。

 照明のスイッチを押したが、電気はまだ、復旧していないようだ。

 このままここで夜を過ごすわけにもいかず、助けを呼ぼうと携帯電話を手にしたが、無情にも表示は圏外。

 ならば無線だと思ったが、何度呼びかけても無線も通じていないようだった。

 気づけば美子さんはスヤスヤと寝息を立てて眠ってしまい、完全に詰んでしまった。


 暗くなった時のことを考えて、勝手に懐中電灯か何かないかと家中を漁ったが、電池切れのものしか出てこず、最後に思い立ったのは仏壇だ。

 仏壇の中には蝋燭があるはずだと、一応、仏壇に手を合わせてから仏壇の引き出しに手をかける。


 その瞬間————



「助けてくれぇぇ!」



 美子さんの叫び声がした。



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