第4話 森のくまさん

 クロードが勢いよく地面に叩きつけられて転がる。


「兄さん!」

 クレアは弾かれたように兄のもとに駆け寄った。クロードは顔を顰めながら起き上がる。……丈夫な体ね。


「コイツは何!?」

 ヴィヴィアンがバックパックを抱き締めながら、巨大な黒い生き物を見て叫ぶ。


「熊だ」

 マヤは静かにそう言うと、続けて、大声を出さないこと、背中を見せないことなどを守るように私たちに言った。

 熊は低く唸り声を上げながら私たちの様子を窺っている。


 木に繋がれたレリクトの少年が、焦ったように何か言っている。

 ……私とシエルに話しかけてきたのだ。今まで対話などするつもりが無かったようなのに、この緊急事態に突然。

 いや、緊急事態だからこそ何か伝えたいのか。


「ロープを切ってあげよう」

「な、何いってんのシエル」

「森と地上は彼らの領域だよ。きっとその熊への対処法も知っているはず」

「……」

 確かに一理あった。私たちだけでは、この事態に対処しようがない。


 シエルはそっとナイフを取り出すと、ゆっくりと、確実にロープを切断しようとする。


 他の繭のメンバーは動けないままだ。緊迫した時間が流れる。


 ようやくロープが切れたようで、レリクトの二人は静かに立ち上がった。

 少女の方が服の中に手を入れて、何かを取り出した。短くて細い枝を縄で巻いたものに見える。

 少年が首にさげていた飾り──どうやら火を付ける道具だったみたい──で手早くそれに火を付けて、熊の方へ投げた。


 辺りに独特の匂いが立ち込める。


「く、くっさ……」

 ヴィヴィアンが思わずといった感じで呟く。

 他のメンバーも、レリクトの二人すらも口と鼻を覆っている。


 熊もこの強烈な匂いには参ったようで、大人しく森の中へ帰って行った。


「……よかったぁ〜」

 熊の姿が完全に見えなくなったところで、ヴィヴィアンはへろへろと膝をついた。他のメンバーの緊張も解けていく。


 マヤがこちらに近付いてくる。


「二人とも、ありがとう。……と言っても伝わらないかな」

 レリクト二人から取り上げておいた武器などを二人に返していく。二人は戸惑いながらもそれらを受け取っては仕舞い込んでいった。


 マヤは笑顔で二人に手を差し出すが、レリクトには握手の慣習が無いのか、不思議そうにマヤの手を見つめたままだ。


「そうか。感謝を伝えるならもっとわかりやすいものがある!」

 そう言って、突然レリクトの二人を抱き締めた。二人は目を丸くさせ動揺しているようだ。しかし敵意がないことは伝わったのだと思う。マヤを跳ね除けたりはしなかった。

 シエルは嬉しそうにそれを見つめている。


 マヤの腕から解放された二人は、今度はシエルに向き直った。今度はシエルが動揺する番だった。


「ど、どうかした?」

「……ナハ」

 どういった意味なのかはなんとなくわかった。感謝を伝えているのだ。


「さっきシエルが二人に水を飲ませようとしてたでしょう。だから『ありがとう』って言ってるんじゃない?」

「え、あ、そっか……! えっと、な、『ナハ』! 良かったら水、飲んでよ。さっきは飲めなかったでしょう」

 水筒を差し出すと、二人は少しずつ喉を潤した。それからまた『ナハ』と言って、今度は笑みを見せた。




 *




 レリクトの少年は自分の胸のあたりを叩きながら、『タムナ』と言った。それから、隣の少女の肩に手を置いて『イシナ』とも。


 きっと二人の名前だ。


「タム、ナ……。イシナ……、で合ってる?」

 タムナとイシナは頷いた。シエルは二人の名前を何度か繰り返した。仲良くなれそうな予感がして、嬉しいのだろう。


「僕はシエル。シ、エ、ル」

「シエウ?」

 イシナ、惜しい。

「ル、だよ」

「シエル」

 タムナは一度で覚えたようだ。シエルが拍手する。タムナはどこか誇らしげだ。


「馴れ合いやがって」

 クロードはまだ警戒を解いていないようで、それはタムナとイシナも同じだった。クロードに対しては、鋭い視線を向ける。


 タムナとイシナは、先行して振り返っては『こっちへ来い』というように手で合図する。私たちはそれに従って、森の中へとついて行く。


「連れて行かれる先は一体どこなんだろうな? 檻の中かもな」

「兄さん、二人はそんなことするようには見えないよ」

「クレア!」

「確かに兄さんはレリクトに襲われたけど、フクロウの面の彼ら相手に襲われたわけじゃないでしょう?」

「……A班はこいつらに襲われたんだろうが」

「……それは、そうだけど」

 後ろからクロードとクレアの会話が聞こえる。


 そう、私たちA班はフクロウの仮面に襲われた。……タムナとイシナの仲間たちから。


「ついて行けばそこにヨハネが居るかも」

 隣りにいたイオがそう言った。彼は相変わらずビーコンの画面を見ながら歩いている。人に興味が無さそうなイオだが、案外心配しているのかもしれない。私は彼のビーコンを覗き込むが、特に画面上に反応は無かった。


 暗い道のりを何時間歩いただろうか、目の前には丸太で出来た大きな門が現れた。

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