第2話 レリクト


「とにかく、繭へ帰ろう」

「うん……」


 もうすぐ日が暮れる。暗くなる前に繭へ戻らなければならない。夜になればきっと野生動物たちの活動が活発になるだろう。幸い背負ったバックパックの中にはランタンが入っているが、飢えた獣相手に役に立つかはわからない。それに夜の森で仮面たちに襲われれば、待っているのは死だけだ。


 私とシエルは再び森へと足を踏み入れる。繭の位置はビーコンで分かる。手のひらに収まる小さな機械の画面上に、繭の方角へ向けて波のような効果が表示されている。


「東へ向かえば良いわけね」

「……便利だね」

 シエルはまだへこんでいるようだが、なんとか私と会話しようとしている。私は一拍置いて、「きっと帰れるよ」と返した。




 *




 高い木々が並ぶ森の中は暗く、ランタンの光は心許なかった。

 しかし、ビーコンの画面では波紋が一層強く反応していて、私とシエルを安堵させる。


「あともう少しで繭に戻れそう」

「フレイとシズクは先に着いているかな……」

「まだ着いてなかったとしても大丈夫でしょ。フレイはあんな風だけど、シズクは賢いもん。何とか二人でうまくやってるよ」


 木の根に足を取られながらも前へ進む。痛む足を引き摺るようにしてでも歩いた。死ぬにしたってせめて繭の中で死にたいという気持ちが私を突き動かしていた。



 暫く進むと森の中に光が見えた。



「繭だ……!」

「待って!」

 シエルがいきなり私の手からランタンを奪い取って、電源を落とす。辺りは真っ暗闇に包まれて、ほとんど何も見えない。

 何するの、と開きかけた口は、彼の手で塞がれる。


「よく見て。あれは繭の明かりだけじゃない。多分、仮面たちだ……」

 木の陰から様子を伺う。

 たしかに繭の明かりとは別の、火の揺らめきがいくつか見えた。仮面かどうかは判断出来ないけれど、そいつらは繭を取り囲んでいるようだった。


「B班のみんなは……?」

「わからない。中に居るのなら、どうにかして助けないと」


 二人でしゃがみ込んで繭の方向をじっと見つめる。目が暗闇に慣れてきたのか、段々とハッキリ見えるようになってきた。

 松明を持ち、繭を取り囲んでいるのはやはり仮面たちであった。目視で確認出来るだけで五人はいる。繭の向こう側にも居るとしたら、とてもじゃないが私とシエルの二人で倒すことなど出来ないだろう。


 ──何か、何か策はないか……。

 そんな風に考えを巡らせていると、仮面の一人が仲間たちを相手に何か叫んだ。

 聞き慣れない言語。地上で生き延びた彼らの独自の言語のようだ。

 仮面たちは、その一人の言葉に耳を傾けている。今喋っているのがリーダー格なのだろうか。身に付けているものも他の仮面たちに比べて質が高いように思える。


「どこかへ行くみたいだね」

 シエルの言う通り、仮面たちは繭を離れてゾロゾロと森の中へと入っていく。


「やつらの拠点へ戻るつもりかな」

「そうかもしれない」

 繭の周囲には仮面が二人だけ残ったようだ。隙をついて後ろから襲えば何とか繭へ戻れるかも。


 私とシエルは二手に分かれる。

 シエルが物音を立て気を引いて、その間に私が後ろから襲いかかり、気絶させてロープで縛った。運良く一人ずつおびき寄せられたから良かったけれど、いつもこう上手くいくとは限らない。今後の課題だ。


 木の幹にしっかりと縛り付けられた二人の仮面は、気を失ってぐったりしている。仮面を剥ごうと伸ばしていたシエルの手を掴んで止めさせた。


「まずはB班の安全を確認しよう。いつ他の仮面たちが戻ってくるかわからない」

「あ、うん……」


 繭のドアの前に立つ。


「パピヨン、開けて」

 ゆっくりとドアが開く。二人でそっと繭の中に入る。


「クソッ! 何なんだよあいつらは……」

 クロードの声だ!

 いつもはムカつく男の声も、今では安心材料だ。


「みんな!」

 パッと瞳を輝かせたシエルが真っ先に会議室へ駆け込んでいく、私も後を追って入る。


「シエル! オフェリア! 無事だったんだね!」

 B班のリーダーであるマヤは心底ホッとしたような表情で私たちを抱き締めた。痛い……。マヤってわりと力強いんだよね。


 B班のメンバーは一人も欠けなかったようだ。

 ヴィヴィアンはモニターで外の様子を伺い、イオは何やらスケッチブックに絵を描いている。……イオは相変わらずマイペースだな。


「兄さん、動かないで」

 会議室の奥のベンチで、クロードが傷の手当てを受けていた。彼の妹であるクレアはその手に医療用ステープラーを握りながら困った顔をしている。


「A班の他のメンバーは?」

 マヤに尋ねられるとシエルは俯いた。彼に説明させるのは酷だろう。私は口を開く。


「ヨハネは負傷して地上の生き残りに捕まった……と思う。フレイとシズクとははぐれたまま会えなかった。二人は繭にも帰ってきてないんだね」

「そっちも遭遇したんだね」

 仮面たちのことだろう。私は頷いた。


「どーせ、お前とシエルがボーッとして足を引っ張ったんだろ?」

 腕の傷をガーゼで押さえながら、クロードが嫌味を言う。シエルは私の隣で、何も言えずにいる。


「うるさいな。あんただって怪我してマヤたちのお荷物になったんじゃないの?」

「何だと……!?」

 売り言葉に買い言葉。今は争っている場合じゃないことぐらい理解しているけど、クロード相手だとどうもすぐに頭に血が上ってしまう。立ち上がろうとしたクロードを抑え込むクレア。マヤも私の前に立ち、視界を遮った。


「出来た」

 ピリピリした空気の中で、のんびり絵を描いているように見えたイオがそう言った。彼の手にはスケッチブックが掲げられている。


「……それは?」

「私たちに襲いかかってきた生き残りだよ。よく描けてる」

 マヤが絵の出来を褒めたが、イオは無表情だ。


「……僕たちを襲ったのと違う」

 スケッチブックを手にとってまじまじと絵を見ながら、シエルが呟く。言われてみれば、確かに仮面が全く違う。B班が遭遇したという生き残りの仮面は何とも言えない不気味さがあった。


「僕たちを襲ったのはこんな感じだよ」

 シエルはイオにペンを借り、拙いながらも仮面の絵を描いた。


「フクロウという鳥類に似ているね」

 マヤの言葉に頷いてから、クレアが続ける。

「確かに……。わたしたちの方の仮面は、土偶というものに似ている気がします」

「ドグウ……って何?」

「地球史で習いませんでしたか?」

 私が首を横に振ると、クレアは苦笑する。


「昔の地球で作られていた、土の人形のことです」

「クレアは賢いなぁ」

 妹の発言に、クロードが目を見張った。……シスコンが。


「こっちの仮面なら、外の木に縛り付けてる」

 私はスケッチブックに描かれた、よれたフクロウの方を指差して言う。


「何か聞き出せたりしないものか」

 眉根を寄せて、マヤは思案している。


「そんなことよりさ〜」

 先程から暇そうに話を聞いていた最年少のヴィヴィアンがゆるい声音で話し始める。


「さっさと繭を捨てちゃったほうが良いんじゃないの? その仮面たちに取り囲まれたら逃げ道なんてないわけだし」

 ヴィヴィアンにしては真っ当な意見だと思った。彼女の言う通り、繭の出入り口は一つしかないのでやつらに取り囲まれたら終わる。それに、仮面が見張りを残したということは、いつかは再び戻って来るということだろうから。


「……急いで荷物をまとめて。まずはここから離れることにしよう」

 多数決を取るまでも無かった。マヤの言葉に全員が頷いた。


「フレイとシズクが帰ってくるかも。……それにヨハネも。パピヨンに伝言を残しても良い?」

 シエルの言葉に、今度はマヤが頷く番だった。


「地上の生き残りさんたちに名前をつけませんか?」

「確かに。毎回、生き残りや仮面たちと呼ぶのも面白みがない」

 クレアとマヤは、荷物を準備しながら様々な案を出し合っている。聞いたこともないような単語が会議室内を飛び交う。頭が痛くなりそう。


「レリクト」

 イオが一言呟くと、提案し合っていた二人は顔を見合わせて「それにしよう!」とはしゃいだ。


 ……今わりと危険な状況だと思うんだけど。


 隣でバックパックに荷物を詰め込んでいるシエルを盗み見る。彼は微笑んでいた。


 ……まあ、シエルの元気が戻るなら良いか。

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